映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

置き換えられ、繰り返されるモチーフが織りなす喜劇(エルンスト・ルビッチ「極楽特急」/Ernst Lubitsch "Trouble in Paradise“ 1932年)

エルンスト・ルビッチ「極楽特急」(Ernst Lubitsch "Trouble in Paradise" US 1932)を鑑賞。

ドイツ出身のルビッチは、1935年にはナチスによってドイツの市民権を剥奪されてしまうのだが、1920年代には既にアメリカ、ハリウッドでの活動を始めている。そしてちょうど彼がドイツからハリウッドへと活動の場所を移していった20年代~30年代前半はちょうど、映画が無声から有声へと変わっていった時代でもある。この映画はちょうど、ルビッチが身をおいたこの二重の移り変わりを、そしてそれに合わせて展開していく彼の映画手法の成熟の過程を、反映している。もちろん映画それ自体もコメディとして完成度の高いものなのだが、個人的には、そのような移行の過程にある作品として観るのも面白いと思った。無声映画で既に名声を博していたルビッチは、台詞や直接的表現ぬきで、役者の表情や振る舞いそして細やかな演出をもって、登場人物の性格や映画中の出来事を無駄なく効果的に表現する術を十分に身に着けていた。この技法の妙はこの映画「極楽特急」においても十分に発揮されているが、同時にまた有声映画という枠の中でさらなる展開をみせてもいる。

舞台はヴェニスとパリ、華麗な詐欺をはたらく泥棒であり恋人同士でもあるガストンとリリー、そして彼らが標的にする大富豪のコレ夫人をめぐる三角関係の物語。直訳すると「楽園でのトラブル」である映画の原題は、アダムとイヴ、そして彼らに知恵の実を与え堕罪へと誘う蛇という聖書における三角関係のモチーフを暗示している。とはいえこの映画のなかで「楽園」に生きるカップルは、罪を知らない無垢な二人ではなく、詐欺でもって金持ちの懐に入っていき盗みを働いている二人だ。そして彼らの楽園を脅かすのは、悪意をもった蛇ではなく、ガストンに騙されながら心を惹かれてしまう貞淑な婦人だ。無垢や純潔からの堕罪という聖書的なモチーフが逆転して、泥棒たちの罪深さが貞淑さによって脅かされるという構図に変じている。この天国から地上へのモチーフの置き換えがすでに、この映画に独特の喜劇性を与えている。

モチーフを置き換えつつ繰り返すというこの反復の技術は、ルビッチの映画を観るたびに私の印象に残るものだ。例えば彼は、天国から地上へと三角関係の主題を転換してみせたり、シェイクスピアの劇作品をまったく異なる時代や場所に置き換えたり、ということを見事にやってのける。しかし彼の反復の技法の妙はこういった大きなモチーフの置き換えにとどまらない。映画中でもまた、同じ振る舞い、同じセリフ、同じ動作が反復される。それぞれのモチーフはそれぞれの場面ごとに異なった文脈に置き換えられ、異なったアクセントで繰り返されるので、それが映画に独特のリズムを与えることになる。日本のお笑いの言葉で言えば「かぶせ」というやつなのだろうけれど、ルビッチによるモチーフの多彩な変奏はその至極の好例を見せてくれる。後年の「生きるべきか死ぬべきか」("To Be or Not to Be“ US 1942)において結実するこの反復の技法、置き換えと繰り返しの技術は、無声から有声への過渡期にあるこの喜劇映画において、その興味深い展開の一側面を見せているように感じた。