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映画を読む

ドイツ某都市に留学中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

装飾となった大衆の上に立つ、冗談のような独裁者(ミハイル・ロンム「ありふれたファシズム」/Mihail Romm "Obyknowenny fašizm / Der gewöhnliche Faschismus" 1965年)

ミハイル・ロンム「ありふれたファシズム」(Mihail Romm "Obyknowenny fašizm / Der gewöhnliche Faschismus" UdSSR 1965)を、ドイツ語版で鑑賞。5月8日、ドイツにとっての「解放」記念日——日本で言うところの「終戦」記念日——*1に、大学映画館で上映されていた。記念日ということで入場無料で、さすがに満席だったように思う。少し間が空いてしまったが、印象的な映画だったので記事を書いておきたい。

 

ファシズムが成立した日常を問う「よく考えるための映画」

この「ありふれたファシズム」は、旧ソビエト連邦の監督による、第三帝国時代のドイツのファシズムに関するドキュメンタリー映画だ。製作にあたって監督は、旧ソ連、旧東ドイツ、ポーランドの資料館から莫大な量の資料を集めたのだという。そのため映像のほとんどが、写真や映像といった一次資料の切り貼りで構成されている。

とはいえスクリーンに写し出されるのは、ユダヤ人迫害や絶滅戦争の凄惨さを証言するような戦地の写真や映像だけではない。もちろんその種の戦争犯罪を証す写真や映像も少なからず提示されるのだが、映像の大半を占めるのはむしろ、タイトルが示すように、ナチス体制下ドイツの日常の姿だ。学校での子供たち、大通りでのパレードやスタジアムでの式典、スポーツや芸術イベント、郊外での休暇、といった日常の映像。問題はまさしく、ファシズムによるホロコーストや絶滅戦争という信じがたい破局と、一見そこから無縁のように見える日常とが、いかにして結びついていたのか、という点にある(ついでに言うと、そのそもこの映画のタイトル——ロシア語はわからないのでドイツ語での判断になるが——それ自体、「日常のファシズム」とも訳されうるものだ)。

映画の冒頭に監督がカメラに語りかけるシーンがあるのだが、そこで彼は、この映画は「よく考えるための映画Film zum Nachdenken」なのだと述べていた。冷戦時代の旧ソ連製作のこの映画には、たしかに少なからぬイデオロギー的色彩が見て取れる。しかしそれでもこの映画が目指しているのは、ドイツ・ファシズムの戦争責任をただ糾弾するというそのことではなくて、ある決定的な問いを提示することだった。それは、独裁者の指示によってホロコーストや絶滅戦争が実行に移されてしまうファシズムという政治体制が、どのような日常に支えられて可能になったのか、という問いだ。映画は、極めてアイロニカルな語りをもって、この問いを追っていく。

 

アイロニカルに語り出される、ファシズムの生成とその滑稽さ

印象的だったのは、この映画が、ファシズムの生成という深刻極まりないテーマを、きわめてアイロニカルなコメントを添えつつ、なかば笑い飛ばすように語り出している点だ。もちろんその背景には、冷戦時代の旧ソ連特有のイデオロギー的動機、ファシズムを可能にしたものとしての西側資本主義社会を冷笑するという動機もあるにはあるだろう(とりわけ映画の後半においては、そのようなイデオロギー的図式化が顕著な部分もあった)。

しかし私には、アイロニカルに語られるこの滑稽さは、むしろある程度までファシズムの成立と展開という歴史的事実そのものの方に帰せられるもののように思えた。というのも、スクリーンに写し出された映像は、実際にしばしばひどく滑稽なものだったからだ。

コメディアンのような男の一挙手一投足に熱狂する群衆。彼が荒唐無稽な理念を叫ぶことで湧きたつスタジアム。「ジークハイル!」という掛け声ととも、歓喜の表情とともに一斉に右手を掲げる、正装に身を包んだ大人たちの群れ。大衆の熱狂を見下ろし、ナルシズムを隠しもしない独裁者のご満悦の表情。等身大の独裁者の絵画が掲げられた美術館。歯の浮くような自画自賛——「私の母は単純な人間だった。けれども彼女はドイツへ偉大な息子という贈り物をなしたのだ」。

20世紀のドイツという、十分に近代化されたその時代その場所において、まるで悪い冗談のような理念に導かれて、信じられないほど凄惨な出来事が引き起こされてしまったというその事実。この上なく深刻であるはずなのに、この上なくふざけているように見えるこの事態。まさしくこのことが、この映画にアイロニカルな語りをさせているように私には思えた。

 

パレードとセレモニー、装飾になった大衆、政治が美的なものになること

123分と短くはないドキュメンタリー映画のその内容を網羅的にここに書くことはできないので、特に印象的だったことだけ書きたい。私にとって印象的だったのは、この映画において何度となく写し出された、ナチスによる大規模なパレードやセレモニーの様子だ。

ニュルンベルクでの党大会の様子を伝えるナチスのプロパガンダ映画「意志の勝利」(Leni Riefenstahl "Triumph des Willens" DE 1935)くらいは大分前に観たことがあったのだが、それにしてもこの「ありふれたファシズム」におけるほど種々多様なパレードやセレモニーの様子を一度に映像で見たことはないように思う。

映像上の群衆は、隊列を組み大通りを行進する。大人数で巨大な人文字を作りスタジアムの観客席を彩る。総統の掛け声に合わせて歓声を上げ右手を掲げる。その手際の良さや整然さは、まったくもって野蛮な混沌ではなく、それどころか合理的な訓練の賜物としての秩序であり、ある種の美しささえ感じられるものだ。ただ決定的に滑稽なのは、合理的な訓練によって成立する彼らの美しき秩序が、劣等民族の抹殺という野蛮で非合理極まりない独裁者の命令を支えるものになってしまっている、ということだ。

そこでは大衆が装飾と化し、冗談のような独裁者を独裁者たらしめる舞台装置と化している。もはやそこでは、独裁者の命令が政治的に正しいものであるかどうかなどということは、本質的な問題ではないのだろう。これだけの数の群衆が集まり、彼の言葉に熱狂し、美しい秩序をもった隊列をなして、彼を支持している。とにもかくにもそこには美しい秩序があり、この美しさが独裁者に奉仕するものであるからこそ、独裁者の政治は正しいのだということになる。まさしくここにあるのは、政治が美的なものと化す、という事態なのだ。*2

装飾となった大衆の上に立つのはもちろん、総統ヒトラーだ。しかし私はこの映画のパレードの様子を、湧きたつ群衆の姿を見ていて、彼らの頂点に立つ人物というのはある意味では誰でもよかったのだろうな、という感想をもった。もっと言えば、変に知性や才覚を感じさせる洗練された人物であるより、ヒトラーのように、ある意味ではどこにでもいそうな、たまたま大衆のなかから出てきただけのような人物であった方が都合がよかったのだろうな、という気がした。そのあたり、ゲッペルスの演出も巧みだったのかもしれない。

熱狂する大衆と熱狂される独裁者、それぞれの立場はいつでも交換可能で、誰もが独裁者の席に座ってもいいので、だからこそそれは自分でなくてもよいのだ。そこでは装飾する側も装飾される側もそう大差はないだろう。大事なのは、皆で大きな輪を作って、皆同じような動きと歓声で、美しいまでの一体感を得ることなのだ。重要なのはただ、このなかに自分が参加できているというそのことであって、言われている政治的問題の内容などどうでもいいことなのだろう。「一つの民族、一つの帝国、一人の総統」というモットーに端的に言われるこの一体感。この一体化の熱狂のなかでは、熱狂に参加しない者たち、もっと言えば参加できない者たちや参加できるのに意図的にしない者たちは、排除するべきだし、可能ならば抹殺するべきだ、 ということになる。こうして日常のなかで、ファシズムの土台が生成し、堅固なものになっていく。

もちろんこれは単純化した話だ。しかし大衆を動員したセレモニーによる一体感の醸成というのが、ファシズム生成の基盤にあるということは確かだろう。この辺りのことは、「美しい国」が標榜され、国民の統一性や国家への奉仕の美的価値が積極的に強調されるようになった国では、気を付けられる必要があるかもしれない。

 

冷戦時代のイデオロギーを超えて、ファシズムを「よく考える」ために

1965年の旧ソ連において製作されたこの映画には、ある意味で自明なことながら、冷戦時代のイデオロギーが明確に反映されている。それが顕著なのは映画の最後半のシーンで、そこではアメリカや西ドイツといったいわゆる「西側諸国」のなかに第三帝国時代のドイツと同じファシズムの萌芽が指摘され、同時に「東側諸国」における反ファシズムの理想が掲げられる。この映画がドイツ語版も製作されたということには、おそらく当時の東ドイツの人々に西ドイツへの敵対心を育てるという狙いもあってのことだろう。

50年以上の時が経ち、冷戦の構図もほとんど過去のものとなりつつある今となっては、このような図式化に対して一面的だという感想こそ持ちはしても、かといって(一応西側の国で生まれ育った人間としても)特段腹も立たないし、この図式化それ自体が歴史の産物だよな、という冷めた気分で映画を観ることはできる。もちろんそれは旧ソ連や東側の行ったそれこそファシズム的な政治を無視してよいということでもないし、この映画もそういう批判的な括弧つきで鑑賞する必要はあるかもしれない。

とはいえこの映画は、共産圏によって製作された資本主義諸国への誹謗だとして切って捨てるにはあまりにももったいないものだ。少なくとも第三帝国時代のドイツ・ファシズムを映像化したドキュメンタリー映画としては、驚くほど出来のよいものだった。当時のドイツの雰囲気の一断面を知りたいと思う人にとっては、あるいはファシズムが台頭するその土壌のようなものについて「よく考える」ことをしたい人にとっては、十分に一見の価値のある映画であるだろう。

*1:ドイツに来てからあらためて気付いたことの一つだが、連合軍にドイツが降伏した1945年5月8日はあくまでも「解放の日」(Befreiungstag)であって、「終戦」ないし「敗戦」の日ではない。実際にラジオでも「解放」(Befreiung)という言葉が使われているのを耳にする。このような見方からすると、1945年にドイツはナチスの第三帝国から「解放」されたのであって、それ以前の時代とそれ以後の時代とは連続しておらず、決定的に断然している、ということになるのだろう。それだからこそ、ナチス高官が戦後も要職に就いているといった「連続性」が問題視されることになるのだ。どちらがよいかとかどちらが無責任かとかいった話はさしあたりおいておいて、戦中と戦後との「非連続性」ないし「断絶」の意識は、日本にはあてはまらないものなのではないかと思う。この意識の相違が、戦争という過去との取り組みへの違いに表れているのかもしれない。

*2:この辺りのことをまるで自分で考えたことのように言うのもアレなので、正直に書いておくと、「大衆が装飾と化す」という表現はジークフリート・クラカウアーのエッセイ「大衆の装飾」("Das Ornament der Masse" 1920)に、「政治が美的なものと化す」という表現はヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』の結語に拠る。彼らの言っていること、とりわけベンヤミンの「政治が美的なものと化す」(die Ästhetisierung der Politik)という表現は、私には長らくピンとこないものだったのだが、この映画を観て視覚的に腑におちたような気がした。ある意味では彼らは、まったく見たままを言っていたのだ。たしかにそこでは、大衆が装飾になり、政治が美的なものになっているのだ。しかし余談も余談だが、クラカウアーがこの事態をナチズム台頭前の1920年に言葉にしていたということには色々思うところがある。彼の炯眼と言ってしまえばそこまでなのだが、1920年時点で既にその種の事態が観察可能なものでもあった、ということなのかもしれない。この辺り色々考えられることがありそうに思う。

過去の戦争についての語りを、開いたままの問いとして未来に委ねること(ルート・ベッカーマン「戦争の彼方」/Ruth Beckermann "Jenseits des Krieges" 1996年)

先日「夢のなかにいた者たち」についての記事でも書いたが、今月は近所でオーストリア人監督ルート・ベッカーマンの特集が催されおり、彼女のドキュメンタリー映画を幾つか観ることができた。そのなかでも一番印象に残ったドキュメンタリーは、ドイツ国防軍の戦争犯罪に関する展覧会——いわゆる「国防軍」展——に際して制作された「戦争の彼方」(Ruth Beckermann "Jenseits des Krieges" AT 1996)だった。以下、この展覧会の内容を紹介しつつ、この映画について書きたい。

 

映画の背景、ドイツの「過去の克服」と「国防軍」展について

このドキュメンタリー映画「戦争の彼方」は、1990年代後半からドイツ語圏を中心に開かれた大規模な展覧会「絶滅戦争 1941-44年になされた国防軍の犯罪行為」(Vernichtungskrieg. Verbrechen der Wehrmacht 1941-1944、以下「国防軍」展と略す)がウィーンで展示された際に製作されている。まずこの「国防軍」展について簡単に書いておきたい。

この展覧会は、タイトルが示すとおり、戦時中のドイツ軍が行った犯罪行為(とりわけ当時のソビエト連邦に対する戦争犯罪)を扱ったものだ。重要なのは、この展覧会が、「ナチスドイツの」戦争犯罪ではなく、「ドイツ国防軍の」戦争犯罪を扱っているという点だ。つまり、必ずしもナチス党員というわけでもない言わば普通の兵士たちにフォーカスをあて、彼らの犯罪行為が問うたものだった。

しばしば誤解されている点だが、ドイツは大戦後すぐに戦時中の自国の犯罪行為と真正面から取り組んだわけではない。戦後すぐになされたニュルンベルク裁判は連合軍側によってなされたものであったし、罪に問われることがなかった元ナチス党員は戦後には再び要職に就くことができていた。

ドイツにおいて本格的な「過去の克服」が始まったのは1960年代のことで、その端緒ともなった1963年のフランクフルト・アウシュヴィッツ裁判においてはじめて、強制収容所幹部など重要な戦争犯罪者が法的に裁かれることになった。この裁判に至るまでの様子は映画「顔のないヒトラーたち」(Giulio Ricciarelli "Im Rabyrinth des Schweigens" DE 2014)において(多少のフィクションも交えつつ)示されている。そこでは、アウシュヴィッツという戦争犯罪が当時のドイツにおいてほとんど知られていなかったことが、裁判に関わることになった若いドイツ人検事の当惑とともに描かれている。

とはいえこの裁判以降もなお、多くのドイツ軍兵士たちは自分から積極的に戦争犯罪に加担したわけではない、と考えられていたようだ。つまり、大多数の兵士たちは戦争の経過のなかでそもそも戦争犯罪が行われていたことさえ知らされていなかったし、戦争犯罪に加担した者もナチス指導部の命令に従わざるをえなかっただけだ、というように考えられてきたのだ。件の「国防軍」展は、まさしくこの点を問い直した。果たして本当に、国防軍の兵士たちが自ら進んで戦争犯罪に加担することはなかったのか。果たして本当に、戦争犯罪と呼びうる行為をなしたのはナチス指導部だけだったのか。

1990年代後半から2000年代前半にかけてドイツ語圏のみならず世界中を回った「国防軍」展は、歴史上の資料——写真や映像、証言など——をもって、この問いに答えた。首をくくられ木から吊るされた人々とともに笑顔で記念撮影をした写真、裸にされて広場に集められる女性たち、子供や明らかに兵士ではない者たちへの暴力。そこには、命令にいやいや従っているというよりも、積極的に戦争犯罪に参与しているように見える兵士たちの姿が写し出されている。もちろんこれがドイツ軍の全ての姿ではないだろうし、戦時中という極限状態での一場面であることは差し引いて考える必要があるだろう。しかしいずれにしてもこの展覧会では、「罪のない“普通の”兵士たち」というイメージとはかけ離れた、当時の国防軍兵士たちの姿が提示されることになった。

この展覧会の概要と、それが引き起こしたセンセーションについては、ドキュメンタリー映画「名もなき兵士」(Michael Verhoeven "Der unbekannte Soldat" DE 2006)に見ることができる。私はこれを去年観たのだが、戦時の写真や映像そのもののみならず、ミュンヘンでの展示の際に会場の外で起きた騒動の映像もまた印象に残っている。そこでは、大きな集団が、我らの祖国ドイツを侮辱するな、我々の祖父や父を犯罪者扱いするな、というようなことが書かれたプラカードを掲げて展覧会反対のデモを行っていた。その中心を占めるのはいわゆるネオナチのような人々だったのだろうと思うが、展覧会に反対する声を上げていたのは必ずしもラディカルなネオナチだけではなかったのだろうという印象を受けたことを記憶している。

自国が担った過去の責任と真摯に向き合ってきたとされているドイツにおいてさえ——あるいはこういう国だからこそ、なのかもしれないが——軍部の一部の指導者だけでなく、自分の直接の先祖までもが戦争犯罪者であったかもしれないという問題はそう簡単には受け入れられない。過去の事実をどう考え、どう受け止め、どう「克服」していくか。「国防軍」展は、この「過去の克服」の困難さと多義性を改めて提示することになったのだ。

(この展覧会について知りたい方は、「Wehrmachtsausstellung」(国防軍展)で検索するとYoutubeなどで英語字幕があるものも含め色々見られるので、ぜひ調べてみて欲しい)

 

現在を生きる人たちによって、絶滅戦争という過去を語らしめること

背景の説明が長くなってしまったが、ルート・ベッカーマンのドキュメンタリー映画「戦争の彼方」は、この「国防軍」展がウィーンで展示された際に製作されたものだ。しかしベッカーマンの映画においては、展覧会での展示物——写真や映像などの資料——はわずかに後景に映るのみで、それが主題として提示されてはいない。むしろ彼女の映画のほとんどを占めるのは、展覧会に訪れた人々へのインタヴュー映像だ。さらに言えばここでインタヴューされるのは、元国防軍兵士として従軍した人々か、そうでなくても当時なにかしらの仕方で戦争やナチスによる占領を経験した人々だ。その他、自分の親世代が従軍していたという人も何人か登場する。

このドキュメンタリー映画に特徴的なのは、それが展覧会を訪れた多様な人々自身の経験や意見を聞き出すことに徹していたという点だ。あの戦争は何だったのかを知りたいと思って訪れた者、自分の経験したことを確かめたいと思ってやって来た者、名もなき兵士たちの戦争犯罪をことさら取り上げることに反発を示す者、戦争犯罪はあくまでも「普通の戦争」の一環で起きたものであり兵士たちは命令に従っただけだと主張する者、当時の戦争は共産主義との闘いであってその後のソビエト連邦に鑑みるとむしろ目的それ自体は間違いではなかったと主張する者。さまざまな立場のものが、さまざまな視点から、さまざまな意見を述べる。なかには、自分の親を犯罪者だと思いたくないからここで展示されていることを信じることができない、と口にして展覧会を後にする女性もいる。これらの意見に対してインタヴュアーは、少なくとも表立っては、自らの政治的意見をぶつけることをせず、むしろインタヴューされた者たちの経験や考え方を引き出すことに徹していた。

ところで、インタヴュアーが聞き役に徹していたのに対して、展覧会を訪れた者同士の間ではしばしば議論が生じており、それもまた映像に収められていた。例えば、彼自身がドイツ国防軍として従軍していたという一人の老人がインタヴューに答えていたときのことだ。彼は自分を含めドイツ国防軍が行ったことはすべて「普通の戦争」の枠を超えるものではなかったのであり、全て上官の命令に従った結果でしかなかった、戦争とはそういうものだ、と主張する。それに対してたまたま近くで展示を観ていた女性が異を唱え、なぜ彼がこのような戦争犯罪を「普通」と呼ぶことができるのかと問いかける。別の視点同士が衝突し合い、様々な場所で議論が始まる。

印象的なことに、これらの議論は、自身の意見の正しさを証すためというよりもむしろ、真実を知りたいというその思いからなされているように見えた(もちろんなかには、自分の過去を正当化したいという思いから語っているように見える者もいたが)。想像を絶する戦争犯罪はなぜ、どのように生じたのか。それに間接的・直接的に携わった者たちは、その後何を考え、今何を思うのか。そもそもあの戦争は、いったいぜんたい何だったのか。そこで求められる真実はしかし、必ずしも一義的なものではない。むしろ明らかになっていくのは、過去の出来事の錯綜であり、求める者の視点や思いによって、経験や知識によって多様に変わりうる、過去の多面性だ。

この映画は、まさしくこの過去の多面性を、今を生きる人々の語りを通して現前させようとしていた。こうして絶滅戦争という過去が、現在を生きる人々によって語られ、いまなお克服されざるものとして提示されることになる。

 

印象的だった二つの語り、戦争という過去の多面性を開くこと

映画中で語られた多くの事柄の中で、私にとって特に印象的だった二つのことを書いておきたい。

一つは、 ソビエト連邦において当時の戦争を経験したという女性のインタヴューだ。彼女は当時反ファシズムの共産主義者であり、同じくファシズムに反対するイタリア人の夫とともにソビエト連邦に政治亡命していたのだという。インタヴューにおいて彼女は、ドイツ軍による空爆の残酷さを、ドイツ軍に蹂躙されたロシア人の悲惨さを語る。また彼女は、絶滅収容所については当時知らなかったが、ナチスによるユダヤ人虐殺については耳にしていたことを証言してもいる。

インタヴューの最後に、彼女は、夫のことを尋ねられる。すると彼女は淡々と、イタリア人であった夫は共産主義者だったにもかかわらず、スターリン体制下のソビエト連邦において疑われ逮捕され、すぐに射殺されてしまったのだ、と答える。両方の側が戦争犯罪をしていたのよ、という言葉で締めくくられる彼女の語りは、戦争というものの多面性を、単純化された善玉と悪玉という図式の不可能性を証している。そして同時に、その時々の権力構造の枠組みから外れた者たちが、時の権力からいかに簡単に、いかに理不尽に蹂躙されてしまうか、ということをも証言している。 

もう一つ印象的だったのは、映画の最後における、ともに元軍人だという二人の老人の口論だ。二人の口論の中心にあるのは、当時の現場の兵士、しかも直接戦争犯罪に携わっていたわけでもない兵士たちが、ドイツの戦争犯罪を知りえたかどうかという点だ。この点について二人は真っ向から対立する。一人の老人は、戦争犯罪を見聞きすることができていたし、自分は実際に知っていたのだと主張する。もう一人は、当時の状況からしてそんなことはありえないと強く反論する。二人は分かり合うこともできないままに、その場を立ち去っていく。

当時の人々が、とりわけ当事者である国防軍の軍人たちが、どこまでドイツ軍による実際の戦争犯罪の現状について知りえたのかという問いは、この映画の中心となる問いの一つだ。多くの者は、断片的にであれ実際に知っていたと述べているが、それに対して少なからぬ者が、当時本当のことを知ることはできなかったと反対の証言をする。この問いについて、それを実証的に明らかにすることも勿論重要ではあるだろうし、それによって個々の証言の真偽を確かめるということもある程度までは可能であるのかもしれない。しかし少なくともこの映画が目指していたのは、実証的な真偽を確かめることではなかった。むしろここで提示されていたのは、戦争という過去の経験が持つ多面性であり、そこに一義的な意味を見出すことの困難さであるだろう。この映画は、この多面性を、その錯綜を閉じることなく、開いたままにする。

 

過去の戦争についての語りを、開いたままの問いとして未来に委ねること

語りの多面性を開いたままにしておく、というそのことが、私がこのドキュメンタリー映画を観てとりわけ印象的に思った点だった。

過去の出来事、しかも絶滅戦争という想像に絶するような出来事を語るときに、わかりやすい図式とものの見方でことを済ませ、それで過去を「克服」したことにしてしまうのは、しばしば短絡的であり、危険でさえある。とはいえそれは同時に、魅惑的なことでもある。わかりやすい図式でもって理解した気になること、そうしてその問題に解決済みの印章を押して考えるのをやめることは、端的に言って楽なことだ。とはいえ、歴史的な現実に関しては、必ずしもわかりやすいものの見方に収まらない事柄が——場合によっては後から——おもむろに顔を出すことがある。図式化したものの見方においては、このような現実が、都合の悪いものとして等閑視されたり、無視されたり、場合によっては抑圧されたりしてしまうことがある。

ドキュメンタリー映画「戦争の彼方」は、この単純な図式化の誘惑への抵抗がなされていたように思う。むしろそこでは、現在の語りを通して、過去の出来事の多面性が開かれている。それは結局のところ、一義的な答えを与えないまま、開かれた問いを、その次の世代へと引き継ぐ試みでもあるだろう。およそ20年前に製作されたこのドキュメンタリーに登場した当事者たちの多くは、2017年現在、もうこの世を去っているかもしれないし、そうでなくともこの映画におけるような仕方で語ることはできなくなっているかもしれない。しかしこの映画に写し出された彼らの「語り」は、その多面性は、いつでも紐解かれ、その都度の現在の人々の眼前に提示されることができる。ドキュメンタリー映画は、この可能性を担保するために、戦争の彼方へと向けて、問いを開いておく。過去の戦争についての語りを、開いたままの問いとして未来に委ねているのだ。

…この映画を観た後に私は、はたして日本において、日本が参与したかつての戦争やそれにまつわる過去の出来事について、このようなドキュメンタリーが存在しているのだろうか、ということを考えざるをえなかった。かならずしも映画でなくてもいいのだが、特定の歴史観・歴史認識に固定されることなく、出来事の多面性それ自体を開いておくような、人々の語りの記録があるだろうか。後の世代が、その都度その都度それを参照し、そこから過去の多面性を知り、過去について考えなおすことができるような、語りの記録があるだろうか。

それは、すぐには難しくても、自分にとっていつかしっかり向き合うべき問題なのだと思っている。

(※こういう観点から見るべき映画や記録など、ご存知の方がいたら、教えてもらえると嬉しいです。)

 

…今月はそれなりの量の映画を観たのだけれども、うまく記事を書けていない。しっかりとしたものを書こうとし過ぎているような気もする。見応えのある映画もいくつか観たので、簡単にでも少しずつ書いていきたい。

記事を書いた映画一覧

記事が増えてきたので、これまで記事を書いた映画の一覧を作ります。

年代順に並べます。リンクを付けるのでクリックしてもらえれば飛べると思います。

 

フリッツ・ラング「死滅の谷」(Fritz Lang "Der müde Tod" DE 1921)

フリッツ・ラング「メトロポリス」(Fritz Lang "Metropolis" DE 1927)

ジョセフ・フォン・スタンバーグ「最後の命令」(Josef von Sternberg "The Last Command" US 1928)

ハンス・ベーレント「ダントン」(Hans Behrendt "Danton" DE 1931)

エルンスト・ルビッチ「極楽特急」(Ernst Lubitsch "Trouble in Paradise" US 1932)

メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック「キング・コング」(Merian C. Cooper, Ernest B. Schoedsack "King Kong" US 1933)

ルネ・クレマン「鉄路の闘い」(René Clément "La Bataille du rail" FR 1946)

ゲルト・オスヴァルト「雨が降ったその日に」(Gerd Oswald "Am Tag, als der Regen kam" BRD 1959)

ミハイル・ロンム「ありふれたファシズム」(Mihail Romm "Obyknowenny fašizm / Der gewöhnliche Faschismus" UdSSR 1965)

デヴィッド・リンチ「イレイザーヘッド」(David Rynch "Eraserhead" US 1977)

アラン・J・パクラ「ソフィーの選択」(Alan J. Pakula "Sophie’s Choice" USA 1982)

ペドロ・アルモドバル「マタドール<闘牛士>・炎のレクイエム」(Pedro Almodóvar "Matador" ES 1986)

ケン・ラッセル「ゴシック」(Ken Russell "Gothic" GB 1986)

ピーター・グリーナウェイ「コックと泥棒、その妻と愛人」(Peter Greenaway "The Cook, the Thief, His Wife and Her Lover" GB/FR/NL 1989)

ルート・ベッカーマン「戦争の彼方」(Ruth Beckermann "Jenseits des Krieges" AT 1996)

クリント・イーストウッド「アメリカン・スナイパー」(Clint Eastwood "American Sniper" USA 2014)

ネメシュ・ラースロー「サウルの息子」(László Nemes "Saul Fia" HU 2015)

ジャンフランコ・ロージ「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」(Gianfranco Rosi "Fuocoammare" IT/FR 2015)

フランソワ・オゾン「フランツ」(François Ozon "Frantz" DE/FR 2016)

フィオナ・タン「歴史の未来」(Fiona Tan "History’s Future" EN/DE/FR/NL 2016)

ニコレッテ・クレビッツ「ワイルド、わたしの中の獣」(Nicolette Krebitz "Wild" DE 2016)

ケン・ローチ「わたしは、ダニエル・ブレイク」(Ken Loach "I, Daniel Blake" GB/FR/BE 2016)

ペーター・ヘラー、サリウ・サール「サラバ 不法に生きるということ」(Peter Heller / Saliou Waa Guendoum Sarr "Life Saaraba Illegal" DE 2016)

マーレン・アデ「ありがとう、トニ・エルドマン」(Maren Ade "Toni Erdmann" DE/AT/CH 2016)

ミア・ハンセン=ラヴ「未来よ こんにちは」(Mia Hansen-Løve "L’Avenir" FR/DE 2016)

ルート・ベッカーマン「夢のなかにいた者たち」(Ruth Beckermann "Die Geträumten" AT 2016)

ラウル・ペック「青年時代のカール・マルクス」(Raoul Peck "Le jeune Karl Marx / Der junge Karl Marx" BE/DE/FR 2017)

 

新しい記事を書いたらその都度追加していくようにします。

今後も地道に更新していければと思っています。

三つの「エロ・グロ」映画。暴力、欲望、狂騒、死、露悪的なものを一つの映像世界へ昇華すること

露悪的なものを一つの映像世界へ昇華する「エロ・グロ」映画

昨日の記事で、映画について文章を書く際の自分の方針のようなものを書いた。そこに書いた通り、私は、映画を何かしらの現実を写し出すものとして読み、そこから読み取れたことや考えたことを文章にすることが多い。

ただ断っておきたいのだが、私は、全ての映画がそういう「現実の写し絵」として読まれるべきだとか、そういう読み方ができる映画こそ価値が高いのだ、などと主張したいわけでは決してない。ただ私にとってはそういう映画が文章を書くきっかけになりやすいということであって、それは映画の価値の高さ低さとはまた違う話だ。

逆に、私としてはとても面白く感じた映画でも、それについてうまく文章が書けない、ということがしばしばある。とりわけ、暴力やセックス、人間のあからさまな欲望や倒錯、狂騒や死など、所謂「エロ・グロ」というか、ある種露悪的なものを徹底的に突き詰めて一つの映像世界へと昇華するような映画については、文章を書くのが難しいなと思うことが多い。

その種の「エロ・グロ」要素のある映画が嫌いなわけではないし(特別好きというわけでもないが)、露悪的なものによって緊密で洗練された世界観が作られていれば、そこに強い印象や感銘を受けることもある。ただなんとなく、そういう映画で描かれた暴力や欲望についてどうのこうのと釈義して、そこに現実性やら社会性を読み込むのもなんとなく野暮だという気がしてしまうのだ。端的に言えば、よくできているかできていないか、提示され構成された醜悪さがある種の美的な質を伴った映像世界へと昇華されているかどうか、その点くらいしか印象や感想が書けないような気がしてしまうのだ(この辺、もう少し映画史やら図像学やらを勉強していればまた違ったアプローチもあるのだろうけれど)。

なので、どうもそういう露悪的な映画については記事を書くのを後回しにしてしまい、結局しっかりしたものを書かずに終わってしまうことが多い。ただまあせっかくなので、このブログを始めてから観たいくつかの映画で、印象的だったのだが記事が書けていない三作について、覚書がてら感想を書いてみたい。

 

というわけで、以下、

・ペドロ・アルモドバル「マタドール」(1986)

・ケン・ラッセル「ゴシック」(1986)

ピーター・グリーナウェイ「コックと泥棒、その妻と愛人」(1989)

について書いていくことにする。 

 

…一応断っておくと、いわゆる「エロ・グロ」系の話や記述が苦手な方は、以下ご注意を。

 

快楽と破滅に向かって高まっていく欲求のリズム(ペドロ・アルモドバル「マタドール<闘牛士>・炎のレクイエム」/Pedro Almodóvar "Matador" ES 1986)

「死」に取りつかれた元闘牛士と、性行為の最中に相手を殺すことに快感を覚える弁護士とが、互いを意識し合い関係を深め合っていく、というのが物語の軸。彼らは既に何度も殺人を犯しているのだが、彼らの社会的地位からか容疑はかかっていない。彼らの罪をかぶることになった元闘牛士の教え子と、巻き込まれた元闘牛士の婚約者とが、刑事とともに真相を究明し、闘牛士と弁護士の常軌を逸した逢瀬を止めようとする。大まかな話の枠としてはそんなところ。

映画の冒頭から最後まで、とにかく性行為のシーンが多いし、それがまたなまなましい。局部を写さないこと以外はポルノビデオと変わらないじゃないかと思うくらい、扇情的で湿度のあるセックスシーンが繰り返される。それに並行して残虐殺人の映像も流され(こちらはそれほどなまなましいものではないが)、ところどころで深紅の血液がしたたる。その種のものが苦手な人にとっては耐え難い映画かもしれない。

しかしとにかく、話の中心にいる二人、ナーチョ・マルチネス(Nacho Martinez)演じる元闘牛士と、アサンプタ・セルナ(Assumpta Serna)演じる弁護士の情事の描写が、緊迫感があって、扇情的で、しかし綺麗で、印象的だった。映画の冒頭、元闘牛士は残虐殺人のビデオをみて自慰にふける。弁護士は、男の身体にまたがって体を揺らしながらその首根を突いて刺殺する。死に取りつかれた二人は、出会った当初にはお互い敵対するかのようにふるまうのだが、次第に互いの身体を求め、また同時に互いの破滅をも求めるようになる。死に向って煽り立てられる闘牛の緊迫した行程のように、映画の進行とともに、快楽と破滅に向う二人の欲求が高まっていき、それはラストシーンで極点に達する。

後半、二人の死を予感して逢瀬を止めようとする登場人物たちには、邪魔をしないでほしい、とさえ思ってしまった。そのくらい、緊密に閉じられた空間において高まっていく二人の情事は、綺麗なものだった。物語上の細かい設定や話の進め方には無理があったり苦笑してしまったりしたところもあるのだが、それを差し引いても、最後のシーンへ収斂していく緊迫した映像のリズムはとにかく印象的なものだったし、静止した「事後」の絵の構図も見事だった。この種の映画が嫌いでない人には、お勧めできる。

 

恐怖と不気味を詰め込んだ邸宅における狂騒の一夜(ケン・ラッセル「ゴシック」/Ken Russell "Gothic" GB 1986)

舞台はスイス郊外に構えられたバイロン伯爵の豪勢な邸宅。そこを訪れた詩人シェリーとその恋人メアリー、彼女の義理の妹クレア。医師ポリドリも交えて、彼らは激しい雷雨の一夜を邸でともに過ごすことになる。食事のあと、怪談話を披露し合ったことをきっかけに、彼らの想像力と恐怖心から、悪夢の一夜が始まることになる…というようなあらすじ。この一夜の体験をもとにして、メアリーはのちに「フランケンシュタイン」物語を、またポリドリは「ドラキュラ」物語を着想することになる、という怪物誕生の逸話という要素も備えている。

暴力、セックス、ドラッグ、狂気、怪物、幽霊、その他なんやかんや不気味なものやらグロテスクなものやらと、とにかく人を怖がらせたりいやな気持ちにさせたりしそうなものが、邸のなかにこれでもか詰め込まれていた。その効果で確かに伯爵のお邸には独特の雰囲気が演出されていたのだけれども、率直に言うと、作り物のお化け屋敷という印象がぬぐえず、観ながらなんどか笑ってしまった。以前デヴィッド・リンチ「イレイザーヘッド」についての感想でも書いたのだけれど、恐怖を引き起こすはずの異形のものをあまり直接的に具象化してしまうと、どこかこれみよがしに過ぎるものなってしまい、不気味というより滑稽なものになってしまうことがある。この映画に関しては、個々のモチーフが寄り集まって緊密な映像世界を作っていた…とは言い難く、それぞれのモチーフの間に人為の隙間が見えてしまっていて、その隙間を見せられてしまうと入り込めないよね、という気持ちになってしまった。

それともう一つ不満を言えば、暴力にしてもセックスにしても、狂騒にしても狂気にしても、エロにしてもグロにしても、どうせ描くならもっと突き詰めてほしいと思ってしまった。ちょうど上記の「マタドール」を観た数日後の鑑賞だったので、マタドールの突き詰め方に比べると、この映画のエロもグロも、これ見よがしな割には中途半端に思えてしまった。性的な場面で直接的に表現されるのはせいぜい上半身までだし、残虐的な要素としてもとりあえずは血を流して泥まみれになっているだけだし…いやだけってことはないかもしれないけど。この辺り、国によって規制が違ったりするのが関係しているのだろうか。

それなりに否定的な感想も書いたが、フランケンシュタインやバンパイアの逸話などを考慮に入れつつ観ればまた別の見え方をしてくるかもしれない。邸の作りや雰囲気はよく、そのなかを登場人物が華美な装飾をふりまわしながら狂騒的に駆け回る映像は、なかなか印象的でよいと思った。

 

罪深さと醜悪さを描き切ることによって昇華された映像世界の美(ピーター・グリーナウェイ「コックと泥棒、その妻と愛人」/Peter Greenaway "The Cook, the Thief, His Wife and Her Lover" GB/FR/NL 1989)

これは観たのは少し前だったかな。舞台はフランス料理店。話の中心にいるのは、タイトルが示す通り、料理店のコックと、この料理店の共同オーナーたる泥棒、そしてその妻と、その浮気相手である書店員。泥棒は妻と仲間を連れて毎夜のようにレストランで大騒ぎしながらご馳走をたいらげており、それにコックは辟易しつつも逆らえないでいる。泥棒から暴力を受けながらも逃げられないでいる彼の妻は、レストランで一人本を読みながら食事をする知的な書店員に惹かれ、彼らは言葉も交わさないまま化粧室で交わる。それから逢瀬を重ねる二人に当初は気付かないでいた泥棒も、やがて妻の不貞を知り、激怒して書店員に制裁を加えようとする。ここから物語は破局的な結末へと向かっていくのだけれど、これについてはさしあたり書かないでおく。

この映画を観たときの率直な感想は、世の中にはこんなにとんでもない映画が存在するのか…というものだった。後半15分くらいは口をあんぐりあけて観ていたと思うが、観終わって映画館を出、自室に戻るまでの帰り道もずっと唖然とした表情をしていたと思う。帰宅してから鏡で自分の顔を見たらまだ唖然としていた。とにかく衝撃的な映画経験だったし、未だにそれをうまく言葉にできないでいる(実は一度記事を書こうとしたがうまく書けなかった)。圧倒的な質で、圧倒的な映像の力で、ただただ唖然とさせられてしまった。

言葉にできないなりに書くと、この映画において圧倒的なのは、映像世界の構成の仕方だ。明らかにマニエリスムやバロック絵画が意識されたレストランの調理場や内装は、はっきり言ってまったくリアリティーのあるものではない。ものの配置や人々の動きなど、もっぱら一つの世界観だけが突き詰められ、映像世界としての魅力だけが追求されている。駐車場、調理場、レストラン、手洗いと、場所によって切り替わるライトの色彩効果も、ジャン=ポール・ゴルチエによってデザインされたという衣装も、映画のうちに独自の映像世界を構成するというただそれだけのことに奉仕している。そしてその構成は、明らかに成功している。この映像世界の質を経験するというそれだけでも、この映画を観る価値はあると思う。

物語の進行においては、食欲に暴力、愛欲がこれでもかというほどに露悪的に見せつけられる。泥棒やその一味のレストランでの食事風景は下品でがさつであり、泥棒は気に入らない人間に対して、最高度に痛ましい苦しみの伴う拷問さながらの暴力を行使する。泥棒の妻とその愛人とは、言葉よりも先にむさぼるようなセックスを始める。ただ不思議なことに、一つ一つは耐え難いはずのこういった露悪的な契機のどれもが、この映画の映像世界においては、映像の質を、その緊密な美しさを構成する要素として働いているのだ。

露悪的なものが集められ緊密に閉じられた映像世界へと昇華されていくそのプロセスは、物語が後半にさしかかるにつれてそのリズムを高め、最後のワンシーンに極まることになる。それは言葉にしてしまえばエログロや醜悪さの極みとも言える出来事であるだろうが、しかしそれにもかかわらず、この映画において提示されるそれは美しいものでさえあった。物語において重要な役割を果たす厨房の少年が歌う歌さながらに、罪深さを徹底して露悪的に描き切ることで、ある種の浄らかささえ感じさせるカタルシスの瞬間が、そこに現出する。

そもそも暴力や性的なシーンがまったく見られないという人でなければ、ぜひ観てみてほしい、強くお勧めできる映画だと思う。マニエリスムからバロックあたりの西洋絵画が好きな人も楽しめるのではないかと思う。

 

書き始めたらなんだかんだでそれなりに書いてしまった。今後またこの種の映画で印象的なものがあったら書いていきたい。

「映画を読む」ということについて

このブログを始めて三か月が過ぎて、記事もいくつか書いてみて、なんとなく自分なりの原則というか指針のようなものができてきたような気がする。ブログのタイトルも登録時の「Filmreview」から少し前に「映画を読む」に変えたのだが、これは私が今後も映画について書いていく際のモットーのようなものになると思う。なので、それについて私自身のスタンスというか、考え方のようなものを、簡単に書いておきたい。

 

読まれるものとしての映画、現実の映し絵としての映画

映画というものは、特定の時間と場所で、特定の条件下で制作される。そこに描かれる内容も、またそれを表現するための技術や方法も、特定の歴史的条件に制約されている。それは逆に言えば、映画のなかには、ある特定の歴史的文脈で生じた諸々が織り込まれているということでもあるだろう。ある映画におけるテーマやコンセプト、或いはその映像や音楽は、その時代その場所そのコンテクストを含みこみ、映し出しているのだ。

もちろんそれは、当時の歴史そのものではありえない。映画製作者による事実の捻じ曲げや単純化、特定のイデオロギーや思想の投影といったことも、映画のうちではしばしば生じている。さらに言えば、20世紀文化産業の申し子たる映画は、商業的な利害関係と無関係に制作されるものではなく、興業上の成否もまた映画の内容に反映されている。映画は決して、純粋に現実を知覚するものでも、利害関心から自由なものでもない。

重要なのは、このような捻じ曲げや投影、利害関係の反映それ自体もまた、やはり時代の産物だということだ。端的に言って、映画はその時代の写し絵であり、その映像のうちには——意識的にであれ無意識的にであれ——多彩なものが織り込まれている。このイメージの織物からは、ある種の時代の写し絵を読み取ることができるだろう。「映画を読む」と私がいうときの映画とは、このような意味での読みもののことだ。

 

…以上のことはもちろん、あらゆる芸術作品に共通することではあり、映画にのみ言えることではない。それでも映画に特有なことがあるとすれば、それは、映画が20世紀という時代の産物であるということだろう。

映画技術それ自体は既に19世紀に生まれているが、映画が実際に人々の間に広がり、良くも悪くも一大文化産業となり、それを作る人々や鑑賞する人々の生活を左右するようなものになっていったのは、20世紀のことだ。20世紀という時代はそれ自体決して一義的なものではないが、それでもそこには今の私たちの生活世界とある程度まで連続した近代性、社会性があり、そのことが映画制作をも規定している。

21世紀に入っても、今のところは、映画はその存在感を失っていないように見える。今後どこまで映画という表現メディアが生きていくのかはわからないが、少なくとも現時点では、映画は、20世紀から21世紀という時代——近代から現代と呼ばれる時代——における諸々のイメージを写し取るものとして機能しているように思える。この意味で、「映画を読む」ということは、同時に、我々の生きている今に連なる時代を読むということでもあるだろう。

 

映画を「読む」ということ、その制約

ところで「映画を読む」というそのことは、映画の筋や内容、あるいはその映像を、単に客観的に叙述するということではないだろう。というのもそこには、イメージを「読む」というある種主観的な行為が介在するからだ。目や耳を通して知覚したものを、理解し、考え、解釈する、というプロセスを経て、私ははじめて映画について何かを書くことができる。

このプロセスは、少なくとも私にとっては、テクストを読み、それについて何かを書くことと似たような作業だ。読むという作業において私は、テクストのうえに織り込まれたものに依拠するわけだが、しかしテクストに書かれている文字を手掛かりにして、直接には書かれていないことまでをも考えることができる。例えば時代背景や筆者の意図を考慮することができる。さらには書かれている文字やその布置関係が——ときには筆者の意図を超え、またときには筆者の意図に反して——どのような解釈可能性を開いているかを、読み込むこともできる。映像だけでなく、言葉や音から成る映画のイメージ群もまた、このようなものとして「読む」ことができるのではないかと思う。

この「読む」という作業は、読みものとしての映画に依拠するものであると同時に、読み手にもかかっている。つまり読み手である私のもっている知識や経験によって、読まれ方は大きく変わってくるだろう。同じ映像を見ても、それをなんとも思わない者もいれば、そこに重要な解釈契機を見る人もいるだろう。

もっとも、読まれるものたる映画が歴史的・社会的制約のなかにあるのと同じように、読む者たる私もまた、ある特定の歴史や社会のコンテクストの中に——望む望まないとにかかわらず——巻き込まれている。日本で生まれ日本で育ち、ある程度年をとってからたまたまドイツで勉強することになった私がドイツ映画を観るまなざしは、たとえばドイツで生まれヨーロッパを出ることなく育った学生とは違うだろう。或いは生まれ育ちの状況は似ていても、映画に関してはまったく違う見方をするということはしばしば生じる。時代や場所、知識や経験に制約された一個人として、たまたま観ることになった映画を読み、その感想や印象を文章に定着させていくということ、私にできるのはこれ以上のことではない。

もっともこれは、決して恣意的な思い付きとは違うものであると思っている。「読む」ことは、その映画とその鑑賞者だからこそ可能になる特殊な事柄であるとは思うのだけれど、そこには同時に、個人的な感想に還元できない何かしらの質がかかっているはずだと思う。私は、今の自分にできる範囲でではあるが、ある種の質を担保できるような映画の読み方ができればいいと思っているし、その質を伴った感想や印象を反映した文章が書くことができれば、と思っている。

 

私の「読み方」について

最期に少し私自身のことについて。

私はどうも、量をこなすということが苦手な人間のように思う。いわゆる「遅読」というやつで、本を読む際、流し読みしようと思いながらページを繰っていっても、読んでいるうちにだんだんとそれができなくなっていき、メモをとったり書き込みをしたりして、読み終わるまでかなりの時間を要してしまう。だから量がこなせない。さらに言えば、ある作家がいつどこで何を書いたかとか誰と友人だったかとか、或いは本の概要がどうだったかとか、そういう基本的な情報を覚えることも苦手だ。すぐ忘れてしまい、読んだ時の印象だけがぼんやりと残る。

このことは、私の映画の観方にもあてはまる。私は自分のことを「映画好き」と自称することが苦手なのだけれど、それもこの点に関係する。私の知る限り、いわゆる「映画好き」の人たちは本当に大量の映画を鑑賞しているし、監督や俳優のこと、映画にまつわる賞のこと、映画史や映画理論にまつわる諸々のことを本当によく知っている。或いは映画技法や音楽、制作過程について体形的な知識を持っている人もいるだろう。私自身その種の情報を読む際には面白く感じるし、そういうことをよく知っている人をうらやましいとも思う。しかし私はどうもその能力が弱いようで、映画もそこまでの量をまとめて観られないし、映画に関する情報を記憶のなかに保存しておくことができない(このブログ上に出てくる細かい情報などはその場で調べて書いたもので、私のなかに定着しているものとは言い難い)。この点に関しては引け目を感じてもいる。

そういうわけで、私の映画の読み方というのは、或いはそれに関する文章の書き方というのは、どうしてもその時その時に観た映画に定位する、というものになる。ある特定の映画の鑑賞を通して読み取ることができたものが、文章の基本になる。監督のスタイルの変遷とか、映画史的な問題設定とか、技法的な問題とかは、書ける範囲では書きたいけれど、それについて私は、おそらくそこまで実のあるものは書けないように思う。私はそれについて専門的に勉強したわけでもないし、情報としての知識もない(いつか時間ができれば、一度ちゃんと勉強したいとは思っているのだが)。だからこの点を求める人にとっては、私が映画について書く文章というのはあまり読み甲斐のないものかもしれない。

ただそれでも、私なりに映画から読み取れたものを、私なりに知っている事柄と関連づけつつ文章に定着していく、という作業はしていきたいと思っている。現実の映し絵として映画を読むという方針からも、また私自身がこれまで勉強してきたものとの関係でも、私が何かを書きたいと思う映画は、どうしても近現代ヨーロッパ、とくにドイツの文化や社会に関するものが多くなってしまいがちで、そのことは少し一面的だなとは思うのだが(逆にすごくよいと思った映画でも、うまく印象や感想を言葉にすることができず、また印象や感想を文章に定着させる十分な手掛かりもなくて、記事が書けないということがあるので、それは残念なのだけれど、さしあたっては仕方がない)。

願わくは、映画について、ある種の質を伴った印象や感想をそこに反映したような文章を書ければとは思っている。もっともそれは半分以上、自分自身のためのものではあるのだが(その時の印象や感想を忘れないように、そのとき考えた事柄をあとで思い出すよすがになるように)、自分が書いたものを、たまたまここに辿り着いた誰かに読んでもらえれば、それは端的に嬉しいことだ。そして万一そこから何かを感じたり考えたりしてもらえたならば、それ以上のことはないと思っている。

今後も少しずつ更新していければと思っているので、もし時間と関心があれば、よろしくどうぞ。

読まれる過去の夢、現前する感情、交錯する空間と時間(ルート・ベッカーマン「夢のなかにいた者たち」/Ruth Beckermann "Die Geträumten" 2016年)

ルート・ベッカーマン「夢のなかにいた者たち」(Ruth Beckermann "Die Geträumten" AT 2016)を鑑賞。本作は、オーストリアの映画祭Diagonale 2016にて最優秀映画賞を獲得している。

ベッカーマンは、ユダヤ系オーストリア人という自らのルーツを主題にしたドキュメンタリー映画を長年にわたって制作してきた監督。ちょうど今月、近所で彼女の映画特集が組まれており、本作の上映のあとには監督ベッカーマンと脚本を手掛けたイーナ・ハルトヴィク(Ina Hartwig)とのトークセッションがあった。監督は独特の雰囲気と存在感がある人で、オーストリア訛りのドイツ語ではっきりと話すその語り口は聞きやすいのだが、話す内容は奥行きがあって引き込まれるものだった。今月はまだいくつか彼女の映画を上映するようなので、この機会にいくつか観られたらと思う。

 

おおまかな感想、印象

この「夢のなかにいた者たち」は、監督自身の言葉を借りると、ある種の「実験」映画なのだという。つまり、過去に属する文学的・詩的な語りが現代を生きる若者にどう作用するのかを、また過去の言葉が持つ詩的な力が特定の時代の制約を超えてそれを読む者にどのように働きかけるのかを観察し、記録した映画だというのだ。

映画の内容をあえて一言でいってしまうと、過去の二人の詩人——パウル・ツェランとインゲボルク・バッハマン——の間で交わされた書簡を、一組の若い俳優-——Laurence RuppとAnja Plaschg——がラジオ局の一室で何日間かにわたって朗読していく、というそれだけのものだ。特定のロケーションで再現された歴史的場面の映像もなく、もっと言えば演技のために誂えられた舞台装置さえない。用意されたのは、ラジオ局の一室、一組の録音装置、そして読まれるべき書簡集のテクスト、さしあたってはそれだけだ。冒頭と末尾で詩人たちに関するごくごく短い説明のテクストが提示されることを除けば、上映時間89分のほとんどが、一組の若い俳優が数日間にわたってマイクロフォンの前で書簡を読み上げていくその様子と、彼らの休憩や食事の様子とで、構成されている。

…このように書くと、何が面白いのかと思われてしまうかもしれない。実際この映画の内容といえば、若い俳優たちが詩人たちの書簡を読むというただそれだけしかない。しかしそれにもかかわらず、スクリーンのうえの映像群は、きわめて洗練されていて、印象深く、儚くも魅力的なものだった。この魅力は、読まれたテクストそのものから来るというよりもむしろ、テクストに書き込まれた詩人たちの感情の揺らぎと、それを読むことによって生じた俳優たちの感情の揺らぎとが交錯する、その空間と時間にこそあったように思う。

一方では、書簡に織り込まれた詩人の感情が、愛の喜び、断絶の嘆き、いらだち、嫉妬、失望や絶望までが、読むというそのことによって現前させられる。他方では、俳優たちが、自ら読み上げる言葉の波に入り込んでいき、笑顔を見せ、涙を流し、沈んでいく。手紙に書き込まれた過去の夢を読むことによって生じた揺らぎは、朗読という場を離れてなお、現在を生きる俳優たちの時間と空間に一定の響きを残すことになる。

過去と現在の交錯を現前させる映像群から、私自身、だんだんと目を離すことができなくなっていった。それどころか、手紙の記述が詩人の生の終わりを感じさせるものになっていったとき、この交錯が、この映像が、この空間と時間が、もう少しだけ続けばよいのにとさえ思わされた。しかし書簡は終わり、映画の幕が閉じられた。

 

ツェランとバッハマン、「夢のなかにいた者たち」

戦後のドイツ語圏文化を代表する詩人パウル・ツェラン(Paul Celan, 1920-1970)とインゲボルク・バッハマン(Ingeborg Bachmann, 1926-1973)の手紙のやり取りは、1948年から1967年まで、およそ20年に渡った(彼らの書簡集は2008年になって編集・出版され、それがこの映画の着想のもとになったとのこと)。もっとも、彼らの手紙は、さらに言えば彼らの関係それ自体は、幾度もの断絶を挟んだものだった。

彼らは1948年にウィーンで知り合い恋人同士となったが、チェルノヴィッツ(当時はルーマニア、現在はウクライナ)生まれのツェランはそれからすぐに祖国の共産主義政権から逃れてパリに亡命してしまったし、バッハマンも1953年以降イタリア、ドイツ、スイスと住居を転々とする生涯を送った。またツェランは1952年にはデザイナーと結婚しているし、バッハマンも1958年から作家マックス・フリッシュと緊密な恋愛関係を始めている。1950年代後半にはパリにおいて恋愛関係が再燃したこともあったようだが(その際には彼らそれぞれのパートナーも巻き込まれたようだ)、彼らの間にはほとんどいつも地理的な距離が存在していた。

さらに両詩人の間には、自らのルーツにかかわる断絶もあった。ドイツ系ユダヤ人であるツェランは、第二次大戦中には両親とともにゲットーに移住させられており、両親は収容所で命を落としている。対してオーストリア生まれのバッハマンの両親は戦時中にナチス党に属していたのだという。バッハマンはこのことについて直接的に話すことは好まなかったようだが、いずれにせよ、二人の間には、歴史によって規定されてしまった、自分自身ではいかんともしがたい精神的な断絶もまた存在していたようだ。

しかしこの地理的な距離や精神的な断絶にもかかわらず、また直接的な恋愛関係それ自体はさほど長く続いたわけではないのにもかかわらず、二人の詩人の手紙のやり取りは——時に大きく間を開けながら——20年にわたって継続された。むしろ彼らの間に決定的な断絶があったからこそ、彼らの関係は単なる恋愛関係として終わらず、彼らの言葉が書簡という形で記録されることになった、という側面もあるかもしれない。この映画のなかで朗読されるのは、この二人の書簡から抜粋されたテクスト、それ自体きわめて詩的な表現に富んだテクスト群である。その文章のなかには、二人の詩人の感情の揺らめきが繊細に織り込まれている。愛の喜びも、断絶の嘆きも、悲しみも、苛立ちも、嫉妬も、失望も、絶望も。

映画のタイトル「夢のなかにいた者たち」(Die Geträumten)は、バッハマンの手紙の中の「私たちは、ただ夢の中にいただけだったのかしら?」(Sind wir nur die Geträumten? 直訳すると「私たちは、夢見られた者たちでしかないのかしら?」)という問いかけから来ている。彼ら二人にとって、夢のなかのような幸福に満ちた時間は決して長く続くものではなかった。しかしそれでも彼らは、かつて夢のなかにいた自分たちの思いを拠り所にして、断絶を挟みつつも、関係を継続し、文字を介して互いの思いを交錯させ続け、感情を織り込んだ言葉を記録していった。

 

二人の俳優によって読まれる過去の夢、現前する感情

映画中で書簡を朗読するのは、二人の若い俳優である。ツェランの手紙を読み上げるのは、細見でどこかひょうひょうとした雰囲気のあるLaurence Rupp(監督曰く、詩人たちと同じオーストリア訛りのドイツ語を話すイメージ通りの俳優を見つけるのに苦労したそうだ)。バッハマンの手紙を読むのは、中性的だが、表情豊かな目を持つAnja Plaschg(彼女はSoap&Skinという名前で音楽活動もしているとのこと)。あえて言ってしまえば、二人は、どこにでもいそうというか、その辺を歩いていてもおかしくないような一組の若者だ。彼らは、ツェランやバッハマンについて予備知識もなかったという。読まれるテクストこそ事前に渡されたそうだが、詩人たちが書き込んだ書簡の言葉は、彼らが日常で話す言葉とは異なったものだ。この書簡の言葉だけを頼りにして、なかば即興で、彼らは詩人たちの過去の夢を朗読することを始める。

マイクロフォンの前に立たされ、書簡の抜粋を朗読していくなかで、彼らの表情は、詩人たちの言葉に呼応して変化していく。柔らかな喜びが、痛ましい悲しみが、クローズアップされた彼らの表情に繊細に浮かんで、また次の表情へと移行していく。彼らは体の身振りを使ったいわゆる「演技」は一切しないが、ときにはマイクロフォンの前で、ときには椅子に座ったままで、さらには床に寝転がって、書簡を朗読していく。ときに視線を交わし、またときに目元に涙が浮かばせる。この表情の変化それ自体、どこまでが「演技」でどこまでが「自然」であるのか、観る者にはわからない。いずれにしても彼らの表情——顔の表情と、声の表情——は、彼らによって読まれた過去の夢を、そこに織り込まれた詩人たちの感情を、印象的な仕方で、現前させていく。

 

過去と現在が交錯する、空間と時間

この「実験」映画に独特のアクセントとリズムをもたらしているのは、朗読の合間合間の休憩や、或いはラジオ局を出ての食事やコンサート訪問の映像だった。撮影がなされたラジオ局の玄関口で、二人は煙草を吸いながら、とりとめのない話をする。趣味の話や、タトゥーの話。また二人は、彼らが読んでいる書簡について、書き手たる詩人たちが何を思ってこの文章を書いたのかを話し合う。少しだけ、ほんの少しだけ彼らを取り巻く空気が変化していっているような気もするが、それは決して劇的なものではない。実際のところその変化は、彼らが読んでいるテクストとは何の関係もなく、ただ若い二人が数日を一緒に過ごして親密になっていったというただそれだけのことなのかもしれない。しかしいずれにしても、書簡の朗読の合間に提示される俳優たちの何気ない会話や振る舞いと、読まれていく過去のテクストとの間には、独特の布置関係が構成されていく。

個人的にもっとも印象的だったのは、休憩の間に二人が床に寝転がり、Ruppがスマートフォンで音楽を流し、それを聴きながらPlaschgが腕や指を動かしているのを、遠目から撮影した映像だった。もう日も暮れていて、部屋と部屋を区切るガラスに室内灯が反射し、どこまでが彼らのいる空間でどこからが別の空間なのかの境目が曖昧になっていて、撮影スタッフらしい人物がぼんやりと画面に映りこんでさえいた。さらにそこには、さっきまで読まれていた——そしてまたその後でも読まれるであろう——詩人たちの過去の夢の言葉も、響いていたのかもしれない。疲労感と親密さが入り混じり、境界線が見えなくなった、ゆるやかな空間と時間。それはとても心地のよいものであるとともに、束の間のものでもあった。

読み上げられる手紙の日付が進んでいくにつれて、少しずつ、過去と現在が交錯するこの空間と時間もまた、終わりに近づいていることが予感されてくる。この映画の終盤に私は、まだもう少し、もう少しだけ続いてくれはしないかと思いながら、映像を眺めていた。しかし読まれる文章のトーンは変わっていき、詩人たちの関係の終わりを、それどころか彼らの生の終わりをも、意識させるものになっていった。やがて二人のあいだに、満足な返信がなされなくなる。最後の文章が読み上げられる。映画は終わる。この時間と空間も終わる。小さな、しかし忘れることのできない残響とともに。

1933年のキングコング。美女に殺される怪物よりも恐ろしいものの影(「キング・コング」/"King Kong" 1933年)

ある意味では時代にのって、そしてある意味では時代に逆行して、メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック「キング・コング」(Merian C. Cooper, Ernest B. Schoedsack "King Kong" US 1933)を鑑賞。ちなみに最新版の「キング・コング」はまだ観ていない。

 

簡単なあらすじ

映画監督と急きょ選ばれた主演女優アンは、撮影のために映画クルーとともに船で伝説の「髑髏島」(Skull Island)へと渡る。髑髏島に上陸すると、島を区切るように築かれた高い壁の前で集まった原住民たちが儀式をしており、壁に設えられた扉に若い女性を捧げ祈っている。その儀式を撮影しようとした映画クルーを見て激怒した原住民たちは、やがて女優アンを捧げものにしようと迫ってくる。いったん船まで退却したクルーだったが、その夜、アンは原住民たちにさらわれてしまう。アンがいないことに気付いて慌てて島の壁へと向かうクルーだが、扉に着いたときに彼らが目にしたのは、髑髏島の主である大猿キング・コングが捧げものにされたアンをご満悦で連れ去っていく姿だった。森のなかに姿を消したコングを追って、クルーたちは島のジャングルへと分け入っていく。

ジャングルのなかでは、太古の恐竜を思わせる巨大な怪物が跳梁跋扈しており、クルーたちは苦戦する。大半が命を落とすなか、アンに恋をしていた船員がコングの住まう谷までたどり着き、命からがらアンを救い出すことに成功する。お気に入りのアンを奪われて激怒し、人里まで下りて暴れまわるコングに対し、映画監督はガス爆弾を投げつけ意識を失わせる。失神した大猿の化け物を見て彼は、ニューヨークまで連れて行って見世物にすることを思いつく。

ニューヨーク、ブロードウェイの劇場、堅牢な手枷足枷をつけられたコングは、着飾った聴衆の前で「キング・コング」として見世物にされる。当初は大人しくしていたコングだが、せわしなく焚かれるフラッシュの光に興奮し、桎梏を引きちぎって脱走してしまう。多くの建物や高速道路を破壊しながらニューヨークの街を暴れまわるコングは、やがて高層ビルのなかに隠れていたアンを見つけ出し、彼女を伴ってエンパイア・ステート・ビルに登る。しかしコングは、かけつけた空軍部隊の射撃によって傷を負い、そのまま地上へと墜落して、命を失う。そこに駆け付けた監督が一言、「怪物を倒したのは銃弾じゃない。怪物を殺したのは美女なのさ」。

 

怪物が美女をさらう、というモチーフ

言うまでもなくこの映画は大猿キング・コングをめぐる怪物譚であるが、ドイツ語のタイトル「キング・コングと白人女性」("King Kong und die weiße Frau)が示しているように、キング・コングが美しき女性アンに恋をし、彼女を島の奥深くへとさらってしまう、というのが話の軸をなしている。この意味でこの「キング・コング」は、怪物譚の王道の一つともいえる「怪物が若い女性をさらう」物語の原型でもあるだろう。

また、先日訪れた展覧会でたまたま知ったのだが、ゴリラそれ自体が19世紀になってようやく正式に「発見」されたものだそうで(まあ例によって欧米の学者からすると、ということなのだろうけど)、その当時からゴリラは野生的男性本能の象徴のような描かれ方をされていたとのこと。この「キング・コング」のイメージは、その一つの結晶でもあるようだ。

それにしても映画中のキング・コングの所作や表情には、その圧倒的な肉体の暴力性にもかかわらず、少なからず愛嬌を感じさせるものがある。泣き叫び気絶するアンを大事そうに手の平につつみこむコングには、どこかいじらしささえ感じてしまう。

もっとも、コングが暴れまわる特撮それ自体は、時代の制約にもかかわらず様々な工夫を持って表現されていて、なかなか迫力あるものになっている(今観ても飽きさせるものではなく、一見の価値があると思う)。その意味で、コングの描かれ方が怖くない、というわけではない。しかしそれにもかかわらず、物語の最後まで美女を追いかけまわしたすえに無残に命を失ってしまうコングは、どこか徹底的に恐ろしいものにはなりきれないような、観る者に同情の気持ちをおこさせてしまうようなところがある。そもそも彼は、暴れるためにニューヨークくんだりまで来たわけではないのだ。

 

キング・コングよりも恐ろしいもの

映画を観ていてよっぽど恐ろしいものに感じたのはむしろ、コングを捕えて見世物にしようと意気込む映画監督の方だ。自分が連れてきた映画クルーの大半が命を落としているにもかかわらず、ガス爆弾で失神した大猿を見てなによりもまずブロードウェイでのショーのことを考えられる彼の方が、ただ自分が気に入ったものを奪われて暴れるだけのコングよりも、よっぽど残虐で悪徳を感じさせる人物に描かれている。

そして実際にコングは、ただ見世物にされるというそのためだけに檻に閉じ込められ、両手両足に枷を付けられ、聴衆の前に放り出され、フラッシュの閃光に晒される。興奮して脱走し、好いたアンを見つけ大事そうに抱えてエンパイア・ステート・ビルに登るコングは、どこかいじらしく哀れでさえある。そして最終的には空軍の集中砲火をうけて落下し絶命してしまうコング。それを見て「怪物を殺したのは美女なのさ」などとどや顔でのたまうことができる監督の無責任さと無神経さの方が、コングよりもよっぽどおぞましい。特撮フィクションであることを差し引いても、そもそもあなたが連れて来なければ…と苦笑いをしてしまう。

監督のこのおぞましいまでにエゴイスティックな描写は、さすがに意図的になされたものだと思うのだけれど、どうなのだろう。原住民との対峙からコングのショーに至るまで、聴衆に受けそうなものを求めるという彼の一貫した行動原理は、ある意味では映画産業の行動原理を象徴してもいる。この意味で、この「キング・コング」という特撮映画は、映画そのものが孕む暴力性、大衆の耳目を集めるためには犠牲をも厭わない映画産業の暴力性を(おそらくは意図的かつ自嘲的に)可視化しているものなのではないかとも思う。

あるいはまた、キング・コングを、文明化や近代化の手が加わっていない「がゆえに」文明化・近代化された枠組みのなかで賞賛される作られた原始性の象徴だとして理解することもできるかもしれない。さらに言えば、コングが人間の美女にああまで——自分の命を失うまで——執着するこの物語には、原始性もまた文明化された「美」に抗えないだろうという産業文化のナルシシズムが読み取られうるかもしれない。いずれにせよこの映画は、キング・コングそのものの破壊の暴力性よりもむしろ、その描かれ方が印象に残るものだった。

 

さらに恐ろしいものの影

そしてもう一点。物語のクライマックス、エンパイア・ステート・ビルに登って暴れるキング・コングの姿を見ていて、どうしても連想してしまうものがあった。それは2001年のニューヨーク同時多発テロの映像だ。もちろんそこには、ニューヨークの超高層ビルというだけしか共通点がないので、これは私一個人の連想以上のものではないかもしれない。しかし超高層ビルから落下し絶命するコングの姿に、私は無意識に、あの9月11日の映像を重ねてしまった。しかしコングはしょせん、追い立てられるように高層ビルに登りはしたものの、射撃をうけて落下してしまった存在でしかない。むしろ人間の技術の産物である航空機こそが、現実において超高層ビルを崩壊させ、多くの人の命を奪うことになってしまった。おそらくはこの連想も、キング・コングが根本的に恐ろしいものに感じられない理由の一つだったように思う。

ついでに言うと、この映画の公開は1933年、ドイツでかの国家社会主義が政権をとったその年だ。ご存知の通り、それにつづく戦争の月日は、当時における最高度の人間技術をもって、最高度に非人間的な残虐と暴力が展開された日々だった。これも私一個人の連想に過ぎないかもしれない。しかしなんにせよ、現実の破局に比べると、この映画におけるコングの原始的な暴力は、どこか牧歌的なものにさえ見えてしまう。それよりもよっぽど恐ろしいものの影が、映像の内外に、ちらついていたのだ。