映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

宇宙開発時代の啓蒙の弁証法、もつれ合う文明と野蛮、そして神話(スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」/Stanley Kubrick "2001: A Space Odyssey" 1968年)

スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」(Stanley Kubrick "2001: A Space Odyssey" GB/US 1968 141 Min. 70mm.)を鑑賞。

 

あらすじ

映画は、謎の物体モノリスと触れ合った類人猿が、大型動物の骨を道具として用いるようになるシークエンスから始まる。覚醒した類人猿が空高く放り投げた骨は、数千年後の宇宙に漂う人工衛星へと切り替わり、宇宙開発時代の物語が始まる。1999年、あるアメリカの調査団が月面探索を行った際、太陽光を浴びたモノリスが木星に向け強い信号を発する。それから18ヵ月後の2001年、人工知能HALを搭載した宇宙船ディスカバリー号が木星探索に向かう。その途上、船長ボーマンら乗組員たちは、HALに違和感を覚えるようになる…

 

※公式トレイラー。日本語字幕版。

www.youtube.com

 

宇宙開発時代のSF映画と文明論

今年2018年はキューブリック「2001年宇宙の旅」公開から50周年ということで、夏の間に近所の映画館でも特集が組まれていた。おかげでこの映画の70ミリ版を鑑賞できたほか、特集に合わせて上映された60年代後半から70年代にかけてのSF映画をいくつかまとめて観ることができた。

この時期に宇宙を舞台にした映画が多く製作された背景にはもちろん、冷戦の対立構造から激化した宇宙開発競争があるだろう。実際この時代には、人類が宇宙へ進出していくというそのことが、それまでとは比べものにならないほどのリアリティをもった事態に思われたにちがいない。そしてそのような意識の下では、宇宙を舞台にしたSF映画も、単なる空想の産物というより以上に、もしかしたら現実になるかもしれない未来を描き出すものとして制作されたことだろう。このことは、この時期のSF映画の質にも如実に反映されているように思う。

私にとってとりわけ印象的だったのは、60年代から70年代にかけての宇宙開発をモチーフにしたSF映画が、ある種の文明論、人間論としての側面を強く持っているという点だ。それはおそらく、宇宙への進出やそのための技術を考えるというそのことが同時に、地球という星やそこに生きる人類を——あるいは現代という時代を——相対化して捉え直すというそのことにつながったからではないかと思う。いま地球に人類が生存しているというその事態は、宇宙という視点と尺度を持ち出すことで、かつてそうであったように唯一のものとは思われなくなる。そしてそのことが、地球の上にある人類やその文明にも、反省的な眼差しを注ぐことにつながる。

そのような文明論的反省の一つの結実といえるのが、フランクリン・J・シャフナー「猿の惑星」(Franklin J. Schaffner "Planet of the Apes"  US 1968)のペシミスティックな文明観だろう。この映画の物語は、文明の進歩はしょせん一過性のものでしかなく、いずれ来る崩壊や没落と隣り合わせのものでしかない、という世界観の上で紡がれているのだ。

 

宇宙開発時代の啓蒙の弁証法、文明と野蛮のもつれ合い

このペシミスティックな文明観と対照をなすのが、少し遅れて同年に公開された「2001年宇宙の旅」だろう。

この映画は、類人猿が道具を使うことに目覚め、それによって文明の第一歩が始まったことを示すシークエンスから始まる。そして道具の使用を知り覚醒した類人猿が空高く放り投げる骨は、印象的な映像の転換をもって、宇宙を漂う人工衛星の姿へと変じる。類人猿が使うことを覚えた道具は、何千年にもわたる啓蒙の過程を経て、宇宙を行き来することができるものにまでに進歩を遂げた。この転換によって映画は、きわめて洗練された映像技術とともに、文明の進歩の先端を描くことに自らの主題があることを告げるのだ。

もっともこの映画は、文明の進歩を単に手放しに賞賛するものではない。野蛮から身をもぎ離そうとする文明の進歩はいつも、暴力的な野蛮の増大へと転落する危険性を孕んでいる。文明と野蛮とのもつれ合いとしての啓蒙の弁証法*1は、この映画「2001年宇宙の旅」を最初から規定している。文明の歩みを始めた類人猿が手にした道具によって最初に行なったのは、敵対する部族を決定的に殴り殺すことだった。道具の使用は、素手や牙ではなしえなかったほどに徹底的に、破壊的に、生命を粉砕することを可能にした。その最初の一歩からして、文明と野蛮は、表裏一体であったのだ。

このことは、宇宙開発時代においても繰り返される。この映画における最先端の道具は、宇宙船を統括する人工知能のHALだろう。宇宙船ディスカバリー号を管理する役割を担うHALは、宇宙開発という人類の目的を達成するために開発されたものであるはずだった。しかしHALが志向する全面的な管理は、それ自体で自立化し、人間に仕えるよりもむしろ人間を支配することを目指すようになる。そして挙句には、支配に従うことのない乗組員たちの抹殺を自らの任務と見做すに至る。

HALの暴走をめぐる一連のシークエンスをもって、映画は、宇宙開発時代の啓蒙の弁証法の軌道を描く。そこでは道具の進歩が、逃げ場のない全面化した虐殺に転化する。最高度の人工知能という先鋭化された道具において、文明と野蛮は、再びもつれ合うのだ。*2

 

形而上学的原理としてのモノリス、「超人」への覚醒という神話的モチーフ

しかし映画は、ぎりぎりのところで、道具による全面的支配から逃れようとする人間の姿を描き出す。そして興味深いことにこの映画は、文明の進歩のさらなる決定的な一歩を、ある種の形而上学的原理とともに示唆しようとする。

この映画における形而上学的原理を表すのは、超生命体モノリスだろう。物語のそもそもの最初からモノリスは、進化を引き起こす超常原理の象徴として登場している。道具の使用という文明の一歩を踏み出した類人猿の覚醒も、もともとはモノリスとの交信によって引き起こされたものだった。そして首の皮一枚のところでHALの暴走から逃れた船長ボーマンもまた、モノリスとの交信を通して、既存の人類を超えた存在へと転換していく。

文明の最先端、文明の進歩と野蛮の暴力が先鋭化されて交錯し合った宇宙船のただなかで、一人生き残ったボーマンのモノリスとの交信は、人類の新たな覚醒を引き起こす。映画の全体を通して幾度も演奏されるシュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」は、既存の人類を超えていくものとしての「超人」のモチーフを、繰り返し提示しているのかもしれない。ボーマンの覚醒は、既存の知覚の次元を超えて行くような映像表現を伴って表現される。こうして新たな次元での人類の誕生を示唆しながら、映画は幕を閉じる。

モノリスという形而上学的原理によって引き起こされる覚醒と進歩というモチーフは、もちろんそれ自体きわめて神話的なものだ。宇宙開発時代においてまで続く文明と野蛮とのもつれ合いを描き出した本作が、文明の崩壊への決定的な転落を回避するためにモノリスによる超人への覚醒というきわめて神話的なモチーフを持ち出しているというこのことは、注目に値することかもしれない。文明の暴走の極端化に対する拠りどころを神話に求めるというのもまた、啓蒙の弁証法の一つの軌道であるのだ。この映画の魅力と怖さは、まさしくこの軌道を正確に辿っているというところにあるのかもしれない。*3

*1:一応断っておくと、このあたりの表現は、アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』から借りている。

*2:この映画の原題が「2001年:宇宙のオデュッセウス」("2001: A Space Odyssey")であることは、本記事のテーマからすると興味深いことに思われる。というのも『啓蒙の弁証法』において文明と野蛮が錯綜する最初の物語として読み解かれたのが、他ならぬオデュッセウスの神話であるからだ。まさしく「2001年宇宙の旅」は、文明と野蛮の交錯の物語を宇宙開発時代に変奏しているという点で、「宇宙のオデュッセウス」の神話であるのだ。

*3:この記事の主題からして興味深いことに、「2001年宇宙の旅」の数年後に公開されたタルコフスキーの「惑星ソラリス」(Andrej Tarkovskij "Soljaris" UdSSR 1972)もまた、文明の進歩の一つの軌道を描いている。この映画では、文明の進歩としての宇宙開発が袋小路に陥り、それに携わる個々の人間が自らの内面の記憶に囚われる姿が描かれている。「2001年宇宙の旅」における進歩の神話と対照をなすかのように、「惑星ソラリス」は、文明がどこまで進んでもそこに生きる個々人は過去の記憶に囚われ続けることを——その意味で人間性の本質的な進歩などは起こりえないことを——記憶を可視化する惑星ソラリスというそれはそれで神話的なイメージと共に描いている。

感性の帝国が刹那的であることは、外なる現実との対照において際立せられる(大島渚「愛のコリーダ」/Nagisa Ōshima "L'Empire des sens" 1976年)

大島渚「愛のコリーダ」(Nagisa Ōshima "L'Empire des sens" JP/FR 1976 102 Min. Blu-ray オリジナル+英語字幕版)を鑑賞。

 

あらすじ

1936年、東京中野の料亭「吉田屋」で、新入りの女中として働き始めた定。彼女は料亭の主人である吉蔵と恋仲になり、二人は互いの身体を求め合うようになる。そのうちに定は料亭を辞め、吉蔵と連れたって待合旅館を転々とするようになる。待合の部屋に閉じこもって生活する二人は、芸者を呼び遊興にふけ、時間と体力の許す限り情事を重ねる。次第に吉蔵の肉体への執着を強めていく定は、情事の最中に吉蔵の首を絞めることに喜びを見いだすようになる。できる限り定の望むことを受け入れようとする吉蔵だが、その身体はだんだんと生気を失っていく…。

 

※英語字幕付きのトレイラー。ここでは直接の性的シーンは映っていない。

www.youtube.com

 

極端化した愛欲がたどる軌道、転がり落ちる破局のリズム

基本的には、阿部定事件という実際の出来事を題材にしつつ、極端化した愛欲の軌道をおった映画だ。好いた人のすべてを自らの手の内に握りしめていたいと欲する定と、好いた人のすべてを受け入れたいと欲する吉蔵。抑制のきかないラディカルな性のあり方をもつ二人が、性の高まりとその永続を求めながら、破滅へと転がり落ちていく。

この「愛のコリーダ」に関しては、しばしばその極端な性描写が話題になる。私が観た版は修正もカットもないもので、たしかに性的シーンは映画としてはきわめて直接的であからさまなものだった。男女ともに局部のアップも多く、またどう見ても実際に性交を行っている。そのため、映像上の性描写にそこまで慣れていない者にとっては、スクリーンに映し出される扇情的な性描写の直接性そのものが、この映画のそもそもの主題であるように思われるかもしれない。

とはいえこうした性描写によって描かれているのは、扇情を目指した性描写そのものというよりは、極端化した男女の性が転がり落ちていくそのプロセスであるだろう。二人の性は、お互いへの愛憎と混じり合いながらもつれあい、闘牛さながらに、破局にむけてリズムよく転がり落ちていく。「愛のコリーダ」という邦題は、破局に向かって転がり落ちていく性愛の軌道にこそ、映画の物語上の主軸があることを示しているだろう。*1

 

現実の帝国に背を向けた感性の帝国

とはいえ映画「愛のコリーダ」は、単に性愛の軌道を描くものに尽きず、どこか既存の社会との関連を指し示すところがある。それは単に、1936年の阿部定事件をモチーフにしているというそのことだけに由来するものではないだろう。映画のなかに配置された歴史的モチーフ——旭日旗を振る子供たちの姿や、生気を失った吉蔵を脇目に整然と行進する兵隊たち——は、たんに事件が起きたのが帝国主義時代の日本だということを指し示すだけのものではないのだ。

この点を考えるヒントは、映画のフランス語タイトル「感性の帝国」(L'Empire des sens)にあるだろう。このタイトルがロラン・バルトの日本文化論のパロディであることはさておき*2、この「帝国」という言葉は、1936年当時の日本の軍国主義の「帝国」を間接的に暗示するものでもあるだろう。

愛欲の世界に閉じこもり、性交をする以外になんの目的も持たない定と吉蔵の二人が作り出す感性的な快の「帝国」は、禁欲や規律を徳目として掲げた全体主義社会の「帝国」と対照関係をなす。この意味でこの映画で描かれる二人の寝室を、徹底的に物質主義的な快楽に拘泥するという仕方で現実社会の規律の圧力に抵抗する、反社会的な生のあり方として見ることができるだろう。

この対照関係をもっともはっきりと見出せるのは、映画の後半、情事の過剰に生気を失いふらふらとよろめくように歩く吉蔵の脇を、出征を控えた日本軍が整然と行進していくシーンだ。日本国旗や旭日旗に見送られて行進する軍隊の列から伏し目がちに視線を逸らすとき、吉蔵はあきらかに、彼らの愛欲の世界が——「感性の帝国」が——現実の帝国世界からの逃避において成り立っていることに気づいている。しかし彼はもはや、社会の秩序の中に戻っていく意欲を持っていない。彼にできることは、感性の帝国に閉じこもり、感性の世界の女帝である定の望みにどこまでも付き従うこと、ただそれだけなのだ。

転倒し内面化された社会の強制は、眼の前に提示されている感性の喜びを放棄するか、それにしがみつくかという、極端な二択を吉蔵に突きつける。もはや吉蔵には感性の喜びを受け入れる以外の選択肢がないのだが、しかし彼は、それがもはや喜びのていをなしていないことにも気づいている。極端化した性愛の軌道に、もはや彼の身体はついて行かず、定を肉体的に満足させることもできなくなっている。吉蔵は、感性の喜びが永続するものではなく、刹那的なものでしかないことを、知っている。それを知りながら彼は、感性の帝国とともに自らも破滅することを望むのだ。

 

感性の帝国が刹那的であることは、外なる現実との対照において際立たせられる

感性の喜びは、瞬間的なものであり、捕まえておくことができず、またいつも同じように動くものではない。たとえその瞬間瞬間では喜びの永遠性が誓われても、時間と共に変化していく。「末永く幸せに」あることを何度も謳い、定の望む通りに反応していたはずの吉蔵の身体も、やがて以前のような反応を見せなくなる。

もちろん定も、そのことには気づいている。しかしそれでも定は、吉蔵の男性性を、彼女に喜びを与えてくれるはずのものそのものを、物質的に手の中に握りしめ続けようと欲する。感性の帝国の女帝が手を下す最後の破局は、感性的なものを感性的な仕方で握りしめつづけようとする物語の論理に忠実なものであるとさえ言えるだろう。映画「愛のコリーダ」は、阿部定事件の結末を、このような性愛の論理の帰結として提示している。

定と吉蔵の「感性の帝国」は、社会との関連を拒否し続ける仕方での社会へのプロテストは、どうしたって持続することができないものだった。経済的な面でも、道義的な面でも、政治的な面でも、長続きすればするほど不純物が混じって、彼らの帝国が瓦解していくことは気づかれていた。仮に邪魔するものが何も存在しなくとも、彼らの身体は彼らが求める愛欲の過剰に耐えることができなかっただろう。この映画における、時間的にはほんのわずかなものでありながらも強いアクセントを残す現実のモチーフは、物質的な快の刹那性を際立たせるものとして作用する。感性的なものが刹那的であることは、外なる現実との対照においてこそ際立たせられるのだ。

*1:この観点から、以前記事を書いたペドロ・アルモドバル「マタドール」に本作とのモチーフ上のつながりを見出すことはできるだろう。この映画もまた、破局に向う極端な性のリズムと軌道を、闘牛になぞらえながら描いている。

*2:フランス語タイトル「感性の帝国〔あるいは「官能の帝国」〕」(L'Empire des sens)は、ロラン・バルトの1970年発表の日本論「表徴の帝国」(L'Empire des signes)を明らかに意識したものとして付けられている。この観点から大島の映画をバルトの日本文化論へのリアクションとして読み解くこともできるのかもしれない。

女性の幸せと男性の幸せ、意識の変化の兆しと設えられたハッピーエンド(パウル・マルティン「ハンドルを握る女」/Paul Martin "Frau am Steuer" 1939年)

パウル・マルティン「ハンドルを握る女」(Paul Martin "Frau am Steuer" DE 1939 84 Min. DCP.)を鑑賞。

 

あらすじ

舞台はハンガリー。ブタペストのドナウ銀行で事務員として働くマリアは、他の銀行で働くパウルからプロポーズを受ける。パウルは当初、マリアに家庭に入ってほしいと求めるが、彼女は今の仕事が好きだから結婚後も仕事を続けたいと主張する。そして二人の結婚式のちょうどその日、パウルが人員削減の煽りをうけて解雇されることになり、彼の方が主夫として家庭に入ることになる。その一方で相変わらず精力的に働いていたマリアだが、以前より彼女に好意をよせていた上司に対して彼女は、自分はまだ未婚で同居しているのは弟だと嘘をついてしまう。嘘をつかれていたことを知りプライドを傷つけられたパウルだったが、マリアの上司の計らいで、彼女と同じ銀行で——マリアの部下として——働くことになる。そこでパウルは、かつての銀行員としての経験を生かし、すぐに昇進していく。そしてついにマリアの上司となったパウルは、部下となった彼女に辞表を書くよう迫る…

 

※トレイラーは見つからなかったが、映画中のダンスシーンの動画が見つかった。物語そのものと強い関連がないままに提示されるエンターテインメント性の高いダンスショーは、当時の娯楽映画に多く見られる: 

www.youtube.com

 

女性の幸せと男性の幸せ、意識の変化の兆し

1920年代後半から30年代にかけて計12作もの映画で共演し、「ドイツ映画における夢のカップル」(Traumpaar des deutschen Films)と評されたリリアン・ハーヴェイ(Lilian Harvey, 1906-1968)とヴィリー・フリッチ(Willy Fritsch, 1901-1973)。彼らの最後の共演の場となった本作は、国家社会主義政権下で制作されてはいるが、直接的なプロパガンダは前面に出てはいないようにも見える。実際この映画は、特徴的な登場人物たちが軽快なテンポで織りなすコメディ作品であり、それ自体としては聴衆を楽しませる娯楽映画として鑑賞することができるものだ。

とはいえこの映画は、当時の女性が置かれた立場の幾分かを証言しており、そのドキュメントとして観ることもできる。この記事では、その点について書きたい。

まずもって、女性が職に就くということはもはや自明なことになっている。ハーヴェイ演じるマリアの職場の同僚や上司たちは女性社員の働きに満足しており、彼女たちも仕事に誇りをもっている。

その上で、女性が結婚後も仕事を続けるというそのことも基本的には望ましいこととして描かれている。フリッチ演じるパウルは、たしかに一度はマリアが結婚後も仕事を続けることに反対する。しかし映画において彼のこの言動は明らかに時代錯誤なものとして戯画的に描かれており、マリアの職場の同僚たちはむしろ彼女が結婚したあとも仕事を続けることを歓迎している。そしてパウル自身も、妻が家庭に入るべきだという古い考えには拘泥せず、彼女が仕事を続けることをすぐに認めるようになる。

それどころかこの映画は、女性が外で働き家計を支え、男性が家事をこなすという——古い常識からすれば逆転したものと見做されるだろう——家庭のあり方の可能性をも提示している。職を失い——今でいう「主夫」として——家事に専念するパウルは、当初は隣人から奇異に思われながらも、持ち前の要領のよさから快適な家庭生活を支えるようになる。使用人と共に食事を用意したパウルが待つ家庭に、仕事を終えたマリアが帰宅し、二人は幸せな夕食を共にするのだ。

ここまでを見るならば、女性と男性それぞれに割り与えられた旧弊的な役割分担はもはや意味をなさなくなっているようにも思われる。女性の幸せは家庭に入ることだけではなくなっているし、男性の幸せも仕事で成功することだけではなくなっている。リードするのは男性である必要はなく——映画のタイトルのように——ハンドルを握る女性もいる。ここにははっきりと、意識の変化の兆しが顔を出している。*1

 

ステレオタイプへの逆転、設えられたハッピーエンド

とはいえこの意識の変化は、あくまでも兆しに留まっている。映画が進むにつれ、登場人物たちがその上を動く根底の価値観は、やはりステレオタイプなものであることが明らかになっていく。

映画中では、そもそもの当事者である夫婦二人が、その心根においては夫婦としての自分たちのあり方を非常識なものであると思いこんでいる。家事をそつなくこなすパウルも復職のチャンスを窺っているし、なによりも彼に支えられて仕事を続けているはずのマリアが、自分の夫が働かずに家庭にいるのを恥ずかしいことだと決めつけている。そうして彼女は、一緒に住んでいるのは弟であるという嘘さえついてしまうのだ。

二人のこの価値観は、 まさしくマリアの職場の価値観と一致している。彼女の上司は、マリアの夫が職を失っていることを知ると、厚意から彼に仕事を斡旋しようとする。ドナウ銀行の総支配人にいたっては、妻が上司となりその下で夫が部下として働くなどということは道義上よくないと考えており、そのことがパウルの昇進を後押しすることにもなる。そもそも映画中のドナウ銀行では、たしかに多くの女性が事務員として働いているのだが、要職に就いているのは男性ばかりであるように見える。

結局のところここには、本来的にキャリアを歩み家庭を経済的に支えるのは男性なのだという社会的価値観が強く反映されている。そしてそれは結局のところ、リードするのは男性であるべきだというステレオタイプの男女観と合致するものでもあるだろう。

さらにこの映画は、もう一つの決定的なステレオタイプによって支配されている。それが露わになるのは、映画の最後をなすくだりだ。

あらすじでも書いた通り、上司の立場となったパウルは、部下となったマリアに対して仕返しをするかのように辞表を書くことを迫る。辞表を提出してしまったマリアは、ショックを受けたまま帰宅し泣き崩れるが、そこにパウルが戻り彼女を夕食に誘う。その夕食の席でパウルは、辞表のことはマリアのそれまでの振舞いへのちょっとした仕返しでしかなく、彼女は職場に戻ってきて構わないのだと告げる。それを聞いたマリアは喜びつつも、もう職場に戻るつもりはない、と答える。彼女は妊娠しており、二人は親になるのだから、と。こうして二人は、幸福な笑顔に包まれる。

まさしくこのラストシーンで、旧態的な価値が顔をもたげる。それはすなわち、女性が仕事に就くことはもちろん望ましいが、それ以上に推奨されるのは子供を産み育てることである、という価値観だ。マリアは、子供を授かったことを喜ぶとともに、固執していたはずの仕事への情熱をあっという間に捨てて、家庭の幸せを思い描く。ここにおいて映画は決定的な仕方で、男女の幸せについてのステレオタイプへと逆転してしまっている。

子供を授かってからの復職の可能性など考えもしないマリアとパウルのこの幸福観に、当時の観客がどこまで共感をもったのかは、私にはわからない。いずれにせよ二人の価値観は、国家社会主義体制下で望まれた労働観や結婚観に矛盾するものではなかっただろうし、その意味でこの映画も一定のプロパガンダ機能を果たしていたと言えるだろう。当時においてこの結末は、文句のないハッピーエンドとして受けとられることが期待されて設えられたものであったはずなのだ。

しかしながら、80年近くの時を経た今日、多くの人にとってこの結末はもはや全面的なハッピーエンドとは見做されえないだろう。結婚や出産を機に女性が仕事を辞めて家庭に入るということそれ自体は、もちろん今日でも選ばれうる一つの家庭の形ではある。しかしそれは今や、個々人の前に提示される一つの可能性でしかない。出産後に復職することも、そもそも子供を持たないということも、それはそれで一つの家庭の形として——実情はうまくいかないことがあるとしても、少なくとも理想としては——認められているのだ。

人々の意識は、変化したし、今もなお変化しつつある。そして変化した意識からすれば、映画のラストにおけるマリアの豹変——あれだけ好きだと言っていた仕事への情熱を、妊娠と同時に忘れてしまったかのようなマリアの豹変——に対して、疑問をもたずにはいられない。彼女は他の可能性を考えることはできなかったのだろうか。もし彼女が他の可能性を考えた上でその選択を為したのであればいいのだが、そうでないならば、映画において設えられたハッピーエンドは、その実社会によって強要されたものでしかないのではないか。

このような疑問が生じる余地は、社会の意識がその分だけ変化したということを裏返しに証すものでもあるだろう。さらに言えば、意識は、ここからさらに変化することもありえるのだ。そのような観点からすると、問題は、意識自身が自らの変化に開かれたものでありうるか、という点にあることになるだろう。

1939年、マリアを演じたハーヴェイは、映画の初演を待たずにナチス政権下のドイツを離れた。もちろんそれは政治的な理由からなされたことだろう。しかし陳腐を承知であえて言えば、価値観を押しつける閉じられた社会体制の枠から抜け出したハーヴェイの決断は、設えられたハッピーエンドを疑問なく受け取るマリアと、対照をなしているように思えるのだ。

*1:もっとも、女性の労働を推奨するという一見進歩的に思われるまさしくこの点に既に、国家社会主義イデオロギーに合致した一定のプロパガンダが潜んでいることには注意が必要だろう。というのも当時においては、男性が兵役に就くその代りとして女性の労働が求められていたからだ。この観点からすると、本作にも、女性の解放という進歩的理念を手放しに賞讃することよりむしろ、女性に「労働動員」(Arbeitseinsatz)を意識づけるという機能が期待されていただろう。

死に捧げられる者たちのユートピア、普遍的な人間性とその歴史的な制約(オイゲン・ヨーク「モリツリ」/Eugen York "Morituri" 1948年)

オイゲン・ヨーク「モリツリ」(Eugen York "Morituri" DE 1948 88 Min. 35mm.)を鑑賞。

 

あらすじ

第二次大戦の戦局も極まった頃、ナチスドイツの強制収容所の前に様々な国から連れて来られた収容者たちが並べられ、一人のポーランド人医師によって労働能力の有無を鑑定されている。「労働能力なし」と判定された者たちは小さな監房に押し込まれることになるが、彼らが間もなく処刑されることを危惧した医師は、彼らに手を貸して収容所を脱走させる。命からがらの逃亡の末、脱走者たちは、森の奥に隠れて住まう被迫害者たちの集落に辿り着く。こうして彼らは、集落に住まうユダヤ人やポーランド人の老若男女とともに終戦を待ち望んで暮らすことになる。しかしこの集落も、脱走者や反乱者を追跡するドイツ軍に脅かされる。あるとき、一人の若いドイツ兵が集落の人びとに捕えられ、人々はこのドイツ兵の処遇について話し合うことになる…。

 

※「モリツリ」のトレイラー。冒頭で見られる医師による鑑定のシーン、ここで「arbeitsfähig」(労働能力あり)という判定を受けられなかった囚人たちは、「死に捧げられる者たち」として——「モリツリ」として——監房に押し込めらることになる。

www.youtube.com

 

ホロコースト映画の先駆、「死に捧げられる者たち」のユートピアの物語

前回の記事で、第二次大戦後の長い期間、アウシュヴィッツやホロコーストを主題とした映画の制作が困難であったことについて書いた。とはいえこれは、強制収容所の存在がまったく無視されていたということを意味するわけではない。実際、数こそ多くないが、戦後すぐにも強制収容所に押し込められた者たちを扱った映画が制作されていた。まさしくその一つがこの映画「モリツリ」だ。アルトゥール・ブラウナーが立ち上げたCCC-Film (Central Cinema Company)社の第二作目となるこの映画は、戦後三年というきわめて早い時期に制作されたものであり——強制収容所の内部におけるホロコーストそのものを映像化してこそいないものの——ホロコースト映画のいわば先駆け的な作品であると言うことができるだろう。*1

この映画は実際に、ナチスの強制収容所の非人間性が当時すでに知られていたことを証言している。映画の冒頭、集められた収容者たちの労働能力の有無を医師が機械的に鑑定していくシーンは、この判断——収容者のその後の生き死にまでをも左右するこの判断——が、いかに恣意的かつぞんざいな仕方でなされていたかを示している。この判断によって「労働能力なし」と判定された者たちは、「モリツリ」として——これはラテン語で「死に捧げられる者たち」を意味するという——監房に押し込められる。労働不可と判断されるということは、自動的に、ガス室かどこかに送られて処刑されるということなのだ。

この映画はまさしくこの「モリツリ」であると断じられた者たち、死を運命づけられたはずの者たちが生きようとする物語を描く。収容所を脱走した者たちが辿り着く森の中の集落に生きるポーランド人やユダヤ人たちもまた、ナチスドイツの手におちれば、同じように死をもって処せられる者たちだろう。迫害された者たちは、不条理な権力によって恣意的に押し付けられた運命に逆らって、生き残らんとする。ここには、死に捧げられる者たちが連帯して生きるユートピアの物語が語られている。

 

普遍的な人間性や公正さという理念

森の中の村落には、ポーランド人も、ユダヤ人も、各国の戦争捕虜たちもみな、対等の関係で身を寄せ合っている。言葉だけをとってみても、そこではポーランド語とドイツ語と英語とが行きかい、人びとの間では必ずしもスムーズな言語コミュニケーションがなされないが、それでも彼らはなんとか意思疎通をして生活を営んでいる*2。子供も老人も、身体や精神に障害を負った者も、この場所ではそれぞれがそれぞれなりに存在を認められ、共同で生き残る可能性を目指している。

彼らのユートピア的な共同生活の根底には、普遍的な人間性やそれに基づく公正さの理念がある。それはつまり、年齢や出身、言葉や能力の面では差異があっても、根本的には人間はみな等しく人間であり、同じように生きる権利を持ち、同じように尊重されるべきであるという理念だ。これはまさしく、ナチスドイツによって謳われ強制収容所やホロコーストにまで極端化した人種の優性理論のアンチテーゼをなす理念でもあるだろう。この映画は明らかに、普遍的な人間性を謳い、普遍的な公正さを信ずるものとして製作されている。

こういった理念が前面に出るのはとりわけ、追跡にやって来て集落の人びとの手におちた若いドイツ人兵士の処遇について話し合われる場面だ。ある者は、ドイツ軍が自分たちに為してきたこと、また数えきれないほどの犠牲者のことを鑑みれば、この兵士も今すぐに死をもって処されて当然だと息巻く。しかし別の者は、報復の論理によって目の前の個人を感情的に処すことには何の意味もないと主張する。ドイツ兵もまた人間であるのだから、あくまでも人間として遇されるべき——処刑されるとしても、それは正式な裁判手続きを経たうえで客観的に決せられるべき——なのだ、と。

こうして話し合いの末、ドイツ兵は当面捕虜して生かされることとなる。そしてこの若いドイツ兵もまた、劣等人種として自分たちが死に処そうとしてきたはずの人々の生活を自らの目で見ることを通して、人間であるということの意味を実感するようになる。人間一人一人は、必ずしも完全ではなく、飢餓や焦燥によって、醜悪な姿や狂気的な痴態をさらすこともある。しかしそれでも彼らは皆同じように生きており、同じ権利や尊厳をもっている。映画「モリツリ」においては、こうした普遍的な人間性や公正さという理念が——無条件で「死に捧げられる者」とされていいような人間など存在しないのだという理念が——あからさまなまでに語られているのだ。

 

現実の非人間性と、歴史的制約

とはいえ歴史の現実は、この普遍的理想にも、無力さを思い知らせる。ナチスドイツが実際になした戦争犯罪は、この映画で描かれるよりもはるかに凄惨で、非人間的なものであったのだ。強制収容所は、個々人の良心がほとんど機能しないように組織されており、実際に多くの収容者たちが自らの保身のためにナチスドイツに協力してしまうように運営されていた。そこではほとんど、人間性が窒息させられてしまっていたのだ。

映画「モリツリ」はしかし、人間性の窒息の場である強制収容所の「内部」の出来事を描いてはおらず、ホロコーストそのものを主題として映像化しているわけではない。物語の主軸はあくまでも、強制収容所という非人間性から逃れることができた者たちが織りなす共同生活にこそあるのであり、ここでは依然として強制収容所の外にある人間性が描かれているのだ。

当時のドイツによる占領地において、この映画におけるような強制収容所からの脱走やあるいは被迫害者集落の形成などといったことが実際にどこまで可能であったかは、私にはわからない。しかしいずれにしても言えるのは、強制収容所における非人間性の実態を知ってしまった後では、この映画におけるような人間性賛歌はきわめて弱々しいものにしか響かない、ということだ。脱走に成功し、強制収容所の外で人間的な生活を営むことができた者たちがいたのだとしても、そのすぐ近くでは——強制収容所の「内部」では——数えきれないほどの人々が、非人間性のなかに喘いでいたのだ。

この映画の制作時点でナチスドイツの戦争犯罪や強制収容所の実状がどこまで明らかにされ、またどこまでそれが知識としてアクセスできるものになっていたのかも、私には正確にはわからない。なんにしても終戦後三年というその時点では、とにかくも人間性のユートピアを強調して描き出すことそれ自体が必要なプロセスであったのかもしれない。もっと言えば、この時点で強制収容所の存在を確認しその非人間性を証言するような映画が制作されていたというそのこと自体が、特筆すべきことであり、敬意を払われるべきことであるのかもしれない。しかしこの映画の物語には明らかに、歴史的な制約が、1948年という時点で語りうる事柄の限界があったように思われる。ここで描き出された人間性の理想が、その後明らかにされていくあまりにも非人間的な現実を前にしたときに、あまりにも弱々しいものであることは否定できないのだ。

もちろんそのことは、普遍的な人間性の理念を全面的に手放すべきだということを意味するわけではない。たとえこの映画におけるほど直接的な仕方で人間性を描くことはもはや現実に適さないことだと思われるにせよ、歴史の現実における非人間性と向き合うことそれ自体が、ある種間接的な仕方であれ、人間性の理念に仕えることであるかもしれない。その課題は、この映画の後に制作される映画に託されることになった。

*1:ちなみにこの作品はクラウス・キンスキーの映画デビュー作でもある。キンスキーはオランダ人捕虜の役を演じている。以下、キンスキーが出演しているシーンの抜粋:

www.youtube.com

*2:この観点からするとこの映画を、今では当たり前となったマルチリンガル映画だと呼ぶこともできるだろう。映画中で多言語が用いられることはたしかに観る者にとっては理解の妨げになりうるが、同時にそれは映画の人物たちがおかれた多言語的状況を追体験することにもなりうる。たとえばこの映画を観る際に私はポーランド語部分の会話はまったくわからないわけだが、それは逆に英語話者やドイツ語話者がこの映画におけるような場面に置かれることがどういうことなのかを——部分的にでも——実感することにもつながる。

アウシュヴィッツにおける道化、あるいは喜劇と悲劇の沈黙(エリック・フリードラー「道化師」/Eric Friedler "Der Clown" 2016年)

大分(一年ほど?)前になるが、エリック・フリードラー「道化師」(Eric Friedler "Der Clown" DE 2016 115 Min. Blu-ray)を鑑賞した。1972年に撮影されたものの未完に終わったジェリー・ルイス「道化師が泣いた日」(Jerry Lewis "The Day the Clown Cried")を扱ったドキュメンタリー映画で、これについては記事を書きたいと思いながら書けずにいた。個人的なきっかけもあり、紹介がてら記事を書きたいと思う。

 

概要

コメディ俳優ジェリー・ルイスは、1972年に映画「道化師が泣いた日」の制作に着手した。アウシュヴィッツ強制収容所を舞台にしたこの映画は、ルイス自身が演じる道化師ヘルムートがナチス将校に命じられてユダヤ人の子供たちをガス室へと導き入れる様を描く悲喜劇となるはずであった。撮影は順調に進んでいたはずだったが、ルイスは突然撮影現場を離れ、そのまま映画の完成と公開を見送り、その後この映画について語ることをしなくなった。そのルイスが、撮影から40年以上の時が経ってようやく、この映画に関する本格的なインタヴューに応じることになった。ドキュメンタリー映画「道化師」は、未完成に終わった断片的映像、ルイスや当時の俳優たちのインタヴュー映像などを交えつつ、「道化師が泣いた日」の制作と頓挫の事情を追っていく。

 

※ちょうどよいトレイラーを探したが見つからなかった。ルイスの「道化師が泣いた日」について比較的短く見やすい紹介映像(英語字幕による説明つき)があったので貼り付ける。ただし、コメント欄によると不正確な情報も書かれているようなので、その点はご注意を。

www.youtube.com

 

映画中の、自作が失敗した事情について諧謔的に語るジェリー・ルイスのインタヴューや実際のフィルムの断片映像などは、それ自体が非常に興味深いものであったし、映画に出演していた俳優たちを集めて試みられた映像実験も見応えのあるものだった。とはいえ、フリードラーによるこのドキュメンタリー映画の全体を紹介することは、本記事のなし能うところではない*1。この記事では、このドキュメンタリー映画を、そしてその中で紹介されていた「道化師が泣いた日」の断片映像を観て、私の個人的な印象に残ったテーマについて書きたいと思う。

 

70年代前半にホロコースト映画を制作することの困難

まず、完成されるはずだった「道化師が泣いた日」の全体のあらすじを簡単にまとめておきたい。ルイス自身が演じる道化師ヘルムートは、もともとはサーカスのピエロとして世界中をめぐっていたが、ライバルの活躍で日陰に追いやられていた。失意に沈んだヘルムートは、飲み屋でヒトラーを揶揄したことから政治犯として強制収容所に送られてしまう。そこでヘルムートは、小さなコメディショーを開いて収容所内の子供たちを楽しませることに喜びを見いだすようになる。このことから彼は将校に目をつけられることになり、最終的に、ユダヤ人の子供たちをガス室に送る手伝いをするよう命じられる。つまり彼は、子供たちを楽しませ従わせる道化ならではの能力によって、子供たちをガス室へとスムーズに誘導する役目をあてがわれるのだ。

この映画「道化師が泣いた日」は、なぜ完成に至らなかったのだろうか。インタヴューにおいてルイスは、(資金面や権利上の問題もあったものの)何よりも自らの作品の出来の悪さに我慢がならなかったことが、制作を取りやめた最大の理由だったと証言している。そもそもこの映画はルイスにとって、コメディアンとしてのイメージを払拭し映画監督としての決定的な一歩を踏み出すための一作となるはずであった。しかし彼は、自らのこの野心に見合うだけの作品を作り上げることができなかったというのだ。曰く「心底恥ずかしかった…だめな仕事だった…作家としても、監督としても、演者としても、プロデューサーとしても、よいところが何もなかったんだ」。

彼のこの自己評価がどこまで正当なものであるのかはさておき、この挫折がルイスにとって持つ衝撃は大きかったようだ。ルイス自身の言葉によれば、「僕がこの映画のことを考えなかった日などない」ほどであり、「この映画は自分に残された最後の日々まで僕のことを追い立てるだろう」という。この発言に対応するかのように、ルイスはこの映画の挫折後は十年ほど映画界から遠ざかり、ようやく80年代になって再び映画製作の現場に戻って来ることになった(82年に封切られたマーティン・スコセッシ「キング・オブ・コメディ」への出演はその決定的な一歩だっただろう)。

映画「道化師が泣いた日」は、なぜかくも決定的な仕方で頓挫したのだろうか。その大きな理由の少なくとも一つは、70年代前半においてアウシュヴィッツを舞台に映画を制作するということが、重い困難を伴うものだったというところにあるだろう。というのも、ナチスの強制収容所をめぐる1970年代当時の言説は、それが世界中の人々の共通の知に属している現在の認識とは大きく異なっていただろうからだ。そもそもアウシュヴィッツにおけるガス室の実体が大々的に再検討されはじめたのは1950年代後半から60年代にかけてであり、強制収容所を舞台にした劇映画もいまだ制作されていなかった*2。主題的に共通するところのあるロベルト・ベニーニ「ライフ・イズ・ビューティフル」も1997年の公開であり、そう考えるとルイスの試みはきわめて先駆的で、その分冒険的なものであったことは想像に難くない*3

まさしくこのことを、ルイスも十分に意識していたようだ。「ホロコーストという主題はあまりに荷が重かったのか」というインタヴュアーの問いかけに対して、彼は「その通りだ」と答えている。70年代前半にアウシュヴィッツを舞台にした人間ドラマを制作するというそのことは、それ自体できわめて大きな困難を伴うものであったのだ。

 

アウシュヴィッツにおける道化、あるいは喜劇と悲劇の沈黙

ところでルイスのインタヴューは、70年代にホロコースト映画を制作することの困難という一般的な次元の事柄とは別に、ある独特の困難に彼が陥っていたことを示唆している。それはつまり、 アウシュヴィッツ強制収容所を舞台に道化師を描くということに付随する困難だ。すなわちここでは、ナチスによるホロコーストという非人間性を前にしてそもそも喜劇や悲劇なるものが成立するのか、という点が問題となるのだ。

どうやらルイスの当初の目論見では、ユダヤ人の子供たちを楽しませながらガス室送りにする道化ヘルムートの物語のなかに、喜劇性と悲劇性の交錯が表現されるはずであったようだ。とはいえルイスは制作過程において、そもそもこの主題とこの物語によっては、道化ヘルムートの行いがまったく喜劇として機能しないという問題に突き当たらざるをえなかった。ルイス自身の言葉によれば、「コメディは恐ろしいものにはまったくそぐわない」ことに気付かざるをえなかったのだ。かくして彼は自問する。「道化師が65人もの子供たちをガス室へ連れて行く。このどこにコメディがあるっていうんだ?」

まさしくここに、アウシュヴィッツに象徴されるホロコーストという出来事の、一つの決定的な性格が現れている。すなわちホロコーストは、あらゆる人間的な行いを意味から引き剥がし、非人間的な無意味へと変じさせてしまうような出来事なのだ。ある事柄が喜劇的であるとか悲劇的であるとかいう判断は、人間的な行いから一定の意味連関が読みとられてはじめて成り立つものだろう。そもそも人間性なるものがあり得ない場所では、喜劇も悲劇も成り立たない。

人間が人間を効率的に抹殺するために運営される機関としてのガス室においては、道化がもつ喜劇性も単なる道具となる。道化がいかに巧みに子供たちを楽しませようとも、その行動が子供たちを効率的にガス室へ送るために意図的になされているものである以上——ルイスの言うとおり——そこにもはや喜劇の余地は存在しないだろう。

それではこの道化の物語が悲劇的と呼べるかどうかというと、それも疑わしい。もしヘルムートが自分は何か意味あることをしていると思いこみながら——たとえば彼が何も知らないまま子供たちを純粋に楽しませようとしていたというのなら——その実子供たちの抹殺に寄与してしまっていたというそのことはまだ悲劇的であると言えるかもしれない。しかし彼は自分が、子供たちをスムーズにガス室送りにするための道具でしかないことを知っていた。命じられたことを命じられたとおりに行うことは、もはや悲劇的とすら言い難いのだ。

かくしてここでは、喜劇も、悲劇も、沈黙する。道化師は人々を笑わせることも、悲しみのうちで涙を流すこともできなくなってしまった。歪められた人間性の隠れ処としての道化さえも、非人間的なものに奉仕する道具に変じてしまった。だからこそルイスは、この物語を完成することができなくなってしまったのかもしれない。この非人間性の問題それ自体と真正面から取り組み、そこから何かしらの希望を——たとえ欠片や反照という仕方においてでも——見出すのには、1972年という時は、あまりに早すぎたのかもしれない。

*1:もし興味のある方は、ドイツ語ではあるが以下のZeit誌の記事を読まれると件のドキュメンタリー映画の概要がわかるものと思う:

www.zeit.de

また動画サイトなどで検索すれば、"Der Clown"の映像や監督フリードラーのインタビューなどが、部分的にでも観られるものと思う。

*2:戦後のドイツが大戦中の戦争犯罪とどう取り組んだのかという点については、以前書いたルート・ベッカーマン「戦争の彼方」に関する記事の、とりわけ「映画の背景、ドイツの<過去の克服>と<国防軍>展について」という項目を参照いただきたい。

※以下、2018年8月24日に追記:

「強制収容所を舞台にした劇映画もいまだ制作されていなかった」という文章に関しては、捕捉する必要があるように思う。というのも、この後に記事を書いたオイゲン・ヨーク「モリツリ」(1948年)のように、強制収容所に連行された人々を描いた劇映画は——数は多くなくとも——制作されていたからだ。とはいえこの映画も、強制収容所の内部を舞台にし、そこで行われた組織的なホロコーストという戦争犯罪そのものを主題にし、映像化しているわけではない。1970年代まで強制収容所を舞台にした劇映画が制作されなかったという件の文章は、まさしく強制収容所の内部におけるホロコーストそのものを描くような映画が存在しなかった、という意味で読んでいただければと思う。

*3:ちなみにインタヴュー中でルイスは「ライフ・イズ・ビューティフル」について、「自分からアイディアを盗んだものであると断じつつも、「よく作られた」ものであり「素晴らしい映画」であると評している。

自己目的化した権力構造と、その只中に差し込まれる小さな花(アッバス・キアロスタミ「友だちのうちはどこ?」/Abbas Kiarostami "Khane-ye doust kodjast?" 1987年)

数か月前になるが、アッバス・キアロスタミ「友だちのうちはどこ?」(Abbas Kiarostami "Khane-ye doust kodjast?" IR 1987 83 Min. 35 mm. オリジナル+ドイツ語字幕版)を鑑賞。

 

あらすじ

イラン北部のある小学校の教室にて、宿題を指定のノートに書いてこなかったモハマッドは、先生に厳しく叱られた挙句「次に同じことをやったら退学だ」と言い渡される。それを隣の席で聞いていたアハマッドだったが、下校時のちょっとしたきっかけから間違えてモハマッドのノートを持ち帰ってしまう。家に帰ってからそれに気づいたアハマッドは、周りの大人に事情を説明しようとするが、誰も彼の話を真剣に聞いてくれない。自分のせいで友だちが退学させられてしまうかもしれないと思い悩んだアハマッドは、ひとり隣町へ向かい、モハマッドの家を探しまわる…。

 

※トレイラーではないが、アハマッドと母との会話。英語字幕付き。話を聞いてくれない母に懸命に事情を説明しようとする様子がいじらしい。

www.youtube.com

 

話を聞かない大人たち、内面化し自己目的と化した権力構造

この映画において大人たちは、子供たちに対してどこまでも不公平で、権威主義的で、話の通じない存在として描かれる。大人同士ではそれぞれ話をし合うし、大人の側からは子供にいろいろなことを言いつける。それにもかかわらず、子供たちの側から大人たちに何かを尋ねても、それは決して聞き届けられない。隣町に住む友達の家にノートを返しに行きたいという少年アハマッドの単純な願いさえ、ほとんど真剣に耳を傾けられることがない。

アハマッドがまずもって頼るべき母親からして、彼の話を聞かない。ノートをいますぐ返さなきゃいけないんだ、そうしないと友だちは罰を受けちゃうんだ、といじらしく懸命に説明するアハマッドに対して、母親はただただ「自分の宿題をやりなさい」と繰り返す(貼り付けたYoutubeのシーンは、まさにこの会話がされている箇所だ)。

仕方なくひとり隣町までやって来て、友達の家を探し回り、人びとに尋ねまわっても、アハマッドは友達の家を見つけられないし、見つけるための大人の助けも得られない。多くの大人は彼の話を聞きもしないし、彼の話を聞く素振りをみせる大人たちもいい加減な返答をして彼を見当違いの場所に向かわせてしまう。時間が経ち、日が暮れる。自分のせいで友だちが罰せられてしまうかもしれない、退学にさせられてしまうかもしれないとアハマッドは焦るが、何もできない。

少年の話を聞かない大人の筆頭は、アハマッドの祖父だ。この老人は、友だちの家を探さなければと焦る少年に対して、家から煙草を持ってこいと命令する。アハマッドにはどこに煙草があるのかわからないし、そもそも彼は急いでいる。しかし彼の懸命の説明は、ここでも聞かれることがない。祖父は断固として、煙草を持ってくるように命じる。少年がその場を去ったときに、その場にいた他の大人たちが、老人に、でもまだ煙草は残っているでしょ?と尋ねる。どうして老人は、孫に必要のない煙草をわざわざ取りに行かせたのか。老人いわく、命令に従わせるというそのことが、社会にとって役立つ人間を育て上げるのに必要な教育方法なのだ。だから子供は、言い訳せずに大人の命令に従わなければならない。

ここには、この映画を——とりわけ大人たちの世界を——支配している権力構造の論理が、端的に表れている。正当な理由があろうとなかろうと、他の事情があろうとなかろうと、上の立場の者がそう決め命令をくだしたのだから下の立場の者はそれに従わなければならない、という権力構造の論理。彼らは自分たちのうちにこの権力構造を内面化し、自らそのヒエラルキーの一部となり、権威をもって命令を下す。権力構造は、それ自体が自己目的と化して、既存のヒエラルキーを維持するというただそれだけのために内実を欠いた権威的な命令を行使するのだ。

 

翻弄される子供たち、形骸化した権力構造の只中に差し込まれる小さな花

自己目的と化した権力構造のこの論理を、子供たちもよく理解している。それどころかある意味では、子供たちもまた権力構造の命令の論理を内面化している。だからこそ彼らは下された命令に翻弄され、その不履行に脅え、「いい子」として振舞おうと注意する。

少年アハマッドもまた、学校の先生が、彼が間違えてノートを持って帰ったなどという事情を聞くはずがないことを、前提としている。先生は、宿題を指定されたノートに書いてこなかったモハマッドに有無を言わさず罰を下すだろう。なぜならそれは命令されたことであり、モハマッドは——どんな理由があろうとも——その命令を果たさなければならないのだから。宿題を指定のノートに書いてくるよう命令された以上、この命令が文字通り果たされなければならない。

命令の論理の不条理さと容赦のなさを知るからこそ、アハマッドはいじらしいほど懸命に、友だちの家を探す。この映画は、暴力的なシーンや過激なシーンを用いず、友だちの家を探す少年というある種牧歌的な物語を描きつつ、権力構造とその再生産のあり方を、明らかにしているのだ。

もっともこの映画には、権力構造のただなかで差し込まれる、わずかな希望の可能性も暗示されている。その希望を手渡すのは、映画中の大人で唯一人、アハマッドの話に真剣に耳を傾け、時間を割いてそれに応えようとする年老いた家具職人だ。村のことをよく知るというこの家具職人は、少年アハマッドを彼が知るというモハマッドの家まで案内しながら、昔の思い話を語り、小さな花を幸福のお守りだとして少年に渡す。

この老人がアハマッドを連れて、飾り窓から日が差し込む建物のなかをゆっくりと歩くシーンは、どこか神秘的で、その他の場面とは異なる宥和的な印象を与える。まるでアハマッドの願いが聞き届けられ、ついに叶えられるその時が迫っているかのように。しかし結局は、この家具職人の好意も見当はずれのものであったことが明らかになる。彼が知っているモハマッドの家は、アハマッドが探していた同級生の家ではなかったのだ。そうこうしているうちに日も暮れ、モハマッドは途方に暮れて帰宅せざるをえなくなる。

翌日、教室のなかでようやくアハマッドは同級生モハマッドに再会する。皮肉なことに彼らは、学校というこれまた権力構造の枠の中にある場所でしか再会することができないのだ。権威的な教師は、いつものように生徒たちに宿題を書いたノートを出すよう要求する。アハマッドは素早く、代わりに宿題を済ましておいたノートをモハマッドに渡す。教師は宿題を済ましてあるノートを機械的にチェックして、モハマッドは罰を切り抜ける。

この最後のシーンには、一つの希望の可能性が示されている。子供たちは、少なくともアハマッドは、権威がくだす命令さえ形式的に満たせば——この場合には「指定のノートに宿題を書いてくること」——さえ満たせば、それ以上のことを追及されないことに気づくことができた。アハマッドは友だちの家を見つけ出すことはできなかったが、権力構造の只中で、その隙間をくぐりぬけて友人に下されるかもしれない不合理な罰を回避することはできたのだ。

子供たちは既に、権力構造が形骸化していることを知っている。もしかしたら彼らのうちの多くは、やがて自分たちも権威に同化し、命令を下す側にまわってしまうのかもしれない。それでも家具職人の老人のように、不合理な命令の論理を廃棄して、他者の話に耳を傾けようという意識が彼らのうちにも生まれるかもしれない。アハマッドが友だちに渡したノートには、老人から手渡された小さな花が挟まっていた。形骸化した権力機構のただなかにも、人間らしさの欠片が差し込まれる可能性が、まだ残っているのかもしれない。

キングコングは倒れ、男は子猿とじゃれ合い、女は将来を見つめる(マルコ・フェレ―リ「バイバイ・モンキー」/Marco Ferreri "Ciao maschio" 1978年)

マルコ・フェレ―リ「バイバイ・モンキー/コーネリアスの夢」(Marco Ferreri "Ciao maschio" IT/FR 1978 113 Min. 35mm. イタリア語オリジナル+ドイツ語字幕版)を鑑賞。

 

あらすじ

舞台はニューヨーク、ロングアイランド。ダウンタウンでは人びとが大量発生したネズミに悩まされ、高層ビル群に臨む砂浜にはキングコングのような大猿が横たわっている。青年ラファイエットは、ローマ帝国をモチーフにした蝋人形展示館の電気技師として働く傍ら、劇団の照明係を務めている。ある日ラファイエットは、性的暴行を実体験したがる女性劇団員たちに凌辱されるが、そのことをきっかけに劇団員アンジェリカと同棲するようになる。ラファイエットはまた、友人ルイージが発見した子猿を引き取り、コーネリアスと名づけて実子のように可愛がるようになる…。

 

※英語版のトレイラー。画質が悪いのが残念だが、高層ビル群を背景に横たわるキングコング的人形も見られる。

www.youtube.com

 

男性中心文明の崩壊、倒れたキングコング

トレイラーからもなんとなく伝わるのではないかと思うが、全体として、コメディというほど笑いに走ってもいないが、かといって真剣なリアリティを追求したSFとも言いがたい、独特な世界観をもった映画だ。あきらかに人形でしかない大猿の亡骸や、そのもとで発見された子猿を当たり前のように受け入れる主人公たちの姿は、映画がこの現実の常識からは幾分かズレた世界で進行しているものであることをはっきりと示している。舞台はニューヨークではあるが、いつの時代の物語なのかもよくわからない。現実離れした舞台装置のなかで、これまた現実からズレた登場人物たちが動き回る。

映画の中心主題の一つは、「文明の崩壊」、とりわけ男性中心で構成されてきた文明の終焉だ。主人公の青年ラファイエットは、体格こそ立派であるものの、女性に逆らうことができず、現実の問題から目を背けがちな若者で、子供のように笛を吹きながら自転車をこぎまわっている。世界貿易センタービルを背景にして砂浜に横たわる、あきらかにキングコングを暗示している大猿は、かつて文明の上に君臨したマッチョな男性性の象徴であると見なされうるかもしれない。キングコングは倒れ、力なく海辺に横たわっている。ラファイエットには、無邪気で無力な子猿コーネリアスだけが残されている。

登場する他の男性たちも、それぞれなりの仕方で「文明の崩壊」を悼む。蝋人形展示館の館長は、ローマ時代の偉人たちに固執するという仕方で既に過去のものとなった男性性を讃える。とはいえ彼も、公権力の要請で展示された偉人の顔をアメリカの政治家にすげかえることに——文明の偽造に——協力せざるをえなくなる。ラファイエットの友人ルイージは、ヨーロッパ風の知的な紳士として振る舞うことによって女性を求めようとする。しかし誰にも相手にされず、自身が見つけた子猿コーネリアスのこともアレルギーのために愛でることができない彼は、絶望に沈んでしまう。

 

男は子猿とじゃれ合い、女は将来を見つめる

青年ラファイエットは、現実の問題に対峙することができない。彼は実子のように子猿コーネリアスに執着するが、その愛情は将来のなにかを見据えたものではなく、場当たり的な慰みでしかない。彼は、子猿とじゃれ合うことしかできないのだ。そして同棲していたアンジェリカが妊娠したことを彼に告げたときにも、ラファイエットは、父親は誰なんだと見当違いの返答をし、当惑してアンジェリカに呆れられてしまう。

映画の原題"Ciao maschio"——「さよなら、男らしさよ」とでも訳せようか——が示しているように、かつて文明の中心を騙っていた男らしさは、映画のなかの世界において、もはや過去の遺物になっている。そのことが極まるのが、映画の最後半、コーネリアスが鼠に襲われたことに動転したラファイエットが、蝋人形展示館の館長のもとへ向かうシーンだ。現実のよすがになっていた子猿との慰みは無残にも噛みちぎられ、しがみつかれていた過去の栄華ももはや偽造されたフィクションでしかなくなった。もはや男性性が中心に居座ることのできるような文明などそこにはない。だからこそ、彼らは、まるごと燃やすのだ。

この映画において、明らかに希望を託されているのは、動転したラファイエットのもとを去ったアンジェリカだ。彼女は自分の身体に宿した子供のことを第一に考え、そのために生きようとする。これは監督フェレ―リ自身の思想を投影したものであるのだろうが、この映画は、キングコングとともに男性中心の文明が打ち崩れたその後で、女性こそが将来の生の中心になりうることを示唆している。ここには未だ、二分法的な性別区分を前提とした固定観念や図式化が支配していることは否めない。が、いずれにせよ、映画の最後のシーンは、男性性の崩壊に対比して、将来に何か別の希望の可能性を託すものにはなっている。*1

*1:この映画の二年前に公開されたマルコ・フェレ―リ「最後の女」(Marco Ferreri "L’ultima donna" IT/FR 1976 112 Min. 35mm. イタリア語オリジナル+英語字幕版)も鑑賞したのだが、そこでは同じ主題——男性中心の生のあり方がもはや古めかしいものとなり、女性こそが将来の生を担うのだという主題——が、よりラディカルかつ直接的な仕方で描かれていた。物語は、粗暴で自己中心的、そして所有欲と性欲に溢れた青年ジョバンニが、若い保育士女性との同棲を通じて、自らの男性性が既に魅力を失ったものになってしまったことに気づいていくプロセスを辿っていく。映画の後半、自らの男性性に自らの手で裁きを下そうとするジョバンニの姿はあまりにも痛々しい。丁寧に作られた映画ではあるが、性描写がきわめて露骨なので上映されることは稀なのではと思う。この映画「バイバイ・モンキー」は、同じ主題をもう少し遊び心を持って変奏したものだと言えるかもしれない。