映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

三つの「エロ・グロ」映画。暴力、欲望、狂騒、死、露悪的なものを一つの映像世界へ昇華すること

露悪的なものを一つの映像世界へ昇華する「エロ・グロ」映画

昨日の記事で、映画について文章を書く際の自分の方針のようなものを書いた。そこに書いた通り、私は、映画を何かしらの現実を写し出すものとして読み、そこから読み取れたことや考えたことを文章にすることが多い。

ただ断っておきたいのだが、私は、全ての映画がそういう「現実の写し絵」として読まれるべきだとか、そういう読み方ができる映画こそ価値が高いのだ、などと主張したいわけでは決してない。ただ私にとってはそういう映画が文章を書くきっかけになりやすいということであって、それは映画の価値の高さ低さとはまた違う話だ。

逆に、私としてはとても面白く感じた映画でも、それについてうまく文章が書けない、ということがしばしばある。とりわけ、暴力やセックス、人間のあからさまな欲望や倒錯、狂騒や死など、所謂「エロ・グロ」というか、ある種露悪的なものを徹底的に突き詰めて一つの映像世界へと昇華するような映画については、文章を書くのが難しいなと思うことが多い。

その種の「エロ・グロ」要素のある映画が嫌いなわけではないし(特別好きというわけでもないが)、露悪的なものによって緊密で洗練された世界観が作られていれば、そこに強い印象や感銘を受けることもある。ただなんとなく、そういう映画で描かれた暴力や欲望についてどうのこうのと釈義して、そこに現実性やら社会性を読み込むのもなんとなく野暮だという気がしてしまうのだ。端的に言えば、よくできているかできていないか、提示され構成された醜悪さがある種の美的な質を伴った映像世界へと昇華されているかどうか、その点くらいしか印象や感想が書けないような気がしてしまうのだ(この辺、もう少し映画史やら図像学やらを勉強していればまた違ったアプローチもあるのだろうけれど)。

なので、どうもそういう露悪的な映画については記事を書くのを後回しにしてしまい、結局しっかりしたものを書かずに終わってしまうことが多い。ただまあせっかくなので、このブログを始めてから観たいくつかの映画で、印象的だったのだが記事が書けていない三作について、覚書がてら感想を書いてみたい。

 

というわけで、以下、

・ペドロ・アルモドバル「マタドール」(1986)

・ケン・ラッセル「ゴシック」(1986)

ピーター・グリーナウェイ「コックと泥棒、その妻と愛人」(1989)

について書いていくことにする。 

 

…一応断っておくと、いわゆる「エロ・グロ」系の話や記述が苦手な方は、以下ご注意を。

 

快楽と破滅に向かって高まっていく欲求のリズム(ペドロ・アルモドバル「マタドール<闘牛士>・炎のレクイエム」/Pedro Almodóvar "Matador" ES 1986)

「死」に取りつかれた元闘牛士と、性行為の最中に相手を殺すことに快感を覚える弁護士とが、互いを意識し合い関係を深め合っていく、というのが物語の軸。彼らは既に何度も殺人を犯しているのだが、彼らの社会的地位からか容疑はかかっていない。彼らの罪をかぶることになった元闘牛士の教え子と、巻き込まれた元闘牛士の婚約者とが、刑事とともに真相を究明し、闘牛士と弁護士の常軌を逸した逢瀬を止めようとする。大まかな話の枠としてはそんなところ。

映画の冒頭から最後まで、とにかく性行為のシーンが多いし、それがまたなまなましい。局部を写さないこと以外はポルノビデオと変わらないじゃないかと思うくらい、扇情的で湿度のあるセックスシーンが繰り返される。それに並行して残虐殺人の映像も流され(こちらはそれほどなまなましいものではないが)、ところどころで深紅の血液がしたたる。その種のものが苦手な人にとっては耐え難い映画かもしれない。

しかしとにかく、話の中心にいる二人、ナーチョ・マルチネス(Nacho Martinez)演じる元闘牛士と、アサンプタ・セルナ(Assumpta Serna)演じる弁護士の情事の描写が、緊迫感があって、扇情的で、しかし綺麗で、印象的だった。映画の冒頭、元闘牛士は残虐殺人のビデオをみて自慰にふける。弁護士は、男の身体にまたがって体を揺らしながらその首根を突いて刺殺する。死に取りつかれた二人は、出会った当初にはお互い敵対するかのようにふるまうのだが、次第に互いの身体を求め、また同時に互いの破滅をも求めるようになる。死に向って煽り立てられる闘牛の緊迫した行程のように、映画の進行とともに、快楽と破滅に向う二人の欲求が高まっていき、それはラストシーンで極点に達する。

後半、二人の死を予感して逢瀬を止めようとする登場人物たちには、邪魔をしないでほしい、とさえ思ってしまった。そのくらい、緊密に閉じられた空間において高まっていく二人の情事は、綺麗なものだった。物語上の細かい設定や話の進め方には無理があったり苦笑してしまったりしたところもあるのだが、それを差し引いても、最後のシーンへ収斂していく緊迫した映像のリズムはとにかく印象的なものだったし、静止した「事後」の絵の構図も見事だった。この種の映画が嫌いでない人には、お勧めできる。

 

恐怖と不気味を詰め込んだ邸宅における狂騒の一夜(ケン・ラッセル「ゴシック」/Ken Russell "Gothic" GB 1986)

舞台はスイス郊外に構えられたバイロン伯爵の豪勢な邸宅。そこを訪れた詩人シェリーとその恋人メアリー、彼女の義理の妹クレア。医師ポリドリも交えて、彼らは激しい雷雨の一夜を邸でともに過ごすことになる。食事のあと、怪談話を披露し合ったことをきっかけに、彼らの想像力と恐怖心から、悪夢の一夜が始まることになる…というようなあらすじ。この一夜の体験をもとにして、メアリーはのちに「フランケンシュタイン」物語を、またポリドリは「ドラキュラ」物語を着想することになる、という怪物誕生の逸話という要素も備えている。

暴力、セックス、ドラッグ、狂気、怪物、幽霊、その他なんやかんや不気味なものやらグロテスクなものやらと、とにかく人を怖がらせたりいやな気持ちにさせたりしそうなものが、邸のなかにこれでもか詰め込まれていた。その効果で確かに伯爵のお邸には独特の雰囲気が演出されていたのだけれども、率直に言うと、作り物のお化け屋敷という印象がぬぐえず、観ながらなんどか笑ってしまった。以前デヴィッド・リンチ「イレイザーヘッド」についての感想でも書いたのだけれど、恐怖を引き起こすはずの異形のものをあまり直接的に具象化してしまうと、どこかこれみよがしに過ぎるものなってしまい、不気味というより滑稽なものになってしまうことがある。この映画に関しては、個々のモチーフが寄り集まって緊密な映像世界を作っていた…とは言い難く、それぞれのモチーフの間に人為の隙間が見えてしまっていて、その隙間を見せられてしまうと入り込めないよね、という気持ちになってしまった。

それともう一つ不満を言えば、暴力にしてもセックスにしても、狂騒にしても狂気にしても、エロにしてもグロにしても、どうせ描くならもっと突き詰めてほしいと思ってしまった。ちょうど上記の「マタドール」を観た数日後の鑑賞だったので、マタドールの突き詰め方に比べると、この映画のエロもグロも、これ見よがしな割には中途半端に思えてしまった。性的な場面で直接的に表現されるのはせいぜい上半身までだし、残虐的な要素としてもとりあえずは血を流して泥まみれになっているだけだし…いやだけってことはないかもしれないけど。この辺り、国によって規制が違ったりするのが関係しているのだろうか。

それなりに否定的な感想も書いたが、フランケンシュタインやバンパイアの逸話などを考慮に入れつつ観ればまた別の見え方をしてくるかもしれない。邸の作りや雰囲気はよく、そのなかを登場人物が華美な装飾をふりまわしながら狂騒的に駆け回る映像は、なかなか印象的でよいと思った。

 

罪深さと醜悪さを描き切ることによって昇華された映像世界の美(ピーター・グリーナウェイ「コックと泥棒、その妻と愛人」/Peter Greenaway "The Cook, the Thief, His Wife and Her Lover" GB/FR/NL 1989)

これは観たのは少し前だったかな。舞台はフランス料理店。話の中心にいるのは、タイトルが示す通り、料理店のコックと、この料理店の共同オーナーたる泥棒、そしてその妻と、その浮気相手である書店員。泥棒は妻と仲間を連れて毎夜のようにレストランで大騒ぎしながらご馳走をたいらげており、それにコックは辟易しつつも逆らえないでいる。泥棒から暴力を受けながらも逃げられないでいる彼の妻は、レストランで一人本を読みながら食事をする知的な書店員に惹かれ、彼らは言葉も交わさないまま化粧室で交わる。それから逢瀬を重ねる二人に当初は気付かないでいた泥棒も、やがて妻の不貞を知り、激怒して書店員に制裁を加えようとする。ここから物語は破局的な結末へと向かっていくのだけれど、これについてはさしあたり書かないでおく。

この映画を観たときの率直な感想は、世の中にはこんなにとんでもない映画が存在するのか…というものだった。後半15分くらいは口をあんぐりあけて観ていたと思うが、観終わって映画館を出、自室に戻るまでの帰り道もずっと唖然とした表情をしていたと思う。帰宅してから鏡で自分の顔を見たらまだ唖然としていた。とにかく衝撃的な映画経験だったし、未だにそれをうまく言葉にできないでいる(実は一度記事を書こうとしたがうまく書けなかった)。圧倒的な質で、圧倒的な映像の力で、ただただ唖然とさせられてしまった。

言葉にできないなりに書くと、この映画において圧倒的なのは、映像世界の構成の仕方だ。明らかにマニエリスムやバロック絵画が意識されたレストランの調理場や内装は、はっきり言ってまったくリアリティーのあるものではない。ものの配置や人々の動きなど、もっぱら一つの世界観だけが突き詰められ、映像世界としての魅力だけが追求されている。駐車場、調理場、レストラン、手洗いと、場所によって切り替わるライトの色彩効果も、ジャン=ポール・ゴルチエによってデザインされたという衣装も、映画のうちに独自の映像世界を構成するというただそれだけのことに奉仕している。そしてその構成は、明らかに成功している。この映像世界の質を経験するというそれだけでも、この映画を観る価値はあると思う。

物語の進行においては、食欲に暴力、愛欲がこれでもかというほどに露悪的に見せつけられる。泥棒やその一味のレストランでの食事風景は下品でがさつであり、泥棒は気に入らない人間に対して、最高度に痛ましい苦しみの伴う拷問さながらの暴力を行使する。泥棒の妻とその愛人とは、言葉よりも先にむさぼるようなセックスを始める。ただ不思議なことに、一つ一つは耐え難いはずのこういった露悪的な契機のどれもが、この映画の映像世界においては、映像の質を、その緊密な美しさを構成する要素として働いているのだ。

露悪的なものが集められ緊密に閉じられた映像世界へと昇華されていくそのプロセスは、物語が後半にさしかかるにつれてそのリズムを高め、最後のワンシーンに極まることになる。それは言葉にしてしまえばエログロや醜悪さの極みとも言える出来事であるだろうが、しかしそれにもかかわらず、この映画において提示されるそれは美しいものでさえあった。物語において重要な役割を果たす厨房の少年が歌う歌さながらに、罪深さを徹底して露悪的に描き切ることで、ある種の浄らかささえ感じさせるカタルシスの瞬間が、そこに現出する。

そもそも暴力や性的なシーンがまったく見られないという人でなければ、ぜひ観てみてほしい、強くお勧めできる映画だと思う。マニエリスムからバロックあたりの西洋絵画が好きな人も楽しめるのではないかと思う。

 

書き始めたらなんだかんだでそれなりに書いてしまった。今後またこの種の映画で印象的なものがあったら書いていきたい。

「映画を読む」ということについて

このブログを始めて三か月が過ぎて、記事もいくつか書いてみて、なんとなく自分なりの原則というか指針のようなものができてきたような気がする。ブログのタイトルも登録時の「Filmreview」から少し前に「映画を読む」に変えたのだが、これは私が今後も映画について書いていく際のモットーのようなものになると思う。なので、それについて私自身のスタンスというか、考え方のようなものを、簡単に書いておきたい。

 

読まれるものとしての映画、現実の映し絵としての映画

映画というものは、特定の時間と場所で、特定の条件下で制作される。そこに描かれる内容も、またそれを表現するための技術や方法も、特定の歴史的条件に制約されている。それは逆に言えば、映画のなかには、ある特定の歴史的文脈で生じた諸々が織り込まれているということでもある。ある映画におけるテーマやコンセプト、或いはその映像や音楽は、その時代その場所そのコンテクストを含みこみ、映し出しているのだ。

もちろんそれは、当時の歴史そのものではありえない。映画製作者による事実の捻じ曲げや単純化、特定のイデオロギーや思想の投影といったことも、映画のうちではしばしば生じている。さらに言えば、20世紀文化産業の申し子たる映画は、商業的な利害関係と無関係に制作されるものではなく、興業上の成否もまた映画の内容に反映されている。映画は決して、純粋に現実を知覚するものでも、利害関心から自由なものでもない。

重要なのは、このような捻じ曲げや投影、利害関係の反映それ自体もまた、やはり時代の産物だということだ。端的に言って、映画はその時代の写し絵であり、その映像のうちには——意識的にであれ無意識的にであれ——多彩なものが織り込まれている。このイメージの織物からは、ある種の時代の写し絵を読み取ることができるだろう。「映画を読む」と私がいうときの映画とは、このような意味での読みもののことだ。

 

…以上のことはもちろん、あらゆる芸術作品に共通することではあり、映画にのみ言えることではない。それでも映画に特有なことがあるとすれば、それは、映画が20世紀という時代の産物であるということだろう。

映画技術それ自体は既に19世紀に生まれているが、映画が実際に人々の間に広がり、良くも悪くも一大文化産業となり、それを作る人々や鑑賞する人々の生活を左右するようなものになっていったのは、20世紀のことだ。20世紀という時代はそれ自体決して一義的なものではないが、それでもそこには今の私たちの生活世界とある程度まで連続した近代性、社会性があり、そのことが映画制作をも規定している。

21世紀に入っても、今のところは、映画はその存在感を失っていないように見える。今後どこまで映画という表現メディアが生きていくのかはわからないが、少なくとも現時点では、映画は、20世紀から21世紀という時代——近代から現代と呼ばれる時代——における諸々のイメージを写し取るものとして機能しているように思える。この意味で、「映画を読む」ということは、同時に、我々の生きている今に連なる時代を読むということでもあるだろう。

 

映画を「読む」ということ、その制約

ところで「映画を読む」というそのことは、映画の筋や内容、あるいはその映像を、単に客観的に叙述するということではないだろう。というのもそこには、イメージを「読む」というある種主観的な行為が介在するからだ。目や耳を通して知覚したものを、理解し、考え、解釈する、というプロセスを経て、私ははじめて映画について何かを書くことができる。

このプロセスは、少なくとも私にとっては、テクストを読み、それについて何かを書くことと似たような作業だ。読むという作業において私は、テクストのうえに織り込まれたものに依拠するわけだが、しかしテクストに書かれている文字を手掛かりにして、直接には書かれていないことまでをも考えることができる。例えば時代背景や筆者の意図を考慮することができる。さらには書かれている文字やその布置関係が——ときには筆者の意図を超え、またときには筆者の意図に反して——どのような解釈可能性を開いているかを、読み込むこともできる。映像だけでなく、言葉や音から成る映画のイメージ群もまた、このようなものとして「読む」ことができるはずなのだ。

この「読む」という作業は、読みものとしての映画に依拠するものであると同時に、読み手にもかかっている。つまり読み手である私のもっている知識や経験によって、読まれ方は大きく変わってくるだろう。同じ映像を見ても、それをなんとも思わない者もいれば、そこに重要な解釈契機を見る人もいるだろう。

もっとも、読まれるものたる映画が歴史的・社会的制約のなかにあるのと同じように、読む者たる私もまた、ある特定の歴史や社会のコンテクストの中に——望む望まないとにかかわらず——巻き込まれている。日本で生まれ日本で育ち、ある程度年をとってからたまたまドイツで勉強することになった私がドイツ映画を観るまなざしは、たとえばドイツで生まれヨーロッパを出ることなく育った学生とは違うだろう。或いは生まれ育ちの状況は似ていても、映画に関してはまったく違う見方をするということはしばしば生じる。時代や場所、知識や経験に制約された一個人として、たまたま観ることになった映画を読み、その感想や印象を文章に定着させていくということ、私にできるのはこれ以上のことではない。

もっともこれは、恣意的な思い付きとは違うものであると思っている。「読む」ことは、その映画とその鑑賞者だからこそ可能になる特殊な事柄ではあるのだけれども、そこには同時に、個人的な感想に還元できない何かしらの質がかかっているはずだと思う。私は、今の自分にできる範囲でではあるが、ある種の質を担保できるような映画の読み方ができればいいと思っているし、その質を伴った感想や印象を反映した文章を書くことができれば、と思っている。

 

私の「読み方」について

最後に少し私自身のことについて。

私はどうも、何かを「読む」際に量をこなすということが苦手な人間のように思う。いわゆる「遅読」というやつで、本を読む際、流し読みしようと思いながらページを繰っていっても、読んでいるうちにだんだんとそれができなくなっていき、メモをとったり書き込みをしたりして、読み終わるまでかなりの時間を要してしまう。だから量がこなせない。そのくせ、ある作家がいつどこで何を書いたかとか誰と友人だったかとか、或いは本の概要がどうだったかとか、そういう基本的な情報を覚えることも苦手だ。すぐ忘れてしまい、読んだ時の印象だけがぼんやりと残る。

このことは、私の映画の観方にもあてはまる。私は自分のことを「映画好き」と自称することが苦手なのだけれど、それもこの点に関係する。私の知る限り、いわゆる「映画好き」の人たちは本当に大量の映画を鑑賞しているし、監督や俳優のこと、映画にまつわる賞のこと、映画史や映画理論にまつわる諸々のことを本当によく知っている。或いは映画技法や音楽、制作過程について体系的な専門知識を持っている人もいるだろう。私自身その種の情報を読む際には面白く感じるし、そういうことをよく知っている人をうらやましいとも思う。しかし私はどうもその能力が弱いようで、映画もそこまでの量をまとめて観られないし、映画に関する情報を記憶のなかに保存しておくことができない(このブログ上に出てくる細かい情報などはその場で調べて書いたもので、私のなかに定着しているものとは言い難い)。この点に関しては引け目を感じてもいる。

そういうわけで、私の映画の読み方というのは、或いはそれに関する文章の書き方というのは、どうしてもその時その時に観た映画に定位する、というものになる。ある特定の映画の鑑賞を通して読み取ることができたものが、文章の基本になる。監督のスタイルの変遷とか、映画史的な問題設定とか、技法的な問題とかは、書ける範囲では書きたいけれど、それについて私は、おそらくそこまで実のあるものは書けないように思う。私はそれについて専門的に勉強したわけでもないし、情報としての知識もない(いつか時間ができれば、一度ちゃんと勉強したいとは思っているのだが)。だからこの点を求める人にとっては、私が映画について書く文章というのはあまり読み甲斐のないものかもしれない。

ただそれでも、私なりに映画から読み取れたものを、私なりに知っている事柄と関連づけつつ文章に定着していく、という作業はしていきたいと思っている。現実の写し絵として映画を読むという方針からも、また私自身がこれまで勉強してきたものとの関係でも、私が何かを書きたいと思う映画は、どうしても近現代ヨーロッパ、とくにドイツの文化や社会に関するものが多くなってしまいがちで、そのことは少し一面的だなとは思うのだが(逆にとてもよいと思った映画でも、うまく印象や感想を言葉にすることができず、また印象や感想を文章に定着させる十分な手掛かりもなくて、記事が書けないということがある。それは端的に残念なことではあるのだけれど、さしあたっては仕方がない)。

願わくは、映画について、ある種の質を伴った印象や感想をそこに反映したような文章を書ければとは思っている。もっともそれは半分以上、自分自身のためのものではあるのだが(その時の印象や感想を忘れないように、そのとき考えた事柄をあとで思い出すよすがになるように)、自分が書いたものを、たまたまここに辿り着いた誰かに読んでもらえれば、それは端的に嬉しいことだ。そして万一そこから何かを感じたり考えたりしてもらえたならば、それ以上のことはないと思っている。

今後も少しずつ更新していければと思っているので、もし時間と関心があれば、よろしくどうぞ。

読まれる過去の夢、現前する感情、交錯する空間と時間(ルート・ベッカーマン「夢のなかにいた者たち」/Ruth Beckermann "Die Geträumten" 2016年)

ルート・ベッカーマン「夢のなかにいた者たち」(Ruth Beckermann "Die Geträumten" AT 2016)を鑑賞。本作は、オーストリアの映画祭Diagonale 2016にて最優秀映画賞を獲得している。

ベッカーマンは、ユダヤ系オーストリア人という自らのルーツを主題にしたドキュメンタリー映画を長年にわたって制作してきた監督。ちょうど今月、近所で彼女の映画特集が組まれており、本作の上映のあとには監督ベッカーマンと脚本を手掛けたイーナ・ハルトヴィク(Ina Hartwig)とのトークセッションがあった。監督は独特の雰囲気と存在感がある人で、オーストリア訛りのドイツ語ではっきりと話すその語り口は聞きやすいのだが、話す内容は奥行きがあって引き込まれるものだった。今月はまだいくつか彼女の映画を上映するようなので、この機会にいくつか観られたらと思う。

 

おおまかな感想、印象

この「夢のなかにいた者たち」は、監督自身の言葉を借りると、ある種の「実験」映画なのだという。つまり、過去に属する文学的・詩的な語りが現代を生きる若者にどう作用するのかを、また過去の言葉が持つ詩的な力が特定の時代の制約を超えてそれを読む者にどのように働きかけるのかを観察し、記録した映画だというのだ。

映画の内容をあえて一言でいってしまうと、過去の二人の詩人——パウル・ツェランとインゲボルク・バッハマン——の間で交わされた書簡を、一組の若い俳優-——Laurence RuppとAnja Plaschg——がラジオ局の一室で何日間かにわたって朗読していく、というそれだけのものだ。特定のロケーションで再現された歴史的場面の映像もなく、もっと言えば演技のために誂えられた舞台装置さえない。用意されたのは、ラジオ局の一室、一組の録音装置、そして読まれるべき書簡集のテクスト、さしあたってはそれだけだ。冒頭と末尾で詩人たちに関するごくごく短い説明のテクストが提示されることを除けば、上映時間89分のほとんどが、一組の若い俳優が数日間にわたってマイクロフォンの前で書簡を読み上げていくその様子と、彼らの休憩や食事の様子とで、構成されている。

…このように書くと、何が面白いのかと思われてしまうかもしれない。実際この映画の内容といえば、若い俳優たちが詩人たちの書簡を読むというただそれだけしかない。しかしそれにもかかわらず、スクリーンのうえの映像群は、きわめて洗練されていて、印象深く、儚くも魅力的なものだった。この魅力は、読まれたテクストそのものから来るというよりもむしろ、テクストに書き込まれた詩人たちの感情の揺らぎと、それを読むことによって生じた俳優たちの感情の揺らぎとが交錯する、その空間と時間にこそあったように思う。

一方では、書簡に織り込まれた詩人の感情が、愛の喜び、断絶の嘆き、いらだち、嫉妬、失望や絶望までが、読むというそのことによって現前させられる。他方では、俳優たちが、自ら読み上げる言葉の波に入り込んでいき、笑顔を見せ、涙を流し、沈んでいく。手紙に書き込まれた過去の夢を読むことによって生じた揺らぎは、朗読という場を離れてなお、現在を生きる俳優たちの時間と空間に一定の響きを残すことになる。

過去と現在の交錯を現前させる映像群から、私自身、だんだんと目を離すことができなくなっていった。それどころか、手紙の記述が詩人の生の終わりを感じさせるものになっていったとき、この交錯が、この映像が、この空間と時間が、もう少しだけ続けばよいのにとさえ思わされた。しかし書簡は終わり、映画の幕が閉じられた。

 

ツェランとバッハマン、「夢のなかにいた者たち」

戦後のドイツ語圏文化を代表する詩人パウル・ツェラン(Paul Celan, 1920-1970)とインゲボルク・バッハマン(Ingeborg Bachmann, 1926-1973)の手紙のやり取りは、1948年から1967年まで、およそ20年に渡った(彼らの書簡集は2008年になって編集・出版され、それがこの映画の着想のもとになったとのこと)。もっとも、彼らの手紙は、さらに言えば彼らの関係それ自体は、幾度もの断絶を挟んだものだった。

彼らは1948年にウィーンで知り合い恋人同士となったが、チェルノヴィッツ(当時はルーマニア、現在はウクライナ)生まれのツェランはそれからすぐに祖国の共産主義政権から逃れてパリに亡命してしまったし、バッハマンも1953年以降イタリア、ドイツ、スイスと住居を転々とする生涯を送った。またツェランは1952年にはデザイナーと結婚しているし、バッハマンも1958年から作家マックス・フリッシュと緊密な恋愛関係を始めている。1950年代後半にはパリにおいて恋愛関係が再燃したこともあったようだが(その際には彼らそれぞれのパートナーも巻き込まれたようだ)、彼らの間にはほとんどいつも地理的な距離が存在していた。

さらに両詩人の間には、自らのルーツにかかわる断絶もあった。ドイツ系ユダヤ人であるツェランは、第二次大戦中には両親とともにゲットーに移住させられており、両親は収容所で命を落としている。対してオーストリア生まれのバッハマンの両親は戦時中にナチス党に属していたのだという。バッハマンはこのことについて直接的に話すことは好まなかったようだが、いずれにせよ、二人の間には、歴史によって規定されてしまった、自分自身ではいかんともしがたい精神的な断絶もまた存在していたようだ。

しかしこの地理的な距離や精神的な断絶にもかかわらず、また直接的な恋愛関係それ自体はさほど長く続いたわけではないのにもかかわらず、二人の詩人の手紙のやり取りは——時に大きく間を開けながら——20年にわたって継続された。むしろ彼らの間に決定的な断絶があったからこそ、彼らの関係は単なる恋愛関係として終わらず、彼らの言葉が書簡という形で記録されることになった、という側面もあるかもしれない。この映画のなかで朗読されるのは、この二人の書簡から抜粋されたテクスト、それ自体きわめて詩的な表現に富んだテクスト群である。その文章のなかには、二人の詩人の感情の揺らめきが繊細に織り込まれている。愛の喜びも、断絶の嘆きも、悲しみも、苛立ちも、嫉妬も、失望も、絶望も。

映画のタイトル「夢のなかにいた者たち」(Die Geträumten)は、バッハマンの手紙の中の「私たちは、ただ夢の中にいただけだったのかしら?」(Sind wir nur die Geträumten? 直訳すると「私たちは、夢見られた者たちでしかないのかしら?」)という問いかけから来ている。彼ら二人にとって、夢のなかのような幸福に満ちた時間は決して長く続くものではなかった。しかしそれでも彼らは、かつて夢のなかにいた自分たちの思いを拠り所にして、断絶を挟みつつも、関係を継続し、文字を介して互いの思いを交錯させ続け、感情を織り込んだ言葉を記録していった。

 

二人の俳優によって読まれる過去の夢、現前する感情

映画中で書簡を朗読するのは、二人の若い俳優である。ツェランの手紙を読み上げるのは、細見でどこかひょうひょうとした雰囲気のあるLaurence Rupp(監督曰く、詩人たちと同じオーストリア訛りのドイツ語を話すイメージ通りの俳優を見つけるのに苦労したそうだ)。バッハマンの手紙を読むのは、中性的だが、表情豊かな目を持つAnja Plaschg(彼女はSoap&Skinという名前で音楽活動もしているとのこと)。あえて言ってしまえば、二人は、どこにでもいそうというか、その辺を歩いていてもおかしくないような一組の若者だ。彼らは、ツェランやバッハマンについて予備知識もなかったという。読まれるテクストこそ事前に渡されたそうだが、詩人たちが書き込んだ書簡の言葉は、彼らが日常で話す言葉とは異なったものだ。この書簡の言葉だけを頼りにして、なかば即興で、彼らは詩人たちの過去の夢を朗読することを始める。

マイクロフォンの前に立たされ、書簡の抜粋を朗読していくなかで、彼らの表情は、詩人たちの言葉に呼応して変化していく。柔らかな喜びが、痛ましい悲しみが、クローズアップされた彼らの表情に繊細に浮かんで、また次の表情へと移行していく。彼らは体の身振りを使ったいわゆる「演技」は一切しないが、ときにはマイクロフォンの前で、ときには椅子に座ったままで、さらには床に寝転がって、書簡を朗読していく。ときに視線を交わし、またときに目元に涙が浮かばせる。この表情の変化それ自体、どこまでが「演技」でどこまでが「自然」であるのか、観る者にはわからない。いずれにしても彼らの表情——顔の表情と、声の表情——は、彼らによって読まれた過去の夢を、そこに織り込まれた詩人たちの感情を、印象的な仕方で、現前させていく。

 

過去と現在が交錯する、空間と時間

この「実験」映画に独特のアクセントとリズムをもたらしているのは、朗読の合間合間の休憩や、或いはラジオ局を出ての食事やコンサート訪問の映像だった。撮影がなされたラジオ局の玄関口で、二人は煙草を吸いながら、とりとめのない話をする。趣味の話や、タトゥーの話。また二人は、彼らが読んでいる書簡について、書き手たる詩人たちが何を思ってこの文章を書いたのかを話し合う。少しだけ、ほんの少しだけ彼らを取り巻く空気が変化していっているような気もするが、それは決して劇的なものではない。実際のところその変化は、彼らが読んでいるテクストとは何の関係もなく、ただ若い二人が数日を一緒に過ごして親密になっていったというただそれだけのことなのかもしれない。しかしいずれにしても、書簡の朗読の合間に提示される俳優たちの何気ない会話や振る舞いと、読まれていく過去のテクストとの間には、独特の布置関係が構成されていく。

個人的にもっとも印象的だったのは、休憩の間に二人が床に寝転がり、Ruppがスマートフォンで音楽を流し、それを聴きながらPlaschgが腕や指を動かしているのを、遠目から撮影した映像だった。もう日も暮れていて、部屋と部屋を区切るガラスに室内灯が反射し、どこまでが彼らのいる空間でどこからが別の空間なのかの境目が曖昧になっていて、撮影スタッフらしい人物がぼんやりと画面に映りこんでさえいた。さらにそこには、さっきまで読まれていた——そしてまたその後でも読まれるであろう——詩人たちの過去の夢の言葉も、響いていたのかもしれない。疲労感と親密さが入り混じり、境界線が見えなくなった、ゆるやかな空間と時間。それはとても心地のよいものであるとともに、束の間のものでもあった。

読み上げられる手紙の日付が進んでいくにつれて、少しずつ、過去と現在が交錯するこの空間と時間もまた、終わりに近づいていることが予感されてくる。この映画の終盤に私は、まだもう少し、もう少しだけ続いてくれはしないかと思いながら、映像を眺めていた。しかし読まれる文章のトーンは変わっていき、詩人たちの関係の終わりを、それどころか彼らの生の終わりをも、意識させるものになっていった。やがて二人のあいだに、満足な返信がなされなくなる。最後の文章が読み上げられる。映画は終わる。この時間と空間も終わる。小さな、しかし忘れることのできない残響とともに。

1933年のキングコング。美女に殺される怪物よりも恐ろしいものの影(「キング・コング」/"King Kong" 1933年)

ある意味では時代にのって、そしてある意味では時代に逆行して、メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック「キング・コング」(Merian C. Cooper, Ernest B. Schoedsack "King Kong" US 1933)を鑑賞。ちなみに最新版の「キング・コング」はまだ観ていない。

 

簡単なあらすじ

映画監督と急きょ選ばれた主演女優アンは、撮影のために映画クルーとともに船で伝説の「髑髏島」(Skull Island)へと渡る。髑髏島に上陸すると、島を区切るように築かれた高い壁の前で集まった原住民たちが儀式をしており、壁に設えられた扉に若い女性を捧げ祈っている。その儀式を撮影しようとした映画クルーを見て激怒した原住民たちは、やがて女優アンを捧げものにしようと迫ってくる。いったん船まで退却したクルーだったが、その夜、アンは原住民たちにさらわれてしまう。アンがいないことに気付いて慌てて島の壁へと向かうクルーだが、扉に着いたときに彼らが目にしたのは、髑髏島の主である大猿キング・コングが捧げものにされたアンをご満悦で連れ去っていく姿だった。森のなかに姿を消したコングを追って、クルーたちは島のジャングルへと分け入っていく。

ジャングルのなかでは、太古の恐竜を思わせる巨大な怪物が跳梁跋扈しており、クルーたちは苦戦する。大半が命を落とすなか、アンに恋をしていた船員がコングの住まう谷までたどり着き、命からがらアンを救い出すことに成功する。お気に入りのアンを奪われて激怒し、人里まで下りて暴れまわるコングに対し、映画監督はガス爆弾を投げつけ意識を失わせる。失神した大猿の化け物を見て彼は、ニューヨークまで連れて行って見世物にすることを思いつく。

ニューヨーク、ブロードウェイの劇場、堅牢な手枷足枷をつけられたコングは、着飾った聴衆の前で「キング・コング」として見世物にされる。当初は大人しくしていたコングだが、せわしなく焚かれるフラッシュの光に興奮し、桎梏を引きちぎって脱走してしまう。多くの建物や高速道路を破壊しながらニューヨークの街を暴れまわるコングは、やがて高層ビルのなかに隠れていたアンを見つけ出し、彼女を伴ってエンパイア・ステート・ビルに登る。しかしコングは、かけつけた空軍部隊の射撃によって傷を負い、そのまま地上へと墜落して、命を失う。そこに駆け付けた監督が一言、「怪物を倒したのは銃弾じゃない。怪物を殺したのは美女なのさ」。

 

怪物が美女をさらう、というモチーフ

言うまでもなくこの映画は大猿キング・コングをめぐる怪物譚であるが、ドイツ語のタイトル「キング・コングと白人女性」("King Kong und die weiße Frau)が示しているように、キング・コングが美しき女性アンに恋をし、彼女を島の奥深くへとさらってしまう、というのが話の軸をなしている。この意味でこの「キング・コング」は、怪物譚の王道の一つともいえる「怪物が若い女性をさらう」物語の原型でもあるだろう。

また、先日訪れた展覧会でたまたま知ったのだが、ゴリラそれ自体が19世紀になってようやく正式に「発見」されたものだそうで(まあ例によって欧米の学者からすると、ということなのだろうけど)、その当時からゴリラは野生的男性本能の象徴のような描かれ方をされていたとのこと。この「キング・コング」のイメージは、その一つの結晶でもあるようだ。

それにしても映画中のキング・コングの所作や表情には、その圧倒的な肉体の暴力性にもかかわらず、少なからず愛嬌を感じさせるものがある。泣き叫び気絶するアンを大事そうに手の平につつみこむコングには、どこかいじらしささえ感じてしまう。

もっとも、コングが暴れまわる特撮それ自体は、時代の制約にもかかわらず様々な工夫を持って表現されていて、なかなか迫力あるものになっている(今観ても飽きさせるものではなく、一見の価値があると思う)。その意味で、コングの描かれ方が怖くない、というわけではない。しかしそれにもかかわらず、物語の最後まで美女を追いかけまわしたすえに無残に命を失ってしまうコングは、どこか徹底的に恐ろしいものにはなりきれないような、観る者に同情の気持ちをおこさせてしまうようなところがある。そもそも彼は、暴れるためにニューヨークくんだりまで来たわけではないのだ。

 

キング・コングよりも恐ろしいもの

映画を観ていてよっぽど恐ろしいものに感じたのはむしろ、コングを捕えて見世物にしようと意気込む映画監督の方だ。自分が連れてきた映画クルーの大半が命を落としているにもかかわらず、ガス爆弾で失神した大猿を見てなによりもまずブロードウェイでのショーのことを考えられる彼の方が、ただ自分が気に入ったものを奪われて暴れるだけのコングよりも、よっぽど残虐で悪徳を感じさせる人物に描かれている。

そして実際にコングは、ただ見世物にされるというそのためだけに檻に閉じ込められ、両手両足に枷を付けられ、聴衆の前に放り出され、フラッシュの閃光に晒される。興奮して脱走し、好いたアンを見つけ大事そうに抱えてエンパイア・ステート・ビルに登るコングは、どこかいじらしく哀れでさえある。そして最終的には空軍の集中砲火をうけて落下し絶命してしまうコング。それを見て「怪物を殺したのは美女なのさ」などとどや顔でのたまうことができる監督の無責任さと無神経さの方が、コングよりもよっぽどおぞましい。特撮フィクションであることを差し引いても、そもそもあなたが連れて来なければ…と苦笑いをしてしまう。

監督のこのおぞましいまでにエゴイスティックな描写は、さすがに意図的になされたものだと思うのだけれど、どうなのだろう。原住民との対峙からコングのショーに至るまで、聴衆に受けそうなものを求めるという彼の一貫した行動原理は、ある意味では映画産業の行動原理を象徴してもいる。この意味で、この「キング・コング」という特撮映画は、映画そのものが孕む暴力性、大衆の耳目を集めるためには犠牲をも厭わない映画産業の暴力性を(おそらくは意図的かつ自嘲的に)可視化しているものなのではないかとも思う。

あるいはまた、キング・コングを、文明化や近代化の手が加わっていない「がゆえに」文明化・近代化された枠組みのなかで賞賛される作られた原始性の象徴だとして理解することもできるかもしれない。さらに言えば、コングが人間の美女にああまで——自分の命を失うまで——執着するこの物語には、原始性もまた文明化された「美」に抗えないだろうという産業文化のナルシシズムが読み取られうるかもしれない。いずれにせよこの映画は、キング・コングそのものの破壊の暴力性よりもむしろ、その描かれ方が印象に残るものだった。

 

さらに恐ろしいものの影

そしてもう一点。物語のクライマックス、エンパイア・ステート・ビルに登って暴れるキング・コングの姿を見ていて、どうしても連想してしまうものがあった。それは2001年のニューヨーク同時多発テロの映像だ。もちろんそこには、ニューヨークの超高層ビルというだけしか共通点がないので、これは私一個人の連想以上のものではないかもしれない。しかし超高層ビルから落下し絶命するコングの姿に、私は無意識に、あの9月11日の映像を重ねてしまった。しかしコングはしょせん、追い立てられるように高層ビルに登りはしたものの、射撃をうけて落下してしまった存在でしかない。むしろ人間の技術の産物である航空機こそが、現実において超高層ビルを崩壊させ、多くの人の命を奪うことになってしまった。おそらくはこの連想も、キング・コングが根本的に恐ろしいものに感じられない理由の一つだったように思う。

ついでに言うと、この映画の公開は1933年、ドイツでかの国家社会主義が政権をとったその年だ。ご存知の通り、それにつづく戦争の月日は、当時における最高度の人間技術をもって、最高度に非人間的な残虐と暴力が展開された日々だった。これも私一個人の連想に過ぎないかもしれない。しかしなんにせよ、現実の破局に比べると、この映画におけるコングの原始的な暴力は、どこか牧歌的なものにさえ見えてしまう。それよりもよっぽど恐ろしいものの影が、映像の内外に、ちらついていたのだ。

レジスタンスと解放の高揚感、転覆する列車と壁を這う蜘蛛(ルネ・クレマン「鉄路の闘い」/René Clément "La Bataille du rail" 1946年)

ルネ・クレマン「鉄路の闘い」(René Clément "La Bataille du rail" FR 1946)を鑑賞。「ヨーロッパ映画におけるレジスタンス」(Widerstand im europäischen Film)なる上映イベントの一環とのこと。それもあって映画前に専門家によるミニ講演もあった。

 

おおまかな感想、印象

ドイツ占領下のフランス、ナチスの監視下で鉄道の運営を強制されていた鉄道労働者たち。この映画は、彼らの抵抗運動を描いたものだ。もともとドキュメンタリーとして制作が始まったが、撮影過程で劇映画へと変更されていったものだとのこと。そのため、映画の中心となる鉄道労働者たちは、本職の役者ではなく実際にレジスタンスに参加していた労働者たちによって演じられている。この意味でこの映画は、フィクションとノンフィクションの狭間で制作されたものである、ともいえる。

以上の制作背景があり、しかも第二次大戦直後のフランスで制作された映画だけあって、ドイツ軍に抵抗した鉄道労働者たちは、勇猛果敢な英雄たちとして描かれる。彼らはあの手この手でドイツ軍による鉄道輸送を妨害し、交通網を麻痺させ、最後には輸送車両を転覆させることに成功する。映画の最後、占領から解放されたあとで、堂々とフランス国旗を掲げた人々を乗せた列車が走り去るシーン。その車両の最後尾に書き込まれた「フランス万歳!鉄道従業員たちも万歳!」という言葉。この歓喜の言葉は、ナチスドイツからの「解放」を謳う当時のフランスの国民意識の声であるだろう。それは当時の「解放」の高揚感を伝えるものであるが、同時に今の目から見るとどこか距離を欠いた、浮足立ったものにも聞こえなくもない。

無条件に面白いエンターテインメント作品でこそないが、一方では激しい戦闘や列車転覆という大がかりなシーンが、また他方では銃殺される人々の眼前で壁を這う蜘蛛にズームアップするような繊細な描写があり、なによりも映像表現としてなかなか見応えがあるものだった。

 

抵抗と解放の高揚感、「レジスタンス映画」の先駆けとして

映画前の講演では、この映画「鉄路の闘い」が「レジスタンス映画」の先駆けとなったこと、そして実際にその後フランスさらには世界中で製作されたその種の映画の手本になっていったことが、言われていた。

たしかに、この映画のレジスタンスの描かれ方、悪玉たるドイツ軍と秘密裏に抵抗する圧迫された労働者たち、という対比構造はわかりやすい。理不尽な暴力や虐殺にも屈せず、あの手この手を尽くして抑圧者たちに抵抗し彼らに混乱を生じさせ続ける労働者たちのレジスタンス運動は、観る者にある種の爽快感や高揚感を抱かせるものだった。この感情の高まりは、映画の最後のシーン、労働者たちのレジスタンスを讃えながら列車が走り去るシーンに極まっている。占領中はドイツ軍への抵抗の舞台であった列車や鉄路は、今や再びフランスの人々の手に戻り、そこを走る列車から身を乗り出す人々はフランス国旗を堂々と掲げている。ここで画面を占める独特の高揚感は、終戦直後のフランスが抱いたレジスタンスへの賞賛の感、そしてなによりも解放の歓喜の声の極まりとして理解できるものだろう。

とはいえ、画面に映し出されたこの歓喜の映像には、どこか距離を欠いた、浮足立ったものという印象も受けた。映画の主題である圧迫された者たちのレジスタンスそれ自体にシンパシーを感じることはできても、映画の最後のシーンを支配する勝利の高揚感には、どこか居心地の悪さを感じてしまった。この小さな居心地の悪さは、映画制作と描かれる対象との距離があまりにも近いこと、またそのそれゆえの直接的な肯定感から来ているのではないかと思う。或いはこの歓喜の高揚や肯定のなかで、映画の途中では繊細に描かれていたはずの痛みや嘆き、撤回できないはずの苦しみや傷がほとんどかき消されてしまっているということもあるのかもしれない。現実の戦争をある種の英雄譚へと語り直し、錯綜した歴史的出来事をある特定のグループの勝利や解放の歓喜に還元してしまうとすれば、この歓喜の声はそれ自体どこか国威発揚的な、どこかプロパガンダ的なニュアンスをもって響くところがある。それは、そこに身を合わせないものにとっては、どこか浮足立ったものにも聞こえる。

もっとも、もう少し距離をもった、観る者に戦争の現実を感じさせるようなレジスタンス映画が制作されるには、1946年というのは第二次大戦にあまりに時間的に近すぎるのかもしれない。その意味でこの映画はこの映画で、この時代この文脈だからこそ生じえたある特定の歴史的意識のドキュメントとして鑑賞するのが素直なのかもしれない。そしておそらく、戦後もう少し時間が経ってから、この映画を先駆者としつつ、多彩なレジスタンス映画が製作されていくのだろうとも思う。その意味でも、もう少し後に制作された同じルネ・クレマンのレジスタンス映画「パリは燃えているか」("Paris brûlet-t-il?" 1966)、またその他の監督による様々なレジスタンス映画も、ぜひ観てみたいと思う。

 

大きなものと小さなもの、転覆する列車と壁を這う蜘蛛

この映画において強く印象に残ったのはむしろ、幾つかの映像表現だった。

一つは、列車という大きなものの映像表現。この映画中において、鉄道というのは他ならぬレジスタンスの場であり、その上を動く車両群もまたきわめて緻密な質感をもって表現されていた。鉄の塊が密度をもって動くその様子、蒸気による車輪の回転が高まっていくその緊張感を映し出す映像それ自体が、この映画に一定の説得力を与えるものになっていた。

そして何より印象的だったのは、労働者たちの抵抗運動によってコントロールを失った列車が転覆して大破する場面だった。スピードを増し暴走していく長い車両群は、乗り込んでいたドイツ兵や戦車もろとも、脱線して荒野へと投げ出される。映画を通して圧倒的な質感を放っていた鉄の塊は、その中に積み込まれた生活とともに大破する。ドイツ兵のものであろうアコーディオンが、場違いな音律を立てながら転がっていき、やがて止まる。この場面は、レジスタンス運動の極まりであるとともに、戦争による崩壊の一つの極でもある。どうやって撮影したのか(どこまで本物の車両を用い、どこからが特撮なのか)はわからないが、列車という質量をもった鉄の塊が崩壊していくこの映像は、圧倒的なものだった。

もう一つ印象的だったのが、小さなものを追っていくその執拗さだった。映画としては前半から中盤にかけて、ドイツ軍に捕らえられた数人のレジスタンス参加者が壁に向けて立たされ順番に射殺されていくシーンがある。このシーンでカメラは、徹底して最後に銃殺される一人の労働者に定位し、彼の表情の変化、彼の見るもの、彼の聞く音、彼が触れるものを、しつこいまでに緻密に追っていく。

涙をたたえた表情。壁を這う蜘蛛。汽笛ともに吐き出される蒸気機関の煙の散逸。けたたましい汽笛。握られる手。隣に立つ労働者たちが打ち抜かれていくその銃声。握られる手。閉じられる眼。「打て」という乾いた命令の声。最後の銃声。立ち上る煙。

ここで彼の最期の瞬間それ自体は描かれないのだが、それがかえって、そこに至るまでの密度の高い映像描写と相まって、一人の抵抗者の銃殺というこの事態を忘れがたいものにしている。ディティールへのこの執拗なまでの拘りもまた、この映画がもつ表現の力の一つの極をなしている。

列車の転覆という圧倒的な崩壊と、壁を這う蜘蛛にまで至る執拗なディティールへの固執。この対照的な映像表現こそが、映画の最後を占める解放の高揚感よりも、この映画を印象的で説得的なものにしているものだと思う。

変わらないはずの知識が、変わりゆく現実に置き去りにされるとき(ミア・ハンセン=ラヴ「未来よ こんにちは」/Mia Hansen-Løve "L’Avenir" 2016年)

ミア・ハンセン=ラヴ「未来よ こんにちは」(Mia Hansen-Løve "L’Avenir" FR/DE 2016)を鑑賞。独仏合作で、観る直前に知ったのだけれど、昨年2016年のベルリン映画祭で銀熊賞を獲得した映画だとのこと。

 

おおまかな感想、印象

知識と教養のなかに生きる初老の女性が、静かに、けれども抗いがたく、周囲の現実に取り残されていく様を描いた映画。全編にわたってイザベル・ユペール(Isabelle Huppert)演じるパリの哲学教師ナタリーの生活が淡々と描かれるのだが、物語は劇的に動きそうで動かず、ナタリーは何か大きな決断を下しそうで下さない。まず周囲の生活が彼女の意志に構わず変わっていき、その変化に応じざるをえなくなったナタリーは、静かにだが自分の生き方を変えていくことになる。多くの哲学者の名前や著作が行き交うこの映画では、変わらないはずの知識や思想のなかに生きているつもりの者も、現実の変化のただなかに生きており、そしてその現実に流されているのだということが描かれている。哲学を愛し知識や文化のなかに変らずに生きていけると思い込んでいたナタリーもまた、生活の変化に置き去りにされていく。

この「現実に置き去りにされること」が、この映画の重要な主題のひとつであるだろう。ナタリーは、夫に置き去りにされ、仕事に置き去りにされ、母に、猫に、かつての教え子に、置き去りにされていく。自分が取り残されていることに気付いてはじめて彼女は、現実の自分の生活と向き合わねばならなくなる。もっともこの映画が決して退屈で単調なものにならず、また決して悲観的なものになっていかないのは、置き去りにされたナタリーが、劇的な仕方ではないがしっかりと、現実の変化と向き合っていくからだろう。取り残され、静かに涙をながす彼女は、変わりゆく現実に対して弱く無力ではある。しかしそれでもナタリーは、自分がこれまで生きてきたものを簡単に捨てることをせず、自らの生活を調律しながら、残った現実の上を歩み始める。彼女には、まだ、未来が残っている。

 

 簡単なあらすじ(ネタバレあり)

パリの高校で哲学を講じる教師ナタリーは、その傍らで哲学に関する書籍出版にも携わっている。彼女は、夫とともに過ごす「満たされた知的な生活」を愛している。しかし彼女の生活は次第に変化していく。彼女の生徒たちは高校の前でデモを始める。25年連れ添った大学教授の夫には、新しい恋人ができたので別れたいと告げられる。出版社との契約は打ち切られる。介護施設に入れざるをえなくなった母は亡くなる。猫アレルギーにもかかわらず母の愛猫パンドラを引き取らざるをえなくなる。

突然にさまざまなものを失ったナタリーに、夏季休暇がやってくる。彼女は、喪失のあとに抱いたある種の自由の感情とともに、かつての教え子であるファビアンのもとを訪れることにする。ファビアンは、大学で専門的に哲学を学びナタリーの助力でホルクハイマーに関する論文を出版したのち、都会のブルジョワ的生活から離れたラディカルな生き方を求め、仲間とともに山荘を購入しそこで哲学的議論に興じる生活をしている。ナタリーは、パンドラを連れてこの山荘での生活を始める。しかし彼女は若者たちのようにラディカルな考え方もできず、またそのことをファビアンに批判されもし、結局山荘からパリに戻ることになる。

パリに戻り教師としての生活を続けるナタリー。夫は必要な本をもって出て行ってしまった。ナタリーはパンドラを手放し、ファビアンの山荘に住まわせることにする。元夫が探していたショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を彼に手渡す。そうこうしているうちにナタリーの娘が妊娠し、子供を産む。ナタリーは、娘の家族とともに、ささやかな夜を過ごす。

 

変わらないはずの知識、変わりゆく現実

哲学教師ナタリーは、大学教授の夫とともに「満たされた知的な生活」を送り、それを幸福に思っていた。彼女は知識を愛し、そのうちに安らっていたし、その安らぎがいつまでも続くと思っていた。しかし現実は彼女に安らぎをもたらさない。「いつまでも愛してくれると思っていた」夫は新しい恋人を作って自分のもとを去っていく。手軽さやわかりやすさに屈さない彼女の哲学本へのこだわりは編集者たちに疎ましがられ、彼女が好んで拠り所とするアドルノやホルクハイマーといういわゆる「フランクフルト学派」の哲学者たちの書籍も「もうこれ以上出版する必要があるのか疑問」であると言われてしまい、ついには出版社との契約を切られてしまうことになる。彼女が望む望まないにかかわらず、変わらないはずの知識が、変わりゆく現実に置き去りにされていく。

さらにナタリーは、哲学的知への情熱を共有できるはずだったかつての教え子のもとで、また別の仕方での現実の変化を思い知らされる。ナタリーが学生だった頃——おそらくそれこそ例の「フランクフルト学派」の流行が生きていた時代だろう——には、ラディカルな知識人の生き方と言えば社会運動への参画であっただろうし、男性からの女性の自立でもあっただろう(だからこそナタリーは高校の生徒たちのデモンストレーションに一定の理解を示すことができた)。しかし今や、彼女が自由の気持ちを抱いて訪れた山荘の若者たちにしてみれば、ナタリーのようにラディカルな社会批判の哲学を講じながら都会で市民的な生活を送るというのは言行不一致な嘘の生き方だということになる。かつて彼女の信奉者だったファビアンにその点を非難されることで、ナタリーは、彼女が安らっていた知識という面でさえ、時代の変化が彼女を置き去りにしているということに気付く。

 

現実に置き去りにされるとき、無力なままにその変化のうえを歩むこと

この「置き去りにされる」というモチーフが、この映画に通底している。ナタリーの母親は、かつて夫に捨てられた記憶から、「置き去りにされる」ことを過剰なまでに恐れ、いつも誰かがそばにいることを、子供のように望んでいた。知識と幸福のうちに安らっていると思い込んでいたナタリーもまた、夫や仕事に置いていかれ、母にも先立たれ、そして彼女の知識さえも時代遅れになってしまった。変わらないはずの知識の世界に生きていた彼女もまた、変わりゆく現実に置き去りにされてしまった。彼女は自分の無力さの前に呆然とする。一人で怒り、一人で泣く。そうしてようやくナタリーは、自分自身の生活と向き合うことを始める。

ナタリーの現実との向き合い方はしかし、決して劇的な変化に富んだものではない。もしかすると、自由の感情を抱いて山荘に向ったときの彼女は、ある種の劇的な変化を望んでいたのかもしれない。しかし彼女は「ラディカルに生きるには年をとりすぎた」のだ。運動不足の猫のパンドラでさえ、山のなかでは狩猟本能を発揮してネズミ狩りをしてくるというのに、ナタリー自身には何かが目覚めるということもない。彼女にはもう、若いファビアンたちのような生活の変革へのエネルギーも、また現実的な自由の余地も残っていない。そのファビアン自身でさえ、ともに山荘に住む恋人との間に子供が生まれたら、今のような生活は難しくなるかもしれないと口にする。ナタリーには既に二人の子供がいて、高校には彼女の生徒たちがいる。そして娘には孫が生まれもする。これらの現実は、彼女のこれからの生き方をも限定する現実であって、彼女にはもはやそこからの劇的な変化は望めないのだ。

しかしそれでもナタリーは、彼女のもとに残った現実と向き合うことを放棄しはしない。それは決して、彼女にとって理想的なあり方ではないかもしれない。自分を捨てたものたちに対して意固地になり、人を傷つけてしまうこともある。それでもナタリーは、これまで生きてきた自分の現実を捨て去ることをせず、彼女の前に生じてくる一つ一つの出来事に淡々と向き合い、自分の生活を調律していく。彼女が自らパンドラを手放すことを決め、都会の部屋という「箱」の中しか知らなかったパンドラに山荘の生活を与えたことは、ナタリーの小さな変化を象徴しているだろう。箱のなかに閉じ込められていたのは災いではなく、現実の世界を歩むための眼差しだったのかもしれない。ナタリーはもはやこの猫のように自然のなかで好きに走り回ることはできないが、それでも彼女は、これまで変わらないものに見えていた知識の枠から一歩を踏み出し、現実の世界のうえを手さぐりで歩き出したのだ。

ここに、この映画が決して根本的には悲観的なものにならない理由がある。現実に置き去りにされ、自分の無力さに涙を流した彼女は、それでも静かに目の前に残った現実の上を歩き始める。この現実のうえには、彼女が生活を続ける限り、これからまた少しずつ何かが生じてくるだろう。それは彼女がかつて思い描いたような知識の永遠の安らいとは違って、それ自体現実のうえで変わりゆくものであるかもしれない。しかしいずれにしても、彼女が生を放棄しないかぎり、ナタリーにはまた未来がやってくるのだ。

共和制と独裁のはざま、歴史の暴力に対する抵抗の声(ハンス・ベーレント「ダントン」/Hans Behrendt "Danton" DE 1931)

ハンス・ベーレント「ダントン」(Hans Behrendt "Danton" DE 1931)を鑑賞。観たのは少し前なのだが、忘れないうちに。

 

おおまかな感想、印象

ドイツ制作で、有声映画としては早い時期のもの。フランス革命勃発後、革命の主要な担い手であったジョルジュ・ダントンとロベスピエールの間の張りつめた関係を軸に、革命が恐怖政治へと移行していくそのプロセスを描いている。登場するフランス人たちがもれなくドイツ語を喋っているのはまあご愛敬として、ダントンとロベスピエール役はなかなかはまっていたように思う。特にダントン役のフリッツ・コルトナー(Fritz Kortner)に関しては、あとでダントンの肖像画を見たら雰囲気がそっくりで思わず笑ってしまった。筋に関しては、前半はやや淡々と進んでいて退屈に感じたが、後半、とりわけ裁判においてダントンが聴衆相手に演説をぶつ場面は見ごたえがあり、作り手の熱意を感じた。そこにははっきりと、共和制と独裁との間で揺れるワイマール期ドイツの歴史的意識が反映されていたように思う。そしてそれは同時に、眼前に迫る歴史の暴力に対してあげられた、抵抗の声でもあっただろう。

 

ごく簡単なあらすじ

フランス革命期、その主要な指導者として活躍するダントンとロベスピエール。国王ルイ16世を処するにあたっては同じように急進的な革命の担い手であった二人だが、革命の進行とともに、態度の違いがあらわになっていく。貴族や反対者の処刑を辞さない急進的な態度を貫くロベスピエールに対して、ダントンは、貴族の娘と恋に落ち結婚を申し込んだり、マリー・アントワネットの処刑に難色を示したりと、穏健な態度を見せるようになる。二人を和解させようとする周囲の努力も空しく、二人は決別し、最終的にロベスピエールはダントンを裁判にかけ極刑に処すことを求める。彼を処するために開かれた裁判においてダントンは、聴衆に向って演説を始める。革命が目指していたのは、独裁ではなく共和国ではなかったのか。形式的な裁判でもって反対者を処刑し全てを思い通りに進めるロベスピエールのやり口は、共和制を裏切る独裁ではないのか。堂々たる演説に聴衆は賛同し熱狂するが、しかし裁判官はダントンに死刑を告げる。かくしてダントンもまた、聴衆の前で、見せしめのようにギロチンでもって首をはねられる。

 

共和制と独裁のはざま、歴史の暴力に対する抵抗の声

この映画の主題は明らかに、同じ革命の担い手であったダントンとロベスピエールの二人が、やがて民主的な共和制を望む者と独裁的な恐怖政治を遂行する者とに分かれていくというその点にある。映画中の彼らの言動がどこまで史実に即したものなのかはわからないが、この二人の緊張や敵対の関係はきわめて——図式的なまでに——劇的に描かれている。そしてそこには同時に、1931年当時のドイツの意識、もはやその基盤が揺らぎ、ファシズムの台頭を目の前にしていたワイマール共和国の歴史的意識が、はっきりと反映されている。映画の後半、共和制を望み独裁を非難するダントンの演説は、ワイマール共和国における民主主義が、その破局という歴史の暴力に対してあげた切なる抵抗の声であっただろう。しかしロベスピエールによってダントンが処刑されたように、この映画からわずか2年後には、ドイツもまた共和制を捨て、国家社会主義による独裁へと移行していくことになる。

 

※恥ずかしながらこの映画を観た後で初めて知ったのだが、アンジェイ・ワイダも同じ「ダントン」(Andrzej Wajda" Danton" 1983)なる映画を撮っているとのこと。この主題で彼がどういう映画を撮っているのかとても興味があるので、ぜひ機会があったらこちらも観てみたいと思った。