映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

ほんの束の間だけ、絵画のなかできらめくように(ボー・ウィデルベルイ「みじかくも美しく燃え」/Bo Widerberg "Elvira Madigan" 1967年)

ボー・ウィデルベルイ「みじかくも美しく燃え」(Bo Widerberg "Elvira Madigan" SE 1967)を鑑賞。少し前に近所の映画館でウィデルベルイの懐古特集が組まれており、その枠のなかで観ることができた。

 

おおまかな感想、印象

絵画のなかのような美しき生活を夢見て、逃れられないはずの現実から精一杯逃避した二人の若者の映画。映像に強い拘りをもって制作された映画であることは確かで、草原や森の小道、川や海といった自然の情景が印象派絵画からあからさまに影響を受けた仕方で写し出され、その自然美のなかに19世紀ヨーロッパの富裕層を思わせる洗練された佇まいの美男美女が優雅に時を過ごしている。

身も蓋もない言い方をすれば、ここで演出されている自然美は19世紀市民社会の幻想に過ぎないものだ。もっともその欺瞞がもつ美しさと仮象性を描き切っているという点では、そこに一定の見ごたえはある。とりわけ、その体現者としてのエルヴィラを演じきった女優ピア・デゲルマルク(Pia Degermark)は印象的だった。彼女がこの映画でもってカンヌ映画祭の女優賞を獲得したというのも納得できるし、エルヴィラを演じたのが彼女でなければこの映画全体の空気は大きく異なっていただろうと思う。

またこの映画のなかには、単に美しい印象派絵画の世界が映像化されているだけではなく、絵画的な美のきらめきの仮象性、それが現実との間に持つ緊張関係も刻み込まれている。実際に、物語を通して優雅な情景を堪能し続けようとする二人の若者は、最初から最後まで一貫して現実に——彼らが必死で目を逸らし続ける現実に——追い立てられているのだ。見せかけの美とそれを脅かす現実との間の緊張関係こそが、この映画の魅力を成している。

 

簡単なあらすじ

19世紀末のスウェーデン、王国近衛兵であるシクステンは、サーカスの綱渡りのスターであるエルヴィラと恋に落ち、職務も家族も捨ててデンマークへと駆け落ちする。シクステンとエルヴィラはデンマーク郊外を転々としつつ自然のなかの優雅で幸福な生活に耽溺するが、衣食住に惜しみなく金を使う彼らの手持ちの金銭はすぐに底をついてしまう。

そこで彼らは、優雅な生活そのものは崩さないまま、湖で魚を獲ったり山で茸や木の実を獲ったりしてその場の飢えをしのぐようになる。エルヴィラは小さな居酒屋でダンサーとして日銭を得ようとするが、恋人が男性たちの野卑な目に晒されることに耐えられないシクステンは彼女を責めてしまう。また古い友人が彼らを訪ね元の生活に戻ることを説得しようとしても、彼らはそれを拒否する。

金銭も食料も尽き、エルヴィラが栄養失調でまともに歩くことさえできなくなったある日、二人はなんとかかき集めた食料をバスケットにつめ、優雅な服を身に着け、心中のために草原に向う。*1

 

印象派絵画のなかのきらめくような生活とその仮象性

プログラムの説明にも「印象派絵画から影響を受けたスタイルが世界中の観衆の心を捉えた」とあったが、実際にこの映画ではかなりの質で印象派の絵画の世界が再現されていて、個人的にはここまでするかと少し笑ってしまうほどだった。明るい自然光のなかで散歩をし、森の小道や草原にバスケットを下して食事をとり、陽光きらめく静かな川をカヌーで渡り、日の出がきらめく海岸で語り合う、明るい色を基調としたドレスや服飾を身にまとった優雅な若者たち。19世紀ヨーロッパの富裕層が憧れた自然美のなかでの生活が、登場人物たちによってほとんどそのままに体現される。駆け落ちした二人の男女は、全力を尽くして、自然のなかでのこの素敵な生活を維持しようと努める。まるで、一瞬一瞬を印象派絵画のきらめきのなかで過ごすことが、彼らが果たさねばならない義務であるかのように。加えて、これ見よがしなほどに繰り返され鳴り響くバックミュージックのモーツアルト「ピアノ協奏曲第21番」もまた、彼らが追い求める美しさを構成する一要素になっている。

とはいえ物語の最初から、この美しき生活が刹那的な仮象でしかないことは明らかだ。映像が始まる前、冒頭に流される説明文のなかで既に、彼らの逃避行が心中をもって終わることは暗示されている。そして映画中でも、現実が彼らのかりそめの理想の幸福を容赦なく追い立てていく。優雅な生活ゆえにすぐに底をついてしまう金銭の問題や、それに伴う食事や住まいの問題は絶えず彼らについてまわる。王国近衛兵の規則を破り逃げ出したシクステンは、脱走兵としてスウェーデン兵に追跡されており、いつ彼らの手におちるかもわからない。そのために表に出られない彼に代わってエルヴィラが働きに出はするが、彼女が男たちの野卑な目に晒されることにシクステンは我慢ができない。

仕事も金もない彼らはまともな食事を買えないので(しかも少し金が入るとすぐにレストランでの優雅な食事に使ってしまうので)、しまいには泥棒をしたり野山の木の実やきのこを拾い食いしたりするしかなくなってしまう。しかしそれでも彼らは浪費をやめず、きらめくような生活に固執し、現実に目を向けることを徹底して拒否し続ける。この生活が遅かれ早かれ何かしらの形で破綻するだろうことは、誰の目にも——彼ら自身にとっても——明らかなのだ。

 

迫りくる現実を前にした最期の瞬間

現実から必死に逃げ続ける二人の目の前に、それでも時折、決定的な現実が顔を出す。しかしそれでも彼らは、そこから必死に目を背けんと努める。シクステンの古い友人が彼が残してきた家族の問題を語るのに対して、エルヴィラは耳をふさぎその内容を聞くまいとする。また彼女は森で拾い食いしたキノコのせいで嘔吐してしまうが、自身の吐瀉物をすぐに落ち葉で覆い隠しシクステンに知られまいとする。現実をすべて捨ててきた彼らにとって、現実を見ることはもはや考えられなくなっている。

優雅な生活を維持する可能性がほとんど途絶えたように見えたある日、シクステンとエルヴィラは、なんとかかき集めたパンと卵をバスケットに入れ、精一杯のおしゃれをして、森の小道へと散歩に出かける。エルヴィラは、栄養失調で失神しながらも、頑として絵画のなかのように振る舞い続ける。彼女の最期の瞬間に至るまで。草原のなかに飛び回る蝶を追いかけまわす彼女の最期のきらめきが、この映画における最後の瞬間として静止する。たしかにそれは美しい、絵画のように。まるで迫りくる現実の影など微塵も感じていない裕福で無垢な少女の戯れを描いた、一枚の絵画のように。

 

自由と自然の賛歌か、それとも理想と現実の緊張関係か

この映画をどう解釈することができるだろうか。

一方でこの映画は、人間の自由と自然の光の賛歌として解釈することができるものだ。印象派の絵画が自然のうちの光のきらめきという瞬間の印象をキャンバスの上に描きとめたように、この映画も全てを捨てて自由と自然への愛に生きた二人の若者の瞬間の美を映像に収めたものだとして観ることができる。実際に監督の意図はそこにあったのかもしれないし、自由と自然の賛歌としてもよくできた映画ではある。最後のシーンも含めて、そういうものとして完結はしていると言えるかもしれない。

とはいえ他方では、印象派の絵画のなかの自然がちょうど19世紀市民の理想を反映した演出された自然であるのと同じように、映画のなかで二人が生きる自由や自然も、人工的に演出されたものに過ぎない。シクステンもエルヴィラも、決して動きやすく汚れても構わないような衣服を身にまとうことはしないし、陽光も差さず小道もない森の奥までかき分けて本格的に食料を探すこともしない。言ってしまえば彼らのやっていることはある種のおままごとの枠を出ず、自分たちが憧れていた優雅な生活の枠から出る生々しい自然へと足を踏み入れることは決してない。このことは彼らのほとんど理念的とも言える行動原理となって、それはそれで映画にある種の迫力を与えてはいる。

正直に言うと私自身は、個々の映像を綺麗だと思いはしても、絵画のなかのようなきらめきの世界をただひたすらに見せつけられるのは幾分か冗長に感じたし、自由や自然を賛美する映画としても少なからず退屈なものに感じた。そしてむしろ、物語を最初から最後まで支配している緊張感、理想を求めて捨ててきたはずの現実が再び彼らに迫ってくるというその緊張感にこそ、映画ならではの面白さを感じることができた。まさしくこの緊張感こそが、この映画の物語に一定のリズムと表情を与えているように思えたのだ。

ここには、理想と現実とのコントラストがある。現実を離れて理想の世界に逃げ込む二人の前に、理想をひび割らせてふたたび現実が侵入してくる。シクステンとエルヴィラは、この現実に完全に追いつかれてしまう前に、自らの手でもって理想の瞬間を静止させようとする。このこと自体きわめて人為的な演出なのではあるけれども、たしかにこの最期のシーンは、現実の汚さを拒絶する人間の理想が持つほんの束の間のきらめきの美しさをなんとか静止画にとどめようとするものとして、印象的なものではあった。*2

*1:近衛兵シクステンが綱渡りスターのエルヴィラと駆け落ちしたというこの逃避行それ自体は、19世紀末に実際にあった出来事で、北欧では有名な逸話なのだという。この逸話に関しては映画の冒頭でも簡単に触れられる。興味のある方は、映画のタイトルである"Elvira Madigan"で調べてもらえれば色々記事が出てくると思う。

*2:映画の最後を自然のなかで笑顔になる少女の静止画で終わらせるというその演出の仕方は、以前記事を書いたニコレッテ・クレビッツ「ワイルド」(2016年)のラストシーンと重なるところがある。これもやはり自然賛美の映画だ。もっとも「ワイルド」は、ひたすらに美しい理想的自然というよりもっと生々しく野生であることを模索した映画であり、自然であることの汚さや滑稽さまでも——それはそれで近代文明の憧れを反映したものではあるのだけれども——描かれている。この点で、二つの映画それぞれで自然というものが持つ表情は大きく異なっている。

また詩的かつ絵画的な仮象の美しさが逃れられない現実によって脅かされ、仮象のひび割れから現実がだんだんと顔を出してくるというその側面は、アラン・J・パクラ「ソフィーの選択」(1982年)を思い出させるものだった。もっともこちらの方はアウシュヴィッツといういっそう具体的な歴史上の事態を含みこんだものであるのだが。

破滅のただなかで追想される過去の輝き、そこに向けられる哀悼のまなざし(ジョセフ・フォン・スタンバーグ「嘆きの天使」/Josef von Sternberg "Der blaue Engel" 1930年)

ジョセフ・フォン・スタンバーグ「嘆きの天使」(Josef von Sternberg "Der blaue Engel" DE 1930)を鑑賞。

 

おおまかな感想、印象

以前記事を書いた「最後の命令」(1928年)以来のスタンバーグ映画。「最後の命令」がアメリカ製作の無声映画だったのに対して、その二年後に封切られた「嘆きの天使」はドイツのUFAスタジオ製作の有声映画。ハインリッヒ・マンの『ウンラート教授、あるいは一暴君の末路』(Professor Unrat oder das Ende eines Tyrannen, 1905)を原作として製作されたこの「嘆きの天使」は、ドイツにおける有声映画としてはもっとも早い時機の作品とのこと。主演は「最後の命令」と同じエミール・ヤニングス、女優は本作が出世作となったマレーネ・ディートリヒ。視野狭窄に陥って破滅していく中年男と彼を魅惑する奔放な歌手の対比はとても印象的で、お互いがよい存在感を出し合ってお互いを際立たせるものになっていたように思う。ディートリヒの妖艶さやセクシーさは今の目から見ると刺激的と言えるほどのものではないかもしれないが、それでもその独特の空気感は伝わってくる。彼女がこの映画を皮切りにハリウッドへと活躍の場を移し国際的な名声を獲得していったのも納得できるような気がした。

この映画は、「最後の命令」同様、古い権威を代表する人物がその威厳を失っていき、敬われる側から軽蔑され嘲笑われる側へと転落していく様を描いている。転落していく人物が生の最期に過去の権威を追想し、そこで一瞬の——見せかけの——輝きを見せる、という点も同じだ。おそらくスタンバーグの基本的な関心がこの点、古きものが嘲笑われるものへと転落していくなかで一瞬だけ過去の輝きをきらめかせながら破滅していく、というところにあったのだろう。ただしロシア革命で地位を失った将軍がハリウッドへと流れていく様を描いた「最後の命令」においては世界史の趨勢が転落を引き起こしているのに対して、この映画「嘆きの天使」における破滅はきわめて個人的なものであるように見える。実際、ヤニングス演じるギムナジウム教授ラートがディートリヒ演じるキャバレー歌手ローラ・ローラに熱を上げて没落していくという物語は、地位のある年配者が若い恋人のせいで身を持ち崩していくといういつの時代にもある転落物語の雛形ではある。とはいえ「最後の命令」とのモチーフの重なりや、またラート教授が形骸化したブルジョワ社会の道徳権威を象徴するような人物として描かれていることに鑑みれば、やはりスタンバーグの関心は単なる個人の物語を超えているように思えてくる。もっともここには、転落していくブルジョワ道徳への単なる蔑視というよりも、破滅していく古きものへの彼独特の哀悼のまなざしが読み取れる。

 

あらすじ

ギムナウムで英語を講じる教授イマヌエル・ラートは、その堅物さや些事に拘る偏屈さによって生徒たちから疎まれ、「ウンラート」(Unrat、ドイツ語で「汚物」や「ごみ」の意。ラート教授の名前の綴りRatにかけている)と呼ばれている。ある日彼は、生徒からキャバレー「嘆きの天使」(Der Blaue Engel)のチラシを取り上げ、そこにローラ・ローラという歌手が来ることを知る。この不品行の場に自分たちの生徒が顔を出していないかを確かめるため、ラート教授はキャバレーに足を踏み入れる。

キャバレーの雰囲気に圧倒されつつも、自分の生徒について話をするために楽屋の扉を開いたラート教授は、ちょうど着替えをしていた歌手ローラ・ローラと出会う。コケティッシュな彼女の態度に平静を装うラート教授だったが、ひょんなことから彼女が脱ぎ捨てた下着を持って帰ることになってしまう。下着を返すために再びキャバレーに赴いたラート教授は、ローラ・ローラと話すうちに彼女の魅力に抗えなくなり、ついには興業のために街を離れるのだという彼女に対して求婚をするに至る。ローラ・ローラはケタケタと笑いながら求婚を受け入れる。一方で歌手に熱を上げるラート教授の言動は彼の勤め先のギムナジウムで問題視されるようになり、結局彼は教師の仕事を失ってしまう。

こうしてラート教授は、ローラ・ローラの属する興業団とともに巡業のため各地を転々とすることになる。やがて手持ちの金銭を使い切ってしまったラートは、日銭をかせぐため、興業団のショーにピエロとして出演するようになる。一方でローラ・ローラは、落ちぶれていくラートを冷たくあしらうようになり、アシスタントの若い男性といちゃつくようになる。その折に興業団は再びラートの故郷のキャバレー「嘆きの天使」でショーをすることになり、興行主は客を呼ぶためにラート教授が舞台に上がることをセンセーショナルに宣伝する。

かつて自分が権威ある教師として振る舞っていたその町のキャバレーの舞台に、ラート教授は、粗雑なピエロのメイクを施して登壇させられる。観衆の好奇の目に晒されながら、ニワトリの物まねをするよう強いられ、しまいには生卵を頭にぶつけられた彼は、突然発狂したように楽屋裏へと下がっていく。そこでアシスタントといちゃつくローラ・ローラを発見し、怒りのままに彼女の首を絞めるラートを、興業団の面々は力づくで取り押さえ、殴打し、縛り付けて小部屋に閉じ込める。夜中になって解放された彼は、キャバレーを抜け出し、ふらふらとかつての勤務校へ入り込む。かつて彼が疎ましがられながらも威厳を保っていたその教室で、ラートは、教壇を抱きかかえるように倒れ込み、そのまま息を引き取る。*1

 

破滅のただなかで追想される過去の輝き、そこに向けられる哀悼のまなざし

既に書いたように、この映画の基本的なモチーフは、「最後の命令」同様に、古きものの転落と破滅を描くことにこそある。ただし「最後の命令」が帝国主義、共産主義、資本主義へと転換していく大きな歴史の趨勢に翻弄される軍人の姿を描いていたのに対して、この映画「嘆きの天使」の軸にあるのは基本的にラート教授の個人的な没落だ。しかしだからといってこの映画が非政治的・非社会的かというと、そんなこともない。というのもラート教授は、明らかに——19世紀から20世紀という世紀の変わり目には既に形骸化していたであろう——市民社会の古めかしい価値観を体現した人物として描かれているからだ。その彼が、退廃的な歌手の魅力に溺れ没落していくというそのモチーフは、芸術に耽溺する市民社会が道徳的に形骸化していった大戦間期の時代意識をはっきりと反映している。

もっともスタンバーグは、没落していく古い価値としての市民道徳——その体現者としてのラート教授——を、単に時代遅れで唾棄されるべきものとしてのみ描くことはない。たしかに彼は容赦なく、残酷なまでに古きものの転落と破滅を描きはする。しかしまた同時に、破滅しつつある古きものに対してある種独特の哀悼のまなざしを向けているようにも思われるのだ。それは決して、古めかしい価値道徳を復権させようとか、再構築しようとか、その種の退行的な試みではない。もはや古い市民的価値道徳がそのままでは維持不可能なこと、その妄信的な実行は醜く疎ましがられるものに変じてしまっていることは、十分に自覚されている。たとえローラ・ローラへの求愛によってあからさまに転落することがなかったとしても、ラート教授は実質的には既に彼の生徒たちの尊敬を失っていたし、「ウンラート」として隠れて嘲笑われてさえいたのだ。教壇における彼の威厳や権威は、もはや形骸化した表層的なものでしかなくなっていた。古きものの没落は、もはや取り返しのつかない事実として自覚されているのだ。

それでも哀悼のまなざしは、古きものの破滅のプロセスに注がれる。場違いな求婚の仕方をしてローラ・ローラに高笑いをされるラートの滑稽さ、財産を失い軽んじられるみじめさ、そして故郷のキャバレーで道化師として壇上に立たされ嘲笑の的となる残酷なまでの恥辱の姿。こういった破滅のプロセスを描くスタンバーグのまなざしは、聴衆と一緒になってラートを冷笑するものというよりもむしろ、彼を哀れんでいるように見える*2。もはや撤回不可能なまでに没落した古きものが、退廃した美しきものに誘われ崩壊していくなかで、それでも自らが拠り所にしてきた価値を、その矜持を完全には手放すことができない、その哀れな姿。この姿をかくも残酷に、同時に魅力的に描くその哀悼のまなざしこそが、スタンバーグの映画に、単なる社会風刺の枠を超えた魅力を添えているのではないかと思う。

この哀悼のまなざしは、当時の批評によって非難されたように、単なる保守的な懐古趣味の感傷に過ぎないのだろうか。社会の進歩のためには、むしろ滅びゆく古きものを冷笑し置き去りにしていくべきなのだろうか。しかしラートのように、古い価値に沿って生きて来た個人が、ある日突然その価値を脱ぎ捨てて新しい価値とともに生きることが——不可能とは言わないまでも——きわめて困難だということも、一つの事実なのだ。彼のような古い個人はどのみち、時代の流れに取り残され、軽蔑され、唾を吐きかけられ、破滅していく。時代の流れに同調して、彼のように取り残され没落していく個人に——他の者とともに——唾を吐きかけるべきなのだろうか。古き個人が破滅していくその姿を前に、彼がかつて持っていた過去の輝きに思いを致し哀れみの思いを抱くということはむしろ、人間的なことではないのだろうか。

もちろんこの哀悼のまなざしは、懐古主義の感傷と紙一重のものではある。場合によってはそれは、なお人々を抑圧し続ける古き権威の美化につながりかねないようなものでもある。そこに陥らないためにも、この映画は一貫してラートの滑稽さを、みじめさを、そして恥辱にまみれた破局までをも、徹底的に、残酷なまでに描き切っている。そして同時に、彼がその最期の瞬間に胸に抱いた過去の輝きを、彼とともに静かに追想するのだ。発狂し、暴行され、心身ともに消耗しきったラートの破滅は、それによってもはや取り返しのつくものではない。映画は、過去の輝きの象徴たる教壇を抱きつつ息を引き取る古きものの姿に、静かな哀悼のまなざしを送る。 

*1:ハインリッヒ・マンの原作を読んでいないのでドイツ語版WikiのDer Blaue Engelの項目の受け売りになるが、ラートが勤務校を辞めさせられて以降のストーリーは原作と映画で大幅に異なるらしい。原作では、勤務校を首になったラートは町に留まってある種のアナーキストとして市民社会の常識を揺るがすような振る舞いを好んで行い、それを楽しむようになるのだという。この意味ではマンの原作の方が、権威を失っていく市民社会への批判的風刺としての色合いが強いようだ。それに対して、ローラ・ローラと結婚することを除けば自分から社会の常識を攻撃することをしない映画中のラートの破滅は、社会を揺るがすような効果は持たない単なる個人的な転落であるように見える。実際に当時の批評にはこの点——原作の社会風刺の色彩を弱め、良き市民の破滅というセンチメンタルな物語に変じてしまっているという点——を非難したものがあったのだという。もっとも、映画を観る限り、市民道徳の担い手たるラートを唐突に転向させず、その落ちぶれゆく破滅とほとんど無力な矜持を描くことにこそそもそものスタンバーグの関心があったように思われるし、それはむしろ1930年前後の時代意識——もはや個人に社会を揺るがす力などないのだという意識——にも適っていたのではないかと思う。

*2:まさしくこの点にこそ、当時の批評はある種のおセンチさを見出したのだろう。

贖罪と嘘、演出された宥和と人間性の切り詰め(エルンスト・ルビッチ「私の殺した男」/Ernst Lubitsch "Broken Lullaby / The Man I killed" 1932年)

エルンスト・ルビッチ「私の殺した男」(Ernst Lubitsch "Broken Lullaby / The Man I killed" US 1932)を鑑賞。

 

おおまかな感想、印象

第一次大戦直後を舞台に、戦時中にドイツの敵兵を殺してしまった罪の意識に苦しむフランス人青年の贖罪を描いた映画。ルビッチにしては比較的シリアスな主題を扱ったものだが、テンポがよくリズム感のある演出によって重々しい悲劇にはならず、映画全体がどこか軽やかなユーモアによって支配されていた。当時の独仏間に存在していたのだろうアンビバレントな感情も織り交ぜつつ、それ自体で面白いとは言い難いようなテーマを、時に笑いを誘うような描写とともに見事に描き切っているのはさすがルビッチだと感じた。有声映画としてはかなり早い時期のもののはずだが、映像も洗練されていて、今観てもあまり古さを感じさせないものだった。

物語の上では、繊細なフランス人青年が自分の意に反した振る舞いをせざるをえなくなり、次第に窮地においこまれ、最終的に嘘をつかざるをえなくなっていくその過程が、さほど無理なく描かれており、劇作品を思わせるルビッチの演出の妙が生きていた。それに応えるように俳優たちも、よく練られた筋のもとでそれぞれに与えられた役割を魅力的に演じきっていた。もっとも、そこにはある種の人間性の切り詰めも見いだされる。というのもこの映画の結末における罪の宥和は、あくまでも演出されたものでしかなく、その後に来るだろう現実を隠したままに幕が閉じられてしまうからだ。ここでは、ルビッチの演出がもつ残酷な抑圧性が露わになるとともに、抑圧された部分に対して観る者の想像がかきたてられることになる。

 

※以下では割とはっきりネタバレするので気にする方はご注意を。

あらすじ

第一次世界大戦直後、ドイツの降伏に沸きたつフランスのある教会において、教会付きの音楽士ポールが司祭に自らの罪を告解したいと申し出る。ポールは、戦争中、対ドイツ前線において同年代のドイツ兵ヴァルターを射殺してしまったことを悔いているのだというのだ。司祭は彼に罪の赦しを与えるがそれも彼の心を和らげることはなく、最終的にポールは、贖罪のために彼が殺したドイツ兵の家族を訪ねることを決める。

ポールが訪ねたドイツの小さな町は、ドイツの敗戦と失われた命への悲しみに沈んでいた。ヴァルターの家族を尋ねたポールに対して、医師であるヴァルターの父はフランス人への強い拒絶反応から話を聞こうともしない。一方でヴァルターの母と元婚約者のエルザは、亡きヴァルターの墓に花を捧げているポールを見かけ、彼の古い友人が訪ねてきたと思い込み歓迎する。当初は反仏感情で凝り固まっていた父の態度も軟化していき、ポールは家族皆に手厚くもてなされることになる。

ヴァルターの家族の嬉しそうな笑顔を前に、ポールは本当のことが言いだせなくなり、彼とヴァルターはパリの音楽学校で友人だったのだと嘘をつくことになってしまう。さらにヴァルターの家族は、敵国だったフランスの若者と仲良くすることで近所から白い目から見られてもポールへの暖かい振る舞いをやめず、それどころかポールがヴァルターの代わりに家族に留まることをさえ望むようになる。家族の期待を前に嘘をつき続けられなくなったポールは、エルザにだけ本当のことを打ち明ける。当初は驚き困惑したエルザだったが、しかし結局彼女は、ヴァルターの両親のために嘘を突き続け、ヴァルターの代わりにポールと過ごし続けることを決意する。映画は、ヴァルターの遺品であるバイオリンを弾くポールと、婚約者がいた頃のようにそれをピアノで伴奏するエルザの二人が、ヴァルターの両親とともに笑顔を見せるシーンで、幕を閉じる。

 

演出された罪の宥和、エゴイズムゆえにつかれる嘘

フランス人青年ポールの贖罪のプロセスを描いたこの映画の終着点は、彼が自ら命を奪ったそのヴァルターの代わりを努める、というそのことにある。つまりポールが、彼が殺した男であるヴァルターの代わりにその家族の一員となることによって、傷つけられた者たちがある種の宥和に達しているのだ。人の命を奪った事に対するポールの罪意識は贖われ、大事な息子の命を奪われたヴァルターの両親も婚約者を奪われたエルザも、息子の代理というある種の補償を受けることができている。その極まりともいえるのが、映画の最後、ポールがヴァルターの遺品であるバイオリンを弾き、エルザが伴奏し、それを両親が幸福そうに聴き入るというシーンだ。当初は困惑していたポールも、彼の嘘を知り強張っていたエルザも、この最後のシーンでは、演奏とともに至福の表情を見せるようになる。この罪の宥和の場面をもって、映画は終わる。

しかしこの宥和は、あくまでも演出されたものであり、しかもポールとエルザの嘘によって成立しているものだ。ポールの当初の嘘——自分がヴァルターの友人であったという嘘——は、確かに状況が彼に強いたものではある。しかしそれは同時に、ヴァルターの両親を失望させることでこれ以上の罪意識を抱きたくないという彼のエゴイズムゆえのものでもある。そしてこの小さなエゴイズムから生じた嘘を共有するばかりか、積極的に演じ続けることを選択したのは、ヴァルターの元婚約者のエルザの方だ。

エルザが、自分の愛する男を殺した人物と一緒に嘘をつきともに過ごし続けることを選んだ背景にあるのは、ヴァルターの両親を傷つけたくないという消極的なエゴイズムだけではないだろう。むしろ彼女は、ポールの出現によって補償され、再び幸福——の見かけ——を手に入れることができた彼女の新たな生活を手放したくなかったからこそ、嘘をつくことを選んだのではないだろうか。ここにあるのはもはや家族への配慮という利他的な理由だけではなく、自分の幸せを求めたいという積極的なエゴイズムだ。彼女の嘘には幸福な生活を維持したいという欲求が掛かっている。

 

見せかけの宥和が持つ非人間性か、あるいはエゴイズムに対する消えない罪意識か

しかしこの見せかけの宥和と幸福は、あまりにも脆い嘘によって成り立っているものに過ぎない。だからこそここでの罪の宥和は、グロテスクで非人間的な様相を呈しさえもする。仮にポールとエルザが、その内心においてヴァルターに対する罪の意識や嘘に対する良心の呵責を感じ続けるのだとすれば、仮に外的には幸福な生活が二人に訪れるのだとしても、それは彼らが彼らの生を犠牲に捧げることで成り立っているものでしかないということになるだろう。映画中でヴァルターの父が、フランスへの敵対感情を露わにする同世代の男性たちに対して憤りつつ口にしたように、そもそもポールやヴァルターといった若者世代を戦場に送ったその責任は、彼ら親の世代にこそあるのだ。しかしポールとエルザが、他ならぬこの親の世代のために転倒した罪意識を感じ、自らの未来を犠牲にしなければならないのだとしたら、そこには悲劇的な欺瞞があるだろう。

またもし、ポールとエルザがヴァルターのことや彼の両親のためについた嘘を忘れ、彼ら自身の目の前の幸福を問題なく追いかけることができるのだとしたら、これはこれで少なからずグロテスクで非人間的な話だ。ポールが自ら命を奪った人物の位置——家族の息子であり、エルザの婚約者であるその位置——にそのまま入り込み、それで万事解決なのだとしたら、そもそもヴァルターの存在とは何だったのだろうか。同じように若く、同じように教養があり、同じようにバイオリンが弾ける若者であれば、誰でもその位置に取って代われるような取り換え可能な存在だったのだろうか。それでは彼の両親やエルザが嘆いていたのは、ヴァルターを失ったことではなくて、彼の代用物がいないことだったのだろうか。

実際にはしかし、仮にポールとエルザが——単に親世代のための自己犠牲というのではなく——自らの幸福を追うことができるのだとしても、おそらくそこには自らのエゴイズムへの罪意識が伴い続けることになるだろう。罪意識の共有ということが、彼らのうちにある特別な種類の共感を呼ぶということはありえるかもしれないが、それもきわめて脆いもので、それ自体既に傷を負ったようなものだ。はたして彼らはこの嘘をつきとおせるのか。この大きな欺瞞を生き切ることができるのか。

 

ルビッチの演出における人間性の切り詰めと、かきたてられる想像

このように、この映画「私の殺した男」は、一方では収まりのいい罪の宥和を演出してはいるが、他方でこの見せかけの宥和はどこか非人間的な様相を呈してもいる。かくしてこの映画は、観る者に、映画で描かれなかった部分——ポールやエルザの内心の葛藤やエゴイズム、彼らの将来に待ち受けるもの——への想像をかき立てることになる。

この映画に限らず、ルビッチの演出にはしばしば、物語の筋を成り立たせるためのある種の人間性の切り詰めのようなことがなされているように思う。一方で彼は、人間の人間らしいところをこれ見よがしに強調し、無理なく面白く物語を展開するために人間を描写することに長けている。しかし他方でルビッチの演出には、物語の枠に収まらない人間の繊細さや汲みつくし難さ、思うようにならなさといったものを映画のスクリーンから排除してしまうような傾向もあるのだ。

それは彼が舞台演劇をモチーフにした喜劇作品を演出しているときには、それほど気にはならない点かもしれない。奇想天外な言動をする喜劇の登場人物にいちいち、本当の人間ならこんなバカなまねはしないだろう、こんなに単純に幸せになれはしないだろう、とその都度茶々を入れるのは野暮な話だ。しかしこの映画のように、撤回しようもない罪意識——ある人間の命を奪ってしまったというその後悔の念——という極限状態における人間の在り方を問うような主題においては、彼の演出による人間性の切り詰めが露わになる。ここには演出が持つある種の残酷さ、人間性を抑圧するような側面さえ見て取ることができる。人間性を切り詰め舞台上から排除する残酷なまでの演出手法は、ルビッチの作品を魅力的かつ見やすいものにしているだけでなく、そこに独特の怖さを与えているように、私は思う。

はたしてルビッチ自身が、この点をどこまで意識していたのかはわからない。しかしいずれにしてもこの映画が、そこで描かれなかった部分、切り詰められ、抑圧された部分を、観る者に意識させ、想像させるものになっているのは確かだろう。はたしてポールとエルザは、映画の最後の幸せな——ように見える——場面のその笑顔を保ち続けることができるのだろうか。はたして彼らは、自らの贖罪と嘘に、どう向き合っていくのだろうか。

ささやかな個人の生と、それを脅かす歴史の暴力との重なり合い(片渕須直「この世界の片隅に」/Sunao Katabuchi "In This Corner of the World" 2016年)

前記事にも書いたNippon Connectionで、片渕須直「この世界の片隅に」(Sunao Katabuchi "In This Corner of the World" JP 2016)も鑑賞することができた。さんざんレヴューされた話題作についていまさら、原作も読んでいなければ映画自体も一度しか観ていない私なんぞが何か書くのもな、という気もしないでもないのだが、印象的な映画だったので、忘備録も兼ねて個人的に思ったことくらい書いておきたいと思う。

 (この映画に関するレヴューは既にたくさんあると思うので、映画全体のあらすじを改めて書くことはしない。ただし以下ではネタバレに配慮せず書くので、まだ観ておらずネタバレを気にする人は気をつけてほしい)

 

個人の生と歴史の暴力との重なり合い

アニメ映画「この世界の片隅に」は、基本的には、のん(能年玲奈)演じるすずという一人の女性の生に焦点をあてたものだ。広島の漁村に生まれた彼女は、好きな絵を描きつつのんびりとした少女時代を過ごし、年ごろになり呉に嫁に貰われていく。自分の感情のついていかない結婚に少しずつ適応していく彼女は、小姑との間に生じた幾つかの問題を乗り越えつつ、自分の居場所を見つけていく。こうして描かれるのは個人の日常の物語であり、映画のタイトルが示す通り、この世界のほんの小さな片隅にささやかに生きる一少女の話が中心になっている。

私自身は、この映画が昨年から話題になっていたことは聞き知っていたが、具体的な内容に関してはほとんど知らず、漠然と、クラウドファンディングで製作された戦争に関するアニメ映画、というくらいの予備知識しかない状態で観に行った。しかし実際にはこの映画は、戦争そのものを主題にしているというよりも、むしろあくまで戦時中の広島を背景になされた個人の物語として観ることができるものだった。しかも物語は徹底して、当時の戦闘に直接参与することのなかった(あえて言えば)「女子供」の目線から描かれている。すずの書くパステルカラーの絵の鮮やかさや、登場人物たちの可愛らしい絵柄とも相まって、戦争の残虐さをことさらに強調するようないわゆる戦争映画とは一線を画すものになっている。

とはいえこの映画を、戦争とは無関係のほほえましい日常の物語として観ることも不可能だ。というのもこの物語におけるすずの日常は、戦争という歴史的事象によって終始脅かされ、傷つけられているからだ。歴史の趨勢は、彼女がようやく愛し始めた夫をすずから引き離し、爆弾でもって日常を破壊し、様々なものを——住む場所や、食べ物、そして人の身体や、命までをも——奪い取っていく。戦況が悪化していくにつれて配給の食事は栄養の無いものになっていき彼女の健康をむしばむ。そして1945年8月6日には、広島に投下された原子爆弾が、彼女がかつてそこに属していた生活世界を徹底的に破壊する。歴史の暴力は、世界の片隅にささやかに生きる少女の生活さえ、そのままにしてはおかないのだ。

この映画の物語上の肝はまさしくこの点、個人の生と国家の暴力とが重なり合っているその事態を、徹底して無力な個人の日常に即して描き出している、という点にこそあるだろう。それも第二次世界大戦という時代、広島というその場所において。映画中では、物語が進むのに合わせてその都度、何年何月何日という日時が明示されていた。登場人物たちが、いかにささやかに、いかに牧歌的でほほえましい生活をしていたとしても、地名と日付が、いやがおうにもその数年後にその場所で起こることを観る者に意識させる。戦争が始まる以前、広島の産業会館をスケッチするすずの無邪気な姿は、その屈託のなさゆえに、痛ましいものとして画面に映る。カウントダウンのように「あの日」に近づいていく物語のなかで、彼女たちが罪のない日常を見せるほど、痛みは深くなっていく。

もっともこの映画は、すずのようなささやかな個人でさえも、歴史の単なる被害者であっただけではないこと、彼女の無垢ささえ歴史の暴力によって成り立っていたのだということをも、描いている。戦時中に彼女が口にしていた食事の多くは、当時植民地であった満州や朝鮮半島から運び込まれていた。終戦の日、玉音放送を聞き慟哭するすずは、自分自身もまた日本という国の暴力によって成り立っていたからこそ、自分もこれから他国の暴力に屈しなければならないのかと嘆く。彼女がこのことを口に出すことができたということは、そのことに対して彼女が全く無知ではなかったということだ。歴史の暴力に傷つけられた彼女自身もまた、同時にこの歴史の暴力によって成り立っていた。徹頭徹尾歴史に規定されている一個人としての彼女は、世界の片隅に歴史の趨勢と無関係に幸せに生きていることはできなかったのだ。

この映画がすずという一個人の物語でありながらもそれに尽きない理由は、すずのような、世界の片隅に生きていたのにも関わらず歴史に規定され、時代に傷つけられることになった個人が、無数に存在するというそのことにこそあるだろう。すずは戦争によって右腕を失い、絵を書くことを失い、付き添っていた姪を失った。ある者は彼女よりも傷も浅く失うものも少なかったかもしれないが、しかし彼女以上に大きな傷を負い多くを失った者もいるだろう。時限爆弾によって命を失ったすずの姪にだって、本当は彼女自身の生があるはずだったのだ。歴史に規定された個人たちは、ふいに顕在化する歴史の暴力によって突然に脅かされ、傷つけられ、時にはその存在さえをも軽々と奪われる。 個人の生と歴史の暴力との重なり合いというこの現実と、その痛ましさを、この映画は露わにしている。

 

正確な現実描写と、アニメ的なデフォルメとの交差

この映画を魅力的にしている要素の一つとして、ディティールに拘った正確な現実描写と、アニメならではのデフォルメとが、バランスよく交差しているという点が挙げられるだろう。以下、それについて少し書く。

基本的にこの映画は、戦争の悲惨さや国家の過ちといった個人の生活から距離のある政治的な主張を——より具体的に言えば、当時の大日本帝国の愚かさや、原子爆弾を投下したアメリカの無慈悲さといった事柄を——声高に叫ぶことをせず、現実を淡々と描写することに徹している。残念ながらここに詳述はできないが、実際にこの映画では、日常生活に関しても軍事的なことに関しても、極力事実に基づいた正確な再現がなされているのだという。実際、当時の文化的風習や町の様子、食事風景といった生活世界に関しても、戦艦や軍隊の様子、米軍による爆撃の描写など軍事的な場面に関しても、極めて細かい写実的な表現がなされていることは、知識のない私にも感じ取れた。まさしくこの現実描写の正確さ、ディティールに拘った写実性が、この映画を説得的なものにしている。

とはいえ同時にこの映画では、とりわけ人物描写に関して、アニメならではのデフォルメがなされている。すずを中心として登場人物たちは基本的に可愛らしい造形でデザインされているし、日常のちょっとしたシーンで顔を崩して笑う彼らの表情はいかにも漫画的で、観る者の表情をも崩す。ここにさらに、すず自身が描くおとぎ話のような絵のタッチや、パステルカラーの色彩の鮮やかさが加わって、映画はときに——その徹底した現実描写にもかかわらず——どこか現実離れした、詩的な作り話としての中立性をも示すことになる。

この徹底した現実描写と、アニメ的なデフォルメとが、映画においてバランスを持った表現として交差している。もっともアニメならではのデフォルメは、現実の痛ましさを見やすいものにするというだけではなく、かえってその痛ましさへ観る者を直面させる効果をももっている。時限爆弾によってすずが意識を失ったあとの一連のシーンは決して実写映画では出せない映像表現になっていたが、その後に昏睡から目を覚ましたすずの傷——欠損した右手に痛ましく巻かれた包帯——は、彼女が巻き込まれた爆発が単なるおとぎ話の一部ではなかったのだということを観る者に突きつける。そしてなにより印象的だったのは、広島に原子爆弾が落とされたその時の、呉での様子の描写だ。閃光、衝撃音、微細な振動。人々はまだ、どこで、何が起きたのかがわからないから、それほど深刻にも捉えられない。山の向こうに登るキノコ状の雲。広島から吹き飛ばされてきた様々なもの。この独特の空気感の表現もまた、アニメという媒体を通してこそ、一定の現実性や説得性を持つことができたのではないかと思う。

 

日常の喜びと、傷つけられた希望の可能性

この映画の特徴的なところとしては、戦時中の生活の痛ましさだけでなく、日常の些事や小さな喜びをも描いている、という点も挙げられる。戦時中にもすずや彼女の家族は緊張一辺倒ではない日常を過ごしているし、その中には弛緩も、ほほえみも、愛情も、嫉妬も、人間らしい小さな喜びも描かれる。戦争が終わったあともすずはなお、戦争によって命を失うことがなかった夫の周作とともに、この世界の片隅に生きていくことができた。彼女が周作に感謝の気持ちを伝える場面、また彼らが戦争孤児を引き取ることになる場面、映画の最後半のこれらのシーンはたしかに、希望を感じさせるものになっている。

もっとも、この希望は、彼女らの生活が撤回不可能な傷を負ったのだということを覆い隠すことはできないものだろう。すず自身は腕と絵を描くことを失ったし、彼女の妹は原爆病に苦しんでいる。義理の姉で近代的な女性でもある径子はその娘を失ってしまったし、すずらが引き取った孤児にしても親を失ったという事実が消えるわけではない。個々人の傷は癒えてはいないし、癒えるかどうかもわからない。歴史の暴力にもかかわらず、またそれによって負った傷にもかかわらず、個人は希望をもって生きる可能性をもっている。しかしそれは個人を巻き込み個人を脅かす社会や歴史の暴力を無罪放免にするものではないのだ。

 

とにもかくにも、未消化の過去を語り直すということ

私はアニメ映画を頻繁に観ている人間ではないし、「この世界の片隅に」が持つアニメとしての価値に関しては判断を下せない。少なくとも私にとっては、いくつかの映像表現は印象的であったし、何よりも作品として説得力のあるものだと感じた。とりわけ、第二次世界大戦の終戦から70年以上の時が経ち、当時の戦争の語りがだんだんとリアリティーを失っていきつつあるこの時代に、あえて真正面からその時代その場所の物語に取り組んだという点には、感銘を受けた。

他国を破壊し、また同時に自国をも破壊された国としての日本において、戦争というこの過去の経験は、いまだに消化されていないものであるように思われる。そもそも破局的な過去の経験というのは、極めて多義的であり、多面的であり、容易に消化できるものでも、一義的に語り尽くせるものでもないのだ。この未消化の過去は、まさしく未消化だからこそ語り直されることができるし、その過去を忘れることをしたくない者のためには、語り直される必要がある。この映画はまさしくこのことを、未消化の過去を語り直すことを、試みている。

とはいえ、既に書いたことだが、この映画は個人の日常の目線からの物語を描いたものであって、戦争を客観的な事実として提示するものでは決してない。だからこそ、現在の視点から見れば、不公正なところや、不十分に思われる点、歪んだ描写もあるのだろう。望む望まないとにかかわらず、歴史上の個人の視点というのは一定の限界をもったものなのだ。しかし同時に、その限界や歪みを描くということもまた、映画にできる仕事の一つなのではないかとも思う。とにもかくにもこの映画は、戦争によって脅かされた日常の生を、或いは個人と歴史との縺れ合いの問題性を、無力な個人の視点から語り直すことを試みている。このことは今後も様々な形で語り直されていくだろうが、「この世界の片隅に」は、その際の参照点の一つになっていくのではと思う。

ドイツで観た日活ロマンポルノ三作品、成人映画の枠を利用した多彩な映像表現の模索

日本映画祭における日活ロマンポルノ特集

ドイツ、フランクフルトでは、毎年5~6月にNippon Connectionという日本映画祭が催されている。今年で第17回目になるというこの映画祭では基本的に新しい日本映画が上映されるのだが(今年でいうと「シンゴジラ」や「この世界の片隅に」など昨年度の話題作も来ていた)、同時にフランクフルトの映画博物館では毎年"Nippon Retro"と題した比較的古い日本映画の特集をやっている。去年はたしか「お化け映画」特集で、溝口健二「雨月物語」やお岩さんを題材にした怪奇映画などをいくつか観ることができた。

その"Nippen Retro"の今年のテーマは「日活ロマンポルノ」。とりわけ神代辰巳と田中登という日活ロマンポルノで活躍した両監督の作品が特集されていた。日活ロマンポルノといえば、一方で成人向けアダルト映画でありながら、他方その枠のなかで様々な映画表現が展開されることができた場として、日本映画史のなかで重要な位置を占めたものと言われる。つまり、長すぎない上映時間(70分前後)で、セクシャルなシーンが一定程度含まれてさえいれば、そのなかで若い監督たちが比較的自由な映画表現を模索できたのだ。

今回せっかくその「日活ロマンポルノ」の名作がまとめて上映されるということなので、私自身もいくつか観てみることにした。感想を端的に言うと、そこでは成人向けポルノ映画に本来求められるはずのエロティックな官能性や扇情性よりも、映像作品としての面白さの方がはるかに勝ってしまっている、というものだ。確かに映画中には多くのセックスシーンやそれに類する場面が繰り返し出てくるのだが、映画においてこの程度の性的描写は珍しいものでもないよな、とも思った(正直、刺激的な性表現という点では以前記事を書いたペドロ・アルモドバル「マタドール」の方がよっぽど扇情的であるとさえ思う)。むしろ印象に残ったのは、映像表現の美しさや面白さ、或いは実験性やテーマ性などの方だった。適切な言い方ではないかもしれないが、今回上映されていた作品は普段映画を観るのとまったく同じようなテンションで観ることができるものだったし、観た後の感想も、面白い映画を観たな、というものだった。*1

というわけで、せっかくなので、この機会に観ることができた日活ロマンポルノ作品それぞれについて簡単にでも書きたい。今回観ることができたのは、以下の三作品だった。

神代辰巳「一条さゆり 濡れた欲情」(1972)

・神代辰巳「恋人たちは濡れた」(1973)

・田中登「屋根裏の散歩者」(1976)

以下、それぞれについて簡単に書いていく。

 

美しいまでに醜くも女を見せようとする女たちの闘い(神代辰巳「一条さゆり 濡れた欲情」/Tatsumi Kumashiro "Following Desire" JP 1972)

大阪のストリップ劇場において繰り広げられる愛憎劇。タイトルになっている一条さゆりは実際に活躍していた伝説的なストリッパーだそうで、この映画中では本人役で出演している。物語の基本線は、テレビにも出演し脚光を浴びる一条さゆりを、売れないストリッパーはるみが一方的にライバル視し、対抗していく、というもの。さゆりが引退の近い大御所として堂々たるパフォーマンスを見せつけるのに対して、はるみは自分が認められない苛立ちから憧れの存在でもあるさゆりに対して嫌がらせをしたり、ヒモ男連中にわがまま放題に振る舞ったりする。

そもそもストリップの世界にそこまで馴染みがない者としては、昭和のストリップ文化を垣間見られるというそのことが既に興味深かった。ストリップ劇場というのはもちろん、第一には男性に性的な刺激を与えるエロティックなショーを見せる場所であり、わいせつ物陳列罪での摘発とすれすれのところで運営されているものだ(実際、映画中でも警察による摘発のシーンが何度もあった)。しかしストリップは同時に、独特な発展を遂げた舞台芸術としての側面をも持ちあわせており、この映画はその側面をも見せてくれる。

映画中でとりわけ圧巻だったのは、一条さゆりによる蝋燭を用いたパフォーマンスだ。自分で自分の身体に蝋を垂らしながら自慰のように体を動かしていくものなのだが、映画中でもかなり時間を割かれていたこのパフォーマンスは、私の目には、いやらしさよりもはるかに美しさが優っているように見えたし、その張りつめた空気感は息をのませるものだった。なんというか、これは性別問わずファンがついただろうなあ、と変に納得してしまった。観客に至近距離で局所を見せたり…というようなパフォーマンスはさすがにストリップならではという感じはしたが、そういうところを別にすれば、へたな舞台芸術よりもずっと芸術性の高いものであるように思え、とても印象的だった。

映画のなかではもう一つ、さゆりに対抗するストリッパーはるみの性悪っぷりが面白かった。ヒモ男をとっかえひっかえ自分の都合のよいように弄び、自分のために刃傷沙汰の喧嘩をさせ、平気で嘘をつき、さゆりに嫌がらせをするばかりか彼女の芸を盗もうともする。しかしなんとかさゆりを出し抜いてやろうと足搔き続ける執念を伴った彼女の性悪っぷりは、魅力的なほどに突き抜けていて、映画の後半にはつい応援してしまうような気持になってしまった。女であるということをどこまでも利用し露骨なまでに見せつける彼女の反抗的な戦いは、醜悪であるはずなのに、それはそれでどこか美しいのだ。

さゆりとはるみという二人のストリッパーが繰り広げる闘いは、それ自体、美しいまでに醜く、醜くも美しかった。劇中歌も独特の味を出していたし、昭和の風俗街が持っていたのであろう猥雑な空気感を伴う文化を垣間見られたというそれだけでも、面白い映画体験だった。

 

さわやかなまでの虚無感、乾いた性と暴力の群像劇(神代辰巳「恋人たちは濡れた」/Tatsumi Kumashiro "Twisted Path of Love" JP 1973)

ひょうひょうとした若い男が、ある日突然千葉のさびれた海岸町に現われ、ピンク映画館で働きはじめる。この若者は、会う人々から昔この町を出た「カツ」だろうと懐かしがられるのだが、彼自身は別人だと言い張る。やがて彼は、映画館経営者の奥さんといい仲になり情事にふけるようになる。その一方で若者は、青姦しているのを覗き見たことをきっかけにあるカップルと仲良くなりもする。彼はこのカップルから一人の垢抜けない女の子を紹介されもするが、自分のことを「カツ」だろうと言い張るこの女の子を無理やりに犯してしまう。そのうち彼は村を離れることに決めるが、仲良くなったカップルも彼の後をつけてきて、彼らはうらぶれた浜辺で遊びまわる。その折に「カツ」は、カップルの片割れであるヨーコに、それまで誰にも話さなかった彼の過去について口にする。

セックスシーンそれ自体は非常に多い映画だったのだが、正直に言って私はそこにほとんどいやらしさを感じられなかった。語弊はあると思うが、成人映画としては失格なのではというほど、扇情性がなかったのだ。なんというか、カツと不倫関係にある映画館の奥さんその人だけが肉欲に情熱的に執着している感じで、若者たちはセックスこそしているもののどこか冷め切っているような印象だった。*2

もっともこの若者たちの冷め方、空虚さを隠すこともなくやけくそのようにセックスにいそしむ彼らの姿は、それはそれで印象的なものだった。主人公である青年「カツ」とカップルの片割れのヨーコ、彼ら二人を中心とした徹底した虚無感は、もはやある種のさわやかさにまで達していたように思う。強姦のシーンもあるので「さわやか」というのは表現として不適切かもしれないが、無理やりに犯すというそのことに対しても怖いくらいさっぱりしていた。最初から最後まで性欲と暴力まみれなのに、どこか乾いた、さっぱりした印象が残ったのだ。*3

この意味では、タイトルが「恋人たちは濡れた」であることは不思議でさえある。もっともこのタイトルは、明らかにお互いに惹かれ合っているのに最後までセックスをしなかったカツとヨーコの関係のことを暗示しているような気もする。彼らが自転車の二人乗りをしているシーンも、一緒に下品な小唄を歌うシーンも、ヨーコの彼氏を交えて浜辺で遊ぶシーンも、どれもとてもよいものだった。これから観る人もいるかもしれないので詳述はしないが、終わり方も印象的だった。実際この映画は、成人向けポルノ映画というよりも、体裁上ポルノという枠を借りて撮られた群像劇という印象が残ったし、そういうものとしてこそ見応えがあるように思った。

ところでこの映画にはもう一つ目を引く点があって、それは笑ってしまうほど雑なモザイク処理だ。そもそも日活ロマンポルノはモザイクを入れないように撮るものらしいのだが、この映画では男女の局所が写りそうな箇所に、これ見よがしにどでかい黒塗りやひっかき傷がつけられていて、そのわざとらしさは苦笑を誘うほどだった(実際、上映中に黒塗りやひっかき傷が出てくると笑い声がそこここに響いていた)。プログラムの説明文曰く、これは必要からなされたモザイク処理というよりも(そもそもその気になったら編集でいくらでもごまかせただろう)、当時の検閲の煩雑さを皮肉ったものであるのだという。確かにこれはポルノとしては興を削ぐものであるかもしれないのだが、成人映画そのものをパロディー化しているようで、個人的には面白いと感じた。

 

目と目を合わせる偏執的な熱狂の映像世界と、唐突な現実の介入(田中登「屋根裏の散歩者」/Noboru Tanaka "The Stroller in the Attic" JP 1976)

時代は大正、舞台は新築の下宿である東栄館。住人である郷田三郎は、下宿の屋根裏を徘徊しつつ他の止宿人たちの生活を覗き見して過ごしている。ある日彼は、ある貴婦人とメイクをしたピエロとが隠れて情事にふけるのを屋根裏から覗き見ていたのだが、その最中に天井の節穴越しに貴婦人と目が合ってしまう。それ以来郷田の目の虜となった貴婦人は、郷田と目を合わせながらピエロを絞殺し、さらには使用人を遣わして郷田を自らの邸に呼びつけ挑発する。郷田はというと、彼の気に入らない宗教者の遠藤を、天井の節穴から垂らした薬で毒殺してしまう。人を殺すことに興奮を覚えるようになった郷田と貴婦人は、東栄館に住む女画家に自分たちの身体に刺青のようなペイントを施させたあとに彼女を殺し、目を合わせながら屋根裏で交わる。その最中に突如、関東大震災が東栄館を襲う。

江戸川乱歩の短編小説「屋根裏の散歩者」(1925年)の翻案ではあるが、ストーリーそのものは大幅に異なっている。なのでこの小説を映画化したものというよりはむしろ、乱歩作品の独特の世界観を映像化したものといった方が、この映画に即しているだろう。同名の短編小説と共通しているのは、東栄館の屋根裏を徘徊する郷田という人物が気にくわない遠藤を天上の節穴から毒殺するというその部分くらいで、小説中の重要人物である明智小五郎も登場しない。映画ではむしろ他の乱歩作品からも様々な着想が借りて来られているようで、ピエロとの異様な情事や人間椅子など、グロテスクな趣のある様々なモチーフが映画中に登場し、独特の世界観を形作っている。

この映画の中心にあるのは、郷田と貴婦人というそれでなくても偏執的な二人が、「目と目が合うこと」に偏執的に熱狂する、というモチーフだ。様々な趣向でなされる殺人行為も、性行為も、最終的には二人が目を合わせるというそのことへと収斂していく。彼らの目のぎらつきは映画を構成する様々な偏執的モチーフの象徴であり、映画の最後半に屋根裏で交わる二人は断固としてお互いの目から自らの目を離すまいとして見つめ合う。その二人の様子は、異様ではあるが、緊張感をともなったものとして観客の目をも引き付ける。

この映画にもまた、成人ポルノ映画として一定量の性的シーンが盛り込まれてはいるのだが、例によってそこでは、性的興奮を引き立てる扇情性よりも映像世界の魅力の方が優っている。独特な緊張感をもった偏執的な空間と時間を、その緊密な映像世界を楽しむというその点だけでも、この映画は十分見応えのあるものになっていると思う。

ところでもう一つ印象的なことに、映画中で繰り広げられる郷田と貴婦人の偏執的な狂騒は、映画の最後、関東大震災による建物の倒壊によって唐突に終わりを告げる。ほとんど歴史性を感じさせることのない緊密な映像世界が「関東大震災」という歴史的現実の介入によって崩壊していくというそのことは、観る者にどこか突き放すような衝撃を与えるものだった。これはいずれにしても、意図的になされた演出ではあるだろう。画面中には関東大震災の実際の資料映像のようなものも写し出されており、それまでの映像世界とは明らかに異質のドキュメント映像が、ある種の異化効果をもって観る者をフィクションとノンフィクションの狭間へと突き放していた。最後に残る、倒壊した東栄館と、血の色をした井戸の映像。映像世界の極まりを、現実世界の介入によってひび割らせ、崩壊させることでもって、映画は幕を閉じる。

 

…以上、例によって思ったより長くなってしまったが、ドイツで観た日活ロマンポルノ三作品について書いた。これらの作品は、少なくとも私の印象としては、性的興奮をかりたてることを主眼とした成人ポルノ映画というよりも、成人映画の枠を利用して多彩な映像表現を模索したその産物であるように感じた。「ロマンポルノ」という名称から敬遠してしまう人もいると思うが、(そもそも映画中の性的表現が苦手、という人を別にすれば)映画を観る人にとって十分に見応えのある作品だったと思う。もしまだ観たことがないという人がいたら、機会があったらぜひ一度観てみてほしいと思う。

*1:以前、同じく日活ロマンポルノ作品である相米慎二「ラブホテル」(1985年)を観た際にも疑問に思ったことなのだが、果たしてポルノ映画を観たくて来た当時の観客というのは、これら日活ロマンポルノ作品を観てどういう感想を持ったのだろうか。もちろん今回特集されていたような日活ロマンポルノ映画は、映画史上における傑作だとして評価されているからこそ40年前後の時間と1万キロ弱の距離を超えてドイツで上映されていたわけで、これが日活ロマンポルノのスタンダードだというわけではないだろう。しかしそれにしても、下世話な話だが、成人映画ならばもっといやらしく扇情的なものが観たいと観客は思わなかったのだろうか、という疑問をもってしまった。それとも当時の観客も、成人映画であろうと一定の映像表現の質のようなものを最初から求めていたのだろうか。このあたり、詳しい方がいたら教えてもらえると有難い。

*2:上映前に映画祭に来ていた塩田明彦監督による簡単なイントロダクションがあったのだが、彼曰く、1960年代の学生運動が終わり冷めきった1970年代の若者たちの空虚感のようなものがこの映画に反映されているのだということだった。そういえば映画中でも、映画館の奥さんが得体の知れないカツに対して学生かと尋ねる下りがあった。また塩田監督は、この映画にとって千葉という土地はそれほど重要でなく(たまたま日活の保養所があったためそこで撮影されたらしい)、むしろ具体的な場所を感じさせない抽象的な表現がなされているのだという旨の解説をしてもいた。

*3:ちなみに塩田監督は、当時の日活ロマンポルノの撮影現場はとても女優を大切にしていて、映画それ自体は過激なものであっても、実際に女優が嫌がることはしなかった、というフォローを入れていた。

装飾となった大衆の上に立つ、冗談のような独裁者(ミハイル・ロンム「ありふれたファシズム」/Mihail Romm "Obyknowenny fašizm / Der gewöhnliche Faschismus" 1965年)

ミハイル・ロンム「ありふれたファシズム/野獣たちのバラード」(Mihail Romm "Obyknowenny fašizm / Der gewöhnliche Faschismus" UdSSR 1965)を、ドイツ語版で鑑賞。5月8日、ドイツにとっての「解放」記念日——日本で言うところの「終戦」記念日——*1に、大学映画館で上映されていた。記念日ということで入場無料で、さすがに満席だったように思う。少し間が空いてしまったが、印象的な映画だったので記事を書いておきたい。

 

ファシズムが成立した日常を問う「よく考えるための映画」

この「ありふれたファシズム」は、旧ソビエト連邦の監督による、第三帝国時代のドイツのファシズムに関するドキュメンタリー映画だ。製作にあたって監督は、旧ソ連、旧東ドイツ、ポーランドの資料館から莫大な量の資料を集めたのだという。そのため映像のほとんどが、写真や映像といった一次資料の切り貼りで構成されている。

とはいえスクリーンに写し出されるのは、ユダヤ人迫害や絶滅戦争の凄惨さを証言するような戦地の写真や映像だけではない。もちろんその種の戦争犯罪を証す写真や映像も少なからず提示されるのだが、映像の大半を占めるのはむしろ、タイトルが示すように、ナチス体制下ドイツの日常の姿だ。学校での子供たち、大通りでのパレードやスタジアムでの式典、スポーツや芸術イベント、郊外での休暇、といった日常の映像。問題はまさしく、ファシズムによるホロコーストや絶滅戦争という信じがたい破局と、一見そこから無縁のように見える日常とが、いかにして結びついていたのか、という点にある(ついでに言うと、そもそもこの映画のタイトル——ロシア語はわからないのでドイツ語での判断になるが——それ自体、「日常のファシズム」とも訳されうるものだ)。

映画の冒頭に監督がカメラに語りかけるシーンがあるのだが、そこで彼は、この映画は「よく考えるための映画Film zum Nachdenken」なのだと述べていた。冷戦時代の旧ソ連製作のこの映画には、たしかに少なからぬイデオロギー的色彩が見て取れる。しかしそれでもこの映画が目指しているのは、ドイツ・ファシズムの戦争責任をただ糾弾するというそのことではなくて、ある決定的な問いを提示することだった。それは、独裁者の指示によってホロコーストや絶滅戦争が実行に移されてしまうファシズムという政治体制が、どのような日常に支えられて可能になったのか、という問いだ。映画は、極めてアイロニカルな語りをもって、この問いを追っていく。

 

アイロニカルに語り出される、ファシズムの生成とその滑稽さ

印象的だったのは、この映画が、ファシズムの生成という深刻極まりないテーマを、きわめてアイロニカルなコメントを添えつつ、なかば笑い飛ばすように語り出している点だ。もちろんその背景には、冷戦時代の旧ソ連特有のイデオロギー的動機、ファシズムを可能にしたものとしての西側資本主義社会を冷笑するという動機もあるにはあるだろう(とりわけ映画の後半においては、そのようなイデオロギー的図式化が顕著な部分もあった)。

しかし私には、アイロニカルに語られるこの滑稽さは、むしろある程度までファシズムの成立と展開という歴史的事実そのものの方に帰せられるもののように思えた。というのも、スクリーンに写し出された映像は、実際にしばしばひどく滑稽なものだったからだ。

コメディアンのような男の一挙手一投足に熱狂する群衆。彼が荒唐無稽な理念を叫ぶことで湧きたつスタジアム。「ジークハイル!」という掛け声ととも、歓喜の表情とともに一斉に右手を掲げる、正装に身を包んだ大人たちの群れ。大衆の熱狂を見下ろし、ナルシズムを隠しもしない独裁者のご満悦の表情。等身大の独裁者の絵画が掲げられた美術館。歯の浮くような自画自賛——「私の母は単純な人間だった。けれども彼女はドイツへ偉大な息子という贈り物をなしたのだ」。

20世紀のドイツという、十分に近代化されたその時代その場所において、まるで悪い冗談のような理念に導かれて、信じられないほど凄惨な出来事が引き起こされてしまったというその事実。この上なく深刻であるはずなのに、この上なくふざけているように見えるこの事態。まさしくこのことが、この映画にアイロニカルな語りをさせているように私には思えた。

 

パレードとセレモニー、装飾になった大衆、政治が美的なものになること

123分と短くはないドキュメンタリー映画のその内容を網羅的にここに書くことはできないので、特に印象的だったことだけ書きたい。私にとって印象的だったのは、この映画において何度となく写し出された、ナチスによる大規模なパレードやセレモニーの様子だ。

ニュルンベルクでの党大会の様子を伝えるナチスのプロパガンダ映画「意志の勝利」(Leni Riefenstahl "Triumph des Willens" DE 1935)くらいは大分前に観たことがあったのだが、それにしてもこの「ありふれたファシズム」におけるほど種々多様なパレードやセレモニーの様子を一度に映像で見たことはないように思う。

映像上の群衆は、隊列を組み大通りを行進する。大人数で巨大な人文字を作りスタジアムの観客席を彩る。総統の掛け声に合わせて歓声を上げ右手を掲げる。その手際の良さや整然さは、まったくもって野蛮な混沌ではなく、それどころか合理的な訓練の賜物としての秩序であり、ある種の美しささえ感じられるものだ。ただ決定的に滑稽なのは、合理的な訓練によって成立する彼らの美しき秩序が、劣等民族の抹殺という野蛮で非合理極まりない独裁者の命令を支えるものになってしまっている、ということだ。

そこでは大衆が装飾と化し、冗談のような独裁者を独裁者たらしめる舞台装置と化している。もはやそこでは、独裁者の命令が政治的に正しいものであるかどうかなどということは、本質的な問題ではないのだろう。これだけの数の群衆が集まり、彼の言葉に熱狂し、美しい秩序をもった隊列をなして、彼を支持している。とにもかくにもそこには美しい秩序があり、この美しさが独裁者に奉仕するものであるからこそ、独裁者の政治は正しいのだということになる。まさしくここにあるのは、政治が美的なものと化す、という事態なのだ。*2

この映画において、装飾となった大衆の上に立つ独裁者はもちろん、総統ヒトラーだ。しかし私はこの映画のパレードの様子を、湧きたつ群衆の姿を見ていて、彼らの頂点に立つ人物というのはある意味では誰でもよかったのだろうな、という感想をもった。もっと言えば、変に知性や才覚を感じさせる洗練された人物であるより、ヒトラーのように、ある意味ではどこにでもいそうな、たまたま大衆のなかから出てきただけのような人物であった方が都合がよかったのだろうな、という気がした。そのあたり、ゲッペルスの演出も巧みだったのかもしれない。

熱狂する大衆と熱狂される独裁者、それぞれの立場はいつでも交換可能で、誰もが独裁者の席に座ってもいいので、だからこそそれは自分でなくてもよいのだ。そこでは装飾する側も装飾される側もそう大差はないだろう。大事なのは、皆で大きな輪を作って、皆同じような動きと歓声で、美しいまでの一体感を得ることなのだ。重要なのはただ、このなかに自分が参加できているというそのことであって、言われている政治的問題の内容などどうでもいいことなのだろう。「一つの民族、一つの帝国、一人の総統」というモットーに端的に言われるこの一体感。この一体化の熱狂のなかでは、熱狂に参加しない者たち、もっと言えば参加できない者たちや参加できるのに意図的にしない者たちは、排除するべきだし、可能ならば抹殺するべきだ、 ということになる。こうして日常のなかで、ファシズムの土台が生成し、堅固なものになっていく。

もちろんこれは単純化した話だ。しかし大衆を動員したセレモニーによる一体感の醸成というのが、ファシズム生成の基盤にあるということは確かだろう。この辺りのことは、「美しい国」が標榜され、国民の統一性や国家への奉仕の美的価値が積極的に強調されるようになった国では、気を付けられる必要があるかもしれない。

 

冷戦時代のイデオロギーを超えて、ファシズムを「よく考える」ために

1965年の旧ソ連において製作されたこの映画には、ある意味で自明なことながら、冷戦時代のイデオロギーが明確に反映されている。それが顕著なのは映画の最後半のシーンで、そこではアメリカや西ドイツといったいわゆる「西側諸国」のなかに第三帝国時代のドイツと同じファシズムの萌芽が指摘され、同時に「東側諸国」における反ファシズムの理想が掲げられる。この映画がドイツ語版も製作されたということには、おそらく当時の東ドイツの人々に西ドイツへの敵対心を育てるという狙いもあってのことだろう。

50年以上の時が経ち、冷戦の構図もほとんど過去のものとなりつつある今となっては、このような図式化に対して一面的だという感想こそ持ちはしても、かといって(一応西側の国で生まれ育った人間としても)特段腹も立たないし、この図式化それ自体が歴史の産物だよな、という冷めた気分で映画を観ることはできる。もちろんそれは旧ソ連や東側の行ったそれこそファシズム的な政治を無視してよいということでもないし、この映画もそういう批判的な括弧つきで鑑賞する必要はあるかもしれない。

とはいえこの映画は、共産圏によって製作された資本主義諸国への誹謗だとして切って捨てるにはあまりにももったいないものだ。少なくとも第三帝国時代のドイツ・ファシズムを映像化したドキュメンタリー映画としては、驚くほど出来のよいものだった。当時のドイツの雰囲気の一断面を知りたいと思う人にとっては、あるいはファシズムが台頭するその土壌のようなものについて「よく考える」ことをしたい人にとっては、十分に一見の価値のある映画であるだろう。

*1:ドイツに来てからあらためて気付いたことの一つだが、連合軍にドイツが降伏した1945年5月8日はあくまでも「解放の日」(Befreiungstag)であって、「終戦」ないし「敗戦」の日ではない。実際にラジオでも「解放」(Befreiung)という言葉が使われているのを耳にする。このような見方からすると、1945年にドイツはナチスの第三帝国から「解放」されたのであって、それ以前の時代とそれ以後の時代とは連続しておらず、決定的に断然している、ということになるのだろう。それだからこそ、ナチス高官が戦後も要職に就いているといった「連続性」が問題視されることになるのだ。どちらがよいかとかどちらが無責任かとかいった話はさしあたりおいておいて、戦中と戦後との「非連続性」ないし「断絶」の意識は、日本にはあてはまらないものなのではないかと思う。この意識の相違が、戦争という過去との取り組みへの違いに表れているのかもしれない。

*2:この辺りのことをまるで自分で考えたことのように言うのもアレなので、正直に書いておくと、「大衆が装飾と化す」という表現はジークフリート・クラカウアーのエッセイ「大衆の装飾」("Das Ornament der Masse" 1920)に、「政治が美的なものと化す」という表現はヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』の結語に拠る。彼らの言っていること、とりわけベンヤミンの「政治が美的なものと化す」(die Ästhetisierung der Politik)という表現は、私には長らくピンとこないものだったのだが、この映画を観て視覚的に腑におちたような気がした。ある意味では彼らは、まったく見たままを言っていたのだ。たしかにそこでは、大衆が装飾になり、政治が美的なものになっているのだ。しかし余談も余談だが、クラカウアーがこの事態をナチズム台頭前の1920年に言葉にしていたということには色々思うところがある。彼の炯眼と言ってしまえばそこまでなのだが、1920年時点で既にその種の事態が観察可能なものでもあった、ということなのかもしれない。この辺り色々考えられることがありそうに思う。

過去の戦争についての語りを、開いたままの問いとして未来に委ねること(ルート・ベッカーマン「戦争の彼方」/Ruth Beckermann "Jenseits des Krieges" 1996年)

先日「夢のなかにいた者たち」についての記事でも書いたが、今月は近所でオーストリア人監督ルート・ベッカーマンの特集が催されおり、彼女のドキュメンタリー映画を幾つか観ることができた。そのなかでも一番印象に残ったドキュメンタリーは、ドイツ国防軍の戦争犯罪に関する展覧会——いわゆる「国防軍」展——に際して制作された「戦争の彼方」(Ruth Beckermann "Jenseits des Krieges" AT 1996)だった。以下、この展覧会の内容を紹介しつつ、この映画について書きたい。

 

映画の背景、ドイツの「過去の克服」と「国防軍」展について

このドキュメンタリー映画「戦争の彼方」は、1990年代後半からドイツ語圏を中心に開かれた大規模な展覧会「絶滅戦争 1941-44年になされた国防軍の犯罪行為」(Vernichtungskrieg. Verbrechen der Wehrmacht 1941-1944、以下「国防軍」展と略す)がウィーンで展示された際に製作されている。まずこの「国防軍」展について簡単に書いておきたい。

この展覧会は、タイトルが示すとおり、戦時中のドイツ軍が行った犯罪行為(とりわけ当時のソビエト連邦に対する戦争犯罪)を扱ったものだ。重要なのは、この展覧会が、「ナチスドイツの」戦争犯罪ではなく、「ドイツ国防軍の」戦争犯罪を扱っているという点だ。つまり、必ずしもナチス党員というわけでもない言わば普通の兵士たちにフォーカスをあて、彼らの犯罪行為を問うたものだった。

しばしば誤解されている点だが、ドイツは大戦後すぐに戦時中の自国の犯罪行為と真正面から取り組んだわけではない。戦後すぐになされたニュルンベルク裁判は連合軍側によってなされたものであったし、罪に問われることがなかった元ナチス党員は戦後には再び要職に就くことができていた。

ドイツにおいて本格的な「過去の克服」が始まったのは1960年代のことで、その端緒ともなった1963年のフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判においてはじめて、強制収容所幹部など重要な戦争犯罪者が法的に裁かれることになった。この裁判に至るまでの様子は映画「顔のないヒトラーたち」(Giulio Ricciarelli "Im Rabyrinth des Schweigens" DE 2014)において(多少のフィクションも交えつつ)示されている。そこでは、アウシュヴィッツという戦争犯罪が当時のドイツにおいてほとんど知られていなかったことが、裁判に関わることになった若いドイツ人検事の当惑とともに描かれている。

とはいえこの裁判以降もなお、多くのドイツ軍兵士たちは自分から積極的に戦争犯罪に加担したわけではない、と考えられていたようだ。つまり、大多数の兵士たちは戦争の経過のなかでそもそも戦争犯罪が行われていたことさえ知らされていなかったし、戦争犯罪に加担した者もナチス指導部の命令に従わざるをえなかっただけだ、というように考えられてきたのだ。件の「国防軍」展は、まさしくこの点を問い直した。果たして本当に、国防軍の兵士たちが自ら進んで戦争犯罪に加担することはなかったのか。果たして本当に、戦争犯罪と呼びうる行為をなしたのはナチス指導部だけだったのか。

1990年代後半から2000年代前半にかけてドイツ語圏のみならず世界中を回った「国防軍」展は、歴史上の資料——写真や映像、証言など——をもって、この問いに答えた。首をくくられ木から吊るされた人々とともに笑顔で記念撮影をした写真、裸にされて広場に集められる女性たち、子供や明らかに兵士ではない者たちへの暴力。そこには、命令にいやいや従っているというよりも、積極的に戦争犯罪に参与しているように見える兵士たちの姿が写し出されている。もちろんこれがドイツ軍の全ての姿ではないだろうし、戦時中という極限状態での一場面であることは差し引いて考える必要があるだろう。しかしいずれにしてもこの展覧会では、「罪のない“普通の”兵士たち」というイメージとはかけ離れた、当時の国防軍兵士たちの姿が提示されることになった。

この展覧会の概要と、それが引き起こしたセンセーションについては、ドキュメンタリー映画「名もなき兵士」(Michael Verhoeven "Der unbekannte Soldat" DE 2006)に見ることができる。私はこれを去年観たのだが、戦時の写真や映像そのもののみならず、ミュンヘンでの展示の際に会場の外で起きた騒動の映像もまた印象に残っている。そこでは、大きな集団が、我らの祖国ドイツを侮辱するな、我々の祖父や父を犯罪者扱いするな、というようなことが書かれたプラカードを掲げて展覧会反対のデモを行っていた。その中心を占めるのはいわゆるネオナチのような人々だったのだろうと思うが、展覧会に反対する声を上げていたのは必ずしもラディカルなネオナチだけではなかったのだろうという印象を受けたことを記憶している。

自国が担った過去の責任と真摯に向き合ってきたとされているドイツにおいてさえ——あるいはこういう国だからこそ、なのかもしれないが——軍部の一部の指導者だけでなく、自分の直接の先祖までもが戦争犯罪者であったかもしれないという問題はそう簡単には受け入れられない。過去の事実をどう考え、どう受け止め、どう「克服」していくか。「国防軍」展は、この「過去の克服」の困難さと多義性を改めて提示することになったのだ。

(この展覧会について知りたい方は、「Wehrmachtsausstellung」(国防軍展)で検索するとYoutubeなどで英語字幕があるものも含め色々見られるので、ぜひ調べてみて欲しい)

 

現在を生きる人たちによって、絶滅戦争という過去を語らしめること

背景の説明が長くなってしまったが、ルート・ベッカーマンのドキュメンタリー映画「戦争の彼方」は、この「国防軍」展がウィーンで展示された際に製作されたものだ。しかしベッカーマンの映画においては、展覧会での展示物——写真や映像などの資料——はわずかに後景に映るのみで、それが主題として提示されてはいない。むしろ彼女の映画のほとんどを占めるのは、展覧会に訪れた人々へのインタヴュー映像だ。さらに言えばここでインタヴューされるのは、元国防軍兵士として従軍した人々か、そうでなくても当時なにかしらの仕方で戦争やドイツ軍による占領を経験した人々だ。その他、自分の親世代が従軍していたという人も何人か登場する。

このドキュメンタリー映画に特徴的なのは、それが展覧会を訪れた多様な人々自身の経験や意見を聞き出すことに徹していたという点だ。あの戦争は何だったのかを知りたいと思って訪れた者、自分の経験したことを確かめたいと思ってやって来た者、名もなき兵士たちの戦争犯罪をことさら取り上げることに反発を示す者、戦争犯罪はあくまでも「普通の戦争」の一環で起きたものであり兵士たちは命令に従っただけだと主張する者、当時の戦争は共産主義との闘いであってその後のソビエト連邦に鑑みるとむしろ目的それ自体は間違いではなかったと主張する者。さまざまな立場のものが、さまざまな視点から、さまざまな意見を述べる。なかには、自分の親を犯罪者だと思いたくないからここで展示されていることを信じることができない、と口にして展覧会を後にする女性もいる。これらの意見に対してインタヴュアーは、少なくとも表立っては、自らの政治的意見をぶつけることをせず、むしろインタヴューされた者たちの経験や考え方を引き出すことに徹していた。

ところで、インタヴュアーが聞き役に徹していたのに対して、展覧会を訪れた者同士の間ではしばしば議論が生じており、それもまた映像に収められていた。例えば、彼自身がドイツ国防軍として従軍していたという一人の老人がインタヴューに答えていたときのことだ。彼は自分を含めドイツ国防軍が行ったことはすべて「普通の戦争」の枠を超えるものではなかったのであり、全て上官の命令に従った結果でしかなかった、戦争とはそういうものだ、と主張する。それに対してたまたま近くで展示を観ていた女性が異を唱え、なぜ彼がこのような戦争犯罪を「普通」と呼ぶことができるのかと問いかける。別の視点同士が衝突し合い、様々な場所で議論が始まる。

印象的なことに、これらの議論は、自身の意見の正しさを証すためというよりもむしろ、真実を知りたいというその思いからなされているように見えた(もちろんなかには、自分の過去を正当化したいという思いから語っているように見える者もいたが)。想像を絶する戦争犯罪はなぜ、どのように生じたのか。それに間接的・直接的に携わった者たちは、その後何を考え、今何を思うのか。そもそもあの戦争は、いったいぜんたい何だったのか。そこで求められる真実はしかし、必ずしも一義的なものではない。むしろ明らかになっていくのは、過去の出来事の錯綜であり、求める者の視点や思いによって、経験や知識によって多様に変わりうる、過去の多面性だ。

この映画は、まさしくこの過去の多面性を、今を生きる人々の語りを通して現前させようとしていた。こうして絶滅戦争という過去が、現在を生きる人々によって語られ、いまなお克服されざるものとして提示されることになる。

 

印象的だった二つの語り、戦争という過去の多面性を開くこと

映画中で語られた多くの事柄の中で、私にとって特に印象的だった二つのことを書いておきたい。

一つは、 ソビエト連邦において当時の戦争を経験したという女性のインタヴューだ。彼女は当時反ファシズムの共産主義者であり、同じくファシズムに反対するイタリア人の夫とともにソビエト連邦に政治亡命していたのだという。インタヴューにおいて彼女は、ドイツ軍による空爆の残酷さを、ドイツ軍に蹂躙されたロシア人の悲惨さを語る。また彼女は、絶滅収容所については当時知らなかったが、ナチスによるユダヤ人虐殺については耳にしていたことを証言してもいる。

インタヴューの最後に、彼女は、夫のことを尋ねられる。すると彼女は淡々と、イタリア人であった夫は共産主義者だったにもかかわらず、スターリン体制下のソビエト連邦において疑われ逮捕され、すぐに射殺されてしまったのだ、と答える。両方の側が戦争犯罪をしていたのよ、という言葉で締めくくられる彼女の語りは、戦争というものの多面性を、単純化された善玉と悪玉という図式の不可能性を証している。そして同時に、その時々の権力構造の枠組みから外れた者たちが、時の権力からいかに簡単に、いかに理不尽に蹂躙されてしまうか、ということをも証言している。 

もう一つ印象的だったのは、映画の最後における、ともに元軍人だという二人の老人の口論だ。二人の口論の中心にあるのは、当時の現場の兵士、しかも直接戦争犯罪に携わっていたわけでもない兵士たちが、ドイツの戦争犯罪を知りえたかどうかという点だ。この点について二人は真っ向から対立する。一人の老人は、戦争犯罪を見聞きすることができていたし、自分は実際に知っていたのだと主張する。もう一人は、当時の状況からしてそんなことはありえないと強く反論する。二人は分かり合うこともできないままに、その場を立ち去っていく。

当時の人々が、とりわけ当事者である国防軍の軍人たちが、どこまでドイツ軍による実際の戦争犯罪の現状について知りえたのかという問いは、この映画の中心をなす問いの一つだ。多くの者は、断片的にであれ実際に知っていたと述べているが、それに対して少なからぬ者が、当時本当のことを知ることはできなかったと反対の証言をする。この問いについて、それを実証的に明らかにすることも勿論重要ではあるだろうし、それによって個々の証言の真偽を確かめるということもある程度までは可能であるのかもしれない。しかし少なくともこの映画が目指していたのは、実証的な真偽を確かめることではなかった。むしろここで提示されていたのは、戦争という過去の経験が持つ多面性であり、そこに一義的な意味を見出すことの困難さであるだろう。この映画は、この多面性を、その錯綜を閉じることなく、開いたままにする。

 

過去の戦争についての語りを、開いたままの問いとして未来に委ねること

語りの多面性を開いたままにしておく、というそのことが、私がこのドキュメンタリー映画を観てとりわけ印象的に思った点だった。

過去の出来事、しかも絶滅戦争という想像に絶するような出来事を語るときに、わかりやすい図式とものの見方でことを済ませ、それで過去を「克服」したことにしてしまうのは、しばしば短絡的であり、危険でさえある。とはいえそれは同時に、魅惑的なことでもある。わかりやすい図式でもって理解した気になること、そうしてその問題に解決済みの印章を押して考えるのをやめることは、端的に言って楽なことだ。とはいえ、歴史的な現実に関しては、必ずしもわかりやすいものの見方に収まらない事柄が——場合によっては後から——おもむろに顔を出すことがある。図式化したものの見方においては、このような現実が、都合の悪いものとして等閑視されたり、無視されたり、場合によっては抑圧されたりしてしまうことがある。

ドキュメンタリー映画「戦争の彼方」は、この単純な図式化の誘惑への抵抗がなされていたように思う。むしろそこでは、現在の語りを通して、過去の出来事の多面性が開かれている。それは結局のところ、一義的な答えを与えないまま、開かれた問いを、その次の世代へと引き継ぐ試みでもあるだろう。およそ20年前に製作されたこのドキュメンタリーに登場した当事者たちの多くは、2017年現在、もうこの世を去っているかもしれないし、そうでなくともこの映画におけるような仕方で語ることはできなくなっているかもしれない。しかしこの映画に写し出された彼らの「語り」は、その多面性は、いつでも紐解かれ、その都度の現在の人々の眼前に提示されることができる。ドキュメンタリー映画は、この可能性を担保するために、戦争の彼方へと向けて、問いを開いておく。過去の戦争についての語りを、開いたままの問いとして未来に委ねているのだ。

…この映画を観た後に私は、はたして日本において、日本が参与したかつての戦争やそれにまつわる過去の出来事について、このようなドキュメンタリーが存在しているのだろうか、ということを考えざるをえなかった。かならずしも映画でなくてもいいのだが、特定の歴史観・歴史認識に固定されることなく、出来事の多面性それ自体を開いておくような、人々の語りの記録があるだろうか。後の世代が、その都度その都度それを参照し、そこから過去の多面性を知り、過去について考えなおすことができるような、語りの記録があるだろうか。

それは、すぐには難しくても、自分にとっていつかしっかり向き合うべき問題なのだと思っている。

(※こういう観点から見るべき映画や記録など、ご存知の方がいたら、教えてもらえると嬉しいです。)

 

…今月はそれなりの量の映画を観たのだけれども、うまく記事を書けていない。しっかりとしたものを書こうとし過ぎているような気もする。見応えのある映画もいくつか観たので、簡単にでも少しずつ書いていきたい。