映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

ベルイマンの60年代後半の三部作における、逃れられない罪連関というモチーフについて

60年代後半の「フォーロー島三部作」

今年2018年の6月14日がイングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman, 1918-2007)の生誕百周年ということだそうで、いつも通っている近所の映画館でもこの6月は彼の特集を組んでいる。前回記事を書いた「ペルソナ」もこの枠で上映されていたのだが、それに引き続き、彼が60年代に制作した三作品、「狼の時刻」( "Vargtimmen" SE 1968, 90 Min. DCP.)、「恥/ベルイマン監督の恥」( "Skammen" SE 1968, 103 Min. 35mm.)、「情熱/沈黙の島」("En Passion" SE 1969, 101 Min. 35mm.)を立て続けに観ることができた(すべてオリジナル+英語字幕版)。

この三作品は、かつて監督が過ごしたことがあるフォーロー島(Fårö)を舞台に撮影されたことから「フォーロー島三部作」(Fårö trilogy)と呼ばれる連作であるそうで、どの作品でも、マックス・フォン・シドー(Max von Sydow)とリヴ・ウルマン(Liv Ullmann)の二人が島に暮らす恋人同士(ないし夫婦)を演じている。個人的に興味深く思ったのは、三部作のどの映画においても、孤独のうちに閉じこもらんとしても逃れられない罪連関というモチーフが、それぞれなりの仕方で展開、変奏されていた点だ。

 

逃れられない罪連関というモチーフと、自己同一性の瓦解

逃れられない罪連関というモチーフそれ自体は、「ペルソナ」において既に見られるものだ。とはいえ登場人物同士の相互感応やそれによる自他境界の溶解といったモチーフが中心をなす(と私には思われる)「ペルソナ」に比べると、続くこの三部作においては自他の感応という問題が少しずつ後景に退き、それに対応するように、逃れようとも逃れられない罪という問題が前景に出てきている。

もっとも罪の問題は、その根本のところでは、自己同一性の瓦解という「ペルソナ」の中心モチーフとつながっているだろう。というのも、個人的な過去に関するものであれ、世界史的な現実に関するものであれ、人間の罪意識というものは、返済することができないまま担っている他人に対する負い目の自覚であるからだ。人は、時には自分の意志によって、また多くの場合には自分の力ではいかんともしがたいままに、誰かに対する罪という負債へと縛り付けられている。

他者への返済できない負い目として自らの罪を意識した時に人は、自分が、振りほどくことができないほどに堅く他の誰かに結び付けられた存在であることを、そしてこの「誰か」から絶えず責任を訴求されている存在であることを、自覚せざるをえない。この意味で罪意識というものもまた、堅固な自己同一性というフィクションにひびを入れるものなのだ。

 

個人史における罪と、世界史における罪

自分の力だけで全てを成しとげ、他人に一切の借りを負うことのなかった人間がいるとすれば、彼は根本的な意味で罪意識を抱くことがないかもしれない。しかし現実に人は、既にその個人的な人生において——たとえ些細な事柄であれ——誰かに対して為してしまった裏切りや過ち、小さな嘘や良心の呵責を心の奥底に抱えながら生きている。仮にそのような罪意識を負わずに生きて来られた人がいるとしても、そもそもそのこと自体が、生育環境や経済条件など外的な事情に負うところが大きいだろう。全てを自分の力で成し遂げ他人からの干渉を撥ねつけることができる英雄的個人などというものは、ほとんどフィクションでしかない。

さらに言えば、現代社会に生きる人間にとって、自らが巻き込まれている現実の歴史の罪連関について無知であることもきわめて難しいことだ。そこから目を背け、あえて無知でいようとするならば、その逃避的態度それ自体が一つの非道徳であるとして叱責されうる。罪に満ちた現実の世界史のなかに囚われているというそのことは、現代社会に生きる人間の生の条件をなしている。そしてこの世界史的な、あえて言えば集団的な罪の意識というものは、1960年代に世界各地で生じた学生運動や社会運動へと当時の若者たちを突き動かす原動力の一つになったものであるだろう。

まさしく60年代に制作されたベルイマンの三作品もまた、それぞれなりの仕方で、逃れられない罪連関というこのモチーフを扱っている。映画の主人公たちは、破局に終わった恋愛や不幸な結婚という個人史の問題や、終わりの見えない暴力や戦争という世界史の問題から逃れ、人里を離れた孤島に隠れるように住まっている。そして彼らはみな、逃げたつもりでいたそれぞれの罪連関に囚われ、見せかけの安らぎや静けさから追い立てられるのだ。

…個々の作品についてもう少し立ち入って何か書きたいと思っていたのだが、字数が多くなってしまったので、三部作を観た上でのおおまかな印象を書いたここまでで本記事を閉じたい。とりわけ、社会的な現実と個々人の人生との縺れ合いを抽象的な戦争描写とともに描き出した「恥」についてはちゃんと記事を書きたかったのだが、これについては日を改めて、書けたら書きたい。

見つめる者と見つめられる者、眼差しを介した自他境界の溶解(イングマール・ベルイマン「仮面/ペルソナ」/Ingmar Bergman "Persona" 1966年)

イングマール・ベルイマン「仮面/ペルソナ」(Ingmar Bergman "Persona", SE 1966 85 Min. 35mm, オリジナル+英語字幕版)を鑑賞。

 

あらすじ

ある日の舞台出演を境に一切の言葉を発さなくなってしまった女優エリザベートと、入院先で彼女の担当となった看護師アルマ。二人は、治療の一環として海沿いの別荘で共同生活を始める。笑顔は見せども頑なに沈黙を守るエリザベートに対して、アルマは自分の過去を熱心に語りかけるようになる。やがて二人の自我は、互いが互いに惹かれ合いつつ溶け合うような、不思議な共鳴関係に入っていく…

 

※「ペルソナ」のトレイラー。英語版。

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人格の同一性をめぐる問い、自我の非連続性と感応性

タイトルが示しているように、基本的には人間の人格のあり方を主題とした映画だ。上に書いたようなおおまかなあらすじはあるにはあるが、実際の映画において物語の筋はそれほど重要ではない。立場の異なる二人の女性が出会い、互いに互いの自我へと影響を与え合う、ただそれだけの話だと言ってしまうことさえできるかもしれない。とはいえ二人の相互影響の様相は、ベルイマンによって独特の映像表現にもたらされている。この映像表現だけでも、この映画は一見の価値のあるものになっている。

その中心にあるのは、人間の自己や人格が、他者との関係のなかでどう形成され、また変化しうるのか、という問いだろう。もう少し平たく言ってしまえば、アイデンティティーをめぐる問い、人間一人一人がもつ(とされる)人格なるものは果して自明かつ同一のものなのか、という問いがそこにある。ある種実験的な状況に置かれた二人の主人公の相互影響を通して、この映画は、人格がもつ(ように思われる)同一性が実はきわめて不安定なものであることを示している。

実際、映画中の二人の女性は、それぞれがそれぞれなりにある一定の社会的役割を果たしてきた、一定の自己同一性=アイデンティティをもった大人だ。しかしそれぞれの人生において彼女たちは、表現することを憚られるような経験や罪悪感を抑圧してきてもいる。話すことを止めた女と、話し続ける女。対極的な関係におかれた二人の人格は、互いとの共鳴を通して、それまで保ってきた自己同一性を溶解させていく。映像表現もまた、つねに他者関係によって脅かされているものとしての人格のあり方を、自我の非連続性や感応性を、辿るようにして構成されている。

 

見つめる者と見つめられる者、眼差しを介した自他境界の溶解

私がとりわけ面白いと思ったのは、この映画において人格の相互感応が表現される際に、見つめる「眼差し」が大きな役割を果たしていた点だ。映画においては何度も、登場人物が何ものかを見つめる眼差しがアップで映し出されていた。また登場人物の台詞もしばしば「見つめられること」がもつ感応の力——あるいは叱責の力——に言及していた。視線は交差し、感応し合う。

見つめる者と見つめられる者は、認識する主体と認識される客体という単純な二分法に収まるものではない。見つめる者は、見つめられる者に何がしかの影響を与えつつ、同時にそれによって自らにも一定の反響を受ける。そして誰かを見つめるということは、自分もまた見つめられる者であるということと表裏一体なのだ。見つめる視線は、人格の自己同一性を揺り動かし、自明であったはずの自他境界を溶解させるものとなる。

さらにこの映画「ペルソナ」の見つめる眼差しは、画面の向こう側、すなわち映画を観るその者にも向けられている。観賞時に私はしばしば、画面内の視線と目が合うかのような感覚に陥ったが、おそらくは映像そのものがそのような効果を狙って作られたものなのだろう。この映画は、自明のものとして前提されてきた自他境界を溶解させる眼差しを、映画作品と映画を観る者の関係にも向けるのだ。

この映画のなかには、映画の「外」を暗示するモチーフがいくつも提示されていた。それは一見すると映画の本筋とは無関係に見える現実の世界史の映像であったり、撮影するカメラや、フィルムであったりした。中途で断ち切られるフィルムは、不快感を与える無機質な騒音とともに、映画そのものが閉じられた同一性に安らうものではないことを——常に観る者の視線に晒され、また同時に観る者へと視線を向け返すものであることを——証言する。

人間相互の関係においても、また観賞者と作品という関係においても前提されてきた、それぞれに独立した人格の同一性は、私と私でない誰かの境界は、すべて虚構に過ぎないかもしれない。このラディカルな問題提起を、映画「ペルソナ」の眼差しは、無言のまま観賞者に突きつける。

理想化された身体的思い出としての、故郷(ヨーエ・マイ「帰郷」/Joe May "Heimkehr" 1928年)

ヨーエ・マイ「帰郷」(Joe May "Heimkehr" DE 1928, 126 Min. 35mm)を鑑賞。ピアノ伴奏つき。

 

あらすじ

戦争捕虜としてロシアで強制労働に従事するドイツ兵リヒャルトは、同室の友人カールに、いつも故郷のことを——とりわけ妻のアンナが待つ彼の家庭のことを——語り聞かせていた。2年におよぶ強制労働に耐えかねた二人はある日、脱走を試みる。しかしリヒャルトは警備兵に捕えられてしまい、カールだけが脱走に成功する。一人ドイツに戻ったカールは、いつも話を聞いていたアンナに会いに行くが、次第に二人はお互いを求め合うようになってしまう。その一方、再び捕虜として強制労働に就いていたリヒャルトは、戦争終結に伴う恩赦によって釈放され、ドイツに戻って来る。妻の待つはずの家庭においてリヒャルトが見たのは、友人カールと妻アンナが熱く抱擁し合う姿だった。故郷にはねつけられたリヒャルトは、絶望の極において、短銃を手に取る…

 

※映画の一部。二人が脱走する途中のシーン。残念ながら画質は悪いが…

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理想化された身体的思い出としての、故郷

戦争から戻る兵士の帰郷という明らかに第一次大戦の影を落とした主題のもので展開された、実直な兵士とその妻と友人の三角関係を描いたメロドラマ。字幕での説明は最小限で、登場人物の心理描写や感情の動きが、当時としては実験的であったかもしれない交差的な映像表現も交えつつ、生々しく描かれていた。直接の性的シーンこそないものの、それでも男女の情の交錯や煩悶が湿度と質感をもって提示されていた。とにかく生々しい身体感覚の描写が印象に残る映画だった。

特筆すべきは、リヒャルトの「故郷」がきわめて具体的な肉体感覚を帯びたものとして語られていた点だろう。部屋の間取り、家具の配置、妻の身体のほくろの位置。それらは彼がなした過去の身体的な経験に基づいている。そしてアンナのもとを訪ねたカールもまた、この肉体的な「故郷」を、リヒャルトが彼に語ったとおりの故郷を、ある種の感動をもって追体験する。

とはいえこの「故郷」は、身体的なものでありながら、リヒャルトによって理想化されたものでもある。時間の経過とともに変化しているのではないか、妻は貞淑に待ってくれているのだろうか、そういう現実的な疑問は脇に置かれ、「故郷」は変わらず彼を待つものとして繰り返し表象される。ここには、女性は銃後において家庭を守るべきだという戦時の固定観念も影響しているかもしれない。なんにしてもリヒャルトは、変わらぬものとしての「故郷」を、帰郷さえできれば再び同じ感覚性をもって彼を迎えてくれるはずのものとしての「故郷」を、苛酷な強制労働の環境のなかで生の拠りどころにする。

しかしこの「故郷」もまた、理想化に逆らい、時の移ろいとともに変化する。ドイツに戻ったリヒャルトを待っていたのは、家具の配置こそ変わらぬものの、よそよそしく彼をはねつける他人行儀な「故郷」だった。自らの生の拠りどころとして頭の中で繰り返し思い描いた「故郷」は、もはやかつてのように、細やかな愛情をもって彼に寄りそうことも、彼の求めに応じて胸襟を打ち開くこともせず、ただ冷たく彼をはねつける。

「故郷」はもはやリヒャルトのための場所ではなく、他の誰かのための場所になっている。不変の故郷などというものは、幻想でしかなかったことが露わとなる。

 

昨年の8月からしばらく当ブログの更新が止まってしまっていました。その間も映画はそれなりに観ていて、ブログを書きたいと思う作品も多々あったのですが、うまく文章にできていませんでした。思うに、丁寧に書こうとしすぎて、うまく自分の時間とエネルギーをそこに向けられなかったのかもしれません。しかし折角映画を観て書きたいこともあるのにうまく文章に落とし込めていなかったのは残念に思っており、再開したいとも思っていました。

そういうわけで、反省を踏まえて、試みとして最大1,200~1,500字以内という文字制限を課した上でまた映画のことを書いてみようかな、と思っています。どうも文章を書き始めると延々と書いてしまいがちで、しかもそれが負担になってしまうという悪循環にも陥りがちな人間なので、ある程度制約があった方がいいのかなと思っています。

自分に負担にならない範囲で、またぼちぼちと忘備録代わりに更新していければと思っています。よろしくお願いします。

映画を通してルターを勉強する、その③ 語り直されるルター 敬虔な抵抗者として、あるいは誠実な信仰者として

filmreview.hatenablog.com

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ルター映画について、その③。詳しいことはその①の記事その②の記事を読んでいきただきたいのだが、以下では残り二つのルター映画について簡単に書いていきたい。

 

資金はなくとも、語り直されなければならなかった敬虔な抵抗者としてのルター像(クルト・オェテル「従順なる反乱」/Curt Oertel "Der gehorsame Rebell" BRD 1952)

1952年に制作されたルターに関するドキュメンタリー映画。内容としてはルターの生涯やその意義を淡々と追っていくものでそれ自体にそこまで特筆すべきことはないのだが、いくつか興味深い点があった。

 

低予算の映像表現と、制作の歴史的背景

まず一つ目に目を引くのが、映像の表現方法だ。この映画では、俳優が特定のセットのなかでルターを演じたり歴史的場面の再現をしたりといったことがなされていない。むしろ映画のほとんどが、教会や修道院といったルターゆかりの土地の映像と歴史的資料——ルターを図像として描いた絵画や文献——の画像との切り貼りと、それに合わせたナレーションとで構成されている。しかしそれらの映像や図像が魅力的なモンタージュになっているかというと残念ながらそうではなく、動きの少ない映像に単調な読み聞かせが続く、正直に言えば眠気を誘うものになってしまっていたようにも思う。このような表現手法をとった理由ははっきりとはわからないが、まず推測されるのは、戦後ドイツの映画制作が資金繰りの面できわめて大きな困難を抱えていたであろうということだ。 俳優もセットも存在しないこの映画は、このような状況に適合して、きわめて低予算で制作されることができたのだろう。

もう一つ興味深いのは、この映画が制作されたその歴史的文脈についてだ。というのもこのドキュメンタリー映画は、戦後最初に公開されたルター映画であるのみならず、西ドイツと東ドイツの共同制作作品でもあるからだ。つまりこの映画は、西ドイツの都市ヴィースバーデンの映画プロダクション主導で撮影されたものでありながら、東ドイツの映画会社DEFAの協力のもと制作されてもいるのだ。そのためこの映画には、ルター生誕の地であるアイスレーベンや彼が聖書翻訳に従事したヴァルトブルクなど、当時東ドイツに属していた土地の映像も使用されている。東西分裂から数年という当時のドイツの状況に鑑みると、このことは異例であるだろう。

 

ドイツ文化の源流ルターを敬虔な抵抗者として語り直す必要性

既に述べたように、映画そのものは特筆すべきものではなく、他のルター映画に比べれば映像作品としての魅力に乏しいものではある。しかしそれにもかかわらず面白いのは、1952年のこの映画の制作からは、たとえ予算がなくとも、また分裂したての東西ドイツが協力してでも、とにかくルターが語り直される必要があったのだろうことが推察されるということだ。ここにはおそらく、荒廃した戦後ドイツにおいて生じた宗教リバイバルの動きも関係している。しかしそれだけではなく、ルターを——ナチス時代にはドイツ国家主義に祀り上げられていたそのルターを——あらためてドイツの文化的源流として語り直すというそのことこそが、重要なことだったのだろう。

この観点から注目すべきは、この映画に「従順なる反乱」というタイトルがつけられている点だ。つまりここでルターは、神に対しては従順であったが、それがゆえにこの世の不正な権威に対しては断固として反抗した者として語られているのだ。ここには明らかに、ナチス的な国民国家に奉仕するようなルター像——記事②で取り上げたような1920年代のルター像——を払拭しようという狙いがある。そしてそれは同時に、ナチスにおけるようなこの世の支配の美化からは截然と区別される者として、敬虔なキリスト教信仰の体現者であり不正な体制への抵抗者としてルターを再定義し直そうという試みであるだろう。

この試みは、資金の面でも、表現の面でも、きわめて弱々しいものであったように思われるし、実際にどこまで国家主義的ルター像の払拭に寄与できたかというとなんとも言えないところがある。しかしいずれにせよ、弱々しい仕方であれ、戦後の荒廃したドイツにとって数少ない文化的拠り所であったルターは語り直され、正当化され直されねばならなかった。だからこそこの映画「従順なる反乱」は、政治的な分裂にもかかわらず、東西ドイツの協力のもとで制作されることになったのだろうと思う。

 

信仰の率直さゆえにプロテスタントたらざるをえなくなった、誠実な信仰者としてのルター像(エリック・ティル「ルター」/Eric Till "Luther" DE/US 2003)

ドイツとアメリカ合作の、劇映画としては21世紀最初のルター映画。前の二作とは時代も違えば制作規模も異なり、迫力ある演出や映像で構成されたこの映画は、エンターテインメント性を備えた歴史ものの大河ドラマに仕上がっている。そのおかげもあってかこの映画は、興行的にもそこそこの成功を収めたらしく、ドイツ映画としてはアメリカでもっとも興行成績を収めた映画の一つでもあるそうだ(アメリカとの合作ということを度外視すれば、だが)。

内容としては、激しい雷雨をきっかけに修道院入りを決意するところから、免罪符/贖宥状をめぐる論争とそれにともなう異端試問、その後の帝国追放に聖書翻訳、そして帝国議会における「アウグスブルク信仰告白」の認可に至るまで、ルターの生涯を時系列に沿って丁寧に追ったものになっている。

※下はトレイラー。

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誠実な信仰者としてのルター像、伝記映画としての説得性

この映画の特徴の一つは、ルターを大言壮語の運動家ないし扇動者としてではなく、悩み苦しむ一人の信仰者として描いている、というところにある。ジョセフ・ファインズ(Joseph Finnes)演じる映画のなかのルターは、どこか気弱そうなところさえ見せる憂鬱な青年であり、自分から積極的にカトリック教会に牙を剥き論争を挑むような人物としては描かれていない。むしろ彼は、聖書に即した率直な信仰を貫いたそのゆえに期せずして教会と衝突し抵抗者(=プロテスタント)たらざるをえなくなった人物として、すなわちまずもって一人の誠実な信仰者として、描かれているのだ。

誠実な信仰者というこのルター像は、1927年における扇動的な国民運動家としてのルター像とはほとんど対照的ともいってよい描かれ方だと言える。さらにこの映画は—— 「95ヶ条の論題」をヴィッテンベルク城教会に張り出すという史実としては怪しい逸話を依然として劇的に描いてはいるものの——農民戦争における無力や修道女カタリーナとの結婚など、ルターにおいてしばしば問題視されるような点についても時間を割いて描写している。この意味で2003年の映画「ルター」は、多少の脚色はあれど、極力史実に即したルター像を提示する伝記映画であろうと努めているようにも思われる。このことは少なくともある程度まで成功しているだろうし、単なるエンターテインメント作品として魅力的であるのみならず、ルターの伝記映画としても説得力あるものになっているという印象をもつことができた。*1

 

映画をめぐる論争、カトリック教会からの異論

ただしこの映画は、その公開時には少なからぬ論争を引き起こしたのだという。とりわけカトリック教会から、映画における教会制度やキリスト教信仰の描かれ方が一面的で誤解を招くものであるとして批判がなされたということが、映画に際してなされたレクチャーで言われていた。

確かにルターに即してものを考えると、カトリック教会は腐敗した権力機構であり、その抵抗としてのプロテスタントこそが誠実で「正しい」キリスト教信仰のあり方であるということになるだろう。しかしこのような二項対立的な図式が、カトリックとプロテスタントを理解する際に常に有効であるかというと、そうではない。ルターの宗教改革以降、500年の時の流れの中でキリスト教は、とてもこのような単純化した図式にあてはまらないような展開と変化を遂げてきたからだ。

ルター的プロテスタントに話を限っても、それがキリスト教の世俗化や現世主義化を推し進めてしまい、キリスト教の救済宗教としての意義を形骸化させてしまったという批判は長らくなされている。つまり、少なくともキリスト教の救済論を重視する立場の者からすれば、現世における幸せや慈みを強調するようなルター的プロテスタントの教えは問題含みだということになるのだ。またカトリックはカトリックで教会権力の絶対化に伴う腐敗がしばしば大きな問題になってきたが、プロテスタント教会に同じような腐敗が起こらなかったわけでもない。

このような観点から、ルター的プロテスタントだけを誠実で正しい信仰の立場であるとしカトリックを悪習に満ちた旧体制であると喧伝するような映画は不公平で時代錯誤であるという異論がとりわけカトリックの側から上がったことは、想像に難くない。ドイツやアメリカのようにカトリック教会がいまなお一定の存在感をもつ文化圏においては、その声は決して小さいものではなかっただろう。

私は何かしら態度表明をするほどこの論争について詳らかに知らないし、この記事でこれ以上論じることもしない。いずれにしても確かなのは、2003年のこの映画「ルター」の公開が、否が応でも、カトリック教会に反抗するルター的プロテスタントの再正当化として受け止められ、それはしばしば時代錯誤なものだと見なされたということだ。

 

21世紀において宗教や信仰を改めて考えるということ

カトリックの側からこのような異論が上がることは、制作に際して予期されなかったわけではないだろう。この意味で気になるのは、カトリックからの異論は予期されていただろうにもかかわらず、なぜ21世紀に入って改めてルターの映画が製作される必要があったのかという点だ。そこには、宗教や信仰という問題をめぐるなにかしらの動機づけがあったのではないだろうか。

まず思い浮かぶのは、2001年のニューヨーク同時多発テロに象徴される、宗教の新たな顕在化という事実だ。20世紀後半の欧米社会では、近代世界において宗教は次第に存在感や説得力を失い、人間社会は世俗化され宗教を必要としなくなっていくだろうという議論がさかんになされていた。しかし21世紀に入ってからは、宗教や世俗化をめぐる議論のトーンが大きく変わり、「宗教」とカテゴライズされうる人間的実践がそう簡単には根絶しないものであること、むしろその急進的な抑圧や排除は危険な帰結を伴いうるものであることが、次第に自覚されてきた。そういうわけで、「ポストモダン」でも「ポスト世俗化」でもそのキャッチフレーズはなんでもいいのだが、21世紀の社会においてなおも世界中に存在する種々の宗教やそれに基づく文化のあり方に、あらためて問いが向けられるようになっているのだ。

この映画「ルター」が2003年に制作され公開されたということも、このような文脈と無関係ではないだろうと思う。そこでは暗に、あるべき宗教性、あるべき宗教的信仰のあり方というものが、模索されているからだ。もちろんそれがルターを単に賞賛するだけのことで終わり、ルター的プロテスタントだけが唯一の正しい信仰のあり方でありその他の宗教的実践はすべて過ちであるというような狭窄な結論を招いてしまうのであれば、そこにはたしかにある種の時代錯誤があるだろう。ルターという具体的な歴史的人物を扱うということは、そのようなアナクロニズムの危険性とも結びついている。

しかし彼の議論が500年前のある特殊な文化的制約の上で生じたものであるということを踏まえてこの映画を観るならば、そこから21世紀というこれまた一つの特殊な文化的制約のなかにおいて宗教的信仰のあり方を考えるための一つの契機を見いだすことは、可能であるかもしれない。近代化しつつある世界で「信仰」のあり方を問い、その結果として「宗教改革」という欧米文化史上の大きな流れを象徴することになったルターという人物に改めて目を向けるということは、単に過去を称揚するノスタルジーやアナクロニズムであるだけではなく、そこから現代にまでつながる諸問題を考え直すということにもつながっているかもしれないのだ。

 

…というわけで、1927年、1952年そして2003年と、全く異なった時代に制作された三本のルター映画をきっかけにルターを勉強しつつそれぞれの映画の文化的背景を考える、ということを三回にわたって試みてきた。キリスト教や信仰というナイーブな主題にかかわるものであるにもかかわらずかなり不正確なことやテキトーなことも書いているだろうと思うので、もし何かあれば指摘してもらえると有難い。

何にせよ印象的だったのは、映画というきわめて近代的・大衆的な媒体のなかで、ルターという伝統的な宗教的人物がこれだけ強い関心をもって扱われ続けているという事実だ。もちろん一方で、実際に数年間ドイツで勉強している者として、ドイツに住む多くの人にとってキリスト教はとうに説得力も魅力も失っているのだということも感じる。私がルター映画を観に行った際にも、やはり観客は年配の人が多く、また満席というわけでもなかった。しかし他方では、それでもルターの映画が製作されつづけ、配給され、一定の数の人の耳目を集めてきたという事実もあるのだ。

宗教的人物や宗教的主題を映画において扱うということが、宗教的な目線から見て正しいことであるのかは私にはわからない。宗教者からすればそれは、偶像崇拝や宗教の大衆娯楽化として批判されるべきものなのかもしれない。しかし映画を好んで観る者としては、宗教的な主題が映画において扱われるということは決しておかしなことではないと思う。映画は何かしらの仕方で現実を写し出すものでありうるし、宗教に関わる諸々もまた人間の生きる現実のなかで生起するものであるからだ。それは時に過剰であったり、イデオロギーによって歪められたりしたものであるかもしれない。しかしそうだとしてもそこには、宗教や信仰をめぐる時代や文化ごとの意識の何がしかが証言されてもいるのだ。

*1:もっとも、「95ヶ条の論題」の件を別にしても、細かい点では史実に即さない描写があるようだ。詳しく知りたい方は、この映画に関するWikipediaの記事("Luther (2003 film) ")の項目"Film inaccuracies"(独語"Historische Ungenauigkeiten")を参照してほしい。

映画を通してルターを勉強する、その② 国民の英雄としてのルター像

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前の記事(「映画を通してルターを勉強する、その①」)で書いたとおり、今年2017年は、マルティン・ルターが教会批判の「95ヶ条の論題」を公表した1517年から500周年、つまりは宗教改革の第一歩目から500周年だということのようで、それにちなんで私が普段通っている映画館でもルターに関する映画がいくつか上映されていた。私自身、そこで下の三本のルター映画を観た。

 

・ハンス・カイザー「ルター、ドイツ宗教改革の映画」(Hans Kyser "Luther – Ein Film der Deutschen Reformation" DE 1927)

・クルト・オェテル「従順なる反乱」(Curt Oertel "Der gehorsame Rebell" BRD 1952)

・エリック・ティル「ルター」(Eric Till "Luther" DE/US 2003)

 

興味深かったのは、この三本の映画それぞれにおいて、同じルターという人物がそれぞれ異なった強調点をもって描き出されていたという点だ。このことは、ルターその人がもつ多面性に由来するものでもあるだろうが、同時に時代ごとの文脈や製作者の思惑が反映されたがゆえの事態でもあるだろう。

以下、それぞれの時代の歴史的文脈も考えつつ、私が観ることができたそれぞれのルター映画について印象的だったことや考えたことなどを、書いていきたい。

 

※なおそれぞれの細かいあらすじに関しては、基本的に前回書いたルターの生涯と重なるので割愛する(確認したい方は、前回の記事の「マルティン・ルターという人物、その生涯」という項を参照してほしい)。そのため以下では、映画について考える上で重要な点だけ書いていくこととする。

 

ドイツ国民の信仰のために生きた英雄としてのルター(ハンス・カイザー「ルター、ドイツ宗教改革の映画/Hans Kyser "Luther – Ein Film der Deutschen Reformation" DE 1927)

ベルリンのUfAスタジオにおいて製作されたルターの伝記映画。サイレント映画だが、私が観た上映では生のピアノ伴奏つきだった。"Luther-Filmdenkmal"という団体の寄付によって制作されたとのことだが、「メトロポリス」など同時代の無声映画と比べてもそれほど見劣りしない程度に背景や演出に力が入れられており、二時間にわたる映画には制作陣の労力が感じられる。また同時にこの映画には、そのタイトルに既に示されている通り、二つの大戦間期におけるドイツ民族主義、国家主義の精神も投影されている。

 

※下はトレイラー。これによると今年2017年11月にDVD化されるらしい。宗教改革500周年記念だからなのだろうか。

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この映画中で描かれているのは、雷雨をきっかけにルターが修道院に入るあたりから、彼の考えに触発された市民や農民たちが教会に対して反乱を起こし、そこにルターが姿を現し教えを説くあたりまで。最後半、教会を破壊し尽くそうと息巻く群衆の暴動を鎮めんとして、ルターは、これがあなたたちの信仰だというのか、信仰はむしろ聖書のなかにあるのではないかと語りかける。この言葉が民衆の心を打ち、彼らが暴動の矛を収めルターが賞賛されるところで、映画は終わる。

この映画では、映画中の暴動よりも大規模な暴力行為を招いてしまいルター自身の手に負えなくなったいわゆる「農民戦争」についてや、或いは聖職者としての婚姻についてなど、ルターにおいてしばしば問題とされる点についてはほとんど取り扱われていない。この映画中ではむしろ、人々を導く宗教的リーダーとしての、さらに言えばある種の国民的英雄としてのルター像がことさらに強調されている。

 

国民の英雄としてのルター像、ドイツの国民アイデンティティ形成の先駆けとしての役割

この映画中でとりわけ印象的なのはまさしくこの点、ルターがドイツ国民の英雄として描かれている点だ。画面のなかのルターは実際に、教会や皇帝といった既成の権力に対峙する際に、「ドイツ」(Deutschland)のための、あるいは「ドイツ国民」(das deutsche Volk)のための信仰を主張していた。この描写を素直に受け取るとルターは、ドイツ国民の信仰の自由のために封建的な教会権威と戦った宗教的英雄だとして理解されることになるだろう。

このようなルターの描かれ方は、理由がないものではない。というのも、ルターが聖書を日常言語に訳す際に他ならぬドイツ語を用い、それによって古典語が読めないドイツ語話者の民衆に聖書を読む可能性を開いたのは、紛うかたなき事実であるからだ。そればかりか彼は、「キリスト教界の改善について、ドイツ国民のキリスト教貴族に与う」("An den christlichen Adel deutscher Nation von des christlichen Standes Besserung" 1520)という文章を著してもいる。こうしてみるとたしかにルターは、ドイツ語を話す民衆を念頭においてあるべきキリスト教信仰のあり方を問い聖書をドイツ語に訳したばかりか、実際に「ドイツ国民」(Deutsche Nation)という言葉を用いてさえいたのだ。この意味では確かに、ドイツの国民アイデンティティ形成の先駆けとしての役割は、ルターという人物の一面であるだろう。

 

国民国家時代のナショナリズム的解釈の問題点

ただしここで言われているのが、近代における国民国家としての「ドイツ」と必ずしも同じものではないことには注意が必要だろう。そもそもルターが生きた15世紀から16世紀の当時には、「ドイツ」という統一的な国民国家はいまだ存在していなかった。当時のルターが国としての「ドイツ」を認識することができたのかどうか、あるいは彼がそこに住む国民としての「ドイツ国民」を考えることができたのかという点には、少なからず疑問が残る。ルターが「ドイツ国民」(Deutsche Nation)という言葉を用いたときに、その言葉の内実が20世紀に言われる「ドイツ国民」とどの程度まで重なりどの程度ズレるものなのかは、丁寧に考えられるべき問題なのだ。*1

ここでは本来、歴史的文脈を踏まえること、また繊細なニュアンスや文脈を区別することが必要なのだが、この映画はおそらく意図的にそのあたりの区別を曖昧にしている。そうしてあたかもルターが、1920年代当時には既に存在し人びとのアイデンティティの拠り所になっていた「ドイツ」という国民国家のために、ひいてはそこに帰属するべきドイツ民族の信仰のために戦ったかのように、演出がなされているのだ。だからこそこの映画には「ドイツ宗教改革の映画」というタイトルが与えられているのだろう。

言うまでもなくこの演出は、1927年という時代の産物だろう。ルターの生きた時代にはいまだ存在しなかったはずのドイツという国民国家に与するものとしてルターを描き出すこの映画は、1920年代後半のドイツにおいてキリスト教がナショナリズムの材料にされていたその事実をまざまざと思い知らせてくれる。このことは、第三帝国時代にナチス政権と教会権力とが部分的にではあれど手を結ぶことができてしまったというその歴史的事実を先取りしてもいるだろう*2

キリスト教の宗教的実践というのはもともと、彼岸にいる神にこそ仕えるものであって、国家という此岸の権威とは距離をとったものであるはずだ。そればかりか宗教的実践と世俗的権威の間には、一定の緊張関係があったはずなのだ。実際にルターも、彼が「ドイツ国民」(Deutsche Nation)のための信仰を語るときでさえ、この世の権威である教会があの世での救済を取り仕切っているというその越権行為をこそ問題にしたのであって、だからこそ人々が自分自身の自由な心で信仰に向えるよう聖書を民衆の言葉に翻訳したはずなのだ。

しかし強調点がずらされ、彼岸に属する宗教権威と此岸の国家権威とが結びつけられるときには、民衆の信仰の自由を求めたはずのルターの宗教改革は、ドイツという国民国家のための英雄的自己犠牲へと書き換えられることになる。そして皮肉なことにこのことが、個人の自由よりも国家の権威を高めることに奉仕してしまうのだ。この映画「ルター、ドイツ宗教改革の映画」には、明らかにこのような転倒が読み取れる。

 

活版印刷を用いた世俗的な大衆運動家という側面

ところで、ドイツ国民のための英雄としてのルターの描かれ方とは別に、この映画でもう一つ印象に残った点がある。それは、ルターが超俗的な聖人というよりも、むしろ世俗的な大衆運動家のように描かれていたという点だ。

映画中においてルターは、まずもって音楽を愛する教師として登場し(おそらくこれは史実ではないだろう)、その後も音楽や演説の力で人々を魅了するという描写があった。また彼が自説を展開する際にはドイツ語で——すなわち大衆が読める言葉で——著作を発表したがゆえに、彼の主張は教会人の枠を超えて流布していくことができた。そのようにして彼の教会批判は、ヘブライ語や古代ギリシャ語、そしてラテン語をも解さない人々、つまりは特別な教養を持たない大衆の支持を得ることになった。まさしくこの大衆の支持という点によってルターは、教会権力にとっても無視し難い影響力を持つことになったのだろう。

このようなルター像、教会の聖職者ないしは大学の神学者ではなく、大衆の支持を集め大衆の信仰のために戦ったルター像には、なるほどと思うところがあった。もちろんこの映画には、大衆の支持を集めたがゆえに生じた暴走(「ドイツ農民戦争」)が等閑視されていたり、或いは「ドイツ語を話す大衆のために」というのが民族主義的に「ドイツ国民のために」に読みかえられていたりと、少なからぬ問題があることは既に指摘したとおりだ。しかしルターが宗教改革の上で決定的な人物となりえたのは、教会制度という「上から」の権威に抗する大衆の「下から」の運動に適合する人物であったという点が大きかったということは、ある程度まで史実に即しているのではないかとも思う。

さらに言えば、ルター自身がどこまでそれを自覚していたかはさておき、当時の最新メディアを利用し多くの人々の耳目に触れることを優先してなされた彼の活動は、中世的な封建社会の権威が崩れつつあった16世紀に合致したものだったように思われる。このことは、科学技術の発展やそれに伴う非特権階級の権利意識の増大という別のファクターとも密接に結びついている。ルターの言説もまた、一方では活版印刷技術という当時の最新技術の活用あってこそかくも多くの人々の目に触れることになったのだろうし、他方でそれを読んだ大衆の側でも教会権威を絶対視する必要はもはやないのだという意識が既に強まっていたのだろう。端的に言ってルターは時代の趨勢に適合していたのであり、ルターの宗教改革は、メディアの進歩と市民意識の発達という近代化の流れにおいてこそ本格的な抵抗運動へと展開しえたのだろう。

この意味でルターを、天才的英雄ないし浮世離れした聖人というよりも、むしろ近代化し世俗化しつつある社会においてこそ可能となる大衆運動家の先駆けと見なすこともできるかもしれない。このような意味で彼を、宗教改革の嚆矢としてのみならず、西洋的近代の重要な歩みを象徴する人物としても理解することもできるだろう。 この映画は、間接的にはルターのこのような側面をも描き出していたように思う。

 

長くなってしまったので、残り2つのルター映画についてはまた次の記事で。

filmreview.hatenablog.com

*1:専門家による講演つきの上映だったので、映画後の質疑の際に、そもそも「ドイツ」(deutsch)なる言葉がルターが生きていた当時にどういう意味で用いられていたのか、それが今のような「ドイツ国民」のニュアンスを持ちえたのか、思い切って聞いてみた。解答としては、当時領邦国家だったヨーロッパにおいてはもちろん「ドイツ」という国民国家は存在しないので現在のような意味での国家的アイデンティティとしてのニュアンスはありえないが、同じドイツ語を話す人々という意味での共同体のイメージのようなものはあったかもしれない、という答えだった。またそれとは別の観点として、近代(とりわけ19世紀の国民国家形成期)において、ルターによる聖書のドイツ語訳が「ドイツ」という国民アイデンティティ形成に寄与はしたという事実は大きい、ということも言われた。ちなみに、神学を専門にしている知り合い何人かに、ルターがドイツ国民のための信仰を主張していた映画を観たよ、という話をしたら、一人はそれはありえないでしょと笑っていた。もっとももう一人は、やはりルターの当時においてもドイツ語を話す人々の共通意識はあっただろうし「ドイツ性」(Deutschtum)みたいな意識もあったはずだ、と言っていた。ただまあいずれにせよ、この映画におけるような仕方でルターにドイツ国民の信仰を語らせるのは幾分問題がある話だということのようだ。

*2:もちろん、第三帝国時代にはキリスト者によるナチズムへの抵抗運動も存在していたことは確かだ(いわゆる「告白教会」運動など)。とはいえ当時、ナチズムを黙認するばかりか、積極的にナチズムを支持するキリスト教団体(たとえば「ドイツ・キリスト者」運動)も存在した。彼らがキリスト教信仰の「ゲルマン性」を説きそれをナチス政権の台頭と結びつけるそのやり方は、この映画中のルターの描かれ方と共通するところがある。

映画を通してルターを勉強する、その① 宗教改革500周年とルターという人物の多面性

目次

 

マルティン・ルターと宗教改革500周年

欧米圏の文化について調べたり勉強したりしているときにしばしば予期せず突き当たる名前の一つが、マルティン・ルター(Martin Luther 1483-1546)だ。ルターは、同時代のキリスト教界を聖書に基づく信仰から乖離したものだとして強く非難し、キリスト教改革を先導した。とりわけ、人々の罪を軽減する「免罪符/贖宥状」(Ablassbrief)を発行・販売していた当時の教会を弾劾したルターの「95ヶ条の論題」(95 Thesen)は、しばしば宗教改革の最初の一歩だと見なされる。

ルターがこの論題を著しヴィッテンベルク城教会の扉に張り出したのが1517年であるとされる(もっとも、この逸話は史実としては疑わしいところがあるようだが)ので、今年2017年は宗教改革500周年だということになるようだ。そういうわけでキリスト教圏でありしかもルターを生んだ国でもあるドイツでは、今年、ルターにちなんださまざまな催しが開かれている。

実際、特に神学を専門に勉強しているわけでもない私の目や耳にも、意識しないでもいつも以上にルターの名前が入ってくる。ルターにちなんだ講演会やイベントのポスターがそこらに張られていたり、ラジオを聴いているときにふいにルターの話題が出てきたりする。大学の学食で隣に座った学生のグループが、授業で扱われたらしいルターを話題にしていたということもあった。そしてついには、普段通っている近所の映画館のプログラムの上にまで、ルターにちなんだ映画がいくつか登場してきた。

そこで私は、いっそこの機会に、映画を通してルターを勉強してみるか、という気になった。そういうわけで、自分自身の勉強もかねてルターにまつわるいくつかの映画について書いてみたいのだが、その前にまず、マルティン・ルターという人物について、そして彼がドイツ文化あるいは欧米文化史の上でもつ意義について簡単に概観しておきたい。

 

マルティン・ルターという人物、その生涯

まず、マルティン・ルターという人物について、とりわけ彼の生涯について書いておきたい。あまり細かいことは書かないが、映画のなかでも取り上げられていた基本的なところについては触れておきたい。*1

青年時代に法学を修めたルターは、ある激しい雷雨の日をきっかけに、家族の反対を押し切って修道院に入ることを決意する。エアフルトの聖アウグスチノ修道会の修道僧として信仰とは何かを問い続けたルターは、聖書を通して、怒りによる裁きにではなく愛による慈しみにこそ神の本領があるのだということを悟る。ローマ旅行でカトリックの本拠を自らの目で見たのちにルターは、ヴィッテンベルクで神学博士として教鞭をとるようになる。

そのころルターは、当時の教会の現状を、とりわけ教会が販売する「免罪符/贖宥状」によって罪が金銭で解決できる問題になってしまっていることを非難するようになる。この現状を批判しつつ彼は、聖書に基づく個々人の信仰にこそキリスト教における罪の赦しがかかっているのだと説くようになる。そのためルターは、免罪符の販売を弾劾する「95ヶ条の論題」を著し、聖職者に対して公に論争の場を設けるように求めることになる(上にも書いたように、この論題をヴィッテンベルクの城教会の門に張り出したという逸話それ自体は史実として疑わしいものらしい。とはいえこの逸話が宗教改革の最初の一歩として語られることは多いようだ。実際に私が観た映画のどれでも、ルターが教会の門に論題を張り出すシーンはドラマチックに描写されていた)。

この論題やドイツ語で書かれたルターの著作は印刷されて出回り、教会の内外に激しい論争を引き起こすことになる。著作を公刊することを通して自説を展開し次第に支持者を獲得していくルターはしかし、同時にこれらの行為によって異端の疑いをかけられてしまう。そうしてルターは、マインツ大司教によって1518年にアウグスブルクで審問にかけられたのち、ローマ教皇からも問題視され教会からの破門を宣告されてしまう。さらに1521年にはヴォルムス帝国議会に召喚され自説の撤回を求められるが、ルターは聖書に書かれていないことを認めることができないと撤回を拒否する。これによってついには、ルターの帝国追放と彼の著作の所持禁止という勅令が出されてしまう。

帝国議会後のルターは、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世の庇護をうけてヴァルトブルク城で時を過ごし、そこで新約聖書の翻訳に没頭する。ところがそのころヴィッテンベルクでは、ルターの教会批判に刺激を受けた彼の信奉者たちが、教会の建物を破壊し教会内の書物を焼き払うといった騒動を起こしていた。見かねたルターは群衆の前に姿を現し、暴力を伴った教会への反乱行為を糾弾せざるをえなくなる。しかしルターに触発された人々の暴動は止むことなく各地に広がっていき、その後「農民戦争」(Deutscher Bauernkrieg)と呼ばれる大反乱にまで発展してしまう。その際にルター自身は、領主側について反乱鎮圧を支持する側にまわることになる。

その一方で、ルターの言説それ自体は少しずつ教会側にも認められていく。カトリック教会への抵抗の態度から「プロテスタント」と呼ばれるようになったルター派の人々は、1530年のアウグスブルク帝国議会において「アウグスブルク信仰告白」(Augusburger Bekenntnis)と呼ばれる信条宣言を提出し、皇帝カール5世もこれを認めざるをえなくなる。

またルターは、1525年に、修道女であったカタリーナと結婚している。これは、聖職者の結婚を禁止してきた教会の伝統から逸脱した行為であるのだが、ルターは聖職者の結婚を認める立場をとり、彼自身カタリーナとの間に6人の子供をもうけている。またその後もルターは生涯を通じて旧約聖書の翻訳や執筆活動に精力的に取り組み、1546年に故郷であるアイスレーベンにおいてその生涯を閉じる。

 

宗教改革者であり、文化史上の参照点としてのルター

教会によって販売される「免罪符/贖宥状」への批判、聖書に基づく個人的な信仰の強調、神の裁きへの畏れにではなく神の愛による恩寵にこそ核心を見るキリスト教観、そしてこれらの考えに基づいたルターの「宗教改革」の要求は、その後カトリックに対してプロテスタントが誕生する道を準備することになった。この意味でルターが近代キリスト教の礎を築いた人物の一人であることは、間違いのないことだ。

もっとも、キリスト教という枠組みを離れても、欧米文化におけるルターの意義というのは軽視できるものではない。そもそもの大きな話にはなるが、現在の欧米文化の礎がカトリックやプロテスタントといった諸宗派の緊張関係から成るキリスト教文化から発展してきたものであることに鑑みれば、プロテスタント信仰の道を準備したルターの意義は、ゆうに狭義のキリスト教の問題圏を超えていくことになるだろう。だからこそ、必ずしも神学や宗教学を専門に勉強しているわけでもない私のような人間でさえも、しばしばルターの名前に突き当たるのだ。

具体的な例を挙げれば、ヘブライ語および古典ギリシャ語で書かれ当時教会ではラテン語で読まれていた聖書をルターがドイツ語に翻訳したことには、聖なる書物を、ひいてはそこに書かれた知識を、聖職者による独占から民衆の手へと解放したという側面がある。また、ルターらによって準備されたプロテスタント的な禁欲と勤勉の倫理が、のちに資本主義が発展するための精神的な土台になったというマックス・ウェーバーによる議論も見逃せない(このことが直接ルターに帰せられるべきかというのは考える余地があるだろうが)。ルターによる宗教改革は、狭義のキリスト教の枠を超えて、欧米文化の歴史を考える上では欠かすことのできない重要な参照点の一つなのだ。

さらにドイツにおいてルターは、彼がドイツ語による著作活動を展開したばかりか聖書をドイツ語に翻訳した人物だということもあって、ある種特別な力点をおいて語られることがある。つまり彼はしばしば、必ずしもルターその人のものではない色々な理念を投影されて理解されるのだ。時にはドイツ民族の形成に寄与した国家の英雄として、時には封建的な教会制度と戦った反権威の勇士として、また時にはあるべきキリスト教信仰のあり方を模索した誠実な信仰者として。ルターの生涯やその活動は、どこに強調点をおくかによって、全く異なった仕方で理解されることができる。だからこそ、ルターについての語りもまた、時代や場所、あるいは文化的コンテクストによって、多面性を帯びたものとなる。

 

映画におけるマルティン・ルター

このことは、どうやら映画にもあてはまるようだ。ルターに関する映画は、独語版のWikipediaに掲載されているだけでも、劇映画が19本、ドキュメンタリーが13本製作されている(Lutherfilmの項目を参照。2017年8月11日現在)。私はこのなかから、近所の映画館で以下の三本を観ることができた。

 

・ハンス・カイザー「ルター、ドイツ宗教改革の映画」(Hans Kyser "Luther – Ein Film der Deutschen Reformation" DE 1927)

・クルト・オェテル「従順なる反乱」(Curt Oertel "Der gehorsame Rebell" BRD 1952)

・エリック・ティル「ルター」(Eric Till "Luther" DE/US 2003)

 

興味深いことに、この三本の映画におけるルターの描かれ方には、それぞれの時代の文脈や製作者の思惑のようなものが、それぞれなりの仕方で反映されている。それゆえこれらの映画について考えることは、ルターという人物の多面性を考えることであると同時に、その映画が製作された歴史的・社会的文脈を考えることでもある、と思う。

というわけでこれらの映画について書いていきたいのだが、ここまでの前置き部分でもってかなり記事が長くなってしまったので、映画それぞれについてはまた次の記事で書きたいと思う。

関心のある方は、その②の記事その③の記事もぜひ。

filmreview.hatenablog.com

filmreview.hatenablog.com

*1:言い訳がましいが、専門家でもなんでもなく拙い予備知識しか持たない人間が映画で観たこととインターネットで得られる情報とに基づいて書いていることなので、かなり怪しい記述もあるのではと思う。なので、もし間違いや不正確な部分などあったら指摘していただけると有難い。

苦境の末に偉大なものが訪れるという、空想のなかの芸術家の神話(ヴェルナー・クリングラー「ソリスト、アンナ・アルト」/Werner Klingler "Solistin Anna Alt" 1944年)

ヴェルナー・クリングラー「ソリスト、アンナ・アルト」(Werner Klingler "Solistin Anna Alt" DE 1944)を鑑賞。

この映画の主演女優であるアンネリーゼ・ウーリヒ(Anneliese Uhlig)がつい先日齢99で亡くなったそうで、その追悼の上映であったようだ。ウーリヒは、ナチス体制下のドイツにおいてゲッペルス主導の国策映画への出演を拒否したことから1942年以降ドイツ国内での映画出演が制限され、当時は主としてイタリアで活動していた。戦後はアメリカに移住したが、ドイツの映画やテレビにも度々出演してきたとのこと。本作「ソリスト、アンナ・アルト」はナチス体制下ドイツにおいて彼女が主演した数少ない映画の一つだということだ。

 

おおまかな感想、印象

ナチス体制下のドイツしかも1944年公開の映画だということで、どんなものかなと思って観たのだけれど、思っていたよりもずっと丁寧に作られており、最後まで飽きずに観ることができた。アンネリーゼ・ウーリヒ(Anneliese Uhlig)演じるピアニストのアンナと、ヴィル・クアドフリーク(Will Quadflieg)演じる作曲家ヨアヒム・アルトとの間の愛情と葛藤を軸にした音楽映画で、映画中で何度か為されるオーケストラ付きの演奏会の場面はそれ自体聴きごたえがあるものだった。また両主人公の演技もよく、とりわけ前半の、幸せな結婚生活が二人の才能のズレから少しずつ軋み崩壊していく様は、丁寧に描かれていたように思う。

もっとも、露骨な政治的主張こそなされていないとはいえ、いかにも国家社会主義時代のドイツの映画だな、と思わせるようなモチーフもいくつかあった。それが顕著なのは、後半、苦境を耐え忍べば天啓が訪れ、悪化した事態も宥和するに違いないというある種神話的な理念が、アンナとヨアヒムという二人の芸術家に投影されていた点だ。苦難の末に偉大な作品を生み出す芸術家というこの神話は、1944年に実際にきわめて厳しい歴史的状況に立っていたドイツ国家と重ね合わされて理解されたかもしれない。しかしこの神話は空想の中のものでしかない。そこでは天啓のご都合主義も、また苦境のなかで生じてしまった痛ましい犠牲も、ほとんど等閑視されてしまっている。

 

あらすじ

音楽学校で知り合ったピアニストのアンナ・アルトと作曲家ヨアヒム・アルトは、音楽大学の卒業時には揃ってモーツァルト賞を受賞し将来を嘱望された音楽家だった。卒業後に結婚し幸福な結婚生活を始めた二人だったが、やがてヨアヒムは構想中の交響曲の作曲がうまく進まないことにストレスを感じ始め、ついには鬱状態になって仕事に手がつかなくなってしまう。アンナは当初内助の功としてヨアヒムを応援したいと考え、自らのピアニストとしてのキャリアを追わずピアノの家庭教師などで収入を得ようとするが、家計は苦しく、ヨアヒムの精神状態も悪化していく。その折、二人の窮状を見かねた音楽大学での恩師ブルクハルト教授は、アンナがソリストとしてコンサートツアーに参加して収入を得られるように取り計らい、ヨアヒムには一人で集中して作曲に取り組むよう勧める。

アンナは持ち前の才能からコンサートツアーで大成功を収めるが、同時に楽団の音楽総指揮者ヴェストベルクに見初められるようになる。それでもアンナは、ヴェストベルクの求愛に対して、自分はあくまでヨアヒムのために活動しているのだと告げる。しかしヨアヒムは、ソリストとしてのアンナの成功やヴェストベルクとの関係への嫉妬から、精神状態をどんどん悪くしていき、ツアーの合間に帰宅したアンナにも拒絶的に振る舞い家から追い出してしまう。アンナが家を出た後、ほとんど精神錯乱状態にあったヨアヒムは突然、交響曲の構想を思いつく。しかし彼はそれを完成させることができなかった。

その折にアンナは、自分が心臓の病を抱えておりもはやコンサートに耐えうる身体でないことを知らされるのだが、それでもヨアヒムのためにとコンサートに出演し続ける。そしてついにアンナは、大盛況のコンサートの直後に倒れ込み危篤状態で病院に運び込まれる。後から病院に駆けつけたヨアヒムは、ずっと付き添っていたヴェストベルクに、命が助かるかわからないこと、また彼女は彼のせいでこうなったのだと叱責される。そこでヨアヒムは、彼の交響曲に欠けていた最後の要素を思いつき、自宅に帰って交響曲を完成させる。そして完成した楽譜をもって病院に向うと、アンナは息を吹き返しており、交響曲の完成を喜んでくれる。こうして付き添っていたヴェストベルクは帰らされ、二人は再び愛を確かめ合う。

 

理想と現実の間の軋み、芸術家に要求される「偉大なものの産出」という神話的理念

既に書いた通り、映画の前半、才能を認められ成功していくアンナと、思うような成果が出せずアンナへの嫉妬や劣等感から精神を壊していくヨアヒムの関係がだんだんと軋んでいき崩れ落ちていくそのプロセスの描写は、とても丁寧で見応えのあるものだった。それは二人が結婚生活のはじめに思い描いた理想と、実際に直面せざるをえない現実との間の軋みでもあるだろう。

映画の最前半でヨアヒムがアンナに、自分が作曲した交響曲が演奏されるときにはその告知に「作曲/指揮 ヨアヒム・アルト、ソリスト アンナ・アルト」と載るんだ、と嬉々として将来の空想を語るシーンがある。しかし現実にヨアヒムはまともな作曲ができないまま、ヴェストベルクの指揮のもとで「ソリスト アンナ・アルト」という告知が掲示されるのを目にしてしまう。これはヨアヒムが理想と現実のギャップを決定的に自覚せざるをえなくなったことを象徴するシーンだろう。自らの才能の限界に突き当たり心を壊していくヨアヒムという人物の描写には鬼気迫るものがあり、端的に見応えがあった。

しかし映画では、劣等感や焦燥感から明らかに精神に異常をきたし始めているように見えるヨアヒムに対して、妻アンナも恩師ブルクハルト教授も一貫して作曲を諦めないように説得する。曰く、芸術家とはそういうもの、つまり破滅か栄光かの岐路のもとで生きる存在であるのだから、ヨアヒムも現在の苦境を耐え抜き作曲家としての成功という目標に邁進しなければならない。そこではまるでヨアヒムという一人の人間などどうでもよい存在であるかのようで、芸術家としての彼が産み出す——と期待される——偉大な作品こそが重要であると言われているかのようだ。自らに押し付けられたこの「偉大なもの産出」という理念にとことんまで追い詰められたヨアヒムは、最愛の存在であったはずのアンナに暴言を吐き、彼女が彼を見放すように家から追い出してしまう。

 

苦境の末にこそ偉大な成果が訪れる、という芸術家の神話

驚くことに、アンナが彼のもとを去りもはやあとは破滅するだけだという状況になったそのときに、突如ヨアヒムのもとに——まるである種の天啓のように——交響曲の構想が思い浮び、彼はそれを一気呵成に完成間際まで書き上げることができるようになる。またその後でも、アンナが心臓の病で倒れ危篤状態にあることを、しかもそれが自分のせいなのだということを知らされたそのときに、ヨアヒムのもとに再び啓示が訪れ、彼は交響曲を完成させることができるに至る。

これではまるで、人生を苦境に陥らせれば自動的に偉大な着想が飛来してくるといったような、自動装置が存在するかのようだ。ここではアンナとの破局も、またアンナの病気や昏倒でさえも、芸術作品という偉大さに奉仕するための道具立てのようなものに変じてしまっている。前半では丁寧に描かれていた彼らの人間性も、後半に至っては全て交響曲という偉大な成果へ奉仕するものへと変じてしまっている。それだからこそ、交響曲が完成した暁には、病床のアンナとヨアヒムは——まるでそれまで彼らのもとに訪れた破滅的な事態をすっかり忘れ去ったかのように——心からの笑顔を見せることができる。こうして映画の後半を、苦境の末にこそ偉大な成果が訪れるのだという芸術家神話が支配することになる。

決して私は、作品を産み出すという作業が苦しみを伴うものであることを、またなにかしらの苦難の極まりがよい作品を生み出す機縁となりうることを否定したいわけではない。先日の記事で書いたヨーゼフ・ボイスの「挑発」概念ではないが、外的な状況への反発から芸術創造のエネルギーを得るということは芸術家と呼ばれる人々においてしばしば生じることなのだろう。しかしこの映画におけるそれは、あまりに図式的で、あまりにご都合主義的で、そしてあまりに犠牲に供されたものへの顧慮が少ないものであるように感じた。明らかに病的な兆候を示していたヨアヒムの精神状態も、再び舞台に立つどころか日常生活に戻れるかもわからないアンナの心臓の病も、交響曲の完成に奉仕することができればそれで清算されてしまったかのようなのだ。

 

歴史的文脈と「自己犠牲」の理念

もちろん、このようなモチーフから直接的に何かしらの政治的プロパガンダを読み取るというのは短絡的に過ぎるだろう。ただそれでも、この映画には明らかに、当時の、1944年のドイツという歴史的場所の時代意識が反映されているように思う。そもそもベートヴェンのようなドイツ文化が生んだ作曲家やその古典的作品の偉大さを臆面もなく賞賛するというそのこと自体が、当時においては否が応でも若干の政治的含意をもってしまうのだが、話はそれに尽きない。というのも、もはや思い描いた理想の遂行が不可能であることが露呈し、決定的な解決策も見いだせず、かといって現実を受け入れて後退することもできない、という歴史的状況にあった1944年の国家社会主義ドイツにおいては、苦境を耐え忍び理念に忠実であれば最終的には天啓の助けによって偉大な成果を得ることができるはずだというこの映画のモチーフは、それなりに魅力のあるものに感じられただろうからだ。

そして実際に映画の登場人物たちは、まるで当時ドイツ国民に求められた「自己犠牲」の理念をそのまま体現したかのような動き方をしている。女性であるアンナは、夫の偉大な仕事のために自らのキャリアを諦め、自らを傷つける夫に忠実に奉仕し貞淑を保ち続け、自分がどんな目に合わされてもそれを忘れて男性の偉大な成果をともに喜ぶ存在だ。そして男性であるヨアヒムは、精神が壊れようと身体が動かなくなろうと、たとえ無為の死という破局が迫っていようとも、偉大な理念の実現を信じて行為し続けなければならない。このような「自己犠牲」の理念を体現していたからこそこの映画は、さほど露骨な政治的プロパガンダを取り入れることがなくとも、当時のドイツにおいて上映されることができたのではないだろうか。*1

 

空想の二面性、現実とのギャップ

この映画における天啓のご都合主義や犠牲の宥和はしかし、空想のなかで思い描かれたものでしかない。現実にないものを空想する力——或いは端的に想像力——というものは、一面では現実を乗り越えて別の可能性に向うことができるものではある。しかし他面でそれは、現実を現実に即さないものと取り違えて、想像による粉飾をもって現実を理想化してしまうことがあるものだ。

この映画におけるような空想のあり方——苦難と犠牲の末に天啓が訪れるに違いないという神話的な思い込み——もまた、それがあくまでも空想された願いに過ぎないということが自覚されてさえいれば、また違った現れ方をするのかもしれない。しかしその空想が現実と取り違えられるときには、事態は少なからずおぞましい様相を呈し、現実に生きる人間の生でさえ容易に犠牲に供されかねない、ということになる。

ところでこの映画のなかでもっとも私の印象に残ったのは、まだ幸福な恋人同士であったヨアヒムとアンナが、二人で住む住居を探してまだ家具もない空のアパートを見学するシーンだった。二人はそこで、将来の二人の生活や成功を夢見心地で語り合いながら、部屋の調度を空想する。ここに箪笥をおいて、そこに棚を、あそこにピアノを、向こうにあなたが座って作曲をして、私は…というように。体を大きく動かしながら空想に耽る二人の幸福そうな姿はとても魅力的なものだったのだが、同時に、何もない部屋のなかで踊るように動き回る二人の空想は、語られたことが未だ現実になっていないこと、それが頭のなかで想像されたものでしかないことを雄弁に物語ってもいた。

ここでは、空想と現実の間にあるズレがはっきりと自覚されていて、二人はそのズレのなかで踊っていた。もしかするとこのシーンは、この映画の後半の神話もまた、空の部屋のなかで思い描かれた空想に等しいものでしかないということを、暗示しているものなのかもしれない。

*1:もっとも、このことがどこまで監督や製作者の意図と合致しているのか、どの程度検閲する当局側の要望が反映されているのか、その点の詳細は私にはわからない。映画「ソリスト、アンナ・アルト」は少なくとも、全面的に国家社会主義当局のお気に召すものではなかったようだ。というのもこの映画は、1944年当時に検閲によって「青少年の鑑賞禁止」(Jugendverbot)という判断を下されているからだ。