映画を読む

ドイツ某都市にて勉強中です。「映画を読む」と題して、観た映画の感想や印象等を淡々と書いていこうと思っています。ネタバレに関しては最低限の配慮はしたいですが、踏み込んだ内容も書くと思うので、気にする方はご注意を。

読まれる過去の夢、現前する感情、交錯する空間と時間(ルート・ベッカーマン「夢のなかにいた者たち」/Ruth Beckermann "Die Geträumten" 2016年)

ルート・ベッカーマン「夢のなかにいた者たち」(Ruth Beckermann "Die Geträumten" AT 2016)を鑑賞。本作は、オーストリアの映画祭Diagonale 2016にて最優秀映画賞を獲得している。

ベッカーマンは、ユダヤ系オーストリア人という自らのルーツを主題にしたドキュメンタリー映画を長年にわたって制作してきた監督。ちょうど今月、近所で彼女の映画特集が組まれており、本作の上映のあとには監督ベッカーマンと脚本を手掛けたイーナ・ハルトヴィク(Ina Hartwig)とのトークセッションがあった。監督は独特の雰囲気と存在感がある人で、オーストリア訛りのドイツ語ではっきりと話すその語り口は聞きやすいのだが、話す内容は奥行きがあって引き込まれるものだった。今月はまだいくつか彼女の映画を上映するようなので、この機会にいくつか観られたらと思う。

 

おおまかな感想、印象

この「夢のなかにいた者たち」は、監督自身の言葉を借りると、ある種の「実験」映画なのだという。つまり、過去に属する文学的・詩的な語りが現代を生きる若者にどう作用するのかを、また過去の言葉が持つ詩的な力が特定の時代の制約を超えてそれを読む者にどのように働きかけるのかを観察し、記録した映画だというのだ。

映画の内容をあえて一言でいってしまうと、過去の二人の詩人——パウル・ツェランとインゲボルク・バッハマン——の間で交わされた書簡を、一組の若い俳優-——Laurence RuppとAnja Plaschg——がラジオ局の一室で何日間かにわたって朗読していく、というそれだけのものだ。特定のロケーションで再現された歴史的場面の映像もなく、もっと言えば演技のために誂えられた舞台装置さえない。用意されたのは、ラジオ局の一室、一組の録音装置、そして読まれるべき書簡集のテクスト、さしあたってはそれだけだ。冒頭と末尾で詩人たちに関するごくごく短い説明のテクストが提示されることを除けば、上映時間89分のほとんどが、一組の若い俳優が数日間にわたってマイクロフォンの前で書簡を読み上げていくその様子と、彼らの休憩や食事の様子とで、構成されている。

…このように書くと、何が面白いのかと思われてしまうかもしれない。実際この映画の内容といえば、若い俳優たちが詩人たちの書簡を読むというただそれだけしかない。しかしそれにもかかわらず、スクリーンのうえの映像群は、きわめて洗練されていて、印象深く、儚くも魅力的なものだった。この魅力は、読まれたテクストそのものから来るというよりもむしろ、テクストに書き込まれた詩人たちの感情の揺らぎと、それを読むことによって生じた俳優たちの感情の揺らぎとが交錯する、その空間と時間にこそあったように思う。

一方では、書簡に織り込まれた詩人の感情が、愛の喜び、断絶の嘆き、いらだち、嫉妬、失望や絶望までが、読むというそのことによって現前させられる。他方では、俳優たちが、自ら読み上げる言葉の波に入り込んでいき、笑顔を見せ、涙を流し、沈んでいく。手紙に書き込まれた過去の夢を読むことによって生じた揺らぎは、朗読という場を離れてなお、現在を生きる俳優たちの時間と空間に一定の響きを残すことになる。

過去と現在の交錯を現前させる映像群から、私自身、だんだんと目を離すことができなくなっていった。それどころか、手紙の記述が詩人の生の終わりを感じさせるものになっていったとき、この交錯が、この映像が、この空間と時間が、もう少しだけ続けばよいのにとさえ思わされた。しかし書簡は終わり、映画の幕が閉じられた。

 

ツェランとバッハマン、「夢のなかにいた者たち」

戦後のドイツ語圏文化を代表する詩人パウル・ツェラン(Paul Celan, 1920-1970)とインゲボルク・バッハマン(Ingeborg Bachmann, 1926-1973)の手紙のやり取りは、1948年から1967年まで、およそ20年に渡った(彼らの書簡集は2008年になって編集・出版され、それがこの映画の着想のもとになったとのこと)。もっとも、彼らの手紙は、さらに言えば彼らの関係それ自体は、幾度もの断絶を挟んだものだった。

彼らは1948年にウィーンで知り合い恋人同士となったが、チェルノヴィッツ(当時はルーマニア、現在はウクライナ)生まれのツェランはそれからすぐに祖国の共産主義政権から逃れてパリに亡命してしまったし、バッハマンも1953年以降イタリア、ドイツ、スイスと住居を転々とする生涯を送った。またツェランは1952年にはデザイナーと結婚しているし、バッハマンも1958年から作家マックス・フリッシュと緊密な恋愛関係を始めている。1950年代後半にはパリにおいて恋愛関係が再燃したこともあったようだが(その際には彼らそれぞれのパートナーも巻き込まれたようだ)、彼らの間にはほとんどいつも地理的な距離が存在していた。

さらに両詩人の間には、自らのルーツにかかわる断絶もあった。ドイツ系ユダヤ人であるツェランは、第二次大戦中には両親とともにゲットーに移住させられており、両親は収容所で命を落としている。対してオーストリア生まれのバッハマンの両親は戦時中にナチス党に属していたのだという。バッハマンはこのことについて直接的に話すことは好まなかったようだが、いずれにせよ、二人の間には、歴史によって規定されてしまった、自分自身ではいかんともしがたい精神的な断絶もまた存在していたようだ。

しかしこの地理的な距離や精神的な断絶にもかかわらず、また直接的な恋愛関係それ自体はさほど長く続いたわけではないのにもかかわらず、二人の詩人の手紙のやり取りは——時に大きく間を開けながら——20年にわたって継続された。むしろ彼らの間に決定的な断絶があったからこそ、彼らの関係は単なる恋愛関係として終わらず、彼らの言葉が書簡という形で記録されることになった、という側面もあるかもしれない。この映画のなかで朗読されるのは、この二人の書簡から抜粋されたテクスト、それ自体きわめて詩的な表現に富んだテクスト群である。その文章のなかには、二人の詩人の感情の揺らめきが繊細に織り込まれている。愛の喜びも、断絶の嘆きも、悲しみも、苛立ちも、嫉妬も、失望も、絶望も。

映画のタイトル「夢のなかにいた者たち」(Die Geträumten)は、バッハマンの手紙の中の「私たちは、ただ夢の中にいただけだったのかしら?」(Sind wir nur die Geträumten? 直訳すると「私たちは、夢見られた者たちでしかないのかしら?」)という問いかけから来ている。彼ら二人にとって、夢のなかのような幸福に満ちた時間は決して長く続くものではなかった。しかしそれでも彼らは、かつて夢のなかにいた自分たちの思いを拠り所にして、断絶を挟みつつも、関係を継続し、文字を介して互いの思いを交錯させ続け、感情を織り込んだ言葉を記録していった。

 

二人の俳優によって読まれる過去の夢、現前する感情

映画中で書簡を朗読するのは、二人の若い俳優である。ツェランの手紙を読み上げるのは、細見でどこかひょうひょうとした雰囲気のあるLaurence Rupp(監督曰く、詩人たちと同じオーストリア訛りのドイツ語を話すイメージ通りの俳優を見つけるのに苦労したそうだ)。バッハマンの手紙を読むのは、中性的だが、表情豊かな目を持つAnja Plaschg(彼女はSoap&Skinという名前で音楽活動もしているとのこと)。あえて言ってしまえば、二人は、どこにでもいそうというか、その辺を歩いていてもおかしくないような一組の若者だ。彼らは、ツェランやバッハマンについて予備知識もなかったという。読まれるテクストこそ事前に渡されたそうだが、詩人たちが書き込んだ書簡の言葉は、彼らが日常で話す言葉とは異なったものだ。この書簡の言葉だけを頼りにして、なかば即興で、彼らは詩人たちの過去の夢を朗読することを始める。

マイクロフォンの前に立たされ、書簡の抜粋を朗読していくなかで、彼らの表情は、詩人たちの言葉に呼応して変化していく。柔らかな喜びが、痛ましい悲しみが、クローズアップされた彼らの表情に繊細に浮かんで、また次の表情へと移行していく。彼らは体の身振りを使ったいわゆる「演技」は一切しないが、ときにはマイクロフォンの前で、ときには椅子に座ったままで、さらには床に寝転がって、書簡を朗読していく。ときに視線を交わし、またときに目元に涙が浮かばせる。この表情の変化それ自体、どこまでが「演技」でどこまでが「自然」であるのか、観る者にはわからない。いずれにしても彼らの表情——顔の表情と、声の表情——は、彼らによって読まれた過去の夢を、そこに織り込まれた詩人たちの感情を、印象的な仕方で、現前させていく。

 

過去と現在が交錯する、空間と時間

この「実験」映画に独特のアクセントとリズムをもたらしているのは、朗読の合間合間の休憩や、或いはラジオ局を出ての食事やコンサート訪問の映像だった。撮影がなされたラジオ局の玄関口で、二人は煙草を吸いながら、とりとめのない話をする。趣味の話や、タトゥーの話。また二人は、彼らが読んでいる書簡について、書き手たる詩人たちが何を思ってこの文章を書いたのかを話し合う。少しだけ、ほんの少しだけ彼らを取り巻く空気が変化していっているような気もするが、それは決して劇的なものではない。実際のところその変化は、彼らが読んでいるテクストとは何の関係もなく、ただ若い二人が数日を一緒に過ごして親密になっていったというただそれだけのことなのかもしれない。しかしいずれにしても、書簡の朗読の合間に提示される俳優たちの何気ない会話や振る舞いと、読まれていく過去のテクストとの間には、独特の布置関係が構成されていく。

個人的にもっとも印象的だったのは、休憩の間に二人が床に寝転がり、Ruppがスマートフォンで音楽を流し、それを聴きながらPlaschgが腕や指を動かしているのを、遠目から撮影した映像だった。もう日も暮れていて、部屋と部屋を区切るガラスに室内灯が反射し、どこまでが彼らのいる空間でどこからが別の空間なのかの境目が曖昧になっていて、撮影スタッフらしい人物がぼんやりと画面に映りこんでさえいた。さらにそこには、さっきまで読まれていた——そしてまたその後でも読まれるであろう——詩人たちの過去の夢の言葉も、響いていたのかもしれない。疲労感と親密さが入り混じり、境界線が見えなくなった、ゆるやかな空間と時間。それはとても心地のよいものであるとともに、束の間のものでもあった。

読み上げられる手紙の日付が進んでいくにつれて、少しずつ、過去と現在が交錯するこの空間と時間もまた、終わりに近づいていることが予感されてくる。この映画の終盤に私は、まだもう少し、もう少しだけ続いてくれはしないかと思いながら、映像を眺めていた。しかし読まれる文章のトーンは変わっていき、詩人たちの関係の終わりを、それどころか彼らの生の終わりをも、意識させるものになっていった。やがて二人のあいだに、満足な返信がなされなくなる。最後の文章が読み上げられる。映画は終わる。この時間と空間も終わる。小さな、しかし忘れることのできない残響とともに。

1933年のキングコング。美女に殺される怪物よりも恐ろしいものの影(「キング・コング」/"King Kong" 1933年)

ある意味では時代にのって、そしてある意味では時代に逆行して、メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック「キング・コング」(Merian C. Cooper, Ernest B. Schoedsack "King Kong" US 1933)を鑑賞。ちなみに最新版の「キング・コング」はまだ観ていない。

 

簡単なあらすじ

映画監督と急きょ選ばれた主演女優アンは、撮影のために映画クルーとともに船で伝説の「髑髏島」(Skull Island)へと渡る。髑髏島に上陸すると、島を区切るように築かれた高い壁の前で集まった原住民たちが儀式をしており、壁に設えられた扉に若い女性を捧げ祈っている。その儀式を撮影しようとした映画クルーを見て激怒した原住民たちは、やがて女優アンを捧げものにしようと迫ってくる。いったん船まで退却したクルーだったが、その夜、アンは原住民たちにさらわれてしまう。アンがいないことに気付いて慌てて島の壁へと向かうクルーだが、扉に着いたときに彼らが目にしたのは、髑髏島の主である大猿キング・コングが捧げものにされたアンをご満悦で連れ去っていく姿だった。森のなかに姿を消したコングを追って、クルーたちは島のジャングルへと分け入っていく。

ジャングルのなかでは、太古の恐竜を思わせる巨大な怪物が跳梁跋扈しており、クルーたちは苦戦する。大半が命を落とすなか、アンに恋をしていた船員がコングの住まう谷までたどり着き、命からがらアンを救い出すことに成功する。お気に入りのアンを奪われて激怒し、人里まで下りて暴れまわるコングに対し、映画監督はガス爆弾を投げつけ意識を失わせる。失神した大猿の化け物を見て彼は、ニューヨークまで連れて行って見世物にすることを思いつく。

ニューヨーク、ブロードウェイの劇場、堅牢な手枷足枷をつけられたコングは、着飾った聴衆の前で「キング・コング」として見世物にされる。当初は大人しくしていたコングだが、せわしなく焚かれるフラッシュの光に興奮し、桎梏を引きちぎって脱走してしまう。多くの建物や高速道路を破壊しながらニューヨークの街を暴れまわるコングは、やがて高層ビルのなかに隠れていたアンを見つけ出し、彼女を伴ってエンパイア・ステート・ビルに登る。しかしコングは、かけつけた空軍部隊の射撃によって傷を負い、そのまま地上へと墜落して、命を失う。そこに駆け付けた監督が一言、「怪物を倒したのは銃弾じゃない。怪物を殺したのは美女なのさ」。

 

怪物が美女をさらう、というモチーフ

言うまでもなくこの映画は大猿キング・コングをめぐる怪物譚であるが、ドイツ語のタイトル「キング・コングと白人女性」("King Kong und die weiße Frau)が示しているように、キング・コングが美しき女性アンに恋をし、彼女を島の奥深くへとさらってしまう、というのが話の軸をなしている。この意味でこの「キング・コング」は、怪物譚の王道の一つともいえる「怪物が若い女性をさらう」物語の原型でもあるだろう。

また、先日訪れた展覧会でたまたま知ったのだが、ゴリラそれ自体が19世紀になってようやく正式に「発見」されたものだそうで(まあ例によって欧米の学者からすると、ということなのだろうけど)、その当時からゴリラは野生的男性本能の象徴のような描かれ方をされていたとのこと。この「キング・コング」のイメージは、その一つの結晶でもあるようだ。

それにしても映画中のキング・コングの所作や表情には、その圧倒的な肉体の暴力性にもかかわらず、少なからず愛嬌を感じさせるものがある。泣き叫び気絶するアンを大事そうに手の平につつみこむコングには、どこかいじらしささえ感じてしまう。

もっとも、コングが暴れまわる特撮それ自体は、時代の制約にもかかわらず様々な工夫を持って表現されていて、なかなか迫力あるものになっている(今観ても飽きさせるものではなく、一見の価値があると思う)。その意味で、コングの描かれ方が怖くない、というわけではない。しかしそれにもかかわらず、物語の最後まで美女を追いかけまわしたすえに無残に命を失ってしまうコングは、どこか徹底的に恐ろしいものにはなりきれないような、観る者に同情の気持ちをおこさせてしまうようなところがある。そもそも彼は、暴れるためにニューヨークくんだりまで来たわけではないのだ。

 

キング・コングよりも恐ろしいもの

映画を観ていてよっぽど恐ろしいものに感じたのはむしろ、コングを捕えて見世物にしようと意気込む映画監督の方だ。自分が連れてきた映画クルーの大半が命を落としているにもかかわらず、ガス爆弾で失神した大猿を見てなによりもまずブロードウェイでのショーのことを考えられる彼の方が、ただ自分が気に入ったものを奪われて暴れるだけのコングよりも、よっぽど残虐で悪徳を感じさせる人物に描かれている。

そして実際にコングは、ただ見世物にされるというそのためだけに檻に閉じ込められ、両手両足に枷を付けられ、聴衆の前に放り出され、フラッシュの閃光に晒される。興奮して脱走し、好いたアンを見つけ大事そうに抱えてエンパイア・ステート・ビルに登るコングは、どこかいじらしく哀れでさえある。そして最終的には空軍の集中砲火をうけて落下し絶命してしまうコング。それを見て「怪物を殺したのは美女なのさ」などとどや顔でのたまうことができる監督の無責任さと無神経さの方が、コングよりもよっぽどおぞましい。特撮フィクションであることを差し引いても、そもそもあなたが連れて来なければ…と苦笑いをしてしまう。

監督のこのおぞましいまでにエゴイスティックな描写は、さすがに意図的になされたものだと思うのだけれど、どうなのだろう。原住民との対峙からコングのショーに至るまで、聴衆に受けそうなものを求めるという彼の一貫した行動原理は、ある意味では映画産業の行動原理を象徴してもいる。この意味で、この「キング・コング」という特撮映画は、映画そのものが孕む暴力性、大衆の耳目を集めるためには犠牲をも厭わない映画産業の暴力性を(おそらくは意図的かつ自嘲的に)可視化しているものなのではないかとも思う。

あるいはまた、キング・コングを、文明化や近代化の手が加わっていない「がゆえに」文明化・近代化された枠組みのなかで賞賛される作られた原始性の象徴だとして理解することもできるかもしれない。さらに言えば、コングが人間の美女にああまで——自分の命を失うまで——執着するこの物語には、原始性もまた文明化された「美」に抗えないだろうという産業文化のナルシシズムが読み取られうるかもしれない。いずれにせよこの映画は、キング・コングそのものの破壊の暴力性よりもむしろ、その描かれ方が印象に残るものだった。

 

さらに恐ろしいものの影

そしてもう一点。物語のクライマックス、エンパイア・ステート・ビルに登って暴れるキング・コングの姿を見ていて、どうしても連想してしまうものがあった。それは2001年のニューヨーク同時多発テロの映像だ。もちろんそこには、ニューヨークの超高層ビルというだけしか共通点がないので、これは私一個人の連想以上のものではないかもしれない。しかし超高層ビルから落下し絶命するコングの姿に、私は無意識に、あの9月11日の映像を重ねてしまった。しかしコングはしょせん、追い立てられるように高層ビルに登りはしたものの、射撃をうけて落下してしまった存在でしかない。むしろ人間の技術の産物である航空機こそが、現実において超高層ビルを崩壊させ、多くの人の命を奪うことになってしまった。おそらくはこの連想も、キング・コングが根本的に恐ろしいものに感じられない理由の一つだったように思う。

ついでに言うと、この映画の公開は1933年、ドイツでかの国家社会主義が政権をとったその年だ。ご存知の通り、それにつづく戦争の月日は、当時における最高度の人間技術をもって、最高度に非人間的な残虐と暴力が展開された日々だった。これも私一個人の連想に過ぎないかもしれない。しかしなんにせよ、現実の破局に比べると、この映画におけるコングの原始的な暴力は、どこか牧歌的なものにさえ見えてしまう。それよりもよっぽど恐ろしいものの影が、映像の内外に、ちらついていたのだ。

レジスタンスと解放の高揚感、転覆する列車と壁を這う蜘蛛(ルネ・クレマン「鉄路の闘い」/René Clément "La Bataille du rail" 1946年)

ルネ・クレマン「鉄路の闘い」(René Clément "La Bataille du rail" FR 1946)を鑑賞。「ヨーロッパ映画におけるレジスタンス」(Widerstand im europäischen Film)なる上映イベントの一環とのこと。それもあって映画前に専門家によるミニ講演もあった。

 

おおまかな感想、印象

ドイツ占領下のフランス、ナチスの監視下で鉄道の運営を強制されていた鉄道労働者たち。この映画は、彼らの抵抗運動を描いたものだ。もともとドキュメンタリーとして制作が始まったが、撮影過程で劇映画へと変更されていったものだとのこと。そのため、映画の中心となる鉄道労働者たちは、本職の役者ではなく実際にレジスタンスに参加していた労働者たちによって演じられている。この意味でこの映画は、フィクションとノンフィクションの狭間で制作されたものである、ともいえる。

以上の制作背景があり、しかも第二次大戦直後のフランスで制作された映画だけあって、ドイツ軍に抵抗した鉄道労働者たちは、勇猛果敢な英雄たちとして描かれる。彼らはあの手この手でドイツ軍による鉄道輸送を妨害し、交通網を麻痺させ、最後には輸送車両を転覆させることに成功する。映画の最後、占領から解放されたあとで、堂々とフランス国旗を掲げた人々を乗せた列車が走り去るシーン。その車両の最後尾に書き込まれた「フランス万歳!鉄道従業員たちも万歳!」という言葉。この歓喜の言葉は、ナチスドイツからの「解放」を謳う当時のフランスの国民意識の声であるだろう。それは当時の「解放」の高揚感を伝えるものであるが、同時に今の目から見るとどこか距離を欠いた、浮足立ったものにも聞こえなくもない。

無条件に面白いエンターテインメント作品でこそないが、一方では激しい戦闘や列車転覆という大がかりなシーンが、また他方では銃殺される人々の眼前で壁を這う蜘蛛にズームアップするような繊細な描写があり、なによりも映像表現としてなかなか見応えがあるものだった。

 

抵抗と解放の高揚感、「レジスタンス映画」の先駆けとして

映画前の講演では、この映画「鉄路の闘い」が「レジスタンス映画」の先駆けとなったこと、そして実際にその後フランスさらには世界中で製作されたその種の映画の手本になっていったことが、言われていた。

たしかに、この映画のレジスタンスの描かれ方、悪玉たるドイツ軍と秘密裏に抵抗する圧迫された労働者たち、という対比構造はわかりやすい。理不尽な暴力や虐殺にも屈せず、あの手この手を尽くして抑圧者たちに抵抗し彼らに混乱を生じさせ続ける労働者たちのレジスタンス運動は、観る者にある種の爽快感や高揚感を抱かせるものだった。この感情の高まりは、映画の最後のシーン、労働者たちのレジスタンスを讃えながら列車が走り去るシーンに極まっている。占領中はドイツ軍への抵抗の舞台であった列車や鉄路は、今や再びフランスの人々の手に戻り、そこを走る列車から身を乗り出す人々はフランス国旗を堂々と掲げている。ここで画面を占める独特の高揚感は、終戦直後のフランスが抱いたレジスタンスへの賞賛の感、そしてなによりも解放の歓喜の声の極まりとして理解できるものだろう。

とはいえ、画面に映し出されたこの歓喜の映像には、どこか距離を欠いた、浮足立ったものという印象も受けた。映画の主題である圧迫された者たちのレジスタンスそれ自体にシンパシーを感じることはできても、映画の最後のシーンを支配する勝利の高揚感には、どこか居心地の悪さを感じてしまった。この小さな居心地の悪さは、映画制作と描かれる対象との距離があまりにも近いこと、またそのそれゆえの直接的な肯定感から来ているのではないかと思う。或いはこの歓喜の高揚や肯定のなかで、映画の途中では繊細に描かれていたはずの痛みや嘆き、撤回できないはずの苦しみや傷がほとんどかき消されてしまっているということもあるのかもしれない。現実の戦争をある種の英雄譚へと語り直し、錯綜した歴史的出来事をある特定のグループの勝利や解放の歓喜に還元してしまうとすれば、この歓喜の声はそれ自体どこか国威発揚的な、どこかプロパガンダ的なニュアンスをもって響くところがある。それは、そこに身を合わせないものにとっては、どこか浮足立ったものにも聞こえる。

もっとも、もう少し距離をもった、観る者に戦争の現実を感じさせるようなレジスタンス映画が制作されるには、1946年というのは第二次大戦にあまりに時間的に近すぎるのかもしれない。その意味でこの映画はこの映画で、この時代この文脈だからこそ生じえたある特定の歴史的意識のドキュメントとして鑑賞するのが素直なのかもしれない。そしておそらく、戦後もう少し時間が経ってから、この映画を先駆者としつつ、多彩なレジスタンス映画が製作されていくのだろうとも思う。その意味でも、もう少し後に制作された同じルネ・クレマンのレジスタンス映画「パリは燃えているか」("Paris brûlet-t-il?" 1966)、またその他の監督による様々なレジスタンス映画も、ぜひ観てみたいと思う。

 

大きなものと小さなもの、転覆する列車と壁を這う蜘蛛

この映画において強く印象に残ったのはむしろ、幾つかの映像表現だった。

一つは、列車という大きなものの映像表現。この映画中において、鉄道というのは他ならぬレジスタンスの場であり、その上を動く車両群もまたきわめて緻密な質感をもって表現されていた。鉄の塊が密度をもって動くその様子、蒸気による車輪の回転が高まっていくその緊張感を映し出す映像それ自体が、この映画に一定の説得力を与えるものになっていた。

そして何より印象的だったのは、労働者たちの抵抗運動によってコントロールを失った列車が転覆して大破する場面だった。スピードを増し暴走していく長い車両群は、乗り込んでいたドイツ兵や戦車もろとも、脱線して荒野へと投げ出される。映画を通して圧倒的な質感を放っていた鉄の塊は、その中に積み込まれた生活とともに大破する。ドイツ兵のものであろうアコーディオンが、場違いな音律を立てながら転がっていき、やがて止まる。この場面は、レジスタンス運動の極まりであるとともに、戦争による崩壊の一つの極でもある。どうやって撮影したのか(どこまで本物の車両を用い、どこからが特撮なのか)はわからないが、列車という質量をもった鉄の塊が崩壊していくこの映像は、圧倒的なものだった。

もう一つ印象的だったのが、小さなものを追っていくその執拗さだった。映画としては前半から中盤にかけて、ドイツ軍に捕らえられた数人のレジスタンス参加者が壁に向けて立たされ順番に射殺されていくシーンがある。このシーンでカメラは、徹底して最後に銃殺される一人の労働者に定位し、彼の表情の変化、彼の見るもの、彼の聞く音、彼が触れるものを、しつこいまでに緻密に追っていく。

涙をたたえた表情。壁を這う蜘蛛。汽笛ともに吐き出される蒸気機関の煙の散逸。けたたましい汽笛。握られる手。隣に立つ労働者たちが打ち抜かれていくその銃声。握られる手。閉じられる眼。「打て」という乾いた命令の声。最後の銃声。立ち上る煙。

ここで彼の最期の瞬間それ自体は描かれないのだが、それがかえって、そこに至るまでの密度の高い映像描写と相まって、一人の抵抗者の銃殺というこの事態を忘れがたいものにしている。ディティールへのこの執拗なまでの拘りもまた、この映画がもつ表現の力の一つの極をなしている。

列車の転覆という圧倒的な崩壊と、壁を這う蜘蛛にまで至る執拗なディティールへの固執。この対照的な映像表現こそが、映画の最後を占める解放の高揚感よりも、この映画を印象的で説得的なものにしているものだと思う。

変わらないはずの知識が、変わりゆく現実に置き去りにされるとき(ミア・ハンセン=ラヴ「未来よ こんにちは」/Mia Hansen-Løve "L’Avenir" 2016年)

ミア・ハンセン=ラヴ「未来よ こんにちは」(Mia Hansen-Løve "L’Avenir" FR/DE 2016)を鑑賞。独仏合作で、観る直前に知ったのだけれど、昨年2016年のベルリン映画祭で銀熊賞を獲得した映画だとのこと。

 

おおまかな感想、印象

知識と教養のなかに生きる初老の女性が、静かに、けれども抗いがたく、周囲の現実に取り残されていく様を描いた映画。全編にわたってイザベル・ユペール(Isabelle Huppert)演じるパリの哲学教師ナタリーの生活が淡々と描かれるのだが、物語は劇的に動きそうで動かず、ナタリーは何か大きな決断を下しそうで下さない。まず周囲の生活が彼女の意志に構わず変わっていき、その変化に応じざるをえなくなったナタリーは、静かにだが自分の生き方を変えていくことになる。多くの哲学者の名前や著作が行き交うこの映画では、変わらないはずの知識や思想のなかに生きているつもりの者も、現実の変化のただなかに生きており、そしてその現実に流されているのだということが描かれている。哲学を愛し知識や文化のなかに変らずに生きていけると思い込んでいたナタリーもまた、生活の変化に置き去りにされていく。

この「現実に置き去りにされること」が、この映画の重要な主題のひとつであるだろう。ナタリーは、夫に置き去りにされ、仕事に置き去りにされ、母に、猫に、かつての教え子に、置き去りにされていく。自分が取り残されていることに気付いてはじめて彼女は、現実の自分の生活と向き合わねばならなくなる。もっともこの映画が決して退屈で単調なものにならず、また決して悲観的なものになっていかないのは、置き去りにされたナタリーが、劇的な仕方ではないがしっかりと、現実の変化と向き合っていくからだろう。取り残され、静かに涙をながす彼女は、変わりゆく現実に対して弱く無力ではある。しかしそれでもナタリーは、自分がこれまで生きてきたものを簡単に捨てることをせず、自らの生活を調律しながら、残った現実の上を歩み始める。彼女には、まだ、未来が残っている。

 

 簡単なあらすじ(ネタバレあり)

パリの高校で哲学を講じる教師ナタリーは、その傍らで哲学に関する書籍出版にも携わっている。彼女は、夫とともに過ごす「満たされた知的な生活」を愛している。しかし彼女の生活は次第に変化していく。彼女の生徒たちは高校の前でデモを始める。25年連れ添った大学教授の夫には、新しい恋人ができたので別れたいと告げられる。出版社との契約は打ち切られる。介護施設に入れざるをえなくなった母は亡くなる。猫アレルギーにもかかわらず母の愛猫パンドラを引き取らざるをえなくなる。

突然にさまざまなものを失ったナタリーに、夏季休暇がやってくる。彼女は、喪失のあとに抱いたある種の自由の感情とともに、かつての教え子であるファビアンのもとを訪れることにする。ファビアンは、大学で専門的に哲学を学びナタリーの助力でホルクハイマーに関する論文を出版したのち、都会のブルジョワ的生活から離れたラディカルな生き方を求め、仲間とともに山荘を購入しそこで哲学的議論に興じる生活をしている。ナタリーは、パンドラを連れてこの山荘での生活を始める。しかし彼女は若者たちのようにラディカルな考え方もできず、またそのことをファビアンに批判されもし、結局山荘からパリに戻ることになる。

パリに戻り教師としての生活を続けるナタリー。夫は必要な本をもって出て行ってしまった。ナタリーはパンドラを手放し、ファビアンの山荘に住まわせることにする。元夫が探していたショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』を彼に手渡す。そうこうしているうちにナタリーの娘が妊娠し、子供を産む。ナタリーは、娘の家族とともに、ささやかな夜を過ごす。

 

変わらないはずの知識、変わりゆく現実

哲学教師ナタリーは、大学教授の夫とともに「満たされた知的な生活」を送り、それを幸福に思っていた。彼女は知識を愛し、そのうちに安らっていたし、その安らぎがいつまでも続くと思っていた。しかし現実は彼女に安らぎをもたらさない。「いつまでも愛してくれると思っていた」夫は新しい恋人を作って自分のもとを去っていく。手軽さやわかりやすさに屈さない彼女の哲学本へのこだわりは編集者たちに疎ましがられ、彼女が好んで拠り所とするアドルノやホルクハイマーといういわゆる「フランクフルト学派」の哲学者たちの書籍も「もうこれ以上出版する必要があるのか疑問」であると言われてしまい、ついには出版社との契約を切られてしまうことになる。彼女が望む望まないにかかわらず、変わらないはずの知識が、変わりゆく現実に置き去りにされていく。

さらにナタリーは、哲学的知への情熱を共有できるはずだったかつての教え子のもとで、また別の仕方での現実の変化を思い知らされる。ナタリーが学生だった頃——おそらくそれこそ例の「フランクフルト学派」の流行が生きていた時代だろう——には、ラディカルな知識人の生き方と言えば社会運動への参画であっただろうし、男性からの女性の自立でもあっただろう(だからこそナタリーは高校の生徒たちのデモンストレーションに一定の理解を示すことができた)。しかし今や、彼女が自由の気持ちを抱いて訪れた山荘の若者たちにしてみれば、ナタリーのようにラディカルな社会批判の哲学を講じながら都会で市民的な生活を送るというのは言行不一致な嘘の生き方だということになる。かつて彼女の信奉者だったファビアンにその点を非難されることで、ナタリーは、彼女が安らっていた知識という面でさえ、時代の変化が彼女を置き去りにしているということに気付く。

 

現実に置き去りにされるとき、無力なままにその変化のうえを歩むこと

この「置き去りにされる」というモチーフが、この映画に通底している。ナタリーの母親は、かつて夫に捨てられた記憶から、「置き去りにされる」ことを過剰なまでに恐れ、いつも誰かがそばにいることを、子供のように望んでいた。知識と幸福のうちに安らっていると思い込んでいたナタリーもまた、夫や仕事に置いていかれ、母にも先立たれ、そして彼女の知識さえも時代遅れになってしまった。変わらないはずの知識の世界に生きていた彼女もまた、変わりゆく現実に置き去りにされてしまった。彼女は自分の無力さの前に呆然とする。一人で怒り、一人で泣く。そうしてようやくナタリーは、自分自身の生活と向き合うことを始める。

ナタリーの現実との向き合い方はしかし、決して劇的な変化に富んだものではない。もしかすると、自由の感情を抱いて山荘に向ったときの彼女は、ある種の劇的な変化を望んでいたのかもしれない。しかし彼女は「ラディカルに生きるには年をとりすぎた」のだ。運動不足の猫のパンドラでさえ、山のなかでは狩猟本能を発揮してネズミ狩りをしてくるというのに、ナタリー自身には何かが目覚めるということもない。彼女にはもう、若いファビアンたちのような生活の変革へのエネルギーも、また現実的な自由の余地も残っていない。そのファビアン自身でさえ、ともに山荘に住む恋人との間に子供が生まれたら、今のような生活は難しくなるかもしれないと口にする。ナタリーには既に二人の子供がいて、高校には彼女の生徒たちがいる。そして娘には孫が生まれもする。これらの現実は、彼女のこれからの生き方をも限定する現実であって、彼女にはもはやそこからの劇的な変化は望めないのだ。

しかしそれでもナタリーは、彼女のもとに残った現実と向き合うことを放棄しはしない。それは決して、彼女にとって理想的なあり方ではないかもしれない。自分を捨てたものたちに対して意固地になり、人を傷つけてしまうこともある。それでもナタリーは、これまで生きてきた自分の現実を捨て去ることをせず、彼女の前に生じてくる一つ一つの出来事に淡々と向き合い、自分の生活を調律していく。彼女が自らパンドラを手放すことを決め、都会の部屋という「箱」の中しか知らなかったパンドラに山荘の生活を与えたことは、ナタリーの小さな変化を象徴しているだろう。箱のなかに閉じ込められていたのは災いではなく、現実の世界を歩むための眼差しだったのかもしれない。ナタリーはもはやこの猫のように自然のなかで好きに走り回ることはできないが、それでも彼女は、これまで変わらないものに見えていた知識の枠から一歩を踏み出し、現実の世界のうえを手さぐりで歩き出したのだ。

ここに、この映画が決して根本的には悲観的なものにならない理由がある。現実に置き去りにされ、自分の無力さに涙を流した彼女は、それでも静かに目の前に残った現実の上を歩き始める。この現実のうえには、彼女が生活を続ける限り、これからまた少しずつ何かが生じてくるだろう。それは彼女がかつて思い描いたような知識の永遠の安らいとは違って、それ自体現実のうえで変わりゆくものであるかもしれない。しかしいずれにしても、彼女が生を放棄しないかぎり、ナタリーにはまた未来がやってくるのだ。

共和制と独裁のはざま、歴史の暴力に対する抵抗の声(ハンス・ベーレント「ダントン」/Hans Behrendt "Danton" DE 1931)

ハンス・ベーレント「ダントン」(Hans Behrendt "Danton" DE 1931)を鑑賞。観たのは少し前なのだが、忘れないうちに。

 

おおまかな感想、印象

ドイツ制作で、有声映画としては早い時期のもの。フランス革命勃発後、革命の主要な担い手であったジョルジュ・ダントンとロベスピエールの間の張りつめた関係を軸に、革命が恐怖政治へと移行していくそのプロセスを描いている。登場するフランス人たちがもれなくドイツ語を喋っているのはまあご愛敬として、ダントンとロベスピエール役はなかなかはまっていたように思う。特にダントン役のフリッツ・コルトナー(Fritz Kortner)に関しては、あとでダントンの肖像画を見たら雰囲気がそっくりで思わず笑ってしまった。筋に関しては、前半はやや淡々と進んでいて退屈に感じたが、後半、とりわけ裁判においてダントンが聴衆相手に演説をぶつ場面は見ごたえがあり、作り手の熱意を感じた。そこにははっきりと、共和制と独裁との間で揺れるワイマール期ドイツの歴史的意識が反映されていたように思う。そしてそれは同時に、眼前に迫る歴史の暴力に対してあげられた、抵抗の声でもあっただろう。

 

ごく簡単なあらすじ

フランス革命期、その主要な指導者として活躍するダントンとロベスピエール。国王ルイ16世を処するにあたっては同じように急進的な革命の担い手であった二人だが、革命の進行とともに、態度の違いがあらわになっていく。貴族や反対者の処刑を辞さない急進的な態度を貫くロベスピエールに対して、ダントンは、貴族の娘と恋に落ち結婚を申し込んだり、マリー・アントワネットの処刑に難色を示したりと、穏健な態度を見せるようになる。二人を和解させようとする周囲の努力も空しく、二人は決別し、最終的にロベスピエールはダントンを裁判にかけ極刑に処すことを求める。彼を処するために開かれた裁判においてダントンは、聴衆に向って演説を始める。革命が目指していたのは、独裁ではなく共和国ではなかったのか。形式的な裁判でもって反対者を処刑し全てを思い通りに進めるロベスピエールのやり口は、共和制を裏切る独裁ではないのか。堂々たる演説に聴衆は賛同し熱狂するが、しかし裁判官はダントンに死刑を告げる。かくしてダントンもまた、聴衆の前で、見せしめのようにギロチンでもって首をはねられる。

 

共和制と独裁のはざま、歴史の暴力に対する抵抗の声

この映画の主題は明らかに、同じ革命の担い手であったダントンとロベスピエールの二人が、やがて民主的な共和制を望む者と独裁的な恐怖政治を遂行する者とに分かれていくというその点にある。映画中の彼らの言動がどこまで史実に即したものなのかはわからないが、この二人の緊張や敵対の関係はきわめて——図式的なまでに——劇的に描かれている。そしてそこには同時に、1931年当時のドイツの意識、もはやその基盤が揺らぎ、ファシズムの台頭を目の前にしていたワイマール共和国の歴史的意識が、はっきりと反映されている。映画の後半、共和制を望み独裁を非難するダントンの演説は、ワイマール共和国における民主主義が、その破局という歴史の暴力に対してあげた切なる抵抗の声であっただろう。しかしロベスピエールによってダントンが処刑されたように、この映画からわずか2年後には、ドイツもまた共和制を捨て、国家社会主義による独裁へと移行していくことになる。

 

※恥ずかしながらこの映画を観た後で初めて知ったのだが、アンジェイ・ワイダも同じ「ダントン」(Andrzej Wajda" Danton" 1983)なる映画を撮っているとのこと。この主題で彼がどういう映画を撮っているのかとても興味があるので、ぜひ機会があったらこちらも観てみたいと思った。

疲れ果てた死神と、この世を離れる門のイメージ(フリッツ・ラング「死滅の谷」/Fritz Lang "Der müde Tod" 1921年)

フリッツ・ラング「死滅の谷」(Fritz Lang "Der müde Tod" DE 1921)を鑑賞。チケットを買おうと並んでいたら、一人のおばさまが余ったらしいチケットを譲ってくれた。どうせ学割で安く買えるのにもらってよいのだろうかと思いつつも、あまり時間もなかったので、有り難く譲ってもらってしまった。

 

おおまかな感想、印象

比較的早い時代の無声映画だが、制約のあっただろうなかで奥行のある物語を映像化しようとするその試みは、見ごたえのあるものではあった。とりわけ自分の職務に疲れた一人の人物としての死神の描かれ方、またこの世を離れる門のイメージが、印象的だった。ただ全体に少し説明過多に感じたのと、イスラム世界やベネチア、古代中国(とおぼしき国)を描く下りについては、ステレオタイプだという印象も抱いてしまった。もっともこれが当時のドイツにおける「東洋」や古代世界のイメージということなのかもしれないし、そういうものとして見る分には楽しめないこともない。映画全体を通した、この世における愛への執着が最終的にあの世での浄福に道を譲るというモチーフは、やや陳腐でかつある種の死の正当化に陥りかねないものではあったけれど、最後まで一定の緊張感をもって描き切られてはいた。同じフリッツ・ラングの「メトロポリス」(1927年)ほどの圧倒的な感想はなかったけれど、過渡期の秀作としては面白く観れた。

 

あらすじ

ある小さな町にやってきた一人の見知らぬ男。彼は墓場沿いの土地を借り受け、そこに窓も門もない高い壁を立てている奇怪な人物だ。この男は町にやって来た一組の若い夫婦に付きまとい、三人はレストランで同じ席に着くことになる。妻が少し席を外したすきに、彼女の夫はこの奇怪な男とともに姿を消してしまう。必死になって行方を捜す妻は、件の墓場沿いの壁にたどり着く。そこで彼女が目にしたのは、半透明の死霊たちが、通り抜けることができないはずの壁の向こう側へと渡っていく姿だった。そしてそのなかには彼女の夫の姿もあった。それを見て彼女は気を失ってしまう。

気を失った彼女は、通りかかった薬剤師に助けられ、彼の家で介抱される。そこで彼女は、偶然目にした「愛は死のように強い」という旧約聖書雅歌の一節に鼓舞され、彼の後を追おうと傍らに置かれた薬を飲みほそうとする。その瞬間、彼女の身体はふたたび墓場の壁の前に移される。あの高い壁に、今は門が開いている。門の中に足を踏み入れるとそこには例の人物——死神——が待っている。「あなたを呼んだ覚えはない」と口にする死神に向って彼女は、愛する人のところに行きたい、と懇願する。死神は彼女を、様々な長さの蝋燭で埋め尽くされた広間へと連れて行き、ここにある蝋燭の灯は全て人の生であり、彼女の夫はそれが尽きたのだ、と説明する。しかしそれでも彼女は食い下がり、愛は死よりも強いと信じているのだと強弁する。その彼女に対して、人々の死の苦しみを見守るのに疲れ果てていた死神は、なかば面白がるように一つの試練を与える。今まさに消えようとしている三つの蝋燭、このなかの一つの灯でも守ることができたならば、亡くなった夫の生を彼女に贈ることにしよう、と。

ここから、それぞれの蝋燭の物語が始まる。詳述はしないが、一つ目は、オリエントの世界で、カリフが自分の妹と恋愛関係にある異教者を処刑しようとする話。二つ目は、ベネチアの世界で、騎士ジロラモが、自分の婚約者の隠れた恋人の命を奪おうとする話。三つ目は、古代中国(Reich der Mitte)の世界で、魔術師たち一行が専制的な皇帝の誕生日を祝うよう命じられ、皇帝に見初められた魔術師の娘がその恋人とともに逃げ出そうとする話。それぞれの物語において女性は命を狙われる男性を助けようとするが、うまくいかず、蝋燭の炎は全て消えてしまう。試練に敗れた女は、それでもなお死神に夫の命を乞い求める。対して死神は、一時間以内に、まだ死ぬ運命にない人間の生を彼女が差し出すことができれば、夫の命をくれてやろうと答える。

ここで再び女の意識は薬剤師の家に戻る。彼女は薬剤師や、路上の物乞い、診療所の老人たちに、自分の夫のためにその命を譲ってくれと懇願して回るが、拒絶され、逃げまどわれる。そうこうしているうちに一人の老婆がランプを倒してしまい、それが原因で診療所が火事になってしまう。人々が逃げ出してから、診療所の二階に生まれたばかりの赤子が取り残されていることが判明する。女は脇目もふらず燃え盛る建物のなかに飛び込み、赤子のもとへ駆けつける。赤子を抱いた彼女の前に、死神が現われ、両手を広げる。ここで手渡せば、夫の生が取り戻せる。しかし彼女は、赤子を死神の手には渡さず、ロープを使って下で待っている人々に手渡す。 そして死神に、彼女自身を夫のもとに連れて行ってほしいと告げる。死神は彼女を、横たわる夫のもとへと導く。診療所は焼け落ちる。死神は二人の魂を、静かな丘の上に連れてゆく。二人は手を取り、身を寄せ合う。

 

疲れ果てた死神と、この世を離れる門のイメージ

この映画「死滅の谷」の原題"Der müde Tod"は、直訳すると「疲れた死神」ないし「疲れ果てた死神」であり、実際に死神が映画の中心人物をなしている。まず面白いのは、人々の生の終わりの苦しみを見まもり、人々に憎まれる自らの役回りに死神自身が疲れ果てている、という描かれ方だろう。プログラムの説明文には、この「死神が疲れている」という点に、第一次世界大戦の痕跡という時代批判のモチーフが隠れていると書かれていたが、正直に言えばここからそこまで読み取れるかというとなんとも言えないと感じた。ともあれこのベルンハルト・ゲェツケ(Bernhard Goetzke)演じる擬人化された「疲れ果てた死神」のイメージ、彼のニヒルで無表情ではあるがどこか上品でユーモラスさや優しささえ感じさせる所作は、なかなか印象に残るものだった。そしてこの死神は、自分の職務に倦んでしまっているからこそ、自分の夫の命を返してほしいと懇願する女性の願いに対して、なかば気晴らしに応答してしまうのだ。

 もう一つ印象的だったのは、死すべき者だけが通り抜けることができる死の世界へ抜ける「門」のイメージだった。特に、壁のなかのその門がいまだ見えていない女性の前を、死霊たちが静かに通り抜けていくシーンでは、映像が独特の緊張感と空気感をもっていたように思う。この映画のよいところは、この門の向こう側の死後の世界、つまるところ「あの世」を、そのものとして積極的に描くことをしなかった点だと思う。たしかに主人公の女性は門をくぐって死神に会いに行くのだが、そこで彼女が見たのはあくまでも生が灯る蝋燭の広間でしかない。彼岸の世界そのものは描かれず、あくまでもこの世界を離れるその境界線までしか可視化されていない。だからこそ、この世を離れる門の前で、未だこの世界に生きる女性とこれからこの世界を離れる死霊たちとが交錯するイメージは、一定の緊張感のあるものになる。その境界線の先は、イメージ化することもできないのだ。

この映画において、夫の生を追い求める女性は、あくまでもこの世界の幸福、これまで夫と過ごしてきた、そしてこれからも過ごすはずであった此岸の幸福に固執する。それは物語の後半で、自分には無価値に見える人々の命と引き換えに夫を取り戻そうとする彼女の見苦しいまでのエゴイズムに極まる。とはいえ最後の最後では、これからを生きる赤子の命を前にして、彼女自身はむしろこの世界を離れた彼岸で夫と一緒になることを選択する。最後に死神がつぶやく「自らの生命を投げうつ者こそが、生命を得るのだ」という台詞が象徴するように、ここでは、この世の愛への執着が、彼岸の浄福への願いに道を譲っている。この世での自己犠牲を勝利と見なし称揚するこの種の世界観は、少なからず陳腐なものになりかねないし、場合によってはこの世の悲惨を覆い隠す言い逃れや、理不尽な死の正当化にもなりうる、という点は注意するべきかもしれない。この映画にもその兆候はなくはない。もっとも、ここに見られる現世への諦念や彼岸への願いこそ、そしてそこに読み込まれうるある種の死の正当化さえも、第一次世界大戦直後当時のドイツにおける時代意識の一面をはっきりと反映するものなのかもしれない。 

 

その他感想など

以下、個々の感想、思ったことなどを箇条書き。

・同じラングの「メトロポリス」に比べると、全体に説明過多という印象がぬぐえない。無声映画なので映像間に字幕が入るわけだが、台詞だけでなく、画面いっぱいに状況説明の文章が入れられていた。細かいわりに表示時間が短く、読むのが大変だった(もちろん私の語学力の問題もあるだろうけれど)。より見やすく表現が洗練されていく過渡期だったのだろうなあ、という感想。

・さらに、基本的な字幕がいわゆる「ひげ文字」(フラクトゥール/Fraktur)で、これまた読みにくかった。ひげ文字の文章は何度か読んだことがあるので読めなくはないのだが、やはりすらすらは読めず、読み切れない字幕も多くあった(…ので、あらすじを書く際にはYoutubeにアップされている"Der müde Tod"で何か所か確認もした)。ドイツ語ネイティヴスピーカーならひげ文字もすらすら読めるのだろうか、と疑問に思ったので、映画後、チケットをくれたおばさまにお礼がてら尋ねたところ、やはりひげ文字は読みにくい、と言っていた。デザインとしては時代感もあって面白いのだけどもね。

・三つの世界のシーンでは、それぞれに合わせて字幕の文字デザインが変えられていた。イスラム世界の下りではアラビア文字っぽく、ベネチアでは今一般に使われているようなラテン文字、そして中国世界では漢字っぽいデザイン、というように。これも読みづらいは読みづらかったが、慣れてしまえば割と(ひげ文字より)楽に読めた。この三世界のシーンはステレオタイプ満載という感じで苦笑い半分で観たのが正直なところだが、この文字デザインの変化はなかなか面白いと思った。

・背景音楽は2015年のデジタル復刻版に合わせて新しくCornelius Schwehrによって作曲されたものとのこと。まったく何も知らないのだけど、無声映画の背景音楽の作曲や演奏というのは考えてみるとなかなか面白いジャンルなのではと思う。(今回は録音された音楽だったが)時々、無声映画に合わせてその場で音楽家が生演奏する、というような催しもあって、行くと結構面白い。以前鑑賞した無声映画+生伴奏では、ピアニストが完全にその場の即興で演奏していると言っていた。ああいうのはいったいどういう技術と訓練によってできるものなのだろう。

演出された英雄譚、正義の英雄が戦った敵とは誰だったのか(クリント・イーストウッド「アメリカン・スナイパー」/Clint Eastwood "American Sniper" 2014年)

クリント・イーストウッド「アメリカン・スナイパー」(Clint Eastwood "American Sniper" USA 2014)を鑑賞。大学関連の上映会だったようで、学生証提示で無料で観られた。そのことを行くまで知らなかったのだが、支払いしようとしたときに受付のお姉さんが気付いて確認してくれて有り難かった。

 

おおまかな感想、印象

イラク戦争において160人にのぼる敵を撃ち抜き「伝説」として賞賛された実在のスナイパー、クリス・カイル。彼の四度にわたるイラク派遣時の戦闘の様子を、そしてまた彼のアメリカでの生涯をも描いた、伝記的映画。上映時間132分の大半を占める戦闘シーンでは、銃声や爆発音、舞い散る埃と血しぶきというショッキングなシーンを断続的に見せつけられる。しかし衝撃音にまみれたイラクでの戦闘シーンと並行して、祖国アメリカにおけるクリスの生涯も——バーで出会ったタヤと恋愛をし、結婚し、子供を授かり家族を作っていくその過程も——描かれてゆく。戦闘の衝撃音と家庭の穏やかさとのギャップはあまりに大きく、観る者も唖然とさせられるが、それ以上にその狭間を埋めることができないのはクリス自身だ。戦場と日常との往復にともなう隔たりに、彼はやがて心を壊していきPTSDを病むことにもなる。

強靭な英雄であり、また同時に心に傷を負ったクリスという一人のスナイパーに定位したこの映画は、観る者に多面的な見方を許すものだ。つまり、ある面から見るとこの映画は、祖国アメリカのために命を捧げ、心に深い傷を負いながらも家族を守るために打倒されるべき敵と戦い抜いた正義の英雄のプロフィールを描いたものである。しかしまた別の面から見ればこの映画は、正義の英雄として称賛されその名誉に生きた一人の人間が、実際には「敵」であると思い込まされた「敵」と戦ってしまっていたに過ぎないという、英雄譚に潜むある種の欺瞞を映し出したものとしても解釈でできる。そして後者の観点からすると、クリスその人だけでなく、彼の「敵」であると設定されたイラク現地の武装勢力の兵士たちもまた、彼と同じように演出された英雄譚という欺瞞のなかを生きる人々なのではないか、という問いも沸き起こってくる。

この解釈の多面性に対して明確な答えを与えないまま、この映画は、不慮の死によって亡くなった英雄を讃える星条旗の映像をもって閉じられる。星条旗の下に讃えられた「伝説」とは、はたして苦しみに耐え抜いて悪と戦った正義の英雄の悲劇であるのか、それとも演出された英雄譚の上を生かされた人物の悲劇であるのか。このぎりぎりの問いは、開かれたまま、観る者に突きつけられることになる。

 

簡単なあらすじ

幼い頃からカウボーイに憧れ、正義感と愛国心の強かったクリス・カイルは、1998年のアメリカ大使館爆破事件をテレビで見たことをきっかけに海軍への入隊を決意する。厳しい訓練を突破しネイビー・シールズの一員となった彼は、ある日バーで出会った女性タヤと愛し合うようになり、結婚するに至る。その折、2001年に起きたニューヨーク同時多発テロを契機にイラク戦争が起き、クリス自身もイラクへと派兵されることになる。スナイパーとして卓越した才能をもっていたクリスは、一度目の派兵で既に「伝説」と呼ばれるほどの成果を上げる。四度にわたってイラクへと派兵されたクリスは、最後には因縁の相手でもあったイラク現地の過激派のスナイパー「ムスタファ」を射殺することにも成功する。

並行してクリスは、タヤとの間に二人の子供をもうけ父親となり、またアメリカでも伝説の英雄として名を知られていくようになる。しかし同時に戦争で負った心の傷が露呈していくようにもなり、日常生活に支障が出てきてしまう。除隊して精神科にかかりPTSDを治療しながら、医師の勧めで傷痍軍人との交流を通して少しずつ人間らしさを取り戻していくクリスだったが、ある日、突如の事故で命を失ってしまう。祖国のために生きた伝説の英雄の突然の死を悼み星条旗を掲げた人々の映像——実際の葬儀や記念式典の映像——をもって、映画は終わる。

 

正義の英雄が戦った敵とは誰だったのか?羊と狼と牧羊犬の比喩から

映画の前半にクリスの幼少時代の描写があるのだが、そこでクリスの父が息子たちに「世の中には三種類の人間しかいない。羊と狼と牧羊犬だ」と語りかける一幕がある。曰く、羊は悪いこともしないが臆病で身を守ることができない人々で、狼は彼らに襲いかかる悪い奴ら、そしてこの狼から羊たちを守るのが牧羊犬なのだ、と。だから勇気と力のある数少ない人間は牧羊犬として生きねばならない——父のこの教えを守るかのように、クリスは正義のために、自分の愛する家族を脅かす悪を蹴散らすために、海軍に志願する。そしてブラウン管越しにニューヨークの同時多発テロを見た彼は、そばにいる大事な女性を、そして彼の祖国を守らんという正義を抱いて、イラクへと赴く。

戦地において彼が最初に狙撃したのは、対戦車手榴弾を抱えてアメリカ軍に自爆テロを仕掛けんとする少年とその母親とおぼしき女性だった。年端もいかない少年とその母を射殺したというそのことは彼に良心の呵責を感じさせはするが、しかしそこで狙撃しなければ彼の仲間の血が流れていたのだ。彼にとっては、少年も女性もその見かけにかかわらず悪い狼なのであって、彼らを打ち抜くことが正義だった。たとえそのことが彼の心に傷を残したとしても、彼は羊たちを守る正義の牧羊犬としての職務を全うしたのだ。映画の最後のシーン、彼の突然の死に際して星条旗を掲げて悼む人々は明らかに、そういう正義の英雄の伝説を讃えている。この線を素直にたどったとき、映画は星条旗の下で織りなされた英雄譚の姿をとるだろう。

しかし本当に、アメリカの人々が無垢な羊で、イラクの人々が悪い狼であったのだろうか。そのような単純化した図式がいかに現実に即さないものであるのかを、我々は既にいやというほど知らされている。たしかに2001年の同時多発テロは痛ましい出来事だった。しかしそれさえも、アメリカが一方的な被害者で、一方的な「報復」を語れる立場でなかったということは、とうに露わになっている。中東の過激派には彼らなりの復讐と大義があり、彼らの視点からすればアメリカの方が「悪い狼」であるように見えていた。だからこそこの映画において「悪い狼」の側に立たされた者たちも、彼らから見た「悪い狼」を追い払おうと懸命に戦っているのだ。そしてその根底には結局、そのような善悪の図式とは異なる利害関係が隠れている。自らを正義の牧羊犬だと思い込んだ現場の兵士たちは、そのような利害関係を知ることもないままに、装われた善悪の図式を愚直に信じながら、けしかけられる。お前は正義の牧羊犬だ、無垢な羊を脅かすあの悪い狼をやっつけろ、あの悪い狼をやっつければ、お前は正義の英雄として、伝説として、賞賛されて名誉を受けるのだ、と。

クリス・カイルの「伝説」が、このような作られた図式の上で演出された英雄譚であることが気付かれてしまったとき、この映画は英雄譚とはまったく異なったものとして解釈されることになる。軍人の心の傷も、星条旗の下での称揚も、やるせない疑問符のもとに眺められることになる。はたしてこれら全てはいったいなんのためになされたのか。はたして正義の英雄が戦った敵とは誰だったのか。

 

解釈の多面性、演出された英雄譚の図式への疑問符

この映画「アメリカン・スナイパー」の恐ろしいところは、観る者の信条によって多面的な解釈が可能だというところだろう。

ある意味で不誠実であり、またある意味では一貫しているとも言える点だが、この映画ではアメリカ軍と戦うイラク武装勢力側の視点や主張は一切描かれない。徹頭徹尾アメリカ軍人の視点、他ならぬクリス・カイルの視点から見た戦争だけが描かれるので、同時多発テロはアメリカ市民の命を脅かす理不尽な災厄にしか見えないし、イラクの武装勢力も女子供までをも攻撃手段に用いる恐ろしいテロリスト集団として現れることになる。それゆえイラク武装勢力が「悪い狼」なのだという視点を疑うことがない者の目には、この映画は現代版の愛国英雄譚としてのみ映るかもしれない。

そのような見方からすれば、クリスの心の傷や家族との問題も、英雄が英雄として生きたゆえの苦悩でしかない、ということになるだろう。クリスに対して感情を吐露するタヤが、クリスの心が家族のもとにないことを嘆き、守られるべき家族はいまこの場所にいるのにどうして彼らを置いてまで戦地に行く必要があるのかと問い詰めるシーンでは、たしかに英雄譚の影の側面がはっきりと描かれている。それどころかそこでは、クリスが本当に正義の牧羊犬として羊を守るために戦っているのか、という決定的な疑問さえ提示されている。しかしこの疑問は、少なくともこの映画のなかにおいては、明示的な仕方で突き詰められることもなく、逆向きの視点から補完されることもない。つまり彼ら自身が「悪い狼」でありうるのではないか、彼らが攻撃している相手がむしろ「善良な羊」でありうるのではないか、という疑問は決して提示されない。そこでは依然として、「正義の牧羊犬」クリス・カイルは、自らの幸せな生活を犠牲にしながらも、テロリストという「悪い狼」を抹殺するためにその生涯を尽くした英雄だ、という解釈が可能なのだ。

しかしこのような視点が欺瞞だということを既に知っている者にとっては、或いはイラクの人々の視点をも考慮に入れることができる者にとっては、この映画は別の見え方をしてくるだろう。映画において、この「別の」視点ははっきりと提示されはしないが、それでも示唆はされている。その象徴ともいえるのが、クリス・カイル属するネイビー・シールズと激戦を繰り広げ、最後にはクリスによって射殺されるイラク武装集団側のスナイパー「ムスタファ」の存在だ。映画中において彼は、決して立体的には描かれていない。しかしそれでも壁にかけられた写真を通して、彼がかつて射撃競技のオリンピック選手であったことは伝えられている。卓越した射撃の腕をもってネイビー・シールズを脅かすムスタファが、アメリカ軍の英雄として讃えられるクリスとちょうど同じようにイラク武装勢力側の英雄であり、彼なりの正義をもって彼にとっての悪の狼を追い払おうとする人物であるだろうことには、ほんの少しの想像で達することができる。

このムスタファとの戦闘は、この映画の原作であるクリス・カイルの自伝には出てこないもので、映画における創作であるのだという(ムスタファという人物自体は存在し自伝でも言及されているのだが、クリスが直接戦ったわけではなく、それゆえ彼が射殺したという事実もないという。※なおこの点についてはウィキペディアの記事「アメリカン・スナイパー」を参照した)。この点を重くとるならば、史実を曲げてまでムスタファというスナイパーをイラク武装勢力側においたことに、作り手の何かしらの主張を読み取ってもよいように思えてくる。いずれにせよ、ムスタファもまた、彼らの側の視点に則って、彼らから見た悪者を駆逐しようとしている。こうしてみるならば、正義の牧羊犬であるはずのクリスは、彼らから見ればむしろ悪の狼だったことだろう。さらにいえば、そもそもどこにも、正義の牧羊犬も、悪の狼も、存在しなかったかもしれないのだ。

彼らは彼らそれぞれに与えられた図式でもって、自分がそれだと思い込まされた正義の立場に自分を置き、やはりそう思い込まされた悪の立場と戦っている。そのように思い込まされた「正義」と「悪」の図式の下で自らの生活を、命をも犠牲に捧げる彼らを、もはや手放しに英雄だと呼ぶことができるのだろうか。あるいは、彼らを英雄だと賞賛するために演出された図式そのものにこそ、疑問の目が向けられるべきではないのだろうか。

イラク戦争を描いた映画として大ヒットを記録したというこの映画は、果たして現在のアメリカにおいて、どのように受け止められているのだろう。たまたま先日、森本あんり『反知性主義——アメリカが生んだ「熱病」の正体——』(新潮社、2015年)を読んだのだけれど、映画「アメリカン・スナイパー」を観て思い出したのは、この本におけるアメリカ史上の「英雄」たちの描かれ方だった。この本において扱われていたのはあくまでも宗教的な英雄たちだったのだが、善悪や敵味方を明確に分けたがる彼らの二分法的なものの考え方や行動指針は、この映画における「英雄」観とも重なっているように思えた。そのような「英雄」像が現代のアメリカにおいて未だに支配的なのだとすれば、この映画ももしかしたら、現代における正義の英雄譚としてもてはやされたのかもしれない。実際にこの映画にはそういう解釈の仕方をさせる余地が大いにある。

…ついでに言えば、本作はその制作過程で突然亡くなった実在の一個人——「英雄」として称賛されたクリス・カイル——の伝記的映画であるわけで、その制作にあたっては当然、遺族や彼を讃える人々の目を意識せざるをえなかっただろう。と考えると、本作の愛国英雄譚的な側面の強さには、ひょっとするとそういう人々に対する配慮も影響しているのではという気もしてしまう。もっともこれは単なる憶測にすぎないのだが。…

いずれにしても、本作には単なる英雄譚に汲みつくされない側面がある。この解釈の多面性こそが、そしてそれによって呼び起こされる疑問符こそが、この映画の恐ろしさであるとともに真髄をなしているように思う。