映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

映画を通してルターを勉強する、その② 国民の英雄としてのルター像

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前の記事(「映画を通してルターを勉強する、その①」)で書いたとおり、今年2017年は、マルティン・ルターが教会批判の「95ヶ条の論題」を公表した1517年から500周年、つまりは宗教改革の第一歩目から500周年だということのようで、それにちなんで私が普段通っている映画館でもルターに関する映画がいくつか上映されていた。私自身、そこで下の三本のルター映画を観た。

 

・ハンス・カイザー「ルター、ドイツ宗教改革の映画」(Hans Kyser "Luther – Ein Film der Deutschen Reformation" DE 1927)

・クルト・オェテル「従順なる反乱」(Curt Oertel "Der gehorsame Rebell" BRD 1952)

・エリック・ティル「ルター」(Eric Till "Luther" DE/US 2003)

 

興味深かったのは、この三本の映画それぞれにおいて、同じルターという人物がそれぞれ異なった強調点をもって描き出されていたという点だ。このことは、ルターその人がもつ多面性に由来するものでもあるだろうが、同時に時代ごとの文脈や製作者の思惑が反映されたがゆえの事態でもあるだろう。

以下、それぞれの時代の歴史的文脈も考えつつ、私が観ることができたそれぞれのルター映画について印象的だったことや考えたことなどを、書いていきたい。

 

※なおそれぞれの細かいあらすじに関しては、基本的に前回書いたルターの生涯と重なるので割愛する(確認したい方は、前回の記事の「マルティン・ルターという人物、その生涯」という項を参照してほしい)。そのため以下では、映画について考える上で重要な点だけ書いていくこととする。

 

ドイツ国民の信仰のために生きた英雄としてのルター(ハンス・カイザー「ルター、ドイツ宗教改革の映画/Hans Kyser "Luther – Ein Film der Deutschen Reformation" DE 1927)

ベルリンのUfAスタジオにおいて製作されたルターの伝記映画。サイレント映画だが、私が観た上映では生のピアノ伴奏つきだった。"Luther-Filmdenkmal"という団体の寄付によって制作されたとのことだが、「メトロポリス」など同時代の無声映画と比べてもそれほど見劣りしない程度に背景や演出に力が入れられており、二時間にわたる映画には制作陣の労力が感じられる。また同時にこの映画には、そのタイトルに既に示されている通り、二つの大戦間期におけるドイツ民族主義、国家主義の精神も投影されている。

 

※下はトレイラー。これによると今年2017年11月にDVD化されるらしい。宗教改革500周年記念だからなのだろうか。

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この映画中で描かれているのは、雷雨をきっかけにルターが修道院に入るあたりから、彼の考えに触発された市民や農民たちが教会に対して反乱を起こし、そこにルターが姿を現し教えを説くあたりまで。最後半、教会を破壊し尽くそうと息巻く群衆の暴動を鎮めんとして、ルターは、これがあなたたちの信仰だというのか、信仰はむしろ聖書のなかにあるのではないかと語りかける。この言葉が民衆の心を打ち、彼らが暴動の矛を収めルターが賞賛されるところで、映画は終わる。

この映画では、映画中の暴動よりも大規模な暴力行為を招いてしまいルター自身の手に負えなくなったいわゆる「農民戦争」についてや、或いは聖職者としての婚姻についてなど、ルターにおいてしばしば問題とされる点についてはほとんど取り扱われていない。この映画中ではむしろ、人々を導く宗教的リーダーとしての、さらに言えばある種の国民的英雄としてのルター像がことさらに強調されている。

 

国民の英雄としてのルター像、ドイツの国民アイデンティティ形成の先駆けとしての役割

この映画中でとりわけ印象的なのはまさしくこの点、ルターがドイツ国民の英雄として描かれている点だ。画面のなかのルターは実際に、教会や皇帝といった既成の権力に対峙する際に、「ドイツ」(Deutschland)のための、あるいは「ドイツ国民」(das deutsche Volk)のための信仰を主張していた。この描写を素直に受け取るとルターは、ドイツ国民の信仰の自由のために封建的な教会権威と戦った宗教的英雄だとして理解されることになるだろう。

このようなルターの描かれ方は、理由がないものではない。というのも、ルターが聖書を日常言語に訳す際に他ならぬドイツ語を用い、それによって古典語が読めないドイツ語話者の民衆に聖書を読む可能性を開いたのは、紛うかたなき事実であるからだ。そればかりか彼は、「キリスト教界の改善について、ドイツ国民のキリスト教貴族に与う」("An den christlichen Adel deutscher Nation von des christlichen Standes Besserung" 1520)という文章を著してもいる。こうしてみるとたしかにルターは、ドイツ語を話す民衆を念頭においてあるべきキリスト教信仰のあり方を問い聖書をドイツ語に訳したばかりか、実際に「ドイツ国民」(Deutsche Nation)という言葉を用いてさえいたのだ。この意味では確かに、ドイツの国民アイデンティティ形成の先駆けとしての役割は、ルターという人物の一面であるだろう。

 

国民国家時代のナショナリズム的解釈の問題点

ただしここで言われているのが、近代における国民国家としての「ドイツ」と必ずしも同じものではないことには注意が必要だろう。そもそもルターが生きた15世紀から16世紀の当時には、「ドイツ」という統一的な国民国家はいまだ存在していなかった。当時のルターが国としての「ドイツ」を認識することができたのかどうか、あるいは彼がそこに住む国民としての「ドイツ国民」を考えることができたのかという点には、少なからず疑問が残る。ルターが「ドイツ国民」(Deutsche Nation)という言葉を用いたときに、その言葉の内実が20世紀に言われる「ドイツ国民」とどの程度まで重なりどの程度ズレるものなのかは、丁寧に考えられるべき問題なのだ。*1

ここでは本来、歴史的文脈を踏まえること、また繊細なニュアンスや文脈を区別することが必要なのだが、この映画はおそらく意図的にそのあたりの区別を曖昧にしている。そうしてあたかもルターが、1920年代当時には既に存在し人びとのアイデンティティの拠り所になっていた「ドイツ」という国民国家のために、ひいてはそこに帰属するべきドイツ民族の信仰のために戦ったかのように、演出がなされているのだ。だからこそこの映画には「ドイツ宗教改革の映画」というタイトルが与えられているのだろう。

言うまでもなくこの演出は、1927年という時代の産物だろう。ルターの生きた時代にはいまだ存在しなかったはずのドイツという国民国家に与するものとしてルターを描き出すこの映画は、1920年代後半のドイツにおいてキリスト教がナショナリズムの材料にされていたその事実をまざまざと思い知らせてくれる。このことは、第三帝国時代にナチス政権と教会権力とが部分的にではあれど手を結ぶことができてしまったというその歴史的事実を先取りしてもいるだろう*2

キリスト教の宗教的実践というのはもともと、彼岸にいる神にこそ仕えるものであって、国家という此岸の権威とは距離をとったものであるはずだ。そればかりか宗教的実践と世俗的権威の間には、一定の緊張関係があったはずなのだ。実際にルターも、彼が「ドイツ国民」(Deutsche Nation)のための信仰を語るときでさえ、この世の権威である教会があの世での救済を取り仕切っているというその越権行為をこそ問題にしたのであって、だからこそ人々が自分自身の自由な心で信仰に向えるよう聖書を民衆の言葉に翻訳したはずなのだ。

しかし強調点がずらされ、彼岸に属する宗教権威と此岸の国家権威とが結びつけられるときには、民衆の信仰の自由を求めたはずのルターの宗教改革は、ドイツという国民国家のための英雄的自己犠牲へと書き換えられることになる。そして皮肉なことにこのことが、個人の自由よりも国家の権威を高めることに奉仕してしまうのだ。この映画「ルター、ドイツ宗教改革の映画」には、明らかにこのような転倒が読み取れる。

 

活版印刷を用いた世俗的な大衆運動家という側面

ところで、ドイツ国民のための英雄としてのルターの描かれ方とは別に、この映画でもう一つ印象に残った点がある。それは、ルターが超俗的な聖人というよりも、むしろ世俗的な大衆運動家のように描かれていたという点だ。

映画中においてルターは、まずもって音楽を愛する教師として登場し(おそらくこれは史実ではないだろう)、その後も音楽や演説の力で人々を魅了するという描写があった。また彼が自説を展開する際にはドイツ語で——すなわち大衆が読める言葉で——著作を発表したがゆえに、彼の主張は教会人の枠を超えて流布していくことができた。そのようにして彼の教会批判は、ヘブライ語や古代ギリシャ語、そしてラテン語をも解さない人々、つまりは特別な教養を持たない大衆の支持を得ることになった。まさしくこの大衆の支持という点によってルターは、教会権力にとっても無視し難い影響力を持つことになったのだろう。

このようなルター像、教会の聖職者ないしは大学の神学者ではなく、大衆の支持を集め大衆の信仰のために戦ったルター像には、なるほどと思うところがあった。もちろんこの映画には、大衆の支持を集めたがゆえに生じた暴走(「ドイツ農民戦争」)が等閑視されていたり、或いは「ドイツ語を話す大衆のために」というのが民族主義的に「ドイツ国民のために」に読みかえられていたりと、少なからぬ問題があることは既に指摘したとおりだ。しかしルターが宗教改革の上で決定的な人物となりえたのは、教会制度という「上から」の権威に抗する大衆の「下から」の運動に適合する人物であったという点が大きかったということは、ある程度まで史実に即しているのではないかとも思う。

さらに言えば、ルター自身がどこまでそれを自覚していたかはさておき、当時の最新メディアを利用し多くの人々の耳目に触れることを優先してなされた彼の活動は、中世的な封建社会の権威が崩れつつあった16世紀に合致したものだったように思われる。このことは、科学技術の発展やそれに伴う非特権階級の権利意識の増大という別のファクターとも密接に結びついている。ルターの言説もまた、一方では活版印刷技術という当時の最新技術の活用あってこそかくも多くの人々の目に触れることになったのだろうし、他方でそれを読んだ大衆の側でも教会権威を絶対視する必要はもはやないのだという意識が既に強まっていたのだろう。端的に言ってルターは時代の趨勢に適合していたのであり、ルターの宗教改革は、メディアの進歩と市民意識の発達という近代化の流れにおいてこそ本格的な抵抗運動へと展開しえたのだろう。

この意味でルターを、天才的英雄ないし浮世離れした聖人というよりも、むしろ近代化し世俗化しつつある社会においてこそ可能となる大衆運動家の先駆けと見なすこともできるかもしれない。このような意味で彼を、宗教改革の嚆矢としてのみならず、西洋的近代の重要な歩みを象徴する人物としても理解することもできるだろう。 この映画は、間接的にはルターのこのような側面をも描き出していたように思う。

 

長くなってしまったので、残り2つのルター映画についてはまた次の記事で。

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*1:専門家による講演つきの上映だったので、映画後の質疑の際に、そもそも「ドイツ」(deutsch)なる言葉がルターが生きていた当時にどういう意味で用いられていたのか、それが今のような「ドイツ国民」のニュアンスを持ちえたのか、思い切って聞いてみた。解答としては、当時領邦国家だったヨーロッパにおいてはもちろん「ドイツ」という国民国家は存在しないので現在のような意味での国家的アイデンティティとしてのニュアンスはありえないが、同じドイツ語を話す人々という意味での共同体のイメージのようなものはあったかもしれない、という答えだった。またそれとは別の観点として、近代(とりわけ19世紀の国民国家形成期)において、ルターによる聖書のドイツ語訳が「ドイツ」という国民アイデンティティ形成に寄与はしたという事実は大きい、ということも言われた。ちなみに、神学を専門にしている知り合い何人かに、ルターがドイツ国民のための信仰を主張していた映画を観たよ、という話をしたら、一人はそれはありえないでしょと笑っていた。もっとももう一人は、やはりルターの当時においてもドイツ語を話す人々の共通意識はあっただろうし「ドイツ性」(Deutschtum)みたいな意識もあったはずだ、と言っていた。ただまあいずれにせよ、この映画におけるような仕方でルターにドイツ国民の信仰を語らせるのは幾分問題がある話だということのようだ。

*2:もちろん、第三帝国時代にはキリスト者によるナチズムへの抵抗運動も存在していたことは確かだ(いわゆる「告白教会」運動など)。とはいえ当時、ナチズムを黙認するばかりか、積極的にナチズムを支持するキリスト教団体(たとえば「ドイツ・キリスト者」運動)も存在した。彼らがキリスト教信仰の「ゲルマン性」を説きそれをナチス政権の台頭と結びつけるそのやり方は、この映画中のルターの描かれ方と共通するところがある。