映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

笑いとともに、プロパガンダの強張りに入るひび(エルンスト・ルビッチ「ニノチカ」/Ernst Lubitsch "Ninotchka" 1939年)

エルンスト・ルビッチ「ニノチカ」(Ernst Lubitsch "Ninotchka" US 1939)を鑑賞。

 

おおまかな感想、印象

ルビッチらしい、テンポのよい洗練されたラブコメディ。グレタ・ガルボ演じる厳格な共産党員ニノチカが、パリの伯爵レオンとの出会いを通じて変化していく様が印象的に描かれている。もっともこの映画には、当時の国際情勢を背景にした政治的寓意があからさまに織り込まれてもいる。ソヴィエト連邦から来たニノチカは労働者の革命による理想社会の構築を謳う共産圏を、パリの伯爵レオンは個人の享楽を是とする自由主義や資本主義を、それぞれ代表しているのだ。アメリカにおいて制作された本作は基本的には後者の視点に立ち、現実から乖離した共産主義の理念の強張りを笑い飛ばしながら、厳格な共産主義者も結局は資本主義的な享楽の魅力には抗えないだろうことを喧伝する。共産主義社会の理念のための自己犠牲に生きていたニノチカがレオンとの出会いをきっかけに自らの幸福を追うようになるという物語の大筋に、そのことは明らかだろう。この意味で本作を、自由主義・資本主義の側からなされた反共産主義プロパガンダ映画の嚆矢であると見ることもできる。

とはいえ映画「ニノチカ」の真髄は、資本主義陣営による共産圏の誹謗に尽きるものではない。というのもこの映画においては、笑いという内発的な作用が、共産主義の理念だけでなく自由主義・資本主義の側のプロパガンダにもひびを入らせているからだ。レオンによってニノチカが顔を崩すまでに笑うようになるというそのことは、たしかに一方では、理想のために個人を窒息させかねない共産圏の硬直性がひび割れ瓦解することを声高に喧伝している。しかし他方でレオンもまた、ニノチカに触れることを通して、個人の享楽を謳いつつも享楽から疎外された者たちを等閑視する自由主義や資本主義の欺瞞を自覚するに至っている。この映画におけるニノチカとレオンの出会いにおいて生じた「笑い」は、潜在的には、共産主義と資本主義というイデオロギー的な対立関係やそれを前提としたプロパガンダ合戦の強張りそれ自体にひびを入れるような作用を持っているのだ。

 

あらすじ

※例によって以下はネタバレになるのでご注意を。

ソヴィエト連邦から三人の役人が、かつての貴族から押収した宝石を国庫のために売り払うよう命令され、パリにやって来る。しかし宝石のもともとの持ち主でありパリに亡命していた大公妃が偶然の機会からそのことを聞き知り、彼女の愛人である伯爵レオンは宝石売却を阻止するために動き回ることになる。レオンはあの手この手で三役人を懐柔し、パリでの享楽的な生活でもって彼らが本来の仕事を忘れてしまうように仕向ける。その折、厳格な共産党員ニノチカが、遅延している三役人の仕事を監視するためにパリへと派遣されてくる。

三役人に仕事を言いつけパリの街を一人視察していたニノチカは、偶然のことからレオンと知り合う。レオンからの熱心なアプローチの甲斐もあり、パリの街を観光しながら二人は距離を縮めていくが、やがて彼らはお互いが敵対的な立場にあることに気付いてしまう。それでもレオンはニノチカとの仲を深めようと奮闘し、ついには労働者向け食堂でのちょっとしたやり取りをきっかけに、それまで全く感情を見せることがなかったニノチカが顔を崩して笑うようになる。また同時にレオンも、ニノチカの考えを理解するためにマルクスの『資本論』を読み階級格差の問題について理屈をこねはじめ、彼の使用人から呆れられるようになる。とにもかくにも理解し合ったニノチカとレオンは、二人でパリでの生活を楽しみはじめる。

しかしある日酔い潰れて帰宅したニノチカは、大公妃の使いに件の宝石を盗まれるという失態を犯してしまう。自分の愛人であったレオンがニノチカに執心していることに嫉妬した大公妃は、すぐにソヴィエト連邦に帰国してパリから姿を消すならば宝石を諦めてやるとニノチカを脅迫する。こうしてニノチカは自らの失態を隠すため、レオンに別れを告げることもできないまま、パリでの生活に耽溺していた三人の役人たちとともにソヴィエト連邦へと帰国せざるをえなくなる。

スターリン政権下のソヴィエト連邦に帰国したニノチカと役人たちはよい友人同士となり、隠れてパリでの思い出に耽るようになる。レオンはニノチカに会うためにソヴィエト連邦に入ろうとするが許可されず、彼の手紙も検閲で黒塗りにされてしまう。そんな折、三役人が今度はコンスタンティノープルへと毛皮を売るために赴くことになったのだが、またも彼らの仕事が遅延しているからとニノチカも同地に派遣されることになる。コンスタンティノープルまでやって来たニノチカは、三役人がロシア料理店を開店したことを知り呆れる。そこにレオンが姿を現し、これはニノチカに会うために彼が仕組んだことなのだと告げる。

※こちらは「ニノチカ」のトレイラー。ガルボ演じるニノチカが豪快に笑うさまが見られる。

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共産主義の強張りを笑いとばす資本主義のプロパガンダ

あらすじからして明らかなように、このコメディ映画にはふんだんに政治的寓意が織り込まれている。崇高な国家理念を説き個人の犠牲をも厭わない共産党員ニノチカはソヴィエト連邦を筆頭にした共産圏国家の象徴であるだろうし、パリの街とその楽しみ方を熟知し個人的な享楽や愛を追いかける伯爵レオンはアメリカを筆頭にした自由主義・資本主義国家の価値観を代表している。この意味で映画「ニノチカ」は、戦後の東西冷戦時代を先取りするかのような対照関係を戯画化している。

アメリカ制作で1939年に公開されたこの映画にはとりわけ、共産主義の台頭を危険視する自由主義陣営の当時の意識が明らかに反映されている。というのもこの映画のモチーフは、基本的に自由主義・資本主義の側の視点から、共産主義社会の硬直性を笑い飛ばすということにあるからだ。このことは共産党員ニノチカの描かれ方に顕著で、冗談にくすりともせず、労働者の革命による共産主義の実現という理念を無表情で暗誦し、ショーウィンドーの最新ファッションを軽蔑の眼差しで見つめるニノチカは、生の喜びを知らない非人間的な存在として登場する。ここでは明らかに、現実味のない共産主義社会という硬直した理念が、現実として個々人の幸福を抑圧してしまっていることが示唆されている。

この意味で映画「ニノチカ」は、共産主義の非人間性を皮肉った意識的なプロパガンダ映画としての側面を持っている。スターリン体制下のソヴィエト連邦を皮肉ったコメディ映画としてはアメリカで最初のものであるらしいこの映画は、一面的なステレオタイプをもって、ソヴィエト連邦や共産主義者の問題を笑いとばす。それどころかここではまた、硬直した共産主義さえも資本主義の誘惑には勝てず、個人的な享楽の魅惑に抗えずに瓦解していくだろうことが喧伝されてもいる。

実際にニノチカは、労働者向けレストランでのレオンの失態に顔を崩して笑って以降、パリという街の魅力を享受するようになる。当初は軽蔑の眼差しで眺めていた流行の帽子を自分から購入したニノチカは、レオンの部屋で最新の音楽を聴き、高級レストランの食事とワインを堪能しながら魅力的に笑うのだ。酩酊しながら自らの享楽の罪深さを口にするニノチカが、レオンが開けたシャンパンの音でもって銃殺されたかのように倒れ込む印象的なシーンは、美食という個人的享楽が共産主義の社会的理念を打ち負かしたことをコミカルに象徴しているだろう。そうしてニノチカは、ソヴィエト連邦に帰国してからもなお、パリで購入した衣類を隠し持ち続け、自国のラジオに音楽が流れないことを嘆くのだ。

もっともここには、資本主義や自由主義の側の傲慢も少なからず見て取れる。レオンによって引き起こされた「笑い」以降、ニノチカがあまりにも急速に資本主義文化に染まっていくそのプロセスははっきり言って不自然であるし、豪奢な宝飾やファッションが無条件に人を魅了するはずであるという前提も安易ではある。このような傲慢さを内包しつつ、この映画は、共産主義という非人間的社会もまた資本主義・自由主義における個人的幸福の魅力の前に瓦解せざるをえないのだということを、声高に喧伝している。

 

共産主義の瓦解の象徴として「ガルボが笑う」ということ

共産主義理念の強張りが資本主義的な享楽の前に瓦解するというモチーフは、それまで全く感情の変化を表に出さなかったニノチカがレオンの失態によって顔を崩して笑い転げるというシーンに端的に象徴されている。ところでこのシーンがセンセーショナルなものとなったのは、グレタ・ガルボという女優がこの演技によって自身のそれまでのイメージを壊し、それが「ガルボが笑う」というキャッチフレーズとともに広まったというそれゆえでもある。

冷たく凛とした雰囲気のあるガルボという女優は、それまで基本的にシリアスな役柄ばかりを演じており、コミカルに笑うというイメージがなかったらしい。そこでガルボが所属するMGMスタジオは、冷たい女という彼女のイメージをコメディ映画への出演によって変化させようと考えており、そのタイミングで映画「ニノチカ」の主演が決まった。そういう背景もあって映画「ニノチカ」は、「ガルボが笑う!」("Garbo laughs")というキャッチコピー*1をもって大々的に広告されることになったのだ。

かくしてガルボという女優の冷たさの瓦解と、共産主義の理念の瓦解、その二つのイメージが重なり合ったこの映画は、第二次世界大戦がはじまった1939年に公開され、興業的にも成功を収めることになったのだ。*2

 

「笑い」は、資本主義プロパガンダにもひびを入れる

この映画はしかし、ただただ一方的に共産主義社会の問題点や敗北を誇張して描き出すだけのものでも、一面的に資本主義や自由主義の勝利だけを描くものでもない。もちろん、個人の享楽を前にした共産主義理念の崩壊というモチーフが映画の前面に出てきていること、そしてその意味でこの映画が共産主義世界を笑い飛ばす資本主義プロパガンダとしての側面を持っていることは、疑い得ない。しかしこの映画を注意して観ると、資本主義や自由主義の問題点や欺瞞も——必ずしも直接的な仕方ではないにせよ——描かれているということに気付くだろう。映画「ニノチカ」は、共産主義理念の瓦解を描くのみならず、資本主義陣営のプロパガンダにもひびを入れているのだ。

問題は既に、パリの伯爵レオンという人物それ自体に見て取れる。財産を持ち洗練された振る舞いをする彼は、パリという華やかな街で申し分のない生活を送ってはいる。しかし彼のきらびやかな生活は、爵位という彼の身分によって保証されたものであり、決して自由で平等なものとして資本主義諸国に住む者すべてに分かたれているものではない。また大公妃への彼の態度からは、彼の地位や財産がある程度まで彼女との関係によって保障されているものであることも推察される。共産主義者ニノチカが屈した魅力は、決して資本主義や自由主義に遍在する魅力ではなく、むしろ既得権益によって生きる特権階級の魅力なのだ。大公妃に対する彼の気後れした態度や、贅沢慣れしていない素朴なニノチカへの憧憬は、レオンが自らの欺瞞にどこか居心地の悪さを感じていることを示唆しているのかもしれない。

そして実際に伯爵レオンは、ニノチカの思想に触れることによって、彼自身を取り巻く問題を自覚することにもなる。それが最もはっきりと表れるのは、レオンがニノチカに気に入られようとマルクスの『資本論』を読んで感化されるくだりだ。階級間の不平等や労働者階級の抑圧といった問題を学んだ彼は、マルクスの理屈を振り回し、彼の家の使用人に今まで以上に休みと給与を与え人間的な生活を実現できるように取り計らおうとする。しかし長年彼に仕えてきた老使用人は、突然のレオンの振る舞いに困惑し、自分は今のままでも十分満足しております、と呆れたように言い返す。

この一連のやりとりは、映画においてはきわめてコミカルに描かれており、実際に思わず笑ってしまうようなものだ。そしてそれゆえにこのシーンにおけるレオンの言動は、恋煩いから来る単なる奇行でしかないようにも見える。とりわけ公開当時にこの映画を観たであろうアメリカや資本主義・自由主義諸国の人々の多くはこのシーンに関して、パリの貴族がマルクスにかぶれるなんて馬鹿で滑稽な話だな、という以上の感想を持たなかったかもしれない。しかし実際のところ、貴族は貴族として無条件に財産を持ち続けることができる一方で、労働者階級が疎外された労働のあり方に満足しているという現状は、万事問題なしと言うことができるものだろうか。この老使用人はもしかしたら、社会によって、教育によって、現状に満足していると思い込まされているのではないだろうか。しかし共産主義者ニノチカを魅惑したパリの享楽も——ひょっとしたら映画「ニノチカ」のような大衆的な娯楽さえも——知ることがない人々を等閑視して資本主義や自由主義の魅力を喧伝することには、決定的な矛盾がないのだろうか。

伯爵レオンは——そしてこの映画「ニノチカ」は——はっきりと、たとえ喜劇の枠のなかでであれ、この社会的不平等の自覚へと到達している。だからこそレオンは、ニノチカを追って、それまでの彼ならば決して足を運ぶことがなかった労働者食堂に足を踏み入れ、そこでニノチカだけでなく労働者たちの笑いの的になっても彼らとともにそれを楽しむことができたのかもしれない。ニノチカの変化ほど劇的でわかりやすい仕方でではないが、レオンもまたニノチカとの邂逅によって何かを自覚し、変化を望みさえしたのだ。この目立たない小さな一点は、映画においてそれ以上展開されることはない(あるいは展開したくてもできなかったのかもしれない)。とはいえそれによって、自由主義や資本主義のプロパガンダにも、目に見えない小さなひびが入る。このひびは、その後の時代の経過とともにだんだんと大きくなり、目に見えるものになっていったものだろう。

このように見ると、共産党員ニノチカとパリの伯爵レオンの邂逅はもはや、単なるイデオロギー的な二項対立やそれに基づく勝敗に還元されるものではない。むしろ彼らは、決定的な他者との出会いを通して、自らを反省し、自覚し、変化しているのだ。もちろんこの映画においてその変化は、圧倒的に資本主義の側に有利なように演出されてはいる。しかしここには既に、共産主義と資本主義という冷戦的な二項対立そのものにひびが入り、それぞれの一面的なプロパガンダが瓦解していく可能性が、ほんのわずかながら示唆されてもいるのだ。映画「ニノチカ」が持つ政治的含意の魅力はこの点にこそあると、私は思う。

*1:これは、ガルボがはじめて出演した有声映画であるクラレンス・ブラウン「アンナ・クリスティ」(Clarence Brown "Anna Christie" US 1930)の広告時に「ガルボが喋る!」("Garbo talks!")というキャッチコピーで宣伝したことのもじりだそうだ。

*2:もっともソヴィエト連邦では上映禁止になり、ドイツでは1948年にようやく、しかも西側に属している州でのみ、上映が許可されたのだという。

1910年代のサイレント映画に見る、性別の「らしさ」の揺らぎ

先日、近所の映画館で、クロスドレッシングをモチーフにした1910年代の無声映画を三作品まとめて観ることができた(有難いことにピアノによる生伴奏つき)。以下、それについて書きつつ、性別ごとの「らしさ」という固定観念の揺らぎについて考えてみたい。

 

クロスドレッシングというモチーフについて

クロスドレッシング(Cross-Dressing: 異性装)とは、一言でいえば、異性の服装を身に着けることだ。理由や動機はなんであれ——自らに押し付けられた「性」への抵抗のためであれ、慰みや性的興奮のためであれ——男性が女性のものとされる衣服を身に着けたり、女性が男性のものとされる衣服を身に着けたりすれば、それがクロスドレッシングだということになる。もともとは1910年頃から「服装倒錯」(Transvestitismus)という医学用語が同じ意味で用いられていたらしいのだが、1970年代アメリカにおいてその病的なニュアンスを避けたい当事者たちが「クロスドレッシング」ないし「クロスドレッサー」という言葉を使い始め、それが人口に膾炙していったのだという。

もちろん、言葉の歴史とは別に、異性の服を身にまとうことそれ自体は古い歴史を持っている。旧約聖書に異性の服を身にまとうことを禁じる一節があるのだが(申命記22-5:「女は男の着物を身に着けてはならない。男は女の着物を着てはならない。このようなことをする者をすべて、あなたの神、主はいとわれる。」)、異性装が禁忌として名指されるということは、逆に言えば当時そのような行為がある程度流布しており問題視されていた傍証でもあるだろう。そして古来、少なからぬ物語や逸話、或いは文学作品や劇作品において異性装のモチーフが見出される。この意味では、クロスドレッシングという言葉は比較的新しくとも、そのモチーフそれ自体は目新しいものではない。

とはいえ、それが「服装倒錯」という医学用語として名指されたことにも見られるように、20世紀初頭のヨーロッパ文化において異性装なる事態がそれまでにない仕方で人々の意識に登ってきたという側面はあるようだ。このことは、第一次大戦前後に顕在化した没落の意識——ヨーロッパ的近代文明はもはや没落しつつあるのだという意識——と無関係ではないだろう。既存の倫理や道徳といった「当たり前」の常識への信頼感が揺らぐその時には、性的な「当たり前」も揺らぐ。そのような文脈において、クロスドレッシングにおけるような既存の性的役割の逸脱は、一方では文明の崩壊を促進する危険な兆候と見做されるとともに、他方ではお仕着せの常識の枠を超えた魅力的なものとして人々の目に写ったのかもしれない。当時にはクロスドレッサーのためのキャバレーのような場所もあったらしく、その様子を描いた版画を以前どこかの展覧会で見たことがあり印象に残っている(詳細は失念してしまったのだが…)。

 

1910年代の無声映画におけるクロスドレッシング

このように見ると、クロスドレッシングというモチーフが1910年代の無声映画のうちに登場してくることは、さほど不思議なことではない。もっとも、当時の映画における男装や女装は、基本的には人々を楽しませ笑わせるための喜劇の一要素でしかなく、それによって何かを問題化しようとか既存の常識に逆らって何かを主張しようとかいう意図はほとんど見られない。そこでは依然として「男性らしさ」や「女性らしさ」という固定観念が前提されていて、異性装はそれを逸脱するものとして笑いの対象になっている。

しかしそれでも、当時の常識の枠のなかで演ぜられる映画のうちに、それぞれの性別に割り当てられた「らしさ」という固定観念が揺らぎ始めていることへの意識を、ある程度まで読み取ることもできるだろう。そしてこの意識は、男性と女性という二分法的な性の枠のうちにあらゆる人間を還元することへの疑問視や、その枠のなかで期待される性的役割をそこに適合しない者に押し付けるような社会的暴力の問題視にも、潜在的には通じているはずなのだ。

例によって前置きが長くなってしまったが、このような観点を意識しつつ、クロスドレッシングというモチーフが登場する無声映画作品について簡単に書いていきたいと思う。私が先日観ることができたのは、次の三作品だ。

 

・ウアバン・ガーズ「ツァパタ団」(Urban Gad "Zapatas Bande" DE 1914)

・マグナス・スティフター「恋のABC」(Magnus Stifter "Das Liebes-ABC" DE 1916)

・エルンスト・ルビッチ「男になったら」(Ernst Lubitsch "Ich möchte kein Mann sein" DE 1918)

 

以下、それぞれについて簡単に書いていく。

 

スター女優が扮した強盗団首領に、地元娘が恋をする(ウアバン・ガーズ「ツァパタ団」/Urban Gad "Zapatas Bande" DE 1914)

デンマーク出身で無声映画時代のスター女優であったアスタ・ニールセン(Asta Nielsen)が本人役で出演。あるドイツの映画制作チームが、アスタを主演に強盗団の映画を撮影するためイタリアに赴く。しかし彼女らが強盗団の衣装に着替えて撮影をしたりふざけて地元の人々を驚かせたりしている間に、本物の強盗団が現われて彼女らの衣服や金銭をこっそり盗んでいってしまう。強盗団の恰好をしたまま言葉も通じないイタリアの山中に取り残されたアスタと撮影クルーは、地元の人々に助けを求めるも本物の強盗と勘違いされ追い払われてしまう。途方に暮れたアスタはやむなく地主の家に忍び込むのだが、入り込んだ部屋にいた地元の娘は強盗の首領に扮したアスタに恋心を抱いており、彼らに食料を恵んでくれる。やがて撮影クルーは地元の警察に追い詰められ捕まってしまうのだが、地元のドイツ大使館の助けで、最終的に彼らは釈放されることになる。

※YouTubeでは、強盗団に扮したアスタら撮影クルーがふざけて地元の人々を驚かすシーンが見られる。この時に助けられたと思い込んだ地元娘がアスタに惚れてしまう。

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この映画におけるクロスドレッシングのモチーフは、女優が強盗団の首領ツァパタに扮し、それによって地元娘に恋心を抱かれる、というところにある。もっともこの映画中の男装は、強盗団の首領というそれ自体特殊な扮装であるし、今でいうコスプレ的な要素というか、当時の人気女優を面白く披露するためのものという側面が強いような印象を受けた。そのためこの映画のなかに、当時における男性や女性の「らしさ」に関する問題意識のようなものはあまり見て取ることはできない。ただ1910年代当時の映画撮影の雰囲気のようなものの一端が見られるという点で興味深い一作ではある。

 

軟弱男を男らしく仕立てるため、女性が自ら模範的男性を演じる(マグナス・スティフター「恋のABC」/Magnus Stifter "Das Liebes-ABC" DE 1916)

こちらも主演はアスタ・ニールセンで、彼女が良家の娘リースを演じている。ある日リースのもとに、彼女の結婚相手となるべきフィリップがやって来る。しかし髭を蓄えた男らしい紳士を夢見ていたリースの前に現われたフィリップは、なよなよして男性らしさのない軟弱者だった。当初は悲しんだリースだったが、フィリップと話すうちに、自分が彼を男らしい男へと教育していけばいいのだと思い至る。かくしてリースは、フィリップにタバコとキスを教え、さらには叔母を訪ねるのだと家族を騙し、彼をパリまで連れて行く。

パリにおいてリースは、自ら都会的な紳士に扮し、夜遊びを通してフィリップに「立派な男性」を教え込もうとするが、彼女自身が調子にのって深酒をしてしまう。翌日二日酔いでリースがベッドから起き上がれないでいると、そこに彼女の父がやって来る。彼はリースが男装してごまかそうとするのを見抜き、フィリップから事情を聴き出す。最終的にリースの父は、女装した運転手とフィリップの逢引を仕組み、リースにやきもちを焼かせることでもって彼女にお仕置きをする。

※YouTubeでは、まだ見ぬ結婚相手をリースが夢想するシーンが見られる。以下の0:56~2:00あたりまで。

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この映画の中心にあるのは、バーナード・ショーの「ピグマリオン」を逆転したような、女性の方が男性らしくない男性を「立派な男性」に仕立て上げるという教育物語だ。面白いのは、リースが婚約相手フィリップの男性らしさの欠如を嘆くことと、彼女自身が理想の男性を体現するために男装するということが、重なり合っているという点だろう。

一方では、この映画においても模範的な「男性らしさ」が依然として望ましいものとして前提されている。リースにしてみれば、男性は髭をたくわえ、酒や煙草を嗜み、女性を巧みにリードできる存在でなければならないのだ。しかし他方でこの映画は、過剰な「男性らしさ」信奉を笑い飛ばし、皮肉ってもいる。そのことは映画の終盤、自らの理想の男性像を婚約者に押し付けるリースが、彼女の父が仕組んだ異性装によって——使用人を女装させることによって——戒められるという点にも見て取れる。またリース自身、自ら男装して模範的な男性として女性たちを楽しませようと振る舞った後にふと、「立派な男性」であり続けることは大変だと嘆いてもいる。ここでは、性別ごとの「らしさ」を遵守しなくてはいけないことへの懐疑の念が、はっきりと頭をもたげている。

もっともこの映画は、性別ごとの「らしさ」への過剰な信奉を皮肉りながらも、依然としてやはりあるべき性別ごとの役割を前提している。映画は、正式に結婚した二人が新婚旅行に向うシーンで終わるのだが、その際にはフィリップがチケットを購入する。これは映画の中盤でパリに向かう際にリースがチケットを購入していたこととの対比であり、フィリップが「あるべき男性」に一歩近づいたことの象徴であるだろう。男性は、過剰に男性的である必要はないにしても、せめて女性をリードする役割くらいは担うべきなのだ。逆に言うとここで女性は、リードされることを待つべき存在だということになる。

 

男になりたい少女が、男性を演じることを通して男性を知る(エルンスト・ルビッチ「男になったら」/Ernst Lubitsch "Ich möchte kein Mann sein" DE 1918)

主演は、無声映画時代のルビッチ作品ではおなじみのオッシー・オスヴァルダ(Ossi Oswalda)で、この映画でも彼女独特の大げさともいえるほどの表情や身振りの演技が見られる。良家の子女であるオッシーは、お淑やかで上品であってほしいという周囲の願いにもかかわらず、がさつで豪快な性格をしており、酒を飲み煙草を吸いつつ男性たちとカードゲームに興じ、女性家庭教師の手をやかせている。そんな折に新しい後見人として現れたケルステンは、オッシーを女性として厳しく教育しようとする。彼の厳しさに辟易したオッシーは思わず「どうして私は男の子として生まれなかったのかしら」と嘆く。

ある日オッシーは、後見人の目を盗んで、スーツとネクタイを身に着け、男性としてダンスホールへ出かける。そこで後見人ケルステンが女性といるのを見つけたオッシーは、彼の邪魔をしてやろうと話しかけるが、そのうちにケルステンと意気投合して酒を酌み交わし始める。明け方になって酩酊して馬車に乗り込んだ彼らは、運転手の誤解からそれぞれ反対の住まいに送り届けられてしまう。オッシーのベッドで目覚めてあわてて逃げ出そうとするケルステンは、ケルステンの寝室から泣きながら帰ってきたオッシーと鉢合わせる。しかしケルステンは、男装したままのオッシーを昨晩知り合った若者だと思い込んだままで、彼女がかつらを外すことでようやく事の顛末を理解する。そしてそこで彼らは、お互いが好き合っていることに気づき抱き合ってキスをする。幸福の表情のオッシーが「男になんかなりたくない」とつぶやいてケルステンの胸に顔を埋めるシーンでもって、映画は終わる*1

※この映画は英語字幕版がアップされている。オッシー・オスヴァルダの演技が印象的。

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この映画の前半は、それこそ「ピグマリオン」のような、女性らしさのない少女を淑女へと仕立て上げる教育物語の装いをもってはじまる。しかし物語が進み、オッシーの男装によって単線的な教育物語の様相が崩れていき、最終的にオッシーは、お淑やかさからはかけ離れた奔放で自己主張の強い女性として、後見人ケルステンと愛し合うようになる。この点でこの映画におけるオッシーは、淑やかであるべきだという因習的な「女性らしさ」のアンチテーゼをなす近代的女性の一つの雛形をなしている、と言えるかもしれない。 *2

また同時にここには、「恋のABC」同様、男性らしさを遵守することの困難さもコミカルに描かれている。男装したオッシーがダンスホールへ出かけるためにトラムで移動する際には、彼女は「男性として」女性に席を譲らなければならず、足を踏まれても「男性として」いちいち痛がることができない。またダンスホールでも、「男性として」人込みをかき分け女性を我が物にしようと躍起になる男性たちの姿がどこか滑稽なものとして描かれている。この意味でルビッチは、「男性らしさ」をも相対化している。*3

もっともこの物語全体に、やはり女性は女性として——たとえもはやお淑やかな「あるべき女性」としてではなく、自己主張の強い近代的な女性としてだとしても——男性に愛されてこそ幸せになれる、という前提があることは否めない。少年になりたがっていたオッシーも、最終的に女性として男性に愛されることに幸福を見出し、「男になんかなりたくない」と口にするのだ。これは物語としては綺麗な落ちではある。が、現代のジェンダー理論の観点からすると、この結末は、男性と女性という二分法や異性愛の正当化(潜在的には同性愛の排除)を最終的に強化するようなものに思われてしまうかもしれない。

ただしこの映画には、この観点からして面白いシーンもある。男装したオッシーと後見人ケルステンが酩酊する一連のシーンで、彼らは男同士の友情を語りながら、何度か恋人のようなキスを交わすのだ。物語の上では、単にケルステンが酩酊して男女の区別がつかなくなり、目の前のオッシーの「女性としての」魅力からキスをしてしまっただけだ、という風に理解できなくはない。そしてまたこのことが、彼が再び「女性として」オッシーを認識し直し、彼女にキスをし直すという映画の最後のシーンの伏線にもなっている。その意味でケルステンはホモセクシャルないしはバイセクシャルな人物として描かれているわけではないのかもしれない。とはいえここには——それをどこまでルビッチ自身が意図していたのかはわからないが——もはや二分法的な男女の区分やそれに基づく異性愛を前提しない性のあり方が、一瞬だけ顔を覗かせているのだ。

 

性別の「らしさ」の揺らぎ、笑いの対象からの変化

以上、クロスドレッシングを題材にした1910年代の無声映画に即しつつ、当時における性別の「らしさ」に関する意識について書いてきた。これらの映画はどれも喜劇作品であり、異性装というモチーフも基本的にはその喜劇性に寄与するものとして用いられている。この意味でこれらの映画で扱われているのは、現在のジェンダー理論におけるような因習的な性別のあり方への根本的な問題視とは異なるものであるし、そのような目線から見るとむしろ因習に則ったもの——場合によっては因習を強化するようなもの——にも写ってしまうかもしれない。

とはいえ、100年前後も昔の映画を現代の目から大ナタで断罪してそれで済ましてしまうのも、乱暴な話だ。むしろ古い時代の映画は、当時の意識を——今回の主題で言えば「性別」というものに関する当時の理解や意識を—— 映し出す一種のドキュメントとして観ることもできる。そしてそのような観点から見ると、異性装を主題にしたこれらの無声映画にはたしかに、性別に関する慣習や性別に振り分けられた「らしさ」という固定観念の揺らぎへの意識が反映されている。たとえそこでは未だ、その揺らぎの意識が決定的な問いにまでは先鋭化されていないのだとしても。

クロスドレッシングという題材は、その後の映画においても様々な仕方で取り上げられている。私の観たことがある有名どころでは、ビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」(Billy Wilder "Some Like It Hot" US 1959)が典型的なクロスドレッシング映画だ。彼自身ルビッチの薫陶を受けたワイルダーの映画でも、男性が女性の衣服を着るというモチーフは依然として喜劇の要素として機能している。しかしこれがペドロ・アルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」(Pedro Almodóvar "Todo sobre mi madre" ES/FR 1999)になると、もはや異性装はそれ自体で笑いの対象ではなくなり、抑圧的ではない性のあり方を考えさせるものになっている(それどころかアルモドバルのこの映画では、男性と女性という二分法を前提にした「異性装」という概念の妥当性さえ揺らいでいるとも言える)。

21世紀になった現代でも、いまだ男性と女性という二分法的ジェンダー理解は多くの人々によって前提されているし、同性愛や性同一性障害、あるいはトランスジェンダーに対する偏見も根強く、「異性装」もいまだ——公的な場面やメディアにおいてさえ——笑いの対象として機能している。しかし同時に、二分法的な性別ごとの「らしさ」から逸脱するものを笑ってよいのだという前提は、もはや絶対的なものではなくなってもいる。

この意味では、現代において異性装それ自体を笑いの対象にするような映画を撮ることは困難になってきているだろう。ここに窮屈さを見る人もいるかもしれないが、私はむしろ、ここには人の意識の変化がかかっていると思う。かつて支配的な意識はかくかくしかじかであったということ——この場合は異性装が笑いの対象になっていたということ——それ自体を事実として否認する必要はないし、そのような意識のもとで制作された作品を必要以上に糾弾したり排除したりする必要もない(批判的な検討はもちろんなしうるし、場合によってはなされるべきでもあるだろうが)。しかし意識は揺らぎ、変化した。既存の枠にはまりえないものを無条件に笑いの対象にし、それによって抑圧・排除してしまうことの問題性がより広い範囲で自覚されるようになった。そのように変化した意識のもとでも、おそらくまた別の観点での意識の揺らぎが生じてくることになるだろうし、それがまた制作される作品に反映されることにもなるだろう。無理に過去の主題やモチーフを固守する必要はないのであって、むしろ現在だからこそ取り上げうる主題やモチーフがあるだろうと思うのだ。

*1:なお、映画の原題"Ich möchte kein Mann sein"は映画最後の台詞と同じく「男になんかなりたくない」という意味。邦題「男になったら」は、映画の主題を微妙に逸しているような気がして、少し残念に思う。この映画の主軸は、少女が男になってみるというそれだけのことではなく、男になりたがっていた少女が実際に男性になってみて最終的に「男になんかなりたくない」と結論を下すところにこそあるのだ。

*2:映画の前半で、煙草をやめないオッシーに対して「どうしたら女性が煙草を吸うことができるのかしら、まったく理解しがたいわ」と口酸っぱく説教をしていた女性家庭教師が、一人になった途端に取り上げた煙草を味わいにんまりと笑うシーンがある。ここでは、実際には旧習的な「女性らしさ」が女性の生を抑圧してきたことが、コミカルに示唆されている。

*3:ルビッチの「ベルリン生まれのマイヤー」(Ernst Lubitsch "Meyer aus Berlin" DE 1918)においてルビッチ本人が演じるザリー・マイヤーは、明らかに模範的な「男らしい男性」のアンチテーゼとして描かれている。落ち着きがなく精神的に弱々しく体力もないマイヤーは、始終「立派な」男性たちに白い目で見られながら、彼のことを「無害」だと評する気の強いキティに引っ張られて息も切れ切れに山を登るのだ。この映画でのマイヤーの描かれ方に鑑みると、ルビッチが支配的な「男性らしさ」を相対化しつつ、その枠からはみ出てしまうような男性のあり方に一定の関心を持っていたことはたしかだろう。なおこのマイヤーという人物は、単に「男らしい男性」のアンチテーゼというだけでなく、当時盛り上がりつつあった「ドイツ性」なる理念の枠からはみ出るもの(とりわけユダヤ性)の象徴でもあると解釈することもできるようだ。

社会の枠のなかでラディカルに自由であろうとすること(アンドレス・ファイエル「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」/Andres Veiel "Beuys" 2017年)

アンドレス・ファイエル「ヨーゼフ・ボイスは挑発する〔原題:ボイス〕」(Andres Veiel "Beuys" DE 2017)を鑑賞。5月ごろからヨーゼフ・ボイスに関するドキュメンタリー映画が公開されていることは知っており気になっていたのだが、近所の映画館で監督のトークセッション付きで上映されるということで観に行ってきた。ボイスに関する映画ということで、大いに期待して(自分のなかのハードルを上げて)観に行ったが、期待を裏切らずなかなか楽しめるものだった。勉強にもなったがそれだけではなく、観ながら何度となく声を出して笑ってしまったし、会場も大いに沸いていた。チケットを事前に買っておいたので問題はなかったが、当日は満席で、独特の熱気がある上映と質疑応答だったように思う。

 

死後30年経って、ヨーゼフ・ボイスを映画にするということ

前置きとして、少し私事を書く。

ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys 1921-1986)は、私にとって、長い間どこか得体の知れない存在だった。ドイツ語圏やその周辺の近代・現代美術館に行くと必ずといっていいほどボイスの作品が展示されていて、そのキャプションからは、彼がパフォーマンス・アートやヴィデオ・インスタレーションという現代芸術に不可欠な諸要素の先駆的存在であること、またドレスデン芸術アカデミーにおいてアンゼルム・キーファーやゲルハルト・リヒターら戦後ドイツを代表する芸術家たちの教師であったことを、知ることはできる。また戦後ドイツ文化に関する文章を読んでいるとしばしば、20世紀後半のドイツ語圏文化において彼が単なる芸術家の枠を超えた社会的なスキャンダルを引き起こしたということが書いてはある。けれど私は、これらのことを知識として持つことはできても、美術館に置かれた彼の作品と結びつけて理解することができないでいた。彼の作品は確かに面白い。しかしなぜ、写真のなかでいつもハットとベストを身に着けているボイスというこの人物が、戦後芸術における決定的な転換的となり社会的なスキャンダルになりえたのかということは、今ひとつ腑におちないままでいた。私にとっては、ボイスの作品と彼に関する客観的知識の間には、大きなギャップがあったのだ。

ファイエルのドキュメンタリー映画「ボイス」は、このギャップをある程度まで埋めてくれるものだった。膨大な量の写真や映像資料、またボイス自身の作品や公の場でのインタヴュー映像などを切り貼りして制作されたこの映画は、画面の切り替えや背景音楽の構成などといった編集の仕方も含め全体にあまりキッチュなところがなく、ドキュメンタリーとして洗練されたものだった*1。そして同時に、伝記映画としてボイスの生涯や活動を年代順に正確に伝えるというよりも、ボイスという極めて強烈な個性を観る者に魅力的に提示することに徹しているようにも思えた*2。このことは、私にとってとても好感の持てることであったし、端的にこの映画を観てよかったと思える点だった。というのも、少なくとも私にとっては、ボイスという個人を知ることは、彼の作品と評価との間にあるギャップを埋めることでもあるからだ。

おそらく、ボイスが活動していた当時には、彼の作品を鑑賞するということは同時に彼の強烈な個性や言動を踏まえることでもあったのだろう。そしてそのような空気を肌で感じてきた人々にとっては、この映画で提示されるボイスは既知のものでしかないのかもしれない。しかし彼の死後30年が経って、美術館に丁重に飾られた作品や写真あるいは彼について書かれた文章を通してしかボイスに触れたことがない私のような人間にとっては、個々の作品はもはや彼の残した痕跡でしかない。まさしくこの映画は、これらの作品を生成たらしめたボイスという個性や彼の生きた社会的な文脈を、具体的なイメージとして提示することをしていた。そしてこのことによって、時間の経過によって生まれてしまった個人と作品との間のギャップを埋め、特異かつ魅力的な個性としてのボイスその人を現前化させることを、この映画は試みていた。

ボイスという人間を映像のなかに現前化させるというそのことは、同時に、なぜ彼が狭義の芸術や美術の枠を超えて、社会的なスキャンダルにまでなったのかということを改めて説明する試みでもある。そしてこの試みに、この映画は成功していたと私は思う。

 

社会の枠のなかでラディカルに自由であろうとすること

映画のなかでは、インタヴューや講演等の映像も多く提示されているのだが、そこでのボイスの様々な発言は、一見すると矛盾しているか、或いは単に支離滅裂なように聞こえるかもしれない。しかしその実ボイスの言動は、社会が持つ既存の枠組みのただなかで、その枠組みのなかに固定されることに抵抗し続けるという点で、一貫した行動原理を持っている。まさしく彼は、社会の枠のなかでラディカルに自由あろうとするというその一点において、一貫していたのだ。

もっとも、社会の枠のなかで自由であるということは、ボイスの場合、目の前の社会に背を向けるということを意味しはしない。彼は決して、人と関わることを拒否して自然のなかに閉じこもることも、或いは自分が属する文化圏とは全く異なった時代や土地に没頭するということも、しなかった。彼は晩年に日本を訪れもしているが、だからといって——多くの芸術家がなすように——日本的な「美」を手放しで賞賛し自分の作品に取り入れるような安易なこともしなかった。むしろ彼は、彼が生まれ育った欧米近代文化の枠組みのなかでこそ活動する。実際に彼は、芸術家として様々な芸術祭に赴き、芸術アカデミーの教員となり、さらには政治家として選挙に立候補しさえする。さらに言えば、彼が好んで口にする芸術や自由、民主主義といった概念それ自体、近代的な社会の理念でさえある。この意味で彼は、近代的社会の枠のただなかで活動した人物だと言える。

しかしボイスは同時に、社会的な常識が期待する「型」にはまり込むことを、巧みに拒否し続ける。作品からして、当時の芸術家に望まれるようなものを作らずに、フェルトや脂質から不定形の異物を作り出し、それをぼとぼとと地面に置いていく。公のスピーチの場において、正装に身を包んだお偉方の前で、ゲップのような呻き声を延々と出し続ける。かと思うときわめて政治的な発言を進んでなし、社会的な彫刻の理念を語るばかりか、政党の立ち上げに携わり自らも候補として立候補する。しかしこれはある意味では、民主主義的な公共性や、個人の自由、芸術表現の自由といった近代的原理をつきつめた一つのあり方でもある。彼の言動は、近代社会の只中で、近代社会の理念に忠実に寄り添いながら、同時に既存の枠をはみだしていく。

掴みどころなくするすると常識的な「型」をすり抜けていく彼の自由な実践は、近代の枠組みのなかではさしあたり「芸術」として理解される。だからこそ彼は「芸術家」と呼ばれはする。しかしボイス自身は「僕は芸術家なんかじゃない」と言う。「でも我々みんなが芸術家だって前提するなら別だよ。それならやっぱり僕も芸術家だってことになる」。彼に言わせれば、「人間は誰しも芸術家なのだ」というのだが、それは誰しもが既存の社会の枠にはまらない、わけのわからないことを、それでも直観や想像に適った何事かを——少なくとも潜在的な可能性としては——なしうるのだということなのだろう。彼にとって重要なのは、既にある「芸術」という枠のなかで「芸術家」として名声を得ることではない。むしろ彼の行動原理は、既存の枠や型のなかに留まらないこと、そしてその意味でラディカルに自由であろうとすることにこそあるのだ。

 

わけのわからないものが動くための場所を開いておくこと

枠や型から自由であろうとすることは、同時にまた、枠や型に当てはまらないものを認め、そのようなものに動く余地を与えるということでもある。そしてボイスの活動は、或いは彼の作品は、まさしくこのこと、既存の枠や型にあてはまらないもの、知識の枠からこぼれ落ちるもの、端的に言ってわけのわからないものが動くための場所を開いておくということに結びついている。

 このことは彼の彫刻論からもはっきり読み取ることができる。ボイス曰く、作品を制作するとは、「不定形なものから出発し、動きの要素が加わり、そうして形式となる」(Unbestimmter Ausgangspunkt, Bewegungsmoment und Form)ということだという。このような意味での作品制作に際して適切な素材は、ボイスにとっては脂肪とフェルトであり、実際に彼は——決して「芸術」において主流な素材とは言えない——これらの素材から制作をし続けた。しかし同時に、不定形なものが動き形式になるというこの過程は、狭義の芸術制作にのみあてはまるものではないとも言われる。というのもボイスに言わせれば、人間の思考もまたこのような意味での彫刻作品のようなものであり、そのような意味で世界に働きかけることができるものだからだ。ここに彼の「社会彫刻」(Soziale Plastik)の理念の肝がある。

彼のラディカルな自由の実践は、まさしくこのことのための、不定形のものが動き形式になるための場所を確保するための実践でもある。しかし凝り固まった、既に形骸化してしまった近代の枠組みのなかでは、わけのわからないものが動く場所は、しばしば失われてしまっている。「芸術」という本来自由であるはずの場所においてさえ、あるべきスタイル、あるべき様式、あるべき振る舞いといったものが予め規定された枠となり、その枠からはみ出るものは排除されるか、そうでなくとも冷笑をもって遇されることになっている。かつて不定形のものが運動して生じたはずのいくつかの形式が、今では冷たく凝固した枠組みとして、不定形のものから動く余地を奪ってしまっている。

だからこそボイスは、この不定形なものが動くための場所を確保するために、既に一つの枠になってしまった近代的な「芸術」の在り方を解体しようとする。それも内側から、ある種の「挑発」(Provokation)を通して。彼は芸術家と呼ばれ、芸術家として様々な場所に招かれ、芸術家として芸術家らしい言動をすることを人々に期待される場所に赴く。しかしそこで彼は、一見するとわけのわからない表現や言動によって、彼に期待された定式を裏切っていく。「みんなはあなたをあまり理解していないようですが」というインタヴュアーの問いに対して、ボイスは、「いや、みんなは私のことをよく理解してくれているよ」と切り返す。彼にとっては、わかりやすいカテゴリーによって理解されないということが肝要であり、理解されないということは彼が理解されたということなのだ。このような意味で、彼の作品制作は同時に既存の枠組みの挑発として機能することになる。

まさしくこの「挑発」ということが、ボイスの行動にエネルギーを与え、ときに彼を観る人々の激情を駆り立てもする。だからこそ彼の言動や作品はスキャンダラスなものとなり、近代的な「芸術」概念を、そしてときには近代的な知や社会の構造そのものを、ラディカルな問いの前に立たせることになるのだ。ここにこそ、ボイス特有のスキャンダラスな魅力がかかっている。

 

「芸術家」という枠にはまることへのいくつかの拒否の仕方

ドキュメンタリー映画のなかで扱われていたインタヴューや逸話の全てに触れることはできないので、私にとって特に印象的だった幾つかの逸話についてだけ簡単に書いておきたい。

まず印象的だったのは、5年に一度カッセルで開かれる芸術祭ドクメンタ(documenta)に関する逸話だ。1964年に第5回ドクメンタに参加して以来彼は定期的にドクメンタに招待されているのだが、1972年に参加した際に彼は、展示されるべき作品を持参するだけでなく、「国民投票による直接民主主義のための機構」(Organisation für direkte Demokratie durch Volksabstimmung)と題して、会場に用意された一室で100日間毎日のように参加者たちと討論を行ったのだという。さらに1982年の第7回ドクメンタでは、「都市行政の代わりに都市緑化を」(Stadtverwaldung statt Stadtverwaltung)と題して、市民の募金を元手に7000本の樫の木を実際にカッセルの街に植樹するというプロジェクトを行いもした。芸術家が自らの作品を披露する場としての芸術祭において彼は、芸術家として招かれているにもかかわらず——或いは彼に言わせれば「芸術家」として招かれているからこそ、ということなのだろうが——作品を展示するのではなく、そこで実際に何かを行い、現実の社会に働きかけようとする。もちろん彼は、彼の実践が、現実社会にとってほとんど無力だということも知っているだろう。そしてそれだからこそ彼は、思う存分に、挑発行為ができるのだ。

またデュッセルドルフ芸術アカデミーでの逸話も面白いものだ。自らも同校で学んだボイスは、1961年から彫刻科教授となる。いわば社会的に認められた「芸術家」の枠の中に入っていったわけだ。しかしその際にボイスは、彼の講座に、参加を希望する全ての人を招待すると宣言する。アカデミーに合格しなかった者でさえも。このことは、開放性や自由という本来の芸術の理念には即しているが、とはいえ大学行政の観点から言えば暴挙この上ないことだ。結果、400人もの学生が彼の講座に押し寄せ、警察が介入する騒動になってしまい、最終的にボイスはアカデミーを解雇されてしまう。ここでも彼は、一方では既存の「芸術家」(あるいは「芸術大学の教員」)という肩書を身に着け、しかも既存の芸術の理念に忠実に従いながら、そのラディカルさによって既存の枠組みを挑発し、内側からひび割らせてしまったのだ。

もう一つ印象的なのは、彼の作品「私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」("I like America and America likes Me" 1974)についての逸話だ。この作品は、彼がニューヨークに1週間滞在した際の様子をビデオに収めた映像作品なのだが、なかなかインパクトのあるものだ。というのもその際ボイスは、ニューヨークの空港に到着するやいなや救急車によってあるギャラリーへと輸送され、そこで新聞や干し草、フェルトが置かれた部屋に引きこもりもっぱらコヨーテと時を過ごし、帰りもまた——他のどこに寄ることもせず——空港へと運ばれてそこから真っ直ぐに帰って行ったからだ。国際的な名声のある芸術家であった彼がニューヨークにやってくるということは、本来ならば、現地の芸術家や批評家や画商、場合によっては文化人や政治家などとも交流することが望まれる事態であったはずだ。しかし彼は、その期待には応えず、ただただ一匹のコヨーテと——近代アメリカから疎外された野生的存在の象徴である動物と——時を過ごすのみだった。作品においてアメリカを感じさせるものは、コヨーテが引きちぎり排泄物をこぼすニューヨークタイムスくらいしかない。凶暴なコヨーテと時を過ごしたというそのことだけに注目されがちなこの作品もまた、ボイスならではの近代性への挑発行為であり、近代的な「芸術」なるものの解体作業の一環であったのだ。

 

解体作業のアポリア、あらたな枠が生じること

ボイスのラディカルな自由の実践、そしてそれによる近代性の解体作業にはしかし、独特のアポリアがある。それは、彼が芸術家として認められ、彼の作品や言動が一つの「芸術形式」として権威を与えられることによって、それ自体が再び一つの枠組みに変じてしまう、ということだ。それによって、ラディカルな自由を求めるボイス的な挑発作業さえも、自由な運動を阻害する硬直した常識になってしまうことがある。乱暴な言い方をすれば、ボイスのようなことをしておけば芸術家として理解されうまくいけば権威さえ与えられるということになるのだ。しかしそのように権威づけられ理解されてしまった実践はもはや、理解されがたいわけのわからぬ不定形なものの運動とはまったくもって異なるものに変じてしまっている。

この映画で提示されるボイスの芸術活動の多くは、おそらく当時においては革新的で決定的なものであったのだろうけれども、彼の死後30年が経った現在においては、もはや見慣れたものになってしまっている。社会活動を伴う芸術実践、パフォーマンス・アートやヴィデオ・インスタレーションなどといった芸術形式は、21世紀のコンテンポラリー・アートにおいてはもはやそれ自体ではなんの目新しさもない、典型的な芸術家の活動様式だ。もちろんそのこと自体が悪いことではないが、もしそれが新たな枠になってしまって、何か別の運動の可能性を疎外してしまっているのだとすれば、それはむしろボイスが内側から壊そうとした枠組みと同じものになってしまっているということになる。

彼の死後30年、ボイスのドキュメンタリー映画を撮り、ボイスにあらためて光をあてるということは、まさしくこの点、彼の実践の根本的な衝動が持つ内在的なアポリアに再度目を向けるということでもあるだろう。彼が産み出した諸々の作品、現在——もはやある種の「古典」として——丁重に美術館に飾られている彼の作品という「形式」だけからは、必ずしも彼の衝動は現前してこない。既に書いたことだが、私のようにボイスと同時代に生きたわけではない者にとっては、なおさらのことだ。ボイスの場合、形式が生成する過程に、不定形なものが運動によって一つの形式へと化していくその過程にこそ、表現の核心がある。そしてまたそれは、理解しがたいわけのわからぬものに運動の場所を与えるための、ラディカルな自由の実践でもあるのだ。

そして、ボイスのこのラディカルな自由の実践を考え直すことは同時に、果たして我々が今生きるこの社会、21世紀の社会システムにおいて、どこまでこのような自由のための余地が——ボイスが求めたわけのわからぬもののための運動の場所が——残っているか、ということを考えることでもある。ここにはボイス独特の社会変革のための響きが聞き取れる。ただしボイスは、件の「社会彫刻」の理念によって、新しい形での暴力や抑圧を生み出しうるような別の社会システムを構築することを目指していたわけでは決してない。彼の作品制作にとって肝要なのは、自由な運動や自由な思考のための場所を——あえて言えば「遊び」の余地を——確保しておくことであり、そのために枠組みへの挑発をなすことだった。だからこそボイスは「笑い抜きに革命をしようっていうのですか?」(Wollen Sie eine Revolution ohne Lachen machen?)と問い、そして彼自身も笑うのだ*3。硬直した社会システムのなかで、わけのわからぬもののための場所を、笑うことができる遊びの場所を、確保しておくというそのことを、体現するように。

 

…書きたいことを書いていたらかなり長くなってしまった(本当はもっといろいろ書き留めておきたいことや連想したことはあるのだが、キリがない)。ごちゃごちゃと色々書いてしまって、私の文章からは伝わらないかもしれないが、単に勉強になるというだけでなく、端的にとても面白い映画だった。ボイスという極めて魅力的な題材が、その魅力を損なわないままに、魅力的な仕方で現前化されていたのではないかと思う。監督自身が望んでいたように、この映画で観たことを踏まえてまたあらためてボイスの作品を眺めてみたいし、その上でもう一度またこの映画を観てみたいとも思う。だからというわけでもないが、ボイスという芸術家について改めて考え直すきっかけという意味でも、ぜひ日本でもこの映画が公開されてほしいと個人的には強く思う。

*1:この映画のための資料収集と編集にはおよそ18か月を要したとのことで、監督ファイエルはこれまで制作したどのドキュメンタリー映画よりも時間をかけたのだそうだ。

*2:監督自身、上映の後、ボイスについて十分に描かれていない側面があるという彼の映画に対する批評に言及しつつ、そもそもこの映画ではボイスの全てを過不足なく伝えることを目的にしておらず、むしろこの映画を観て美術館に行ったり彼のことを調べてくれたりしてくれればそれでいい、というようなことを述べていた。

*3:1970年に社会学者かつ哲学者アーノルド・ゲーレンらとなした公開ディスカッション「挑発、社会で生きるための要素」("Provokation - Lebenselement der Gesellschaft")の席上でのボイスの発言。この討論会の様子はYoutubeでも見られるので、以下にURLを貼り付けておく。壇上の5人のうち向って左から二番目がボイス、右から二番目がゲーレン。件の発言は残念ながらここでは見られない。

www.youtube.com

ほんの束の間だけ、絵画のなかできらめくように(ボー・ウィデルベルイ「みじかくも美しく燃え」/Bo Widerberg "Elvira Madigan" 1967年)

ボー・ウィデルベルイ「みじかくも美しく燃え」(Bo Widerberg "Elvira Madigan" SE 1967)を鑑賞。少し前に近所の映画館でウィデルベルイの懐古特集が組まれており、その枠のなかで観ることができた。

 

おおまかな感想、印象

絵画のなかのような美しき生活を夢見て、逃れられないはずの現実から精一杯逃避した二人の若者の映画。映像に強い拘りをもって制作された映画であることは確かで、草原や森の小道、川や海といった自然の情景が印象派絵画からあからさまに影響を受けた仕方で写し出され、その自然美のなかに19世紀ヨーロッパの富裕層を思わせる洗練された佇まいの美男美女が優雅に時を過ごしている。

身も蓋もない言い方をすれば、ここで演出されている自然美は19世紀市民社会の幻想に過ぎないものだ。もっともその欺瞞がもつ美しさと仮象性を描き切っているという点では、そこに一定の見ごたえはある。とりわけ、その体現者としてのエルヴィラを演じきった女優ピア・デゲルマルク(Pia Degermark)は印象的だった。彼女がこの映画でもってカンヌ映画祭の女優賞を獲得したというのも納得できるし、エルヴィラを演じたのが彼女でなければこの映画全体の空気は大きく異なっていただろうと思う。

またこの映画のなかには、単に美しい印象派絵画の世界が映像化されているだけではなく、絵画的な美のきらめきの仮象性、それが現実との間に持つ緊張関係も刻み込まれている。実際に、物語を通して優雅な情景を堪能し続けようとする二人の若者は、最初から最後まで一貫して現実に——彼らが必死で目を逸らし続ける現実に——追い立てられているのだ。見せかけの美とそれを脅かす現実との間の緊張関係こそが、この映画の魅力を成している。

 

簡単なあらすじ

19世紀末のスウェーデン、王国近衛兵であるシクステンは、サーカスの綱渡りのスターであるエルヴィラと恋に落ち、職務も家族も捨ててデンマークへと駆け落ちする。シクステンとエルヴィラはデンマーク郊外を転々としつつ自然のなかの優雅で幸福な生活に耽溺するが、衣食住に惜しみなく金を使う彼らの手持ちの金銭はすぐに底をついてしまう。

そこで彼らは、優雅な生活そのものは崩さないまま、湖で魚を獲ったり山で茸や木の実を獲ったりしてその場の飢えをしのぐようになる。エルヴィラは小さな居酒屋でダンサーとして日銭を得ようとするが、恋人が男性たちの野卑な目に晒されることに耐えられないシクステンは彼女を責めてしまう。また古い友人が彼らを訪ね元の生活に戻ることを説得しようとしても、彼らはそれを拒否する。

金銭も食料も尽き、エルヴィラが栄養失調でまともに歩くことさえできなくなったある日、二人はなんとかかき集めた食料をバスケットにつめ、優雅な服を身に着け、心中のために草原に向う。*1

 

印象派絵画のなかのきらめくような生活とその仮象性

プログラムの説明にも「印象派絵画から影響を受けたスタイルが世界中の観衆の心を捉えた」とあったが、実際にこの映画ではかなりの質で印象派の絵画の世界が再現されていて、個人的にはここまでするかと少し笑ってしまうほどだった。明るい自然光のなかで散歩をし、森の小道や草原にバスケットを下して食事をとり、陽光きらめく静かな川をカヌーで渡り、日の出がきらめく海岸で語り合う、明るい色を基調としたドレスや服飾を身にまとった優雅な若者たち。19世紀ヨーロッパの富裕層が憧れた自然美のなかでの生活が、登場人物たちによってほとんどそのままに体現される。駆け落ちした二人の男女は、全力を尽くして、自然のなかでのこの素敵な生活を維持しようと努める。まるで、一瞬一瞬を印象派絵画のきらめきのなかで過ごすことが、彼らが果たさねばならない義務であるかのように。加えて、これ見よがしなほどに繰り返され鳴り響くバックミュージックのモーツアルト「ピアノ協奏曲第21番」もまた、彼らが追い求める美しさを構成する一要素になっている。

とはいえ物語の最初から、この美しき生活が刹那的な仮象でしかないことは明らかだ。映像が始まる前、冒頭に流される説明文のなかで既に、彼らの逃避行が心中をもって終わることは暗示されている。そして映画中でも、現実が彼らのかりそめの理想の幸福を容赦なく追い立てていく。優雅な生活ゆえにすぐに底をついてしまう金銭の問題や、それに伴う食事や住まいの問題は絶えず彼らについてまわる。王国近衛兵の規則を破り逃げ出したシクステンは、脱走兵としてスウェーデン兵に追跡されており、いつ彼らの手におちるかもわからない。そのために表に出られない彼に代わってエルヴィラが働きに出はするが、彼女が男たちの野卑な目に晒されることにシクステンは我慢ができない。

仕事も金もない彼らはまともな食事を買えないので(しかも少し金が入るとすぐにレストランでの優雅な食事に使ってしまうので)、しまいには泥棒をしたり野山の木の実やきのこを拾い食いしたりするしかなくなってしまう。しかしそれでも彼らは浪費をやめず、きらめくような生活に固執し、現実に目を向けることを徹底して拒否し続ける。この生活が遅かれ早かれ何かしらの形で破綻するだろうことは、誰の目にも——彼ら自身にとっても——明らかなのだ。

 

迫りくる現実を前にした最期の瞬間

現実から必死に逃げ続ける二人の目の前に、それでも時折、決定的な現実が顔を出す。しかしそれでも彼らは、そこから必死に目を背けんと努める。シクステンの古い友人が彼が残してきた家族の問題を語るのに対して、エルヴィラは耳をふさぎその内容を聞くまいとする。また彼女は森で拾い食いしたキノコのせいで嘔吐してしまうが、自身の吐瀉物をすぐに落ち葉で覆い隠しシクステンに知られまいとする。現実をすべて捨ててきた彼らにとって、現実を見ることはもはや考えられなくなっている。

優雅な生活を維持する可能性がほとんど途絶えたように見えたある日、シクステンとエルヴィラは、なんとかかき集めたパンと卵をバスケットに入れ、精一杯のおしゃれをして、森の小道へと散歩に出かける。エルヴィラは、栄養失調で失神しながらも、頑として絵画のなかのように振る舞い続ける。彼女の最期の瞬間に至るまで。草原のなかに飛び回る蝶を追いかけまわす彼女の最期のきらめきが、この映画における最後の瞬間として静止する。たしかにそれは美しい、絵画のように。まるで迫りくる現実の影など微塵も感じていない裕福で無垢な少女の戯れを描いた、一枚の絵画のように。

 

自由と自然の賛歌か、それとも理想と現実の緊張関係か

この映画をどう解釈することができるだろうか。

一方でこの映画は、人間の自由と自然の光の賛歌として解釈することができるものだ。印象派の絵画が自然のうちの光のきらめきという瞬間の印象をキャンバスの上に描きとめたように、この映画も全てを捨てて自由と自然への愛に生きた二人の若者の瞬間の美を映像に収めたものだとして観ることができる。実際に監督の意図はそこにあったのかもしれないし、自由と自然の賛歌としてもよくできた映画ではある。最後のシーンも含めて、そういうものとして完結はしていると言えるかもしれない。

とはいえ他方では、印象派の絵画のなかの自然がちょうど19世紀市民の理想を反映した演出された自然であるのと同じように、映画のなかで二人が生きる自由や自然も、人工的に演出されたものに過ぎない。シクステンもエルヴィラも、決して動きやすく汚れても構わないような衣服を身にまとうことはしないし、陽光も差さず小道もない森の奥までかき分けて本格的に食料を探すこともしない。言ってしまえば彼らのやっていることはある種のおままごとの枠を出ず、自分たちが憧れていた優雅な生活の枠から出る生々しい自然へと足を踏み入れることは決してない。このことは彼らのほとんど理念的とも言える行動原理となって、それはそれで映画にある種の迫力を与えてはいる。

正直に言うと私自身は、個々の映像を綺麗だと思いはしても、絵画のなかのようなきらめきの世界をただひたすらに見せつけられるのは幾分か冗長に感じたし、自由や自然を賛美する映画としても少なからず退屈なものに感じた。そしてむしろ、物語を最初から最後まで支配している緊張感、理想を求めて捨ててきたはずの現実が再び彼らに迫ってくるというその緊張感にこそ、映画ならではの面白さを感じることができた。まさしくこの緊張感こそが、この映画の物語に一定のリズムと表情を与えているように思えたのだ。

ここには、理想と現実とのコントラストがある。現実を離れて理想の世界に逃げ込む二人の前に、理想をひび割らせてふたたび現実が侵入してくる。シクステンとエルヴィラは、この現実に完全に追いつかれてしまう前に、自らの手でもって理想の瞬間を静止させようとする。このこと自体きわめて人為的な演出なのではあるけれども、たしかにこの最期のシーンは、現実の汚さを拒絶する人間の理想が持つほんの束の間のきらめきの美しさをなんとか静止画にとどめようとするものとして、印象的なものではあった。*2

*1:近衛兵シクステンが綱渡りスターのエルヴィラと駆け落ちしたというこの逃避行それ自体は、19世紀末に実際にあった出来事で、北欧では有名な逸話なのだという。この逸話に関しては映画の冒頭でも簡単に触れられる。興味のある方は、映画のタイトルである"Elvira Madigan"で調べてもらえれば色々記事が出てくると思う。

*2:映画の最後を自然のなかで笑顔になる少女の静止画で終わらせるというその演出の仕方は、以前記事を書いたニコレッテ・クレビッツ「ワイルド」(2016年)のラストシーンと重なるところがある。これもやはり自然賛美の映画だ。もっとも「ワイルド」は、ひたすらに美しい理想的自然というよりもっと生々しく野生であることを模索した映画であり、自然であることの汚さや滑稽さまでも——それはそれで近代文明の憧れを反映したものではあるのだけれども——描かれている。この点で、二つの映画それぞれで自然というものが持つ表情は大きく異なっている。

また詩的かつ絵画的な仮象の美しさが逃れられない現実によって脅かされ、仮象のひび割れから現実がだんだんと顔を出してくるというその側面は、アラン・J・パクラ「ソフィーの選択」(1982年)を思い出させるものだった。もっともこちらの方はアウシュヴィッツといういっそう具体的な歴史上の事態を含みこんだものであるのだが。

破滅のただなかで追想される過去の輝き、そこに向けられる哀悼のまなざし(ジョセフ・フォン・スタンバーグ「嘆きの天使」/Josef von Sternberg "Der blaue Engel" 1930年)

ジョセフ・フォン・スタンバーグ「嘆きの天使」(Josef von Sternberg "Der blaue Engel" DE 1930)を鑑賞。

 

おおまかな感想、印象

以前記事を書いた「最後の命令」(1928年)以来のスタンバーグ映画。「最後の命令」がアメリカ製作の無声映画だったのに対して、その二年後に封切られた「嘆きの天使」はドイツのUFAスタジオ製作の有声映画。ハインリッヒ・マンの『ウンラート教授、あるいは一暴君の末路』(Professor Unrat oder das Ende eines Tyrannen, 1905)を原作として製作されたこの「嘆きの天使」は、ドイツにおける有声映画としてはもっとも早い時機の作品とのこと。主演は「最後の命令」と同じエミール・ヤニングス、女優は本作が出世作となったマレーネ・ディートリヒ。視野狭窄に陥って破滅していく中年男と彼を魅惑する奔放な歌手の対比はとても印象的で、お互いがよい存在感を出し合ってお互いを際立たせるものになっていたように思う。ディートリヒの妖艶さやセクシーさは今の目から見ると刺激的と言えるほどのものではないかもしれないが、それでもその独特の空気感は伝わってくる。彼女がこの映画を皮切りにハリウッドへと活躍の場を移し国際的な名声を獲得していったのも納得できるような気がした。

この映画は、「最後の命令」同様、古い権威を代表する人物がその威厳を失っていき、敬われる側から軽蔑され嘲笑われる側へと転落していく様を描いている。転落していく人物が生の最期に過去の権威を追想し、そこで一瞬の——見せかけの——輝きを見せる、という点も同じだ。おそらくスタンバーグの基本的な関心がこの点、古きものが嘲笑われるものへと転落していくなかで一瞬だけ過去の輝きをきらめかせながら破滅していく、というところにあったのだろう。ただしロシア革命で地位を失った将軍がハリウッドへと流れていく様を描いた「最後の命令」においては世界史の趨勢が転落を引き起こしているのに対して、この映画「嘆きの天使」における破滅はきわめて個人的なものであるように見える。実際、ヤニングス演じるギムナジウム教授ラートがディートリヒ演じるキャバレー歌手ローラ・ローラに熱を上げて没落していくという物語は、地位のある年配者が若い恋人のせいで身を持ち崩していくといういつの時代にもある転落物語の雛形ではある。とはいえ「最後の命令」とのモチーフの重なりや、またラート教授が形骸化したブルジョワ社会の道徳権威を象徴するような人物として描かれていることに鑑みれば、やはりスタンバーグの関心は単なる個人の物語を超えているように思えてくる。もっともここには、転落していくブルジョワ道徳への単なる蔑視というよりも、破滅していく古きものへの彼独特の哀悼のまなざしが読み取れる。

 

あらすじ

ギムナウムで英語を講じる教授イマヌエル・ラートは、その堅物さや些事に拘る偏屈さによって生徒たちから疎まれ、「ウンラート」(Unrat、ドイツ語で「汚物」や「ごみ」の意。ラート教授の名前の綴りRatにかけている)と呼ばれている。ある日彼は、生徒からキャバレー「嘆きの天使」(Der Blaue Engel)のチラシを取り上げ、そこにローラ・ローラという歌手が来ることを知る。この不品行の場に自分たちの生徒が顔を出していないかを確かめるため、ラート教授はキャバレーに足を踏み入れる。

キャバレーの雰囲気に圧倒されつつも、自分の生徒について話をするために楽屋の扉を開いたラート教授は、ちょうど着替えをしていた歌手ローラ・ローラと出会う。コケティッシュな彼女の態度に平静を装うラート教授だったが、ひょんなことから彼女が脱ぎ捨てた下着を持って帰ることになってしまう。下着を返すために再びキャバレーに赴いたラート教授は、ローラ・ローラと話すうちに彼女の魅力に抗えなくなり、ついには興業のために街を離れるのだという彼女に対して求婚をするに至る。ローラ・ローラはケタケタと笑いながら求婚を受け入れる。一方で歌手に熱を上げるラート教授の言動は彼の勤め先のギムナジウムで問題視されるようになり、結局彼は教師の仕事を失ってしまう。

こうしてラート教授は、ローラ・ローラの属する興業団とともに巡業のため各地を転々とすることになる。やがて手持ちの金銭を使い切ってしまったラートは、日銭をかせぐため、興業団のショーにピエロとして出演するようになる。一方でローラ・ローラは、落ちぶれていくラートを冷たくあしらうようになり、アシスタントの若い男性といちゃつくようになる。その折に興業団は再びラートの故郷のキャバレー「嘆きの天使」でショーをすることになり、興行主は客を呼ぶためにラート教授が舞台に上がることをセンセーショナルに宣伝する。

かつて自分が権威ある教師として振る舞っていたその町のキャバレーの舞台に、ラート教授は、粗雑なピエロのメイクを施して登壇させられる。観衆の好奇の目に晒されながら、ニワトリの物まねをするよう強いられ、しまいには生卵を頭にぶつけられた彼は、突然発狂したように楽屋裏へと下がっていく。そこでアシスタントといちゃつくローラ・ローラを発見し、怒りのままに彼女の首を絞めるラートを、興業団の面々は力づくで取り押さえ、殴打し、縛り付けて小部屋に閉じ込める。夜中になって解放された彼は、キャバレーを抜け出し、ふらふらとかつての勤務校へ入り込む。かつて彼が疎ましがられながらも威厳を保っていたその教室で、ラートは、教壇を抱きかかえるように倒れ込み、そのまま息を引き取る。*1

 

破滅のただなかで追想される過去の輝き、そこに向けられる哀悼のまなざし

既に書いたように、この映画の基本的なモチーフは、「最後の命令」同様に、古きものの転落と破滅を描くことにこそある。ただし「最後の命令」が帝国主義、共産主義、資本主義へと転換していく大きな歴史の趨勢に翻弄される軍人の姿を描いていたのに対して、この映画「嘆きの天使」の軸にあるのは基本的にラート教授の個人的な没落だ。しかしだからといってこの映画が非政治的・非社会的かというと、そんなこともない。というのもラート教授は、明らかに——19世紀から20世紀という世紀の変わり目には既に形骸化していたであろう——市民社会の古めかしい価値観を体現した人物として描かれているからだ。その彼が、退廃的な歌手の魅力に溺れ没落していくというそのモチーフは、芸術に耽溺する市民社会が道徳的に形骸化していった大戦間期の時代意識をはっきりと反映している。

もっともスタンバーグは、没落していく古い価値としての市民道徳——その体現者としてのラート教授——を、単に時代遅れで唾棄されるべきものとしてのみ描くことはない。たしかに彼は容赦なく、残酷なまでに古きものの転落と破滅を描きはする。しかしまた同時に、破滅しつつある古きものに対してある種独特の哀悼のまなざしを向けているようにも思われるのだ。それは決して、古めかしい価値道徳を復権させようとか、再構築しようとか、その種の退行的な試みではない。もはや古い市民的価値道徳がそのままでは維持不可能なこと、その妄信的な実行は醜く疎ましがられるものに変じてしまっていることは、十分に自覚されている。たとえローラ・ローラへの求愛によってあからさまに転落することがなかったとしても、ラート教授は実質的には既に彼の生徒たちの尊敬を失っていたし、「ウンラート」として隠れて嘲笑われてさえいたのだ。教壇における彼の威厳や権威は、もはや形骸化した表層的なものでしかなくなっていた。古きものの没落は、もはや取り返しのつかない事実として自覚されているのだ。

それでも哀悼のまなざしは、古きものの破滅のプロセスに注がれる。場違いな求婚の仕方をしてローラ・ローラに高笑いをされるラートの滑稽さ、財産を失い軽んじられるみじめさ、そして故郷のキャバレーで道化師として壇上に立たされ嘲笑の的となる残酷なまでの恥辱の姿。こういった破滅のプロセスを描くスタンバーグのまなざしは、聴衆と一緒になってラートを冷笑するものというよりもむしろ、彼を哀れんでいるように見える*2。もはや撤回不可能なまでに没落した古きものが、退廃した美しきものに誘われ崩壊していくなかで、それでも自らが拠り所にしてきた価値を、その矜持を完全には手放すことができない、その哀れな姿。この姿をかくも残酷に、同時に魅力的に描くその哀悼のまなざしこそが、スタンバーグの映画に、単なる社会風刺の枠を超えた魅力を添えているのではないかと思う。

この哀悼のまなざしは、当時の批評によって非難されたように、単なる保守的な懐古趣味の感傷に過ぎないのだろうか。社会の進歩のためには、むしろ滅びゆく古きものを冷笑し置き去りにしていくべきなのだろうか。しかしラートのように、古い価値に沿って生きて来た個人が、ある日突然その価値を脱ぎ捨てて新しい価値とともに生きることが——不可能とは言わないまでも——きわめて困難だということも、一つの事実なのだ。彼のような古い個人はどのみち、時代の流れに取り残され、軽蔑され、唾を吐きかけられ、破滅していく。時代の流れに同調して、彼のように取り残され没落していく個人に——他の者とともに——唾を吐きかけるべきなのだろうか。古き個人が破滅していくその姿を前に、彼がかつて持っていた過去の輝きに思いを致し哀れみの思いを抱くということはむしろ、人間的なことではないのだろうか。

もちろんこの哀悼のまなざしは、懐古主義の感傷と紙一重のものではある。場合によってはそれは、なお人々を抑圧し続ける古き権威の美化につながりかねないようなものでもある。そこに陥らないためにも、この映画は一貫してラートの滑稽さを、みじめさを、そして恥辱にまみれた破局までをも、徹底的に、残酷なまでに描き切っている。そして同時に、彼がその最期の瞬間に胸に抱いた過去の輝きを、彼とともに静かに追想するのだ。発狂し、暴行され、心身ともに消耗しきったラートの破滅は、それによってもはや取り返しのつくものではない。映画は、過去の輝きの象徴たる教壇を抱きつつ息を引き取る古きものの姿に、静かな哀悼のまなざしを送る。 

*1:ハインリッヒ・マンの原作を読んでいないのでドイツ語版WikiのDer Blaue Engelの項目の受け売りになるが、ラートが勤務校を辞めさせられて以降のストーリーは原作と映画で大幅に異なるらしい。原作では、勤務校を首になったラートは町に留まってある種のアナーキストとして市民社会の常識を揺るがすような振る舞いを好んで行い、それを楽しむようになるのだという。この意味ではマンの原作の方が、権威を失っていく市民社会への批判的風刺としての色合いが強いようだ。それに対して、ローラ・ローラと結婚することを除けば自分から社会の常識を攻撃することをしない映画中のラートの破滅は、社会を揺るがすような効果は持たない単なる個人的な転落であるように見える。実際に当時の批評にはこの点——原作の社会風刺の色彩を弱め、良き市民の破滅というセンチメンタルな物語に変じてしまっているという点——を非難したものがあったのだという。もっとも、映画を観る限り、市民道徳の担い手たるラートを唐突に転向させず、その落ちぶれゆく破滅とほとんど無力な矜持を描くことにこそそもそものスタンバーグの関心があったように思われるし、それはむしろ1930年前後の時代意識——もはや個人に社会を揺るがす力などないのだという意識——にも適っていたのではないかと思う。

*2:まさしくこの点にこそ、当時の批評はある種のおセンチさを見出したのだろう。

贖罪と嘘、演出された宥和と人間性の切り詰め(エルンスト・ルビッチ「私の殺した男」/Ernst Lubitsch "Broken Lullaby / The Man I killed" 1932年)

エルンスト・ルビッチ「私の殺した男」(Ernst Lubitsch "Broken Lullaby / The Man I killed" US 1932)を鑑賞。

 

おおまかな感想、印象

第一次大戦直後を舞台に、戦時中にドイツの敵兵を殺してしまった罪の意識に苦しむフランス人青年の贖罪を描いた映画。ルビッチにしては比較的シリアスな主題を扱ったものだが、テンポがよくリズム感のある演出によって重々しい悲劇にはならず、映画全体がどこか軽やかなユーモアによって支配されていた。当時の独仏間に存在していたのだろうアンビバレントな感情も織り交ぜつつ、それ自体で面白いとは言い難いようなテーマを、時に笑いを誘うような描写とともに見事に描き切っているのはさすがルビッチだと感じた。有声映画としてはかなり早い時期のもののはずだが、映像も洗練されていて、今観てもあまり古さを感じさせないものだった。

物語の上では、繊細なフランス人青年が自分の意に反した振る舞いをせざるをえなくなり、次第に窮地においこまれ、最終的に嘘をつかざるをえなくなっていくその過程が、さほど無理なく描かれており、劇作品を思わせるルビッチの演出の妙が生きていた。それに応えるように俳優たちも、よく練られた筋のもとでそれぞれに与えられた役割を魅力的に演じきっていた。もっとも、そこにはある種の人間性の切り詰めも見いだされる。というのもこの映画の結末における罪の宥和は、あくまでも演出されたものでしかなく、その後に来るだろう現実を隠したままに幕が閉じられてしまうからだ。ここでは、ルビッチの演出がもつ残酷な抑圧性が露わになるとともに、抑圧された部分に対して観る者の想像がかきたてられることになる。

 

※以下では割とはっきりネタバレするので気にする方はご注意を。

あらすじ

第一次世界大戦直後、ドイツの降伏に沸きたつフランスのある教会において、教会付きの音楽士ポールが司祭に自らの罪を告解したいと申し出る。ポールは、戦争中、対ドイツ前線において同年代のドイツ兵ヴァルターを射殺してしまったことを悔いているのだというのだ。司祭は彼に罪の赦しを与えるがそれも彼の心を和らげることはなく、最終的にポールは、贖罪のために彼が殺したドイツ兵の家族を訪ねることを決める。

ポールが訪ねたドイツの小さな町は、ドイツの敗戦と失われた命への悲しみに沈んでいた。ヴァルターの家族を尋ねたポールに対して、医師であるヴァルターの父はフランス人への強い拒絶反応から話を聞こうともしない。一方でヴァルターの母と元婚約者のエルザは、亡きヴァルターの墓に花を捧げているポールを見かけ、彼の古い友人が訪ねてきたと思い込み歓迎する。当初は反仏感情で凝り固まっていた父の態度も軟化していき、ポールは家族皆に手厚くもてなされることになる。

ヴァルターの家族の嬉しそうな笑顔を前に、ポールは本当のことが言いだせなくなり、彼とヴァルターはパリの音楽学校で友人だったのだと嘘をつくことになってしまう。さらにヴァルターの家族は、敵国だったフランスの若者と仲良くすることで近所から白い目から見られてもポールへの暖かい振る舞いをやめず、それどころかポールがヴァルターの代わりに家族に留まることをさえ望むようになる。家族の期待を前に嘘をつき続けられなくなったポールは、エルザにだけ本当のことを打ち明ける。当初は驚き困惑したエルザだったが、しかし結局彼女は、ヴァルターの両親のために嘘を突き続け、ヴァルターの代わりにポールと過ごし続けることを決意する。映画は、ヴァルターの遺品であるバイオリンを弾くポールと、婚約者がいた頃のようにそれをピアノで伴奏するエルザの二人が、ヴァルターの両親とともに笑顔を見せるシーンで、幕を閉じる。

 

演出された罪の宥和、エゴイズムゆえにつかれる嘘

フランス人青年ポールの贖罪のプロセスを描いたこの映画の終着点は、彼が自ら命を奪ったそのヴァルターの代わりを努める、というそのことにある。つまりポールが、彼が殺した男であるヴァルターの代わりにその家族の一員となることによって、傷つけられた者たちがある種の宥和に達しているのだ。人の命を奪った事に対するポールの罪意識は贖われ、大事な息子の命を奪われたヴァルターの両親も婚約者を奪われたエルザも、息子の代理というある種の補償を受けることができている。その極まりともいえるのが、映画の最後、ポールがヴァルターの遺品であるバイオリンを弾き、エルザが伴奏し、それを両親が幸福そうに聴き入るというシーンだ。当初は困惑していたポールも、彼の嘘を知り強張っていたエルザも、この最後のシーンでは、演奏とともに至福の表情を見せるようになる。この罪の宥和の場面をもって、映画は終わる。

しかしこの宥和は、あくまでも演出されたものであり、しかもポールとエルザの嘘によって成立しているものだ。ポールの当初の嘘——自分がヴァルターの友人であったという嘘——は、確かに状況が彼に強いたものではある。しかしそれは同時に、ヴァルターの両親を失望させることでこれ以上の罪意識を抱きたくないという彼のエゴイズムゆえのものでもある。そしてこの小さなエゴイズムから生じた嘘を共有するばかりか、積極的に演じ続けることを選択したのは、ヴァルターの元婚約者のエルザの方だ。

エルザが、自分の愛する男を殺した人物と一緒に嘘をつきともに過ごし続けることを選んだ背景にあるのは、ヴァルターの両親を傷つけたくないという消極的なエゴイズムだけではないだろう。むしろ彼女は、ポールの出現によって補償され、再び幸福——の見かけ——を手に入れることができた彼女の新たな生活を手放したくなかったからこそ、嘘をつくことを選んだのではないだろうか。ここにあるのはもはや家族への配慮という利他的な理由だけではなく、自分の幸せを求めたいという積極的なエゴイズムだ。彼女の嘘には幸福な生活を維持したいという欲求が掛かっている。

 

見せかけの宥和が持つ非人間性か、あるいはエゴイズムに対する消えない罪意識か

しかしこの見せかけの宥和と幸福は、あまりにも脆い嘘によって成り立っているものに過ぎない。だからこそここでの罪の宥和は、グロテスクで非人間的な様相を呈しさえもする。仮にポールとエルザが、その内心においてヴァルターに対する罪の意識や嘘に対する良心の呵責を感じ続けるのだとすれば、仮に外的には幸福な生活が二人に訪れるのだとしても、それは彼らが彼らの生を犠牲に捧げることで成り立っているものでしかないということになるだろう。映画中でヴァルターの父が、フランスへの敵対感情を露わにする同世代の男性たちに対して憤りつつ口にしたように、そもそもポールやヴァルターといった若者世代を戦場に送ったその責任は、彼ら親の世代にこそあるのだ。しかしポールとエルザが、他ならぬこの親の世代のために転倒した罪意識を感じ、自らの未来を犠牲にしなければならないのだとしたら、そこには悲劇的な欺瞞があるだろう。

またもし、ポールとエルザがヴァルターのことや彼の両親のためについた嘘を忘れ、彼ら自身の目の前の幸福を問題なく追いかけることができるのだとしたら、これはこれで少なからずグロテスクで非人間的な話だ。ポールが自ら命を奪った人物の位置——家族の息子であり、エルザの婚約者であるその位置——にそのまま入り込み、それで万事解決なのだとしたら、そもそもヴァルターの存在とは何だったのだろうか。同じように若く、同じように教養があり、同じようにバイオリンが弾ける若者であれば、誰でもその位置に取って代われるような取り換え可能な存在だったのだろうか。それでは彼の両親やエルザが嘆いていたのは、ヴァルターを失ったことではなくて、彼の代用物がいないことだったのだろうか。

実際にはしかし、仮にポールとエルザが——単に親世代のための自己犠牲というのではなく——自らの幸福を追うことができるのだとしても、おそらくそこには自らのエゴイズムへの罪意識が伴い続けることになるだろう。罪意識の共有ということが、彼らのうちにある特別な種類の共感を呼ぶということはありえるかもしれないが、それもきわめて脆いもので、それ自体既に傷を負ったようなものだ。はたして彼らはこの嘘をつきとおせるのか。この大きな欺瞞を生き切ることができるのか。

 

ルビッチの演出における人間性の切り詰めと、かきたてられる想像

このように、この映画「私の殺した男」は、一方では収まりのいい罪の宥和を演出してはいるが、他方でこの見せかけの宥和はどこか非人間的な様相を呈してもいる。かくしてこの映画は、観る者に、映画で描かれなかった部分——ポールやエルザの内心の葛藤やエゴイズム、彼らの将来に待ち受けるもの——への想像をかき立てることになる。

この映画に限らず、ルビッチの演出にはしばしば、物語の筋を成り立たせるためのある種の人間性の切り詰めのようなことがなされているように思う。一方で彼は、人間の人間らしいところをこれ見よがしに強調し、無理なく面白く物語を展開するために人間を描写することに長けている。しかし他方でルビッチの演出には、物語の枠に収まらない人間の繊細さや汲みつくし難さ、思うようにならなさといったものを映画のスクリーンから排除してしまうような傾向もあるのだ。

それは彼が舞台演劇をモチーフにした喜劇作品を演出しているときには、それほど気にはならない点かもしれない。奇想天外な言動をする喜劇の登場人物にいちいち、本当の人間ならこんなバカなまねはしないだろう、こんなに単純に幸せになれはしないだろう、とその都度茶々を入れるのは野暮な話だ。しかしこの映画のように、撤回しようもない罪意識——ある人間の命を奪ってしまったというその後悔の念——という極限状態における人間の在り方を問うような主題においては、彼の演出による人間性の切り詰めが露わになる。ここには演出が持つある種の残酷さ、人間性を抑圧するような側面さえ見て取ることができる。人間性を切り詰め舞台上から排除する残酷なまでの演出手法は、ルビッチの作品を魅力的かつ見やすいものにしているだけでなく、そこに独特の怖さを与えているように、私は思う。

はたしてルビッチ自身が、この点をどこまで意識していたのかはわからない。しかしいずれにしてもこの映画が、そこで描かれなかった部分、切り詰められ、抑圧された部分を、観る者に意識させ、想像させるものになっているのは確かだろう。はたしてポールとエルザは、映画の最後の幸せな——ように見える——場面のその笑顔を保ち続けることができるのだろうか。はたして彼らは、自らの贖罪と嘘に、どう向き合っていくのだろうか。

ささやかな個人の生と、それを脅かす歴史の暴力との重なり合い(片渕須直「この世界の片隅に」/Sunao Katabuchi "In This Corner of the World" 2016年)

前記事にも書いたNippon Connectionで、片渕須直「この世界の片隅に」(Sunao Katabuchi "In This Corner of the World" JP 2016)も鑑賞することができた。さんざんレヴューされた話題作についていまさら、原作も読んでいなければ映画自体も一度しか観ていない私なんぞが何か書くのもな、という気もしないでもないのだが、印象的な映画だったので、忘備録も兼ねて個人的に思ったことくらい書いておきたいと思う。

 (この映画に関するレヴューは既にたくさんあると思うので、映画全体のあらすじを改めて書くことはしない。ただし以下ではネタバレに配慮せず書くので、まだ観ておらずネタバレを気にする人は気をつけてほしい)

 

個人の生と歴史の暴力との重なり合い

アニメ映画「この世界の片隅に」は、基本的には、のん(能年玲奈)演じるすずという一人の女性の生に焦点をあてたものだ。広島の漁村に生まれた彼女は、好きな絵を描きつつのんびりとした少女時代を過ごし、年ごろになり呉に嫁に貰われていく。自分の感情のついていかない結婚に少しずつ適応していく彼女は、小姑との間に生じた幾つかの問題を乗り越えつつ、自分の居場所を見つけていく。こうして描かれるのは個人の日常の物語であり、映画のタイトルが示す通り、この世界のほんの小さな片隅にささやかに生きる一少女の話が中心になっている。

私自身は、この映画が昨年から話題になっていたことは聞き知っていたが、具体的な内容に関してはほとんど知らず、漠然と、クラウドファンディングで製作された戦争に関するアニメ映画、というくらいの予備知識しかない状態で観に行った。しかし実際にはこの映画は、戦争そのものを主題にしているというよりも、むしろあくまで戦時中の広島を背景になされた個人の物語として観ることができるものだった。しかも物語は徹底して、当時の戦闘に直接参与することのなかった(あえて言えば)「女子供」の目線から描かれている。すずの書くパステルカラーの絵の鮮やかさや、登場人物たちの可愛らしい絵柄とも相まって、戦争の残虐さをことさらに強調するようないわゆる戦争映画とは一線を画すものになっている。

とはいえこの映画を、戦争とは無関係のほほえましい日常の物語として観ることも不可能だ。というのもこの物語におけるすずの日常は、戦争という歴史的事象によって終始脅かされ、傷つけられているからだ。歴史の趨勢は、彼女がようやく愛し始めた夫をすずから引き離し、爆弾でもって日常を破壊し、様々なものを——住む場所や、食べ物、そして人の身体や、命までをも——奪い取っていく。戦況が悪化していくにつれて配給の食事は栄養の無いものになっていき彼女の健康をむしばむ。そして1945年8月6日には、広島に投下された原子爆弾が、彼女がかつてそこに属していた生活世界を徹底的に破壊する。歴史の暴力は、世界の片隅にささやかに生きる少女の生活さえ、そのままにしてはおかないのだ。

この映画の物語上の肝はまさしくこの点、個人の生と国家の暴力とが重なり合っているその事態を、徹底して無力な個人の日常に即して描き出している、という点にこそあるだろう。それも第二次世界大戦という時代、広島というその場所において。映画中では、物語が進むのに合わせてその都度、何年何月何日という日時が明示されていた。登場人物たちが、いかにささやかに、いかに牧歌的でほほえましい生活をしていたとしても、地名と日付が、いやがおうにもその数年後にその場所で起こることを観る者に意識させる。戦争が始まる以前、広島の産業会館をスケッチするすずの無邪気な姿は、その屈託のなさゆえに、痛ましいものとして画面に映る。カウントダウンのように「あの日」に近づいていく物語のなかで、彼女たちが罪のない日常を見せるほど、痛みは深くなっていく。

もっともこの映画は、すずのようなささやかな個人でさえも、歴史の単なる被害者であっただけではないこと、彼女の無垢ささえ歴史の暴力によって成り立っていたのだということをも、描いている。戦時中に彼女が口にしていた食事の多くは、当時植民地であった満州や朝鮮半島から運び込まれていた。終戦の日、玉音放送を聞き慟哭するすずは、自分自身もまた日本という国の暴力によって成り立っていたからこそ、自分もこれから他国の暴力に屈しなければならないのかと嘆く。彼女がこのことを口に出すことができたということは、そのことに対して彼女が全く無知ではなかったということだ。歴史の暴力に傷つけられた彼女自身もまた、同時にこの歴史の暴力によって成り立っていた。徹頭徹尾歴史に規定されている一個人としての彼女は、世界の片隅に歴史の趨勢と無関係に幸せに生きていることはできなかったのだ。

この映画がすずという一個人の物語でありながらもそれに尽きない理由は、すずのような、世界の片隅に生きていたのにも関わらず歴史に規定され、時代に傷つけられることになった個人が、無数に存在するというそのことにこそあるだろう。すずは戦争によって右腕を失い、絵を書くことを失い、付き添っていた姪を失った。ある者は彼女よりも傷も浅く失うものも少なかったかもしれないが、しかし彼女以上に大きな傷を負い多くを失った者もいるだろう。時限爆弾によって命を失ったすずの姪にだって、本当は彼女自身の生があるはずだったのだ。歴史に規定された個人たちは、ふいに顕在化する歴史の暴力によって突然に脅かされ、傷つけられ、時にはその存在さえをも軽々と奪われる。 個人の生と歴史の暴力との重なり合いというこの現実と、その痛ましさを、この映画は露わにしている。

 

正確な現実描写と、アニメ的なデフォルメとの交差

この映画を魅力的にしている要素の一つとして、ディティールに拘った正確な現実描写と、アニメならではのデフォルメとが、バランスよく交差しているという点が挙げられるだろう。以下、それについて少し書く。

基本的にこの映画は、戦争の悲惨さや国家の過ちといった個人の生活から距離のある政治的な主張を——より具体的に言えば、当時の大日本帝国の愚かさや、原子爆弾を投下したアメリカの無慈悲さといった事柄を——声高に叫ぶことをせず、現実を淡々と描写することに徹している。残念ながらここに詳述はできないが、実際にこの映画では、日常生活に関しても軍事的なことに関しても、極力事実に基づいた正確な再現がなされているのだという。実際、当時の文化的風習や町の様子、食事風景といった生活世界に関しても、戦艦や軍隊の様子、米軍による爆撃の描写など軍事的な場面に関しても、極めて細かい写実的な表現がなされていることは、知識のない私にも感じ取れた。まさしくこの現実描写の正確さ、ディティールに拘った写実性が、この映画を説得的なものにしている。

とはいえ同時にこの映画では、とりわけ人物描写に関して、アニメならではのデフォルメがなされている。すずを中心として登場人物たちは基本的に可愛らしい造形でデザインされているし、日常のちょっとしたシーンで顔を崩して笑う彼らの表情はいかにも漫画的で、観る者の表情をも崩す。ここにさらに、すず自身が描くおとぎ話のような絵のタッチや、パステルカラーの色彩の鮮やかさが加わって、映画はときに——その徹底した現実描写にもかかわらず——どこか現実離れした、詩的な作り話としての中立性をも示すことになる。

この徹底した現実描写と、アニメ的なデフォルメとが、映画においてバランスを持った表現として交差している。もっともアニメならではのデフォルメは、現実の痛ましさを見やすいものにするというだけではなく、かえってその痛ましさへ観る者を直面させる効果をももっている。時限爆弾によってすずが意識を失ったあとの一連のシーンは決して実写映画では出せない映像表現になっていたが、その後に昏睡から目を覚ましたすずの傷——欠損した右手に痛ましく巻かれた包帯——は、彼女が巻き込まれた爆発が単なるおとぎ話の一部ではなかったのだということを観る者に突きつける。そしてなにより印象的だったのは、広島に原子爆弾が落とされたその時の、呉での様子の描写だ。閃光、衝撃音、微細な振動。人々はまだ、どこで、何が起きたのかがわからないから、それほど深刻にも捉えられない。山の向こうに登るキノコ状の雲。広島から吹き飛ばされてきた様々なもの。この独特の空気感の表現もまた、アニメという媒体を通してこそ、一定の現実性や説得性を持つことができたのではないかと思う。

 

日常の喜びと、傷つけられた希望の可能性

この映画の特徴的なところとしては、戦時中の生活の痛ましさだけでなく、日常の些事や小さな喜びをも描いている、という点も挙げられる。戦時中にもすずや彼女の家族は緊張一辺倒ではない日常を過ごしているし、その中には弛緩も、ほほえみも、愛情も、嫉妬も、人間らしい小さな喜びも描かれる。戦争が終わったあともすずはなお、戦争によって命を失うことがなかった夫の周作とともに、この世界の片隅に生きていくことができた。彼女が周作に感謝の気持ちを伝える場面、また彼らが戦争孤児を引き取ることになる場面、映画の最後半のこれらのシーンはたしかに、希望を感じさせるものになっている。

もっとも、この希望は、彼女らの生活が撤回不可能な傷を負ったのだということを覆い隠すことはできないものだろう。すず自身は腕と絵を描くことを失ったし、彼女の妹は原爆病に苦しんでいる。義理の姉で近代的な女性でもある径子はその娘を失ってしまったし、すずらが引き取った孤児にしても親を失ったという事実が消えるわけではない。個々人の傷は癒えてはいないし、癒えるかどうかもわからない。歴史の暴力にもかかわらず、またそれによって負った傷にもかかわらず、個人は希望をもって生きる可能性をもっている。しかしそれは個人を巻き込み個人を脅かす社会や歴史の暴力を無罪放免にするものではないのだ。

 

とにもかくにも、未消化の過去を語り直すということ

私はアニメ映画を頻繁に観ている人間ではないし、「この世界の片隅に」が持つアニメとしての価値に関しては判断を下せない。少なくとも私にとっては、いくつかの映像表現は印象的であったし、何よりも作品として説得力のあるものだと感じた。とりわけ、第二次世界大戦の終戦から70年以上の時が経ち、当時の戦争の語りがだんだんとリアリティーを失っていきつつあるこの時代に、あえて真正面からその時代その場所の物語に取り組んだという点には、感銘を受けた。

他国を破壊し、また同時に自国をも破壊された国としての日本において、戦争というこの過去の経験は、いまだに消化されていないものであるように思われる。そもそも破局的な過去の経験というのは、極めて多義的であり、多面的であり、容易に消化できるものでも、一義的に語り尽くせるものでもないのだ。この未消化の過去は、まさしく未消化だからこそ語り直されることができるし、その過去を忘れることをしたくない者のためには、語り直される必要がある。この映画はまさしくこのことを、未消化の過去を語り直すことを、試みている。

とはいえ、既に書いたことだが、この映画は個人の日常の目線からの物語を描いたものであって、戦争を客観的な事実として提示するものでは決してない。だからこそ、現在の視点から見れば、不公正なところや、不十分に思われる点、歪んだ描写もあるのだろう。望む望まないとにかかわらず、歴史上の個人の視点というのは一定の限界をもったものなのだ。しかし同時に、その限界や歪みを描くということもまた、映画にできる仕事の一つなのではないかとも思う。とにもかくにもこの映画は、戦争によって脅かされた日常の生を、或いは個人と歴史との縺れ合いの問題性を、無力な個人の視点から語り直すことを試みている。このことは今後も様々な形で語り直されていくだろうが、「この世界の片隅に」は、その際の参照点の一つになっていくのではと思う。