映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

哲学者たちが世界を変えようと思うとき(ラウル・ペック「マルクス・エンゲルス〔青年時代のカール・マルクス〕」/Raoul Peck "Le jeune Karl Marx / Der junge Karl Marx" 2017年)

ラウル・ペック「マルクス・エンゲルス〔青年時代のカール・マルクス〕」(Raoul Peck "Le jeune Karl Marx / Der junge Karl Marx" BE/DE/FR 2017)を鑑賞。こちらでも3月初めに封切られたばかりだが既にそこそこ話題になっているようで、気になっており早速観に行ってみた。

 

おおまかな感想、印象

題名が示す通り、カール・マルクス(1818~1883)の青年時代、とりわけ1848年に彼がエンゲルスとともに『共産党宣言』を発表するに至るまでの日々を追った伝記映画。もっともこの映画では実際には、カール・マルクス一人のみでなく、彼の妻イェニー・マルクス、友人フリードリヒ・エンゲルスとその恋人でありのちの妻メアリー・バーンズ、という4人の人物に焦点があてられている。思想家の伝記映画というとどうしても理屈っぽい堅苦しい映画になりがちで、この映画にもそういう部分があることは否定できないが、それでも彼らの人間らしさを彩りをもって描こうとしているように思え、そこには好感をもった。マルクスとエンゲルスという思想史上の巨人が、何に喜び、何に笑い、何に苛立ち、何に怒り、そして何と闘おうとしたのかが、もちろん少なからぬ脚色はあるのだろうが、生き生きと描かれていた。それは思想家を脱神話化する試みであると同時に、彼らがその思想を育むにあたって一体どういう現実を目の前に見ていたのかを提示する試みでもあるのだろうと思う。

この映画でも触れられるが、マルクスは「哲学者たちはこれまで世界をさまざまに解釈してきただけだった。しかし重要なのは、世界を変えることなのだ」というテーゼを立てた。彼が変えようとしたこの「世界」とはいったいいかなるものなのか、なぜその「世界」は変えられる必要があると思われたのか、といったことを、この映画は示そうとしている。そしてそれによってこの映画は同時に、思想は決して抽象的な理論としてだけではなく、ある具体的な歴史上のコンテクストの上でこそ生まれるのだということを、観る者に気付かせてくれる。それは一方ではある思想の限界でもあるが、他方ではまたその思想が生まれた際のエネルギーでもある。世界の変革を説く哲学というのは、それが現実から遊離した理論でしかないときには、あまりに傲慢で、ときには危険なものにさえ聞こえるかもしれない。それどころかそれは実際の歴史において、危険な帰結を引き起こしてしまったものであるかもしれない。しかしそもそも哲学者たちが世界を変えようと思うときに、彼らはその目で何を見、何に抵抗しようとしていたのかというそのことを、この映画は思い出させてくれる。

 

簡単なあらすじ

1843年、ドイツ、ケルンで『ライン新聞』のジャーナリストとして活動していたカール・マルクスは、政治的理由から妻イェニーとともにパリへと亡命せざるをえなくなる。マルクス夫妻はパリで長女をもうける。そしてパリにおいてカール・マルクスはまた、当時既に脚光を集めていた哲学者プルードンと知り合い、さらにはフリードリヒ・エンゲルスとの仲を深めはじめる。資本家の息子であったエンゲルスは当時、イギリス、マンチェスターで彼の父が共同経営する紡績工場で労働者の現状を目のあたりにし、その問題点について著作を発表したところでもあった。またエンゲルスはそこで、のちの妻でもある労働者メアリー・バーンズと知り合ってもいた。パリにおいて意気投合したマルクスとエンゲルスは、友人としても研究者としても次第に関係を緊密にしていく。

その折、1845年に、マルクス夫妻はまたも政治的な理由でフランスからの国外退去を命じられてしまう。そうして彼らはベルギー、ブリュッセルに居を移し、イェニーはそこで次女を出産する。ブリュッセルにおいてマルクスはそれまで以上に——ときには強引な手法もとりつつ——政治活動に取り組むようになり、労働者運動に積極的に参与しないプルードンに対して『哲学の貧困』なる論難の書を出版しもする。その後もマルクスは、エンゲルスとの関係を深めていくとともに、ロンドンの共産主義者同盟との結びつきを強め、また自らの思想を具体化させていく。そしてついには1848年、マルクスはエンゲルスとの連名でもって小冊子『共産主義宣言』を執筆、発表することになる。

 

現実世界との対決のなかで生まれるものとしての思想

いわゆる「マルクス主義」の理念や概念、共産主義革命だとか国際秘密結社だとか、あるいは疎外だとか弁証法だとかいう言葉は、どうも怪しいものか、現実から遊離した抽象的なものに聞こえがちだ。上の簡単なあらすじをまとめるにあたってウィキペデイアを参照しもしたのだけれど、そこに並ぶこういった文字列や理念から受ける印象と、この映画から受ける印象は、大分違ったものだ。映画のなかの若きカール・マルクスは、妻とセックスもするし、酒を飲みすぎて道端で嘔吐もするし、自分の理屈の鋭さにうぬぼれるお調子者という印象も受ける。そこにいたのはあくまでカールと呼ばれる一人の青年であり、彼の思想というのもまた、楽しいことも悩ましいこともある彼の人生の途上で織りなされたものなのだ。

このことは、カール・マルクスにのみ当てはまることではない。夫の活動のせいで身体を壊したり身重の身体を引きずって亡命しなくてはならなくなったりするイェニーも、資本家である父の工場での労働者の現状にショックをうけるフリードリヒ・エンゲルスも、彼のことを愛しながら彼の父の資本に頼る生活を拒否する勝気な労働者の女性メアリー・バーンズも、みなそれぞれの現実の生活の問題に直面している人間たちだ。そして彼らが直面した現実とは同時に、その時代を生きる人々のアンバランスな生活の世界でもあったのだ。労働者のあまりにもひどい貧困と搾取の現状、自らの身体と時間を商品として提供しなければ生きられない者の生活条件の過酷さ。それに対する資本家の傲慢さ、自分の身体を汚すことないままに労働者を代替可能な駒として扱い、彼らの生活や健康についてなど一切配慮しようとしない者たちの欺瞞。そしてそれを問題だと論じつつも実際には何も変えようとしない学者や哲学者たち。そういうものを目の前に見、また経験したからこそ、彼らは自分が今そこに生きる現実の世界を変えようとした。抽象的な概念でもって懸命に何がおかしいのかを説明し明らかにしようとしながら、目の前の現実と対決し、それによって現実を変えようとしたのだ。

このエネルギーなしに、彼らの思想も哲学も、生まれようがなかった。それはおそらく、辞典や教科書に書かれた「マルクス主義」とはまったく異なる見え方をする、現実世界との対決のなかで生まれた思考のエネルギーであるだろう。

 

思想の限界、ゆがみ、欺瞞、そしてそれらを自覚してなお思考するために

とはいえこのことは同時に、彼らの思想が一定の限界をもつものであるということでもある。別の言い方をすれば、目の前の現実と格闘しながら織りなされた彼らの思想や哲学を、それ自体として普遍化して、絶対的な教条として掲げるなどというのは、そもそもが無理があることなのだ。

もっともこの種の問題、ある限定された文脈のなかで生まれた変革の理論を絶対的なものとしてしまうという問題は、マルクスやエンゲルスの思想そのものに潜んでいるものだったのかもしれない。この映画中でも、マルクスが自らの革命思想に共鳴しない人々に対して強硬的かつ排他的とも言えるやり方で接している場面がある。このことは後に、いわゆる「共産主義」国家が独裁的な強権政治に変じていき、ときには破局的ともいえる痛ましい帰結を生んでしまったことを思い出させる。自分自身を正義と見做しそれに従わない者や不適合な者を不正義として切り捨てるような思想の在り方は、自らの出自を、その限界を、見失ってしまう。

しかしそもそもはその逆で、自らの目の前の不正義に抵抗するということが、世界を変えようとする哲学の出発点であったはずだ。しかしその「変えられるべきもの」は、歴史的な文脈によって、時代や場所、文化や宗教、或いはその都度の個々の状況によって、異なるはずだ。だからこそ、世界をただ解釈するだけでなく変えようとする哲学は、自らの限界を自覚しつつ、それでも誠実に現実に対峙することから始める必要がある。青年時代のマルクスやエンゲルスが、具体的な問題から彼らの思想を出発させたように。

そして彼ら自身にもまた、欺瞞やゆがみがある。洗練されたジャケットを着て人々の前に立つマルクスやエンゲルスの振る舞いは、彼ら自身が他ならぬ資本家階級、市民階級の価値観を脱せていないことを証している。マルクス家に客人が訪ねてきた際には、カールが何もせず座ったままで、子供のいるイェニーが一人でいそいそと夕食の準備をしていることにも、彼らは何の疑問も抱かない。或いは労働者階級の娘メアリー・バーンズは、資本家の息子フリードリヒ・エンゲルスの実家の資本を「汚い金」だと憎むゆえに、その金に頼って子供を持ち家庭を築くことを拒否しているが、このことは労働者と資本家の間にある埋めがたい溝を象徴している。しかし他方でマルクスとエンゲルスの活動は、まさしくこの「汚い金」に頼ることで成り立っている。さらに言えば、彼らの視点は、主として労働者と資本家という二階級間の問題に向うものであって、人々を圧迫する別の問題群は必ずしも彼らの視界に入ってこない。

彼らは彼らなりの問題を抱えている。だからこそ彼らは何かを変えようとして、世界を変えようとして、そのための思想を紡ぐ。けれどもこの変革の思想は、別の文脈において決してそのまま繰り返されることができないものでもある。世界を変えるための思考の内容は、その具体的なプロセスは、その都度その都度の人々によって、誠実に考えられ、実行されていく必要がある。とはいえ圧倒的な現実に対して抵抗をなしその変化を願った思考のエネルギーを、その実践の軌跡を、参照することはできるだろう。マルクスの思想ではなく、その青年時代の生をこそ描いたこの映画は、まさしく変化を願う思考の熱量をこそ、観る者に提示しようとしているように思えた。

罪のうえの詩情、或いは、アウシュヴィッツの後に幸福であることは許されるのか、という問い(アラン・J・パクラ「ソフィーの選択」/Alan J. Pakula "Sophie’s Choice" 1982年)

アラン・J・パクラ「ソフィーの選択」(Alan J. Pakula "Sophie’s Choice" USA 1982)を鑑賞。

 

おおまかな感想、印象

浮世離れした若者たちが送る、まるでの詩のなかのように色鮮やかなニューヨーク、ブルックリンの生活。その幸福な生活のなかに、時折顔を覗かせるアウシュヴィッツの影。この映画は、メリル・ストリープが演じるソフィーという一人の女性の運命を通して、幸福な生活のなかに潜む罪の影を、静かに、しかし淡く繊細な詩情をもった映像で、描き出している。彼女の出世作の一つであるというこの映画は、メリル・ストリープの存在感と、繊細で説得力のある演技なしには成り立たないものであっただろう。アウシュヴィッツの影を含みこんだこの映画の淡い詩情、繊細な演技をもってその詩情を体現したメリル・ストリープの表情は、それ自体に罪悪感を持ってしまうような美しさをたたえていた。

そして、果たして監督パクラ(或いは1979年の原作小説の作者ウィリアム・スタイロン)がどこまで意識していたかはわからないが、この映画は「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」というあの命題に対する一つの独特な応答であるようにさえ思えた。そしてまた、この映画は、アウシュヴィッツの後に幸福であることは許されるのかという新しい問いを立ててもいた。アウシュヴィッツの後の詩情には、幸福には、拭いとれない罪の影が差している。その罪が許されうるものであるのかどうかの裁きは、この世界を超えたところにしかないかもしれない。けれども本当にそんなものがあるかどうかもわからない。それでもソフィーは、公正な審判を待つために、広い寝床の上に、罪の意識とともに眠る。

 

簡単なあらすじ(それなりのネタバレも含む)

将来の成功への夢と見知らぬ世界への期待を抱いてニューヨークに出てきた若い作家スティンゴは、苦労して見つけたブルックリンの住居で、階上に住んでいるカップル——ネイサンとソフィー——と知り合う。ハーバード出身の生物学者ネイサンは気性が激しいが博識かつ文化的に洗練されており、ポーランドから移り住んできたソフィーは目を見張る美貌と気品をたたえている。彼らはときおりエキセントリックと言えるほど激しい喧嘩をする一方で、趣向を凝らしたパーティーを開き華やかな生活を営む都会的で陽気な人々でもある。三人は次第に親しくなっていく。遊園地や海岸、様々な場所に揃って遊びに行くようになる。ある時にはネイサンがスティンゴの小説家としての才能を認め、ブルックリン橋で祝杯を上げもする。仲を深めていく三人の姿は、ニューヨークという都会における洗練された幸福の姿を絵に描いたように華やかで、色鮮やかにスクリーンの上に映し出される。

しかしながらスティンゴは、二人と親しくなっていく過程で、彼らの隠された面をも知っていくようになる。彼がすぐに気づいたのはソフィーの腕に刻まれた数字の刻印と、自殺を図った傷跡だった。ポーランドにいた当時のソフィーは、家族の大半をナチスに殺された挙句、アウシュヴィッツの強制収容所に送られて、そのまま二度と子供に会うこともできなかったのだという。収容所から解放されたあとに自殺を図りさえした彼女は、アメリカに渡ってきて図書館でネイサンと偶然に知り合ったことで、再び生きることができている。しかしながらスティンゴはある日、ネイサンの兄から、ネイサンが妄想性分裂症かつ薬物中毒であり、彼の言う経歴や研究の話は全て嘘なのだということを聞かされる。さらにスティンゴは、偶然のきっかけからソフィーの父親についても驚くべきことを知ってしまう。ソフィーはかつて彼に、父はナチスのユダヤ政策に反対したために殺されたのだと説明していたのだが、実際はむしろ彼女の父親はユダヤ人の「抹殺」を説く反ユダヤ主義者だったのだという。詩情に満ちた彼らの幸福な生活は、脆くて壊れやすい幸福の見せかけの上に成り立っている。

それでもスティンゴは、友人なのだからと、彼らを見守ろうとする。そんな折、スティンゴの前で、ネイサンはソフィーに求婚し、スティンゴに新郎介添人を務めてほしいと頼む。脆い見せかけの幸福の映像はここに極まる。しかしそれはそう長くは続かない。ある日ネイサンは、思い込みの嫉妬からスティンゴとソフィーを殺してやると言い出し、驚いた二人は連れたってワシントンへと避難する。その夜ホテルの部屋でスティンゴは、自分こそがソフィーを愛していると打ち明け、彼女と結婚して子供を作って、故郷バージニアの農場で幸せに暮らしたい、と求婚する。ソフィーは彼と愛し合い一緒に暮らすことは構わないが、結婚することも子供をもつことも不可能だと答える。なぜならばアウシュヴィッツで自分は、自分の息子と娘の二人のどちらかを焼却炉送りにしなくてはならないとナチスの将校から選択を迫られて、結局年少の娘を選び、将校に連れられて泣き叫ぶ娘を見送ってしまったような母親だったからだ、と。それでも彼女を愛していると告げるスティンゴは、彼女と一夜をともにする。22歳のスティンゴにとって、30過ぎのソフィーは初めての女性だった。

翌朝目が覚めると、隣にソフィーの姿がない。起きて罪の意識に苛まれたから、やはりネイサンのところに帰る、という書置き。急いでブルックリンの住居に戻るスティンゴは、青酸カリで心中した二人の姿を見ることになる。窓から射す眩しい白い光をあびて、身を寄せ合いながら、まるで詩に描かれた情景のように静かに広いベッドに横たわる、二人の身体。スティンゴは、部屋の机の上に置いてあった、二人の思い出の詩人エミリー・ディキンソンの詩集に気が付き、手に取る。そして彼は、その一節を、ソフィーがいつも気にかけていたその一節を、声に出して読み上げる。「広い寝台を畏れをもって準備し、公正無比な審判が下るのを静かに待とう」。

 

ソフィーの二つの選択

題名が示す通り、この映画においてソフィーは選択をする。正確に言えば、彼女は二回、決定的な選択をしている。

一つは、アウシュヴィッツでナチス将校に迫られた選択、息子と娘どちらかを焼却炉送りにするか、或いは二人とも焼却炉送りにするか、という選択だ。もっともこの選択は、ある意味では選択とは呼べない。というのもこれは状況が彼女に選択をせまり、選ぶことのできない選択肢から無造作に一つを選ばせるようなものだったからだ。しかしそれでも、彼女がその選択を下してしまった、という事実は残される。彼女の選択によって焼却炉に運びさられ、泣き叫ぶ幼子の表情が、彼女の目に罪と責任の意識を貼り付ける。

そしてソフィーは、この映画の最後にもう一つ別の選択を下す。しかも今回は彼女自身の意志で、まったく違う帰結を伴いうる二つの選択肢から、選択を下している。それは若い作家スティンゴとともに彼の故郷の農場で穏やかに暮らすか、破滅と裏表のネイサンのもとに戻るか、という選択だ。そして彼女は、おそらくは自分にとって危険がなく安寧なスティンゴとの未来ではなく、破滅がすぐそこに待っているだろうネイサンとの生活に戻ることを決める。

ソフィーはかつてネイサンを一人で死なせられないと口にしていた。もう誰も、自分のせいで、一人きりで死なせることはできない。かつての選択が引き起こした罪と責任の意識は、 彼女が彼女の意志で、自分一人の幸福を求めることを許さない。彼女の罪が許されるかどうかは、ただひとえにいつか来るともわからない「公正無比な審判」に委ねられる。そして彼女は、ネイサンとともに広い寝台に身を横たえる。

 

アウシュヴィッツの後に幸福であることは許されるのか、という問い

 「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」というテオドール・W・アドルノによる命題は、少なくとも文字通り読む限り、決して「アウシュヴィッツの後に詩を書いてはならない」と言っているわけではない。偶然の理由から「抹殺」の対象になっていたかもしれない者たち、直接的にか間接的にかある特定の人々の「抹殺」に協力してしまった者たち、そのどちらにしても、かの信じがたい非人間性の後に生き残った者が、かつて人間性の結実と見なされた詩の世界に身を耽らせそれによって幸福を手に入れようとすることが許されるかどうか、という点にこそ問題がある。だからこそこの命題はのちに、「アウシュヴィッツの後になお生きることができるかどうか」という問いへと言い換えられる。ここで言われるのは、「抹殺」を免れた者につきまとう劇的なまでの罪の意識であり、それを完全に忘れて自分の人生を生きて構わないのかどうかという問いである。

この問いは、ソフィーに即して、「アウシュヴィッツの後に幸福であることは許されるのか」という問いへと変奏されうるものだろう。ソフィーの罪の意識は彼女に、この問いに対してノーと答えることを選択させた。彼女が生きることができた詩のような幸福は罪の意識のうえにただよう見せかけのものでしかなかったし、もしかしたら可能であったかもしれない未来の幸福——ひょっとすると罪の意識さえも忘れさせてくれるかもしれない幸福の生活——を、自分から選び取ることは彼女にはできなかった。その代わりに罪の意識のうえに留まり、畏れをもって、いつか来るかもわからない公正な審判を待つこと、それがソフィーが自分から選ぶことができた唯一のものだった。

 

見せかけの詩情を描き切ること、罪の意識と裁きへの畏れを際立たせること

ところでこの映画「ソフィーの選択」を特に印象的なものにしているのは、アウシュヴィッツという題材を、徹底的な詩的情緒とともに描いている、という点だ。

「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮である」という件の命題に対して、多くの創作者は、詩を書くことを辞めるという選択ではなく、この命題に応じたような創作の可能性を求めた。それは言うなれば、アウシュヴィッツという破局に対する罪の意識のうえでなおも詩を書くという試みだ。そしてその試みのうえではしばしばアウシュヴィッツそのものが創作の対象となり、人間性の美しさの賞賛ではなく非人間性の暴露が求められ、アウシュヴィッツにおける苦痛にこそ声が与えられてきた(ちょうど先日観たラースローの映画「サウルの息子」は、このような方向で先鋭化された一つの表現だろう)。

しかしこの映画「ソフィーの選択」は、ある意味ではこれとは逆の方向をとっている。つまりここでは、ソフィーをつらぬく罪の意識が、徹底した詩情をもって表現されているのだ。映画の語り手に置かれた作家スティンゴ、物語を貫く主要モチーフであるエミール・ディキンソンの詩、そして何よりも淡く美しい映像群が構成する、きわめて詩的な見せかけの世界。その詩情は本来、アウシュヴィッツという非人間性から生じたソフィーの罪の意識とは、まったくそぐわないものであるはずだ。しかしそれにもかかわらずこの映画は、見せかけでしかない詩的な幸福を描き切ることでもって、決して癒されることもなく、映像として表出されることもできないソフィーの罪の意識を、裁きへの畏れを、際立たせているのだ。

だからこそこの映画は、かの命題に対する一つの独特な応答をなしている。アウシュヴィッツから生き残った美しい女性を詩的に描くこの映画もまた、かの命題に従えば、罪の意識を欠いた野蛮なもの、或いは自己満足のゴミ屑に等しいものであると言われるのかもしれない。しかしそれでもその詩的な表現でもってこの映画が描き切っているのは、ソフィーという女性の詩的な美しさそのものではなく、彼女が捨てることができなかった、本当に幸福に生きることなど許されないという罪の意識なのだ。裁きを待つために広い寝台に身を横たえ、朝の陽ざしに白く照らされた彼女の美しい身体と冷たい表情は、彼女が生ききった罪の意識と裁きへの畏れを、直接的に描くことをしないままに、静かに、語っている。

西ベルリンの若者たちが織りなす、淡い刹那の群像劇(ゲルト・オスヴァルト「雨が降ったその日に」/Gerd Oswald "Am Tag, als der Regen kam" 1959年)

ゲルト・オスヴァルト「雨が降ったその日に」(Gerd Oswald "Am Tag, als der Regen kam" BRD 1959)を鑑賞。未だ戦火の跡が残る西ベルリンを舞台に、ギャング団を組織する若者たちが織りなす群像劇。

 

簡単なあらすじ

青年ヴェルナーによって率いられるギャング団「パンターPanther」は、西ベルリンにおいて大がかりな窃盗を繰り広げ、そこで稼いだ資金をもとに酒場で遊びまわる集団だ。「パンター」の一員であるロバートは、ある夜の窃盗の際に警察に捕まったことをきっかけに、恋人インゲと普通の生活を送りたいと思うようになる。強い雨が降ったある日、ロバートは、インゲと過ごすために、ヴェルナーが計画する大掛かりな強盗への参加を拒否する。しかしヴェルナーはそんな彼らのもとに押し入り、強引にロバートを連れ出す。しかしロバートは、ヴェルナーの目を盗んで警察に通報してしまい、それが原因で強盗は失敗する。あとからそれを知り激怒したヴェルナーは、「教授」と呼ばれる仲間の一人に、拳銃でロバートを制裁することを命じる…。

 

1950年代の西ベルリンを背景にした、若者たちの淡い刹那の群像劇

ギャング団の若者たちが主人公であり窃盗や強盗のシーンも多く、その意味では全体に動きの多い物語のはずなのだが、残った印象はどことなく静かでもの哀しいものだった。それはモノトーンの映像のせいかもしれないし、戦火の跡がまざまざと残る1950年代後半の西ベルリンという荒れた後景のせいかもしれない。

ギャング団のボスであるヴェルナーも、自ら窃盗に加担する彼の恋人エレンも、アルコール中毒で廃業した医師であるヴェルナーの父も、犯罪から足を洗った普通の日々を思い描くロバートも、彼との生活のために西ベルリンで仕事を探そうとするロバートの恋人インゲも、登場人物たちはどこか傷ついていて、「幸福な普通の生活」を送りたくとも送れないでいる。

酒場で飲み踊る彼らの表情も、明るい幸福なものであり続けることはできず、破滅的な何かが突然に起きるのではないかという不安の薄い影が差しているようだ。空回りの虚勢も、次第にその影に飲まれていく。淡い色合いでスクリーンに映し出される彼らの刹那の瞬間は、雨の日の出来事に収束していく。雨が降る。雨が止む。淡い刹那の日々の終わりを告げるサイレンとともに、群像劇はその終わりを告げる。

化けの皮をかぶって、上っ面をひっぺがす(マーレン・アデ「ありがとう、トニ・エルドマン」/Maren Ade "Toni Erdmann" 2016年)

マーレン・アデ「ありがとう、トニ・エルドマン」(Maren Ade "Toni Erdmann" DE/AT/CH 2016)を鑑賞。国内外で色々な賞をとったり米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたりで、ドイツではそれなりに話題になっており気になっていたが、ようやく観られた。

(※この映画の、特に後半部分は、何が起きるかをあらかじめ知らない方が楽しめるように思う。なので、決定的なネタバレにならないよう、以下の記事でもとりわけ後半部分はあまり具体的なことを書かないようにしたいと思う)

 

おおまかな感想、印象

162分の長丁場のコメディで、登場人物それぞれの描写に割かれた前半は冗長にも感じたが、中盤から後半にかけてのテンポはとてもよかった。時間的な意味でも空間的な意味でも「間」の使い方がうまく、つぎに何が起きるのかを観る者にうまく期待させ、そして絶妙にその期待を裏切ったり上回ったりしてみせてくれた。全てが絶妙なリズムと空気感を構成していて、最後の一時間は本当にあっという間に感じたし、驚きと笑いの声が止まらない時間帯もあった。

役者の演技も印象的で、父親ヴィンフリート役のペーター・ジモニシェック(Peter Simonischek)もよかったが、なによりその娘イネス役のザンドラ・ヒュラー(Sandra Hüller)がよかった。基本的に冷たく無表情な役どころだったのだが、その無表情のなかに様々な感情や心の動きが多彩に表現されていて、こういう演技があるものかと思った。イネスの同僚たちもいいアクセントになっていた。

基本的には、しょうもないイタズラ好きの音楽教師の親父ヴィンフリートと、社会的に成功したキャリアウーマンであるその娘イネスという二人を中心に話が進むのだが、特に面白かったのは、この父娘を軸に物語の空気やものの見え方がひっくりかえっていくそのプロセスだった。それは、しょうもない道化によって社会的に洗練された上っ面がぶち壊されていく爽快感でもあったように思う。

その上っ面のぶち壊しが最高潮に極まる後半のパーティーのシーンでは驚きに身を乗り出し、手を叩いて笑ってしまったのだが、そこにはある種のカタルシスさえあって、今観ているのがくだらない喜劇なのか大真面目な感動劇なのかもよくわからないという奇妙な感情になってしまった。多少長く感じた前半もこのカタルシスに向かう助走であると思えば仕方ないように感じたし、あの奇妙なカタルシスの時間帯を笑って過ごせただけでも観てよかったという気になった。

 

前半のおおまかなあらすじ、外面のよい人々の世界のヒエラルキー

仮装好きでいつもくだらない(しかもあまりお行儀のよくない)冗談を言っている音楽教師の親父ヴィンフリートが、ブカレストで企業コンサルタントとして働く娘イネスのもとを突然の思い付きで尋ねる。イネスは、ピシッとしたビジネススーツを着こなし、小ぎれいなオフィスでタイトなスケジュールで働き、同僚やクライアントとは英語を使いこなして商談を進める、という「デキる」キャリアウーマンを絵に描いたような女性だ。それに対してヴィンフリートは、太っていて装いも小汚く、ヨレヨレの手提げ袋を持ち歩き、英語も簡単な会話くらいしかできず、ビジネスのこともよくわからないみすぼらしく垢抜けないおっさんだ。予定の詰まったイネスは、突然現れた父親を仕方なく仕事関係のレセプションパーティーに連れて行く。構図としては、社会的に「デキる」奴らの集まったビジネスの世界に、突然みすぼらしい挙動不審のおっさんが迷い込んできた、というものだ。

イネスの住む「デキる」世界の人々は、おしゃれで洗練されたスーツやドレスを着こなし、おしゃれで洗練されたパーティー会場に集まり、パーティーが終わればお洒落で洗練されたバーに移動して親睦を深める。このとことん外面のよい奴らの集まりに、手提げ袋をぶらさげたヴィンフリートが迷い込んでしまう。外面が何よりも大事で誰も本音など言わないこの世界では、ヴィンフリートのようなみすぼらしい存在も「外見上」は丁重に扱われるが、とはいえ彼の人間としての中身に興味を持つ者はおらず、彼の冗談に耳を傾ける者もいない。娘であるイネスさえ、彼のことを「外見上」は父親としてもてなすが、しかしそれは事務的でマニュアル通りのものでしかない。冗談の通じない娘の姿に呆然とするように、ヴィンフリートは帰路につく。

 

後半に向かう物語の転換、上っ面のひっぺがしと世界の転倒

ここで物語は転換を迎える。父親が帰り再びビジネスの世界に戻っていったイネスの前に、突然、もしゃもしゃのカツラとガタガタの入歯を身に着け、安っぽいスーツを着て変装した父ヴィンフリートが「トニ・エルドマン」と名乗って再び現れるのだ。イネスは困惑するが、「エルドマン」はずけずけと彼女の世界へと入り込んでくる。エルドマンは、もはやみすぼらしいおっさんではなく、異様で奇怪な不審人物だ。イネスも彼女の周囲の人物も、彼をどう扱ってよいかわからず冷笑して遠巻きに眺めるが、そのすきに彼はどんどんとイネスの世界に侵入してくる。

彼の異様な言動に対して、基本的には見栄えのよい上っ面で対応しようとしていたイネスも、だんだんとその外面を保っておくことができなくなっていく。お洒落で洗練されたスーツに染みがつく。人前で歌を歌わされる。そして最後には、文字通り、上っ面をすべてひっぺがされることになる。滑稽なのは、上っ面をすべて脱ぎ捨てた彼女に対して、同僚たちが「上っ面の」対応をしようとした結果、彼らもまた上っ面を脱ぎ捨てざるをえなくなる、というところだ。

社会的な外面ばかりを装っていた人々が、気が付けばその社会的な上っ張りを捨ててしまって、どうしていいかわからずに呆然としている。そこに現われるのは、見栄えのよい上っ面の代わりに化けの皮をかぶった「トニ・エルドマン」だ。彼らが集まったその部屋では、物語の前半を支配していたヒエラルキーがさかさまになる。社会的には成功者と呼ばれる側に属する者たちが動転し、社会的には軽視される者が場を支配する。上品さや洗練といった上っ面と、下品さやみすぼらしさといったその異物とが、ひっくりかえって入り混じる。世界が転倒する。

 

社会的な外面のよさと、抑圧されたしょうもなさ、そのアンバランスを笑い飛ばすこと

この映画を特別魅力的にしているのは、物語において転倒される二つの面——上品な上っ面を着飾る面と、下品でみっともない面——その両方の面を私たちが持っているというそのことだと思う。そしてしばしば私たちは、後者を隠し前者を洗練させることを社会的な評価に直結させてしまい、「外面のよさ」を極端なものに高めてしまう。

しかしこの「外面のよさ」はしばしば見かけだけのものであり、上っ面がそれ自体滑稽なキッチュになってしまって、抑圧して隠していたはずのしょうもない下品さがその隙間からふいに顔を覗かせることがある。おそらく大事なのは、どちらかに極端に振れることではなく、そのアンバランスを笑い飛ばせるということなのだろう。もしうまく笑えなければ、化けの皮をかぶってもいいし、「トニ・エルドマン」の力を借りたってよいのだ。

私も既にこうしてごちゃごちゃ色々書いてしまったし、さらに諸々の細かい解釈をすることもできるかもしれない。とはいえそれは重要なことではない。なにはともあれこの映画に関しては、「いつでも冗談を忘れるなよ」というトニ・エルドマンの箴言にならって、化けの皮をかぶって上っ面をひっぺがす彼の奮闘を大笑いしながら観るのがいいと思う。

希望と現実、それでも僕らはもう君たちのなかにいる(「サラバ、不法に生きるということ」/Peter Heller, Saliou Waa Guendoum Sarr "Life Saaraba Illegal" 2016年)

近所で"Africa Alive 2017"という映画祭が催されており、そこで「サラバ 不法に生きるということ」(Peter Heller / Saliou Waa Guendoum Sarr "Life Saaraba Illegal" DE 2016)を鑑賞。ドイツ人監督Peter Heller とミュージシャンでもあるセネガル人助監督Saliou Waa Guendoum Sarr の協作ドキュメンタリー映画。

セネガルから欧州へ渡る経済難民を扱った決して明るいテーマの作品ではなく、実際に見ていて辛い場面や映像も幾つもあったし、自分自身に関わることも含めいろいろ考えるところもあったのだが、現実に直面しつつも希望を歌うことをやめない人々の姿から、観た後に残った印象は決して暗いものではなかった。上映後には両監督とのトークセッションや、Sarrによるギターパフォーマンスもあり、よい雰囲気だった。

映画は、助監督Sarrの親戚だという二人の兄弟が、セネガルの漁村から経済難民として海を渡りスペインで生きるその様子を、8年にわたって追ったもの。セネガルからヨーロッパへと出稼ぎに行く若者は昔からいるらしく、彼らの親世代にもヨーロッパへと渡った経験を語る者がいる。彼らの生まれ育った村にはよい稼ぎの仕事がないが、ヨーロッパに行けば近代的な生活とよい給料の仕事が待っている、という希望。この希望を追って、前途ある若者たちは、危険を冒して海を渡る。向かう先は、ヨーロッパ。彼らの言葉で「サラバ」と呼ばれる、希望を約束された土地。その地で仕事を見つけ、稼いだ金を故郷で待つ妻子に送り、いつか英雄として故郷に帰る。その大望とともに、彼らはアフリカから「サラバ」へと渡る。

しかし彼らを待っていたのは、希望よりもむしろ現実だった。道中のモロッコではまともに人間扱いをされず、ヨーロッパ行きの船はなかなか見つからない。船が見つかったとしても海上での難破は珍しいことではなく、遺体となって無残に打ち上げられることになるかもしれない。そしてようやく渡ったスペインでも滞在許可を取ることができず、不法滞在者として生きるしかない。不法滞在者として探すことができる仕事は限られている。近年の経済危機以降はそもそも現地の人々の働き口さえ減っている。そのような状況の中で、彼らは辛うじて郊外のプランテーションでの闇労働に就くことができるのみだ。そこにあるのは、希望の土地「サラバ」のイメージからは程遠い、現実。それでも仕事があり、賃金がもらえる。だから彼らは働き続け、そこで稼いだ金を故郷で待っている村へと送金する。少しでもよい未来の礎を築くために。

 

改めて言うまでもなく、今はニュースで「移民」や「難民」という言葉が飛び交っている。私が今住んでいるドイツという国は、そのような議論の真っただ中にある国だ。私の耳や目に入る日本のニュースや日本人の声から判断する限り、ヨーロッパの移民・難民の問題は、日本では相当に否定的に報じられている印象だ。そのなかでも特に、この映画で取り上げられているセネガルの兄弟のような経済難民に対しては、好意的でない意見が目立つように思う。もちろん、多かれ少なかれ、ここドイツでも「迷惑だ」という意見はある。差別云々の話とは別に、ヨーロッパ内でも経済的に困窮した国は多く、自国民でさえ職を見つけるのに苦労するような状況で、ヨソから来た見知らぬ者たちに仕事など与えられない、と考える人は少なくないだろう。セネガルの漁村で、自身もかつてヨーロッパに出稼ぎに行っていたというある老人が語るには、数十年前にはアフリカからの移民の数も多くなく、「みんな私たちのことを敬意をもって扱ってくれたし、労働許可も困難なく取れた」という。だけれども今現在はそうはいかない。セネガルから来た青年たちに、積極的な差別はなされなくとも、法律の壁が立ちはだかる。彼らには、不法滞在として不法労働をする者たち、というレッテルが貼り付けられる。

それでも命を落とさずにヨーロッパまで来れて、低賃金でも働く場所があり、家族に送金ができる。そんな自分は幸運だとスペインに到着した弟は言う。神さまを信じていたから、神さまが幸運を与えてくれたのだ、と。けれど同時に、海を渡る際に命を落とす多くの人々のことを思いつつ、彼は呟く。「でもどうして神さまは、みんなに幸運を与えてくれないんだろうね」。人は生まれてくる場所や国や条件を選べない。たまたま仕事のない漁村で生まれた者は、海の向こうの大陸を希望の場所だと聞き、命を賭してでもそこに向おうとするかもしれない。たまたま仕事のある都市で生まれた者は、命を失う危険を冒してまで船にのって外国に出稼ぎにいくなんて現実的じゃない、と思うかもしれない。彼らが生まれ育った条件というのは、個人の問題ではなく、歴史の過程で何百年、何千年とかけて形成されてしまったシステムの問題だ。郊外のプランテーションで労働する兄弟を映しながら、ナレーションは、「本当に奴隷制度は撤廃されたんでしょうか」と問いかける。たしかに彼らは自分の意志でここに来たわけで、決して奴隷として強制的に連れて来られたわけではない。しかし制度上、経済上の条件からそれ以外に選択肢がないというその意味では、未だにある確固たるシステムがそこにある。漁村で育った彼らは本当は海での仕事をしたかったし、できることなら学校で資格もとってみたいと思っている。けれども、彼らが命を賭して渡ってきた希望の国でも、現実には、不法滞在者の不法労働というレッテルの下でプランテーションでの闇仕事に就くしか選択肢がないのだ。そしてそれでも彼らは、これで以前よりは少しはマシになる、と言う。「不法」なことをする必要がない環境の下で多くの選択肢を提示され、その枠の中で生きてこられた者は、彼らについて、法を犯しているのだから仕事などないのは当たり前で、むしろ早急に退去させるべきだ、と主張するかもしれない。それどころか、法を犯す者が多い特定のグループや出身国を名指しして、そのグループを丸ごと国から排除するべきだ、という法令が施行されるかもしれない。

 

「移民」や「難民」について語られるとき、議論されるとき、しばしば忘れられているように思うのが、既に多くの移民や難民が存在していて、彼らは移住先で生活をしている、という事実だ。例えばドイツの難民問題について、メルケルによる難民受け入れの結果としてドイツはもはやドイツではなくなるだろうというようなことが時々言われるけれども、そもそもドイツは長年にわたって労働移民を奨励してきた国だ。もちろんこれは場所によって異なるとは思うけれど、ドイツの都市の大学に行けば、学生も教員も、食堂のスタッフも、色々な肌や髪や目の色をしていて、同じ「ドイツ語」でも色々なイントネーションが聞こえる。この意味では、もはや一義的な「ドイツらしさ」など薄まっているわけだし、観方によってはたしかに「ドイツ」が崩壊しつつあるのかもしれない。いずれにせよ、ドイツを含めたヨーロッパでは既に多くの移民や難民が長年にわたって生活を築いてきているのであり、さらにここ数年の間に難民としてやって来た多くの人々も、少しずつこの地に生活の基盤を持ちつつある。それは紛う方なき事実だ。そして、“日本国には(ほんのわずかの例外を除けば)日本人しか住んでいない”という神話が未だに幅をきかせている日本という国にさえ、既に長年にわたって多数の移民が存在している。これも事実だ。この事実を抜きにしては、本来そもそも移民や難民についての話はできないはずだ。既にその地で生活している「他者」がいること、それどころかその地で生まれ育った「他者」がいること。この事実を前にして、彼らを本当に「他者」と見なすことができるのか。異質な「他者」であるとして排除することが正当なのか。そのことを考える必要がある。

ヨーロッパでも、移民や難民の受け入れに積極的であったドイツでさえ、ここ数年の難民の流入による自国への影響が無視できなくなり、受け入れ制限の方向に政策を切り替え始めた。残念ながら綺麗ごとや理想だけでは動けない、そんな現実の眼差しが前景に出てきはじめた。とはいえ同時に、既に多くの難民や移民と呼ばれる人々が多くこの地で生活していること、或いは既にその道中にいることもまた、無視することができない事実なのだ。映画のあとのトークセッションで、最前列に座っていた一人のアフリカ出身らしい男性が「ドアを閉じることはできるかもしれない。それでも僕らはもう君たちのなかにいるんだ」と、客席に向かって語りかけていた。既にその地に辿りつき生活を営み、彼らの母国語ではない言葉で、その地の人々の話す言葉で、親しげに語りかけてくる人々がいる。彼らを「他者」であるとして、ドアの外へと追い出すことが何を意味するのか。或いはドアの外に追い出すための法律の囲いを作ることが、何を意味するのか。もちろんここで言われているのは綺麗ごとかもしれない。けれども綺麗ごとと紙一重の希望に動機づけられて生きる人々がそこにいることもまた、一つの現実なのだ。

どろどろしてぬるぬるしたもの、或いはシュールレアリスムの夢(デヴィッド・リンチ「イレイザーヘッド」/David Rynch "Eraserhead" 1977年)

デヴィッド・リンチ「イレイザーヘッド」(David Rynch "Eraserhead" US 1977)を鑑賞。少し前(10日ほど前?)に観たのだが、忘れないうちに感想を書いておく。

デヴィッド・リンチの監督デビュー作。上映プログラムの説明文でも、また上映前の前説のようなものでも、あらゆる解釈を拒絶する悪夢の映画だというようなことが言われていたので、少し構えて観たが、思ったよりちゃんとした筋があり、思ったより楽しめた。粗筋だけかいつまんで言えば、ある青年が少女を妊娠させ子供を産ませてしまい、責任をとって一緒に暮らそうとするが、生まれた赤子の異形の姿やその鳴き声に耐えられず少女が逃げ出し、青年自身も悪夢にうなされる、というような話。とはいえこの映画の見どころは、物語の筋そのものというよりも、それをとりまく世界観の構成の仕方というか、映像イメージの作り方にあると思う。どこまでが現実でどこからか妄想なのか、どこまでが正気でどこからが狂気なのか、その境界線もはっきりしないまま、なにかどろどろとしてぬるぬるとしたものが、画面上に生成し、消えてゆく。食事として出される鶏肉も、青年と少女の間に生まれた赤子も、まるでむき出しの内臓のように生々しくグロテスクな質感をもって、画面上に提示される。青年が暖房装置の隙間を眺めるとフクロウのような頬をした女性が歌い踊り、隣人の女性とベッドの上で液体のなかに沈み、ついには加工された頭が消しゴムの原料になる。そこに確たる意味が見出せない、有機物か無機物かもわからない、どろどろしてぬるぬるしたものが織りなす、イメージの世界が提示される。

見始めてすぐに、これは映画版シュールレアリスムだな、と思った。心に浮かんだイメージを、その意味を問うことも美化することもなく、図像へと定着させるという芸術上の実験。エルンストやダリ、マグリットの絵画に典型的にみられるような、この世のものとは思えないが、しかし人間の無意識のなかに浮かび上がってくる超世界的なイメージの塊に、具象的な形を与える試み。人間が意志せずともアクセスしてしまう現実を超えた何かを、芸術において再現しようとするシュールレアリスムの綱領。「イレイザーヘッド」は、わりと律儀にこのシュールレアリスムのプログラムをなぞって、それを映画という表現手段において実現しようとしているように思えた。そう考えると、この映画中で提示される諸々の事物に確たる意味や解釈を見出そうとするのが困難だということも、説明がつく。シュールレアリスムにおいてはそもそも、一義的な意味づけなど問題にならない。そしてこの映画はたしかに、そのシュールレアリスム的試みをもって、意味や解釈を拒みつつも一定の質感を伴った映像イメージの世界を形成することには成功しているように思えた。

とはいえ同時にこの映画は、シュールレアリスムという芸術上の実験と同じ問題に陥っているようにも思えた。それは、無意識に上る曖昧なイメージに具象的な形を与えようとすると、それは往々にしてどこか陳腐で、滑稽なものになってしまう、という問題だ。言葉で説明しようのない強迫的な異物であり、ときに人の心を内側から脅かす、無意識や非現実の夢の世界。それは確かに経験されることがあるものだし、また時には魅力的に我々をとらえもする。とはいえ、現実を超えたイメージがもつ異質性を、具象として描き図像として定着させようとする際には、結局、この世界の現実の事物に似た造形しか作り出すことができない、という矛盾がある。この映画における赤子も、なにかよくわからないどろどろしてぬるぬるしたものたちも、軟体動物や内臓、微生物や精子といったこの世界の「何か」に類似したものでしかない。そのグロテスクさは確かに異形ではあるが、しかしどこか間の抜けた印象も拭えない。それは本当に、この現実を超えている(という意味でシュールレアリスティックな)ものだろうか。しょせんそれは、この世界において汚いとされたり、気持ち悪いと言われ忌避されるものの再生産でしかないのではないか。

シュールレアリスムの綱領をなぞったこの映画「イレイザーヘッド」も、一定の質を保ちながらも、この問題を抜けきってはいないように思えた。つまるところそれは、現実を超えたイメージの再現ではなく、この現実に存在するグロテスクなイメージの寄せ集めになってしまっているのだ。それは面白いものではあるが、現実を超えているとはいいがたい。この映画のどこか滑稽な印象もまた、それがこの現実から根本的には異質なものになりきれていないという、そのことから来るものと思う。具象的でこの世的な形姿を直接与えることでは、超現実は表現しつくされない。現実を超えたものを描くというシュールレアリスムの夢は、ここではいまだ実現されていない。もしそれが表現されるのだとすれば、直接的な具体化とは違う、別の道を通る必要があるのかもしれない。

スクリーンの上の、あまりにもあからさまで、あまりにも直接的な現実(ジャンフランコ・ロージ「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」/Gianfranco Rosi "Fuocoammare" 2015年)

ジャンフランコ・ロージ「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~」(Gianfranco Rosi "Fuocoammare" IT/FR 2015)を鑑賞。海を渡る難民の姿を追ったドキュメンタリーで、ベルリン国際映画祭で金熊賞をとった作品ということで、気になっていた。

舞台は、地中海、イタリア半島とアフリカ大陸の間に位置するランペドューサ島。その地理的な位置ゆえなのだろうが、数十年前からこの島には、アフリカや中東から難民を乗せた船が頻繁に漂着するのだという。そしてここ数年は、やってくる難民の数も——そして同時に、命を失ってから流れつく亡骸の数も——飛躍的に増えている。この映画は、流れつく難民たちの姿を、島に暮らす人々や子供たちの日常と交差させつつ、伝えている。

この映画の特徴の一つは、ドキュメンタリーでありながら、単なる事実の羅列や解説ではなく、練られたストーリーのようなある種の流れがあるということだ。流れ着いた船からの難民の救助、体調不良者への応急処置。上陸した者たちが施設で受ける身体検査、収容後に興じる唱和やサッカー。島の子供のパチンコ遊び、船上での初めての嘔吐。かつての戦争の日々を想起する島の老婆、リクエストに応えて曲をかけるラジオショー。かつて赤く燃えた海の上に、いまは人々の生が揺らめく。島における非日常と日常とを交錯させながら、あたかも適切な役者と練られた演出のもとで撮影されたフィクションのように、映像が展開されてゆく。

しかしこの映画はあくまでもドキュメンタリーである。そのことを気付かせてくれるのは、島に流れ着く難民が置かれた状況について語るある医師のインタビューだ。島の医師として住民や子供たちの診療に従事する彼は、同時に、流れ着いた難民たちの治療にもあたっている。そして彼はまた、命を失って流れ着いた人々の検死もしなくてはならない。「慣れてくるでしょう、と言われることもあります。だけど、子供や妊婦の死んでいる姿に慣れることなんて、できると思いますか?」この医師のもとには、この島をとりまく日常と非日常が交錯している。この映画中で唯一ドキュメンタリーらしい場面とも言える説明的な彼のインタビューによって観る者は、この映画における日常も非日常も、そのどちらもが現実の映像であることに気付かされることになる。日常のほんの裏側では、多くの人が助けを乞い、船底で衰弱し、時には命を落とし、また時には船とともに海に沈んでいく。

この映画では、乗りこんだ人々が全て亡くなって海上に漂っていたところを発見されたある船の、その内部の映像も提示される。雑然とした船内、散乱して積み重なった服や物、その間にいくつも転がる人間の身体。その独特の湿気と、こもった空気感。ざわめくような静かさ。それらは全て、まるで演出されたもの、作られたもののようにも思えてしまう。だけれども、これは演出ではないはずで、だとすると、やはりこれは、まごうことなき現実の映像なのだ。この映像のなかの光景はかつて現実に存在したものであり、そして今もどこかに、これと同じ現実が誰にも知られぬままに存在しているかもしれない。この日常の裏側で、今も、どこかで。

この映画のなかで提示されている事柄はまた、この島以外のあらゆる場所で、さまざまな仕方で、今もなお、起きていることでもあるだろう。私自身はいま、楽しいことばかりではないにせよ、さしあたり命の危険を感じないように思われる生活をしている(もっとも、最近の情勢を考えると、もはやそれも確実なものではないけれど)。とはいえ今この瞬間に、自らの命を失うか失わないかの瀬戸際にいる人々がどこかにいる。ここにあるギャップと、この映画のなかで描かれる日常と非日常の間のギャップとの違いは、相対的なものでしかない。もちろん頭では、世界のどこかで日々、「なにかしら悲惨な事件」が起きていることは知っている。しかしそれがまごうことなき現実であるというそのことは、映像を通してようやく、ある種の立体感をもって気付かれることになる。助けを求める人々の声を聞き彼らの表情を見ることで、そして彼らの亡骸を見ることで、はじめて、現実が現実としての重さをもって私の前に現われてくる。

私には、この映画を一つの完成された「作品」として享受することができなかった。この映画のなかに「ストーリー」や「あらすじ」を見ることもできなかった。ここで提示されているものは、あまりにもあからさまで、あまりにも直接的な現実の映像だった。そしてまた、劇場のスクリーンを通さないとこの現実を認識することができなかったという、自分の無感覚さと想像力のなさを突きつけられるような思いもした。そこには、ドキュメンタリーという形式でスクリーン上に映写された映像を通してしかあからさまな現実を見ることができない、というある種の欺瞞がある。私はまだここで提示された現実を、その映像を、消化することができていない。しかしおそらく、今後「難民」と呼ばれる人々や彼らにまつわる諸々の諸問題について考えたり、自分が何かを言ったりするそのときには、ここでこの映画を見たということを思い出さずにはいられないだろうと思う。