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映画を読む

ドイツ某都市に留学中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

共和制と独裁のはざま、歴史の暴力に対する抵抗の声(ハンス・ベーレント「ダントン」/Hans Behrendt "Danton" DE 1931)

ハンス・ベーレント「ダントン」(Hans Behrendt "Danton" DE 1931)を鑑賞。観たのは少し前なのだが、忘れないうちに。

 

おおまかな感想、印象

ドイツ制作で、有声映画としては早い時期のもの。フランス革命勃発後、革命の主要な担い手であったジョルジュ・ダントンとロベスピエールの間の張りつめた関係を軸に、革命が恐怖政治へと移行していくそのプロセスを描いている。登場するフランス人たちがもれなくドイツ語を喋っているのはまあご愛敬として、ダントンとロベスピエール役はなかなかはまっていたように思う。特にダントン役のフリッツ・コルトナー(Fritz Kortner)に関しては、あとでダントンの肖像画を見たら雰囲気がそっくりで思わず笑ってしまった。筋に関しては、前半はやや淡々と進んでいて退屈に感じたが、後半、とりわけ裁判においてダントンが聴衆相手に演説をぶつ場面は見ごたえがあり、作り手の熱意を感じた。そこにははっきりと、共和制と独裁との間で揺れるワイマール期ドイツの歴史的意識が反映されていたように思う。そしてそれは同時に、眼前に迫る歴史の暴力に対してあげられた、抵抗の声でもあっただろう。

 

ごく簡単なあらすじ

フランス革命期、その主要な指導者として活躍するダントンとロベスピエール。国王ルイ16世を処するにあたっては同じように急進的な革命の担い手であった二人だが、革命の進行とともに、態度の違いがあらわになっていく。貴族や反対者の処刑を辞さない急進的な態度を貫くロベスピエールに対して、ダントンは、貴族の娘と恋に落ち結婚を申し込んだり、マリー・アントワネットの処刑に難色を示したりと、穏健な態度を見せるようになる。二人を和解させようとする周囲の努力も空しく、二人は決別し、最終的にロベスピエールはダントンを裁判にかけ極刑に処すことを求める。彼を処するために開かれた裁判においてダントンは、聴衆に向って演説を始める。革命が目指していたのは、独裁ではなく共和国ではなかったのか。形式的な裁判でもって反対者を処刑し全てを思い通りに進めるロベスピエールのやり口は、共和制を裏切る独裁ではないのか。堂々たる演説に聴衆は賛同し熱狂するが、しかし裁判官はダントンに死刑を告げる。かくしてダントンもまた、聴衆の前で、見せしめのようにギロチンでもって首をはねられる。

 

共和制と独裁のはざま、歴史の暴力に対する抵抗の声

この映画の主題は明らかに、同じ革命の担い手であったダントンとロベスピエールの二人が、やがて民主的な共和制を望む者と独裁的な恐怖政治を遂行する者とに分かれていくというその点にある。映画中の彼らの言動がどこまで史実に即したものなのかはわからないが、この二人の緊張や敵対の関係はきわめて——図式的なまでに——劇的に描かれている。そしてそこには同時に、1931年当時のドイツの意識、もはやその基盤が揺らぎ、ファシズムの台頭を目の前にしていたワイマール共和国の歴史的意識が、はっきりと反映されている。映画の後半、共和制を望み独裁を非難するダントンの演説は、ワイマール共和国における民主主義が、その破局という歴史の暴力に対してあげた切なる抵抗の声であっただろう。しかしロベスピエールによってダントンが処刑されたように、この映画からわずか2年後には、ドイツもまた共和制を捨て、国家社会主義による独裁へと移行していくことになる。

 

※恥ずかしながらこの映画を観た後で初めて知ったのだが、アンジェイ・ワイダも同じ「ダントン」(Andrzej Wajda" Danton" 1983)なる映画を撮っているとのこと。この主題で彼がどういう映画を撮っているのかとても興味があるので、ぜひ機会があったらこちらも観てみたいと思った。