映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

アウシュヴィッツにおける道化、あるいは喜劇と悲劇の沈黙(エリック・フリードラー「道化師」/Eric Friedler "Der Clown" 2016年)

大分(一年ほど?)前になるが、エリック・フリードラー「道化師」(Eric Friedler "Der Clown" DE 2016 115 Min. Blu-ray)を鑑賞した。1972年に撮影されたものの未完に終わったジェリー・ルイス「道化師が泣いた日」(Jerry Lewis "The Day the Clown Cried")を扱ったドキュメンタリー映画で、これについては記事を書きたいと思いながら書けずにいた。個人的なきっかけもあり、紹介がてら記事を書きたいと思う。

 

概要

コメディ俳優ジェリー・ルイスは、1972年に映画「道化師が泣いた日」の制作に着手した。アウシュヴィッツ強制収容所を舞台にしたこの映画は、ルイス自身が演じる道化師ヘルムートがナチス将校に命じられてユダヤ人の子供たちをガス室へと導き入れる様を描く悲喜劇となるはずであった。撮影は順調に進んでいたはずだったが、ルイスは突然撮影現場を離れ、そのまま映画の完成と公開を見送り、その後この映画について語ることをしなくなった。そのルイスが、撮影から40年以上の時が経ってようやく、この映画に関する本格的なインタヴューに応じることになった。ドキュメンタリー映画「道化師」は、未完成に終わった断片的映像、ルイスや当時の俳優たちのインタヴュー映像などを交えつつ、「道化師が泣いた日」の制作と頓挫の事情を追っていく。

 

※ちょうどよいトレイラーを探したが見つからなかった。ルイスの「道化師が泣いた日」について比較的短く見やすい紹介映像(英語字幕による説明つき)があったので貼り付ける。ただし、コメント欄によると不正確な情報も書かれているようなので、その点はご注意を。

www.youtube.com

 

映画中の、自作が失敗した事情について諧謔的に語るジェリー・ルイスのインタヴューや実際のフィルムの断片映像などは、それ自体が非常に興味深いものであったし、映画に出演していた俳優たちを集めて試みられた映像実験も見応えのあるものだった。とはいえ、フリードラーによるこのドキュメンタリー映画の全体を紹介することは、本記事のなし能うところではない*1。この記事では、このドキュメンタリー映画を、そしてその中で紹介されていた「道化師が泣いた日」の断片映像を観て、私の個人的な印象に残ったテーマについて書きたいと思う。

 

70年代前半にホロコースト映画を制作することの困難

まず、完成されるはずだった「道化師が泣いた日」の全体のあらすじを簡単にまとめておきたい。ルイス自身が演じる道化師ヘルムートは、もともとはサーカスのピエロとして世界中をめぐっていたが、ライバルの活躍で日陰に追いやられていた。失意に沈んだヘルムートは、飲み屋でヒトラーを揶揄したことから政治犯として強制収容所に送られてしまう。そこでヘルムートは、小さなコメディショーを開いて収容所内の子供たちを楽しませることに喜びを見いだすようになる。このことから彼は将校に目をつけられることになり、最終的に、ユダヤ人の子供たちをガス室に送る手伝いをするよう命じられる。つまり彼は、子供たちを楽しませ従わせる道化ならではの能力によって、子供たちをガス室へとスムーズに誘導する役目をあてがわれるのだ。

この映画「道化師が泣いた日」は、なぜ完成に至らなかったのだろうか。インタヴューにおいてルイスは、(資金面や権利上の問題もあったものの)何よりも自らの作品の出来の悪さに我慢がならなかったことが、制作を取りやめた最大の理由だったと証言している。そもそもこの映画はルイスにとって、コメディアンとしてのイメージを払拭し映画監督としての決定的な一歩を踏み出すための一作となるはずであった。しかし彼は、自らのこの野心に見合うだけの作品を作り上げることができなかったというのだ。曰く「心底恥ずかしかった…だめな仕事だった…作家としても、監督としても、演者としても、プロデューサーとしても、よいところが何もなかったんだ」。

彼のこの自己評価がどこまで正当なものであるのかはさておき、この挫折がルイスにとって持つ衝撃は大きかったようだ。ルイス自身の言葉によれば、「僕がこの映画のことを考えなかった日などない」ほどであり、「この映画は自分に残された最後の日々まで僕のことを追い立てるだろう」という。この発言に対応するかのように、ルイスはこの映画の挫折後は十年ほど映画界から遠ざかり、ようやく80年代になって再び映画製作の現場に戻って来ることになった(82年に封切られたマーティン・スコセッシ「キング・オブ・コメディ」への出演はその決定的な一歩だっただろう)。

映画「道化師が泣いた日」は、なぜかくも決定的な仕方で頓挫したのだろうか。その大きな理由の少なくとも一つは、70年代前半においてアウシュヴィッツを舞台に映画を制作するということが、重い困難を伴うものだったというところにあるだろう。というのも、ナチスの強制収容所をめぐる1970年代当時の言説は、それが世界中の人々の共通の知に属している現在の認識とは大きく異なっていただろうからだ。そもそもアウシュヴィッツにおけるガス室の実体が大々的に再検討されはじめたのは1950年代後半から60年代にかけてであり、強制収容所を舞台にした劇映画もいまだ制作されていなかった*2。主題的に共通するところのあるロベルト・ベニーニ「ライフ・イズ・ビューティフル」も1997年の公開であり、そう考えるとルイスの試みはきわめて先駆的で、その分冒険的なものであったことは想像に難くない*3

まさしくこのことを、ルイスも十分に意識していたようだ。「ホロコーストという主題はあまりに荷が重かったのか」というインタヴュアーの問いかけに対して、彼は「その通りだ」と答えている。70年代前半にアウシュヴィッツを舞台にした人間ドラマを制作するというそのことは、それ自体できわめて大きな困難を伴うものであったのだ。

 

アウシュヴィッツにおける道化、あるいは喜劇と悲劇の沈黙

ところでルイスのインタヴューは、70年代にホロコースト映画を制作することの困難という一般的な次元の事柄とは別に、ある独特の困難に彼が陥っていたことを示唆している。それはつまり、 アウシュヴィッツ強制収容所を舞台に道化師を描くということに付随する困難だ。すなわちここでは、ナチスによるホロコーストという非人間性を前にしてそもそも喜劇や悲劇なるものが成立するのか、という点が問題となるのだ。

どうやらルイスの当初の目論見では、ユダヤ人の子供たちを楽しませながらガス室送りにする道化ヘルムートの物語のなかに、喜劇性と悲劇性の交錯が表現されるはずであったようだ。とはいえルイスは制作過程において、そもそもこの主題とこの物語によっては、道化ヘルムートの行いがまったく喜劇として機能しないという問題に突き当たらざるをえなかった。ルイス自身の言葉によれば、「コメディは恐ろしいものにはまったくそぐわない」ことに気付かざるをえなかったのだ。かくして彼は自問する。「道化師が65人もの子供たちをガス室へ連れて行く。このどこにコメディがあるっていうんだ?」

まさしくここに、アウシュヴィッツに象徴されるホロコーストという出来事の、一つの決定的な性格が現れている。すなわちホロコーストは、あらゆる人間的な行いを意味から引き剥がし、非人間的な無意味へと変じさせてしまうような出来事なのだ。ある事柄が喜劇的であるとか悲劇的であるとかいう判断は、人間的な行いから一定の意味連関が読みとられてはじめて成り立つものだろう。そもそも人間性なるものがあり得ない場所では、喜劇も悲劇も成り立たない。

人間が人間を効率的に抹殺するために運営される機関としてのガス室においては、道化がもつ喜劇性も単なる道具となる。道化がいかに巧みに子供たちを楽しませようとも、その行動が子供たちを効率的にガス室へ送るために意図的になされているものである以上——ルイスの言うとおり——そこにもはや喜劇の余地は存在しないだろう。

それではこの道化の物語が悲劇的と呼べるかどうかというと、それも疑わしい。もしヘルムートが自分は何か意味あることをしていると思いこみながら——たとえば彼が何も知らないまま子供たちを純粋に楽しませようとしていたというのなら——その実子供たちの抹殺に寄与してしまっていたというそのことはまだ悲劇的であると言えるかもしれない。しかし彼は自分が、子供たちをスムーズにガス室送りにするための道具でしかないことを知っていた。命じられたことを命じられたとおりに行うことは、もはや悲劇的とすら言い難いのだ。

かくしてここでは、喜劇も、悲劇も、沈黙する。道化師は人々を笑わせることも、悲しみのうちで涙を流すこともできなくなってしまった。歪められた人間性の隠れ処としての道化さえも、非人間的なものに奉仕する道具に変じてしまった。だからこそルイスは、この物語を完成することができなくなってしまったのかもしれない。この非人間性の問題それ自体と真正面から取り組み、そこから何かしらの希望を——たとえ欠片や反照という仕方においてでも——見出すのには、1972年という時は、あまりに早すぎたのかもしれない。

*1:もし興味のある方は、ドイツ語ではあるが以下のZeit誌の記事を読まれると件のドキュメンタリー映画の概要がわかるものと思う:

www.zeit.de

また動画サイトなどで検索すれば、"Der Clown"の映像や監督フリードラーのインタビューなどが、部分的にでも観られるものと思う。

*2:戦後のドイツが大戦中の戦争犯罪とどう取り組んだのかという点については、以前書いたルート・ベッカーマン「戦争の彼方」に関する記事の、とりわけ「映画の背景、ドイツの<過去の克服>と<国防軍>展について」という項目を参照いただきたい。

※以下、2018年8月24日に追記:

「強制収容所を舞台にした劇映画もいまだ制作されていなかった」という文章に関しては、捕捉する必要があるように思う。というのも、この後に記事を書いたオイゲン・ヨーク「モリツリ」(1948年)のように、強制収容所に連行された人々を描いた劇映画は——数は多くなくとも——制作されていたからだ。とはいえこの映画も、強制収容所の内部を舞台にし、そこで行われた組織的なホロコーストという戦争犯罪そのものを主題にし、映像化しているわけではない。1970年代まで強制収容所を舞台にした劇映画が制作されなかったという件の文章は、まさしく強制収容所の内部におけるホロコーストそのものを描くような映画が存在しなかった、という意味で読んでいただければと思う。

*3:ちなみにインタヴュー中でルイスは「ライフ・イズ・ビューティフル」について、「自分からアイディアを盗んだものであると断じつつも、「よく作られた」ものであり「素晴らしい映画」であると評している。